第4話 母との再会、そして後日
聡美の母は愛知県岡崎市のスターライトヒルズにいたことが判明した。11年ぶりに会った母は、連れ子のいる男性と結婚し、聡美の種違いの弟いたのだ。
そして聡美は母との再会後、栃木県足利市に戻る……。
宿泊先は東岡崎近くのホテルで泊まる事になった。チェックインを済ませると、すぐシャワーを浴びて別の服に着替えて、ベッドの上で大の字になった。ホテルは小さな部屋の二人用で、ベッドの他にテレビとテーブルと椅子二脚、荷物を入れる為のクローゼットとトイレとシャワー室。エアコンは全ての部屋に設置され全自動。
今日の疲れをとったら宿題をやろう。愛知県に来てから移動の連続であまり進んでいない。テーブルと椅子のある窓の向こう側は、太陽が西に向かっていて空が青と薄紅に染まり、車のエンジン音や電車の走る音が聞こえ、他のビルが見えていた。
終業式の次に母を探す旅を始めてからどれ位が経ったのか数えてみた。一日目に栃木県足利市を出て母の故郷の千葉県四街道市に来て、二日目に千葉市のインターネットカフェの情報収集で事件記録を書いた作家に会う予約をしてから東京へ、三日目から四日間は作家に会うまでホテル待機……という風に思い返してみると、実に十三日が経っていた。
普通の高校生ならば家で夏休みの宿題や家事をやったり、クラブ活動で学校に行ったり、予備校の夏期講習を受けたり、友達とデパートや遊園地へ遊びに行ったりするのが本来の夏休みであるのに、私は高校二年生の夏休みを十一年前に出ていった母を探して真相を見出す旅に注いでいた。それは無駄行為なのか余計な事なのか、それとも未来への布石なのかわからなかったけど、私は何としてでも母に会いたかった。父や祖母や学校の先生からどんなに悪く言われようとしても。
翌朝、私は朝食後に荷物をまとめて宿題を数ページやってからチェックアウトをし、ビルに囲まれた街中を歩いて東岡崎駅に向かっていった。出社するビジネスマンやOL,他所の町へ遊びに行く若者達に紛れて私は駅のホームに入り、電車が来るのを待って、胸を高鳴らせた。今は朝の十一時二十分。名鉄岡崎駅発スターライトヒルズ行きのバスは十二時十九分。あと一時間でバスに乗れる。母に会える。去年の秋から始めた母探しの旅費を集める為に行っていたアルバイトの九ヶ月が報われると思った。三十万円あった旅費は半分を切った。
やがて臙脂色の電車がやって来て、他の乗客と共に乗り込み、席は満員で座席のパイプにつかまって変わりゆく岡崎の町の景色を見つめていた。
『次は岡崎。次は岡崎』
アナウンスで景色を見つめるから降りる支度をし、電車が止まると私はキャリーバッグを持ってホームに足を踏み入れた。時計を見ると十一時三十一分。あと五十分あまりだ。私はホームを出て改札口に出ると、駅構内の駅弁店で豚の生姜焼き弁当と麦茶のペットボトルを買った。母の家に行く前に食べる腹ごしらえ用にと。
まだ時間もあるので、十二時十五分まで待合室に行って宿題を進める事にした。待合室にはおじいさんやおばあさん、着飾った主婦や休んでいる営業マンなどがいたけれど、私はせっせと数学テキストの問題を解いていった。もういいだろう、というところでテキストをリュックサックに戻し、待合室を出てスターライトヒルズ行きのバス停へ向かっていった。
バス停には四、五人程待っている人がいて、私は最後尾に立って日射しの差し込む中待っていると、クリーム色に藍色の星空と流れ星の絵が描かれた一台のバスが走ってきて、バスの表示窓には『スターライトヒルズ経由名鉄岡崎駅巡回』と表示されていた。
やっと、やっと昨日断念したバスに乗れる。私はバスに乗り込み、一番奥の座席に腰を掛けた。バスは一人三百円。乗客が全員乗り込むと、バスは岡崎駅のロータリーから低層ビルや店舗の並ぶ道路に入り、街から住宅街、学校のある町、田畑、団地街と景色と道は移り変わり、乗客も入れ替わっていく。
団地街までは平地だったのに対し、バスは坂道を上りだして、クスノキやブナなどの樹が植えられた道に入っていき、それはまるで緑のトンネルだった。
緑のトンネルを出ると、そこは街でおしゃれな店や低層ビル、モダン風の外灯や柵、白と茶色のタイルを使った歩道、街の住民も小奇麗な身なりの人が老若男女問わずと多かった。行き先の電光掲示板を見ると『スターライトヒルズ入口』と表示され、ここが母が住んでいるスターライトヒルズと理解したのだった。
スターライトヒルズの街に入った後はバスは、スターライトヒルズ中学校、スターライトヒルズ公園と進んでいき、白い壁に屋上プールのある中学校の住宅街を通り過ぎて、テニスコートやランニングトラックといった運動場もシーソーやジャングルジムやアスレチックタワーのある公園を抜けて、バスはスターライトヒルズ二丁目に到着し、私はブザーを押してバスは停車する。
長い事座りっぱなしだった体をほぐし、冷房の効くバス内から直射日光と熱気のある外に出た。バスストップには『スタータイトヒルズ二丁目』と書かれており、周囲は瓦屋根に大きな門扉のある日本家屋や広い庭にプレハブブロックの未来チックな家といった敷地の広い家が建っていた。小仲の祖母から教えてもらった母の住所は二丁目の五番地一号と書かれており、私はそこへ向っていった。
スターライトヒルズは街や公園は多くの人がいて賑やかな感じだったが、住宅街はやたらと静かだった。途中でお腹が空いたので、駅で買った駅弁を食べようと空き地を探した。とはいっても、スターライトヒルズの住宅街は迷路のようで、なかなか休み場所を見つけられなかった。
バスを降りてから十五分後にようやく敷地二十坪程の空き地、正しくは小公園を見つけられる事が出来た。小公園は前夫に道路、他三方は家屋に囲まれて日影になっており、雑草と石ころのある地面には二人までのブランコと滑り台、青いプラスチックのベンチがあるだけだった。私はベンチに座り腹ごしらえをし、麦茶を飲み干すと母のいる家へ向かっていった。汗だくで疲れもあったが、十四日目で旅の苦労が報われると信じていた。
「ここか……」
ようやく見つけた母の家、それは黒い屋根にクリーム色の壁にバルコニーのある家で、緑色の芝生のある庭には桃色の房のような花をつけるネムノキが植えられ、家と庭を合わせて七十坪位はありそうな広さであった。
私と祖母と父が住んでいた埼玉県草加市の家は亡き祖父が建てた小ぶりの和風家屋で、庭もそんなに広くなかった。父の前橋市の転勤に伴って祖父の家は手放してしまったが。
母が住んでいる家には『羽入』の表札がかけられ、更にインターホンにはカメラが付いていた。不審者だと思われたらどうしよう、とも感じたが、この二週間の足取りを無くしたくない為に一息ついてからインターホンを押した。ピンポーンの音の後に、スピーカーから女の人の声がした。
『どちら様ですか?』
高めの女の人の声だった。母かそれとも再婚相手の連れ子の娘さんのものか、家政婦のものかわからなかったが、私は勇気を出して返事をした。
「あのっ、私、羽入さんの奥さんの親戚の紅林聡美といいます。羽入さんの奥さんいますか?」
何かわざとらしいがこう答えた。
『羽入の妻は私ですが……。中へどうぞ』
インターホンが切れたと同時に門扉がカチンと鳴って開いた。どうやら家から操作するセキュリティシステムらしい。
私はおそるおそる中に入り、玄関に続く灰色の石畳のポーチに踏み入れ、バルコニー下の玄関の前に立つ。玄関はゴシック調のデザインで、ガチャッという音と同時に目の前に女の人が現れる。私より五センチ低めの背丈につり上がった目に細長いあご、小高い鼻に細身の体つき、白いメッシュのカーディガンに藍色のキャミソールマキシワンピースの女の人――。その人は私が東京のホテルのテレビで目にした女の人と同じ容姿だった。
「聡美……!?」
女の人は私に尋ねてくる。
「そうです。十一年前にお母さんが出ていった後、お父さんとおばあさんと暮らしている聡美です」
私はようやく母に会える事が出来て安堵した。本当は泣きそうな程、嬉しかったけれど、我慢した。
「本当に聡美なのね……」
母も私の成長した姿を目にした私に返事をする。私と別れてからの十一年間の母の人生はどんなものだったのだろうか。
「お母さん、誰?」
母の後ろから声がしたので、私は目をこしらえると、家の中の廊下には八、九歳くらいの男の子が立っていたのだ。服装は高そうなシャツとハーフパンツで、髪型はサラサラの短髪である。
「礼治、今お客さんと話しているから自分の部屋に行ってなさい」
母が礼治という男の子にそう言うと、その子は母の言葉に従って立ち退いた。
「まぁ、今は夫も夫の娘達もいないから中に入りなさい」
母に促されて私は羽入邸の中に入り、フローリングの廊下の床を傷つけないようにキャリーバッグは両手で持ち、部屋の一つであるリビングに入れてもらう。羽入邸のリビングは軽く十畳はあり、三十二インチのプラズマテレビやDVDレコーダー、二人掛けと三人掛けと一人掛けのタフタのソファー、カーテンのレースや外カーテンも高級そうな物で、天井にはつぼみ型ランプが四つもあるシャンデリア型の電灯、ベランダの近くにはパキラの鉢植えが置かれていた。床のじゅうたんもふかふかで歩く時はスリッパを履くようにと注意がけられている。
「まぁ、座りなさい」
私は二人掛けの片方に座り、母は三人掛けの真ん中に座り、私達を挟むようにガラスのローテーブルが置かれていた。
「あ、飲み物持ってくるから、それからで話して」
母は立ち上がると、台所と繋がっていると思われるドアに入り、数分後にアイスティーのグラスを二つ持ってきて、一つは私、もう一つは母の前に置いた。
「まさか聡美が自分の方から私に会いに来るなんて思ってもなかったわ」
母は私に言ってきた。
「はい。お母さんの事、六歳の時からずっと……」
「私の事は忘れてなかった訳ね。あの人、再婚したの?」
「いいえ。ずっとお父さんとおばあちゃんと暮らしていたから……」
それを聞いて母は不愉快そうな顔をした。自分が離婚させられていたからか、自分と相性が悪い上に甘い性質の祖母にかわいがられていた私の事をどう思っているのかというよりも、父と祖母が幸せそうだった事に対する不快さのようだった。
「あんたって顔はあの人そっくりだけど、頭の良さは私と同じで、私立小学校を受験させようと思っていたけれど……弟と弟につきまとわれた女のせいで、私は不幸になった上にあんたからも引き離された」
十一年前に叔父が起こしたストーカー放火事件により、母は会社をクビになっただけでなく、父が祖母と私を連れて離婚されて実家に帰っても地元民から糾弾させられた事を根に持っていた。叔父だけでなく叔父の被害者女性にも憎しみを抱いている。
「弟につきまとわれた女がデブでブスで割り算も出来ないバカだったら私はずっと高役職高収入でいられて、姑を老人ホームに入れてあの人とあんたと三人でマイホームで暮らせていたのにね。
弟もあの女のせいで私と両親は親戚も知り合いもいない土地へ逃げる他なく、私と両親は狭くてボロい公営住宅に移り住んで、私は両親と自分を食わす為に小企業の中途採用の事務員に就職して、生活上の理由って事で面接で答えてやったけどね。
毎月十五万円の月給の割にはコピーやファイリングやシュレッダーといった単調な仕事ばかりで四ヶ月で『専業主婦になって男の稼ぎに頼って生きていきたい』ってこぼしたの」
母は小さかった私と引き離されて母方祖父母と一緒に見知らぬ土地で一からやり直さなくてはならず、コツコツ地道に働く事に疲れて専業主婦になりたい事を話した。
「就職して五ヶ月後に結婚相談所に行って、年収一千万円で妻は専業主婦希望で老親の介護は施設任せの条件を話したら、見事に一人いた。それが今の夫の羽入正春。
羽入は『羽入プログラム』というIT企業の社長で最初の結婚で息子一人と娘二人の連れ子がいたけど、私は専業主婦になれるのならコブ付きでも良かった。
羽入の長女は亡くなった母親と祖母に代わって弟と妹の面倒や家事全般をさせられていて、クラブ活動と友達付き合いを望んでいて、私が長女の亜美に代わって亜美の弟と妹の面倒と家事全般をやってくれる私が来ると最初は疑っていたけど、だんだん私を信じるようになって再就職先を九ヶ月で辞めて十年前の春に羽入と結婚出来て専業主婦になれたのよ」
父と離婚する前のような高役職高収入者とまではいかないが老親と自分の為に低収入労働者は向いておらず、連れ子のいる高収入の男性と結婚出来た事については母の夢が叶ったように言っていた。
「もし羽入が亡くなって夫の財産の取り分が連れ子達より多く手に入れる為、私は羽入との間に子供を産んだ。一人でも私の血を引く子供がいれば私の遺産が多く入るからね」
それが羽入さんの連れ子の腹違いの弟で私の種違いの弟となる礼治君だった。礼治君はつり目も小高い鼻も尖ったあごも母にそっくりだった。
「礼治が生まれたら生まれたで、羽入の子供達は私と父親から捨てられる事を恐れてか、私と礼治に対する態度が優しくなってね。長女の亜美は寮のある高校に受験してくれた。長男の雪也と次女の瑞保は私の代わりに掃除や洗濯などの家事をやってくれていた。
私に対する機嫌取りだったんだろうけど、亜美は高校だけでなく名古屋の大学で寮生活で、雪也も寮のある高校へ行ってくれていて、今は家にいないけど瑞保は友達の家に遊びに行っているし。
他人とはいえ、優しくされるのって清々しいわぁ」
母はヘラヘラと連れ子達が継母である自分を気づかっている事には当たり前だと言うように語っていた。
「本当は礼治を小学校から私立に通わせたかったけど、スターライトヒルズと一番近い学校私立学校でもバスで一時間かかるっていうから諦めて市内の公立小学校に通わせているのよね。だからといって私立中学校を受験させたら私みたいに遊びたいのに親の命令で遊べなかった腹いせに落ちこぼれいじめをおこしたら私のせいになるから。
高校は名門に進学させて家から遠かったら寮暮らしさせて、東京か京都の大学に進学させたいわね」
母は自分の生んだ息子、礼治君の将来をこうしたい、ああさせたいと語っているのを聞いて、私は気分が不快になってきた。
「礼治は頭がいいし、絶対名門高校も大学も進学してくれるだろうし、就職も大企業か夫の会社を引き継いでくれるかで……」
母の言っている事は母方祖母のやり方と大方似ていると思った。羽入さんの連れ子達は母と礼治君を思って自ら寮のある高校や大学に行ってくれていたというのに。
「聡美、あなたどんな高校に行っているの?」
母に訊かれたので、私はハッとなり答えて伝える。
「今住んでいる町の隣にある私立高校に推薦合格して……」
「へぇ。今そこの生徒なのね。しかしアレでしょ。私立高校なんだけど、偏差値は四十ぐらいなんでしょ?」
それを聞いて私はムッとなった。私の偏差値は五十五だ。藍芳は四十五ぐらいだが、私が藍芳を選んだ理由は母に会う為の旅費を集めるアルバイト可能高校だったからだ。
私はやがて母の話を聞いて気持ちは理解と不快を感じ、そろそろこの場を去る事にしようと決めた。母は十一年の間に「自分は優しくされて当然で、周りも優しくするのが当然」の思考の人間だと知ると、七歳の時に父と祖母のでっち上げ話を聞いて涙した自分が哀れに思えてきた。どこか抜けているけど優しい父方祖母、勉強にうるさいが真面目で勤勉な父に育てられた自分は母と違う事に感謝した。
「お母さん、」
私は席を立ち上がり、リュックサックとキャリーバッグを持つと、母にこう言った。
「私は今日一日だけでもあなたに会えた事に感謝しています。だけど今日限りです。
私は結局、母と違う人間で、住む所も違うし、対人の扱いも違う事だというのを気付かせてくれました。
もう一生会う事はないでしょう。ありがとうございました」
深々とおじぎをした。
「さようなら、私のお母さん」
母はキョトンとした顔をして何も言わなかったが、私は荷物を持って羽入邸を去り、急ぎ足でスターライトヒルズの町を出る事にした。
外に出ると冷房の効いていた屋内から熱気と涼しい風の吹く町中に踏み入れた。空はうっすら朱みを帯びていて、太陽が西に傾き、白い入道雲が私を待っていてくれたように見えた。
帰りのバスは待ち時間が一時間もあり、私はバスで見た景色を頼りにスターライトヒルズの大通りへ向かっていった。
静かな住宅街から多くの人が賑わうストリートは母の話で不快になっていた私の心をほぐしてくれた。スターライトヒルズはカフェもレストランもブティックもゲームセンターもあり、ホテルもあったが高めの値段で私は名鉄岡崎駅前のホテルで過ごしてから明日、新幹線に乗って東京まで行き、東京から東武鉄道で栃木県に帰る事にした。
電話ボックスを見つけるタウンページで名鉄岡崎駅近くのホテルの住所と電話番号を見つけて、予約を取った。その後は群馬県伊勢崎の純麗の家に電話をした。
『あ、もしもし。掛川ですが……』
その声は純麗だった。電話に出てくれたのが純麗で安心した。
「もしもし純麗? 聡美だけど……」
『聡美? 聡美なんだね? ああ、良かった。この四、五日の間電話が来なかったから気にしてたんだよ』
「ごめん。定期報告しなくって。……お母さん、見つかって会ってきた」
『え!? お母さん見つかったの? 良かったじゃない。それで、どうしたの?』
私は純麗に母と出会ってきて、母の話を聞いてから母との訣別
までの経歴を分かり易く説明した。
『そうだったんだ……。でも会ってきてもう会わないのなら、そろそろ早く帰った方がいいよ?』
純麗が不安気に言ってきたので、私は尋ねてきた。
『聡美のお父さんとおばあちゃんから一週間位前から電話が毎日かかってきて、私も流石にシラを切る事が出来なくなって……。
大事になる前に足利に帰って来た方がいいよ。あんた未成年で一人で遠出していたのが学校にバレたら退学させられるかもしれないし』
それを聞いて高校を今回の件で退学させられる可能性があると知ると、私は気が重くなった。
「本当にごめんね、純麗。私はこれから岡崎のホテルに泊まってから足利に帰るから。じゃあ」
そう言って電話を切り、電話ボックスを出た。バス停では何人かの老若男女が待っているのを目にすると、私は最後尾に並んで名鉄岡崎駅行きのバスが来ると、私は他の人達と共にバスに乗り込んだ。
スターライトヒルズ循環のバスは夕焼け空の下、多くの木々が広渡る緑のトンネルを抜け、坂を下っていき、団地街、田畑と平地の中を抜け、名鉄岡崎駅のバス停に着いた。
夕方の愛知県の町はさわさわと風が吹いて涼しく、私はバス丁
とは反対の駅に向かい、低層ビルの並ぶ中、今度のホテルの中に入ってフロントでチェックインする。
母を探し出す旅はまだ続いている。栃木県足利市の家に着くまでが私の旅の終わりだ。
私は今度泊まるホテルの一室でシャワーを浴びてシャツとスカートからワンピースに着替えた。その後はホテル内の食堂で夕食のエビフライ定食を食べて、部屋に戻って宿題を済ませて寝入った。
そして翌朝は朝食の後にチェックアウトを済ませ、豊橋まで名鉄に乗り、新幹線で東京まで乗っていった。その後は総武線各駅に乗って錦糸町に行き、錦糸町で北千住に向かっていった。
ホテルを出たのが九時四十五分。北千住の時点で四時間弱が経過していた。
北千住で食事をしてからこのまま久喜へ向かい、久喜で太田行きの電車に乗っていった。自分が北へ進む度、帰ってくるんだ、と実感した。しかし駅が一駅ごとに、電車に乗る人の数が増えていくにつれ、私は父と祖母に一五日も家を空けてしまった事に恐怖と不安を抱いていた。
夕方五時十二分前――。私はクラブ帰りの中高生やサラリーマン、老人や主婦達に混じって十五日ぶりに東部足利駅に足を入れた。
待合室も駅内のデイリーヤマザキもお土産屋も自転車レンタルも何もかも旅を始める前と同じだった。
私は改札口に切符を入れて、駅構内にある緑色の公衆電話を手に取り、カードを入れると家の電話番号を押した。プルルルル……とコール音が三回鳴ったところで祖母が出た。
『はい、もしもし。紅林ですが……』
電話からとはいえ、祖母の声を聞いて私は気を落ち着かせる。
「もしもし、聡美です……」
『さ、聡美!? 聡美なのね? ああ~、無事で良かったよ。おばあちゃんもお父さんもあんたが書置きを残して家を出ていったから、もう心配で心配で……』
怒りが混じりながらも優しい祖母の声だった。祖母は私からの電話を受けた後は父に迎えに来てもらうように伝えると言うと、私は東武足利駅の中の柱の一つに立ち寄って父が来るのを待った。他の人達は自転車に乗って帰ったり、アピタ行きのバスに乗ったりとしていた。
私が足利に帰ってきてから三十分位経った処で、駅の南口のロータリーに一台の見慣れた自動車が走ってきた。ワインレッドのトヨタの乗用車だった。父が乗る自動車だった。私は自分の迎えが来た事を知ると、キャリーバッグとリュックサックを持って、後部座席にと乗り込んだ。
父は自動車を走らせると、赤や青のライトが点滅し、町の外灯が夕方の空を照らす中、私に話しかけてきた。
「聡美、お前。お前の母親の所に行ってきたんだって?」
カーミラー越しに見える父の表情は怒りというより冷静かつ冷淡な表情だった。
「お前も十六歳とはいえ、許容範囲というものがわかる年齢だ。今回のお前の件は勝手で許されない事だ。どうしてだがわかるか?」
父の質問に私は沈黙した。
「お前が父さんやおばあちゃんに嘘をついてまでアルバイトをし、『純麗ちゃんとの旅行にあてたい』とだまし、本当は母親探しに行ったからだ。お前は父さんやおばあちゃん、多くの人達をだましてまで、何も言わずに出ていったのが、聡美の許されない事だ、と言っているんだ」
私は父の言葉を聞いて涙を流した。一気ではなかったけれど、一筋ずつ流れた。
「……第一、お前の母親の弟が犯罪者だと知ったらお前も不幸になると思って、依李子と離婚してお前を引き取ったんだ。父さんも嘘をついていたし、お前も嘘をついた。嘘をついてしまった事は、どちらも仕方がないしな」
この後、私と父は自分のマンションに帰路し、私は十五日ぶりに祖母と対面した。祖母は私が帰ってきてくれた事に嬉し泣きしていた。
祖母はこの日の夜、私の好きな筑前煮とマッシュポテト、豆腐の味噌汁とグリーンピースご飯を作ってくれた。久しぶりに食べた祖母の料理はとてつもなく美味しく感じた。
私は二週間も家を空けていた事によって、盆を過ぎるまで外出禁止の令を受け、その間は夏休みのテキストや読書感想文をやって過ごしてきた。
外出禁止令が終わると、私は純麗と一緒にあしかがフラワーパークへ出かけていった。
あしかがフラワーパークは季節ごとに見られる花が異なり、あと十日で夏休みも終わるこの時期は黄色の大輪のヒマワリが見ものだった。フラワーパークに訪れる観光客も多く、夏休みの今はそれなりに混在していた。
足利に帰ってきてから私は外出禁止の他、友達の純麗との通話やメールや文通も禁じられてきたので、長い事純麗の顔を見たり声を聞けた事はそれなりに寂しかった。
「お父さんもとおばあちゃんに黙って、お母さんを探しに行っていたもんね。外出禁止になるのも当然だけどさ、お母さんに会う夢が叶って良かったと思うよ」
紫色のふじソフトを舐めながら純麗が言ってきた。
「だけど会ったら会ったでさ、お母さんは図々しい人だって気づいたんだ。
結婚相手の気持ちも連れ子の気遣いも『当たり前』って考えている思い違いもいいとこだよ」
私は家から持ってきた水筒のカルピスを口にしながら返事をした。
私が祖母と父と平穏に暮らしている間、母は弟が犯罪者になった為に仕事も家庭も親戚も友人もなくなって、実家両親と共に全く知らない土地でやり直したのかと思えば、安月給の中途採用を四ヶ月で根を上げて専業主婦と財産目当てに連れ子のいる社長さんの後妻となって、弟も産んで再婚相手と連れ子の住まいを占領している事を知った時、最初は同情していた私が次第に母の図々しさを目にした時、訣別したのだった。
母のいない十一年は寂しいと思っていた事もあったが、もし叔父が犯罪者にならず、父や祖母や私と暮らしていたら――。
そしたら別の十一年があったのは確かである。祖母が嫌いな母は祖母を老人ホームに入れていただろうし、私は小学校から私立に通っていて別の友達がいたかもしれないし、中学や高校だって……。そしたら純麗にも会ってなかっただろうし、口実も設ける為のアルバイトもせず、勉強とクラブ活動に明け暮れていた生活だったかもしれない。
あしかがフラワーパークで満喫した後、私達は朝倉町にあるファミリーレストランで食事をしてから解散する事にした。
深緑の地に橙の三両編列の電車が来ると、私と純麗、他の乗客は電車に乗り込んだ。電車の中は日射し除けで窓がほとんど遮られ、多くの人達が席に座っていた。
私と純麗は出入り口近くの席の前で立ち、足利駅に着いてからも歩いて朝倉町の方まで歩いていった。
足利の町中は道路に自転車屋やケーキ屋などの店が並び、古風な門造りの神社もあった。観光客が訪れるこの町は、私の人生の一部となっており、今の私の形成の基になった。
空の色は鮮やかな青で愛知県の空は明るかった。
渡良瀬川の見える中大橋に入る頃、純麗が私に尋ねてきた。
「聡美、秋の新学期になったら、どうするの?」
それを聞いて私は考え込む。母探しの件でアルバイトは父と祖母から禁止されているし残っている事はクラブ活動位だった。
「またクラブ活動をしようと考えているの。次のクラブは――……」
過去に引き返す事は出来ない。だからといって過去をやり直したいと思う事もなかった。
私達が出来るのは未来を刻んでいく事なのだから。
渡良瀬川の水面が陽の光を受けて輝いていた。
この小説を書こうとしたのは『43回すばる文学賞』にもっと前で、プロットと登場人物表だけでした。平成の末期に書き始め、完成させた後『すばる文学賞』に送りましたが、1次で落選。自作ホームページの作品とはシリアスでリアルな内容の為、『小説家になろう』に掲載させました。
たった4話なのに、こんなに差が空いたのは自作ホームページ作品の執筆と日常の勤めによる疲労からです(汗)。
グダグダな発表になってしまいましたが、最後まで読んでくれた方たちに感謝を述べます。