第3話 東京のち愛知県
聡美は叔父の事件記事を書いたルポライターの鬼山則和と対面し、東京の宿泊施設の食堂のテレビで母らしき人物を目にして、愛知県の岡崎市に向かっていった。
「一二九六円です」
店長の奥さんに食事代を払うと、私は再び清林堂出版に足を進めていった。ビル街は本当に栃木県の都市とは全く違い、高層マンションや広告代理店などが並び、私はビル街の中にある清林堂出版をようやく探し出す事に成功した。清林堂出版は白いフレームに黒い窓の五階建てビルで、ビル幅は狭く賃貸マンションのようにも見えた。
おそるおそる中に入り、クーラーの風が自動ドアの開閉と共に吹いてきた。
「いらっしゃいませ」
受け付けの若い女性が私に挨拶してきた。
「えと……、今日の午後二時半に鬼山則和さんと会う事が決まった紅林聡美といいます」
『今日の午後二時半……ですか。ええと……、今編集の方と内線電話をおつぎしますので少々お待ちください』
受付嬢は内線電話をかけて鬼山さんの担当編集者を尋ねてくる。電話が終わると、私は一階の応接室で待機してほしいと促された。
応接室は五畳ほどの合皮革のソファの一人掛けが対に三人掛けがドアから左に、奥にカーテンのかかった窓だけのシンプルな部屋だった。受付嬢が麦茶とおかきを持ってきてくれてローテーブルの上に置かれている。
長い事炎天下の中で歩いてた私の体の汗は乾いて次第に寒さを感じるようになった。
(早く来ないかな……)
私は何度も体をソワソワさせ、出版社の中に入ってから一時間も待っていた頃だった。途中で座っているのにも飽きて読書感想文の本を読んでいた私の前に担当編集者らしいネクタイ付きシャツとスラックス姿の三十くらいの男の人と共に白髪まじりのオールバックにベージュのポロシャツにカーキのパンツ姿の中肉中背の男の人が入ってきたのだ。顔つきは台形型の顔に細めの目元、小高い鼻に大きめの口。
「どうも初めまして、鬼山則和です」
男の人は堅めの太い声を出して挨拶してきた。
「あっ、あのっ、初めまして……。紅林聡美といいます。お、お忙しい中、来てくださってありがとうございます……」
「君、栃木県から来たんだって? 本からの情報だけじゃ足りないから、わざわざ東京に来たのかね?」
「はい……。高校の自由研究の課題で犯罪の心理学のレポートを……」
私は鬼山さんに会う為の方便を口にし、編集の男の人が携帯電話を胸ポケットから取り出して鬼山さんに告げてきた。
「鬼山先生。わたくしめは先生の原稿のゲラが出来上がったと印刷所から連絡が来たので、失礼します」
「ああ、ゲラを受け取ったら私に渡してくれ」
編集さんは応接室を去り、今は私と鬼山さんだけになった。私は鬼山さんの情報をメモする為に浅草のホテルにいる時に買った安いノートを開く。
「さてと、君が話したい事とは何かね?」
鬼山さんは私を見つめて訊いてくる。
「あのですね……、二〇一五年九月に起きた『千葉県若松区ストーカー放火事件』の事です。
私は緊張しつつも答え、何としても鬼山さんの口から母の事を聞こうと決めていた。私がストーカー放火事件の姪だと話さないように鬼山さんと話す事になった。
「あの事件は千葉県中だけでなく、日本の大方を震撼させた事件だった。事故も事件もゼロに等しい地域に事件が起きたのは」
鬼山さんは当時の事件を思い出して語ってくれた。
「あの事件はてっきり過去に起きた凶悪事件の如く、犯人の生活環境に問題があると疑われた事もあった」
大通りの通り魔や児童変死、婦女子の誘拐監禁などといった凶悪事件の犯人は親から暴力暴言などの虐待を受けて精神が子供のまま育った大人だったり、子供を名門学校大企業に就職させる為に遊びも休みも禁止させて育てた親の子供だったりと過多だった。凶悪事件加害者の親兄弟は事件の後は失脚したり、心中や一家離散の末路を受けている。
「私は小仲公夫が刑務所に入れられてからすぐ彼の元に来て取材を受けさせてもらった。小仲公夫はどっちかというと普通の教育や躾を受けてきたみたいなんだ」
それを聞いて私は耳を疑った。小仲公夫は凶悪犯でありながら教育は普通な方だった事を。鬼山さんは更に続ける。
「小仲公夫の両親は父親は一般家庭出身で知名度の低い大学卒業の平凡なサラリーマンだったけれど、母親の方が稀有な経歴の持ち主でね」
小仲公夫の母は私の母方祖母で、鬼山さんは祖母の経歴を語って来てくれた。
「小仲の母親は千葉県で有数の教育家の家系の出でね、小仲の母親の父も母も祖父も祖母もおじもおばもいとこも、兄も姉も弟も小学校から名門私立に入学していて、大学も名門を卒業していて大企業に就職する程の持ち主だったんだ。
だけど小仲の母親だけはどんなに勉強しても成績は上がらない。小学校から高校の私立入試は全部失敗していて、義務教育は公立、高校は二次募集で底辺の公立高校に通って卒業した。大学受験は三浪してまで全部失敗して実家から半分勘当されて賃貸アパートで暮らしながら鞄工場に就職していた」
鬼山さんは小仲公夫から聞いた母方祖母の生い立ちを話し、私は半ば重たく感じつつも聞き取った。
祖母は実家から半分勘当された後は就職してから二年後に祖父と出会って結婚して専業主婦になった。祖母が二十六歳の時に母、三十一歳の時に叔父が生まれた。
しかし二人の子供の育て方に差が出る事になる。
叔父は両親に似て小学校と中学校は市内の公立で高校は千葉県内の中辺の佐倉市の高校で、千葉大学教育学部に進学して千葉市内の広報会社に就職したのに対し、母は幼稚園と公立小学校の一年目は何事もなかったが、小学校二年生から普通の子ではない事が判明する。掛け算をわずか一週間で全部覚え、時計の読み方も一度も間違える事はなかった。
祖母は母が自分の代わりに天才に生まれてきた事を知ると、子供を厳しく躾けないようにする事を忘れて、母に名門中学校へ進学させて自分を見下してきた実家の人間や親族を見返す事を決意。
祖母は母に毎週三回学習塾に行かせ、友達と遊ぶ時は親の許可を取るなどといったスパルタ教育を施した。母は成績は良かったが祖母の教育の為か実家の劣性差別の遺伝か頭の良い人と一緒になって性格は良いが頭の悪い人をいじめて相手を登校拒否や転校に追いやる行為を起こしていった。極稀にいじめられた人の親が母を訴えても、母は口達者な為「私は○○さんのわがままを直そうとしていただけです」などの言い訳をして咎めを逃れていた。
母は落ちこぼれいじめの常習ながらも成績の良さの為、千葉県有数の名門聖条学園中等部を上から数えて早い成績で合格し、入学した。
私立中学校でも母の落ちこぼれいじめは止まず、一人でもクラス全体の足を引っ張る生徒を見つけては靴を隠したり、わざと先生の前で悪口を言う等のいじめを起こして相手を一学期と二学期に登校拒否のち公立中学校への転校に追いやっていた。
いじめは相手を登校拒否と転校に追いやる位なら許されていたが、中学一年の三学期のいじめの相手で母は咎を受けた。
三人目の被害者は性格は良いが親の命令で私立中学校に入った女子で、最初の二人が母と取り巻きからのいじめで転校すると、母達から罵られたり疎外されたりといじめられて登校拒否。被害者の両親は娘の登校拒否を互いの責任の押し付け合い、一ヶ月間の夫婦喧嘩の末に離婚して母親が出ていって残った父親から暴行され、その人は近所の住民が警察に通報して父親は逮捕されなかったが注意され、いじめられていた娘さんは家に帰るのを恐れて養護施設で暮らす事になった。
母からいじめられて家庭崩壊して施設に入れられた人は公立中学校の転校の時に聖条学園中等部の教師達に母からのいじめを一から十まで全部話し、中学一年の修了式に母は祖母と共に私立中学に呼ばれて、聖条学園を退学になった。
私立中学を退学にされた日の夜、母は祖母から殴られ口汚く罵られた。中学二年から公立中学校に通う事に思ったら、祖母の実家の人達が母の頭の良さを理解しており、祖母の姉が教師を勤めている別の私立中学への転校、つまりコネで入ったのだった。母の二度目の私立中学校生活はいじめをやっても教師の姪の為、咎を受ける事はなかった。
高校は千葉県一難関の県立高校に上位二位で合格し、大学は東京にある名門、青山女子大学に進学して寮生活を送っていた。母と祖母は二度目の私立中学時から不仲になっており、母は自分にエリート人生を強要した祖母から逃れる為に自立を望んでいたという。
一方で叔父は落ちこぼれでもなく優秀でもなく、不良でもいじめをする訳でもなくいじめを受けている側でもなく、「至って普通の人だったと当時の叔父の同級生や近所の人は語っていた。
「小仲公夫は自分は直接厳しく躾けられなかったけれど、姉と母のやり取りを見ている内に人格異常者になったのだろうね」
鬼山さんは叔父から受けた取材内容を私に話すと、ふかしていた煙草を灰皿に押し付けて述べていた。
間接的教育の人格異常――。それが犯罪者、小仲公夫をつくってしまった原因。いわば母方祖母が劣性差別の母とストーカー放火犯となった叔父の元凶だったのだ。
「小仲公夫は逮捕されてから半年後に両親と姉は姿を消して住んでいた家は潰されて駐車場になった。
小仲の姉と両親は全ての親族や交友関係から絶縁された為、今どこで何をしているのかも不明。僕も多くの事件被害者や加害者に携わってきたけど、忘れられない事件の一つだね。ところで他に質問は?」
「だ、大丈夫です。今日の話だけでレポートを書けますから……。お忙しい中、ありがとうございました」
私は席を立ち上がり、鬼山さんに頭を下げて応接室を出て、重い足取りで出入り口に向かっていった。
二時間ぶりに外に出ると、空気が熱くて太陽は西に傾き、道路の自動車は渋滞気味になっていた。出版社を出てわずか五分で汗だくになり、私は歩いて新宿駅に向かっていった。
「今日はどこで泊まろうか……」
私は体の疲れと鬼山さんに会った緊張でフラフラだった。お金はまだある。夏休みも始まって八日目だ。まだ母を探せる。
私は新宿に着くと浅草以外の安いホテルのある駅へ向かっていった。
新宿から北へ約二十分行った先の上野は小中学生の子供のいる家族やカップルが多い。インターネットの情報で知っただけだが、上野動物園が有名で、ここしかパンダがいないという事位しかわからない。
私は上野駅の周辺にある安く泊まれるホテルを探し、そこのホテルは四階建ての四畳くらいの個室に風呂場と食堂とトイレは共通のものだった。取りあえず三日間だけ泊まる事にして、今日は夕食と休眠で明日は宿題と洗濯、明後日にホテルを出てインターネットカフェで母の手掛かりを少しでもつかむ予定を立てておいた。
泊まる部屋はドアの対となる壁に窓、ベッド一つと小さい机とクローゼットがあるだけの部屋で、相当年季が入っているのか天井や壁にヒビやシミ、床板も所々緩く、エアコンもない。だけど雨露を凌げるだけでありがたかった。食堂は入り口の販売機を使って食券を買い、厨房のカウンターで受け取るシステムだった。
私の他にも数人の客が来ていて、カップルや出張のビジネスマン、老夫婦といた。このホテルの食堂にはテレビも置いてあり、今は画面に関東圏外のロケーションを尋ねる旅行番組を放映していた。食べているか見ながら食事している人と別れており、私は牛肉野菜炒め定食を注文して今日の空腹をうずめた。牛肉野菜炒めはモヤシとキャベツと人参とタマネギとピーマンが入って、タレで味付けされていた。
翌日は一晩の疲れを癒すと朝食の後は宿題をやって、昼食後にコインランドリーへ行こうと考えた。昼食のホテルの食堂は私と老夫婦しかおらず、私はかけそばを買ってテレビの近くの席に座る。テレビ画面はお昼の情報番組を放送しており、画面には二十代くらいの女性リポーターがどこかの町の紹介をしていた。
『東京本局の皆さん、私は今、愛知県岡崎市の都市部に来ております! 岡崎市の気温は三十四度と東京より三.四度と高めです』
リポーターは青い夏空の下でマイクを持って笑顔で報告していた。背景はビル街で道路には自動車、色んな人が歩いていた。リポーターの女性は岡崎市の街中を紹介していく中で岡崎駅の前に立ち、岡崎駅で降りる人にどこに出かけるのか質問してくる。小学生の女の子は市民プール、中学生男子は映画を観にとリポートしていく中、私は岡崎駅に入っていく一人の女性の姿を目にしてハッとなった。
その女性は黒いメッシュのハットをかぶり、服装は灰色のカーディガンに紺色のマキシスカートのワンピース、肩にトートバッグを提げていた。何よりその女性の横顔を見て私は思わず息を呑んだ。尖ったあご、切れ長の眼、小高い鼻、一文字の唇に細身の体躯――。
母にそっくりだった。いや、間違いなく母だったのだ。女性リポーターが他の人に話しかけていく中で、母は岡崎駅の入り口に入っていってしまった。
私は思わず箸を落としてしまい、沈黙した。母がいた。愛知県の岡崎という街に。偶然とはいえ、私はようやく母を見つける事が出来て思わず泣きそうになった。
私は予定通りに三日目にホテルを出て、インターネットカフェを探し、ようやく見つけるとパソコンに岡崎の行き方とその周辺のホテルのある街を探した。なるべく安くて身分証明も要らないホテルを見つけて。インターネットカフェで四十分利用すると、私はすぐさま東京駅へ向かい、新幹線の切符を買いに行った。
当日券は高かったが、私は岡崎に行きたかった。搭乗できるのは今日の午後三時台であったが、私は時が来るまで東京駅近くのビル『KITTE』で食事を採り、店を一軒ずつ歩き回った。
ようやく二時を過ぎるとそろそろ新幹線乗り場へ向かう事にし、私は多くの旅行者や訪問者の行き交う東京駅の中に再び入っていった。新幹線のホームは普通電車のホームと違ってキオスクや待合室の他に弁当売場もあった。これから新幹線に乗る人が弁当やドリンクを買う中、私は名古屋行きの丸いライトに青いラインのこだま新幹線に乗り込んだ。席は指定席にしておいて、二人掛けの窓際席に座る。新幹線に乗る人は家族旅行の親子、大学生らしい男女、夏用スーツのビジネスマンと色々であった。
アナウンスと共に新幹線が動き出すと、景色は駅のホームから都市のビル街と変わっていく。ビル街を出た後は緑色の田畑や何かの工場と変わる事もあった。
新幹線は東京駅を出て、新宿、新横浜と進んでいき、下車したり乗車したりする人と変わっていく。新幹線は神奈川県を出ると静岡県に入り、三島に近づく頃には日本で有名な山、富士山を目にする。私は生まれて初めて富士山を目にしたのだった。
添乗員の女性がカートを押して車内販売を紹介してくる。目的の豊橋に着くまでは時間も距離もあったので、私は添乗員の人からオレンジジュースの缶を買って、それを飲むと十日分の移動と母の情報収集の疲れが出てしまって、眠り込んだ。
それからどれ位が経っただろうか。私は急に目が覚めて、周囲を見てみると乗客は減っており、窓の景色は日が西に傾いており建物も北関東や東京のビルとは異なる物ばかりであった。
『次は豊橋。お降りの方はお荷物のお忘れにお気をつけ下さい』
アナウンスの音声で私はあと一駅で豊橋に着くと知ると、胸をなで下ろした。もし豊橋を過ぎてしまっていたら、話にならずうろたえていただろう。
私は席の上の棚からキャリーバッグを出して空き缶もゴミ箱に捨てて降車準備をした。新幹線はホームに着くと数分程停車してから決まった時間に発車する。
私は豊橋駅のホームに足を入れると、冷房で冷えた身体が外気の熱を感じると、生まれて初めて愛知県に着いた事を実感させた。
私の親戚は父方だけで北関東か東北ぐらいで、首都圏や他の道府県に親戚はいない。今は亡き祖父の弟妹も祖母の兄姉も父の従兄妹とその子供も住んでいるのは栃木県の都市部や群馬県の都市部、宮城県や秋田県や福島県に在住している。東京や愛知となると、親戚どころか小中学校時代の知り合いもいないのだから。
ホームを出て新幹線の乗車券を改札口に入れ、私は駅構内の店や地元の各駅停車の線の改札口を抜けようとした。豊橋市も夕方は多くの人々が出入りしており、ざわついていた。
重い足取りとヨレヨレの体で駅の出入り口の階段を昇ると、灰色や茶色のビルが並び、バス乗り場ではサラリーマンやクラブ帰りの高校生などが並んでバスを待機しており、タクシーに乗って帰るおばあさん、夕暮れの中道路を走る自動車の群れを私は目にした。
本当は豊橋駅で乗り換えて岡崎駅行きの普通電車に乗って各駅を降りて母を知っていそうな地元の人に訊いていこうと思っていた。しかし豊橋に着いた時は六時半を過ぎており、私は豊橋駅近くのカプセルホテルに行って、一晩宿泊する事に決めた。
カプセルホテルは東京や千葉のホテルと違って古びており三階建てで風呂とトイレと食堂は共有。それでも私は何とか泊まれる事が出来て、他の客人と二人掛け四つと十人掛けのカウンター席のある食堂で夕食と採った。しかし食堂のメニューはカレーライスとかけうどんかかけそばと焼き魚定食と野菜炒め定食しかなく、朝食もトーストセットか納豆定食の二つしかなかった。私はカレーライスを注文してスプーンですくって食べた。カレーはインスタントらしいのかレストランや家で食べるものより刺激性が少なく乏しい味であった。それでも空きっ腹を抱えるよりはましだった。
寝床は四角いスペースに上下二段で一つの壁に寝られるようになっており、二階と三階で全二十人が泊まれるようになっていた。今日は私を入れて十三人が来ており、DAPで音楽を聴いていたり、スマートフォンで何かを閲覧している人を目にした。私は二階の真ん中の下段にキャリーバッグとデイパックを奥に置いて、支給品の枕とタオルケットを寝るスペースに置いて寝入った。
朝起きた時は八時を過ぎており、他のお客さんはすでに食堂に行っていて、私一人だった。私は昨日から着ていた服からTシャツとハーフパンツに着替えて、朝食後すぐにチェックアウト出来るようにリュックとキャリーバッグを持って食堂に向かった。食堂ではまだ数人のお客さんが朝食を食べていて、私はトーストセットを頼んで今日のエネルギーを蓄えた。
朝食が終わると私はすぐに荷物を持ってチェックアウトする事になった。
エアコンで涼しかったホテルの外に出ると、むあっとした暑さと太陽の日射しが私に降り注いだ。これからが本番だ。母を見つける旅は。私は熱気と直射日光と自動車を走る道の中、豊橋駅に向かい、今度は普通の豊橋鉄道のホームへ入って、岡崎の町へ行く事にした。朝の通勤時間帯は過ぎていたとはいえ、席に座っている人は多く、主に遠くへ出かける人や他所へ出かけるサラリーマンやクラブ活動へ行く中高生がいた。
私は最初のうちは立って窓から見える愛知県の町並みや景色を眺めていき、見知らぬ土地の初めて見る光景を目に焼き付けていた。
十分近く経った処で私はようやく座れる事が出来て、岡崎に着くまでの間、鬼山さんの話をメモする為に買ったノートの未使用ページを破いて母の似顔絵を描いて、これを岡崎の人に見せて尋ねようとした。
『次は岡崎、岡崎。お降りの方は荷物のお忘れにご注意下さい』
アナウンスが流れてくると私は降りる準備をし、岡崎駅のホームに足を踏み入れた。ホテルを出たのが朝の九時十五分頃で、電車に乗ったのが九時四十分で、十時過ぎに岡崎駅に着いた。ホームも出入りする人々もホームから見える町の景色も、栃木県とは似ているようで違った。
私はエスカレーターで改札口へ向かい、切符を改札機に入れた。明るめの色の駅構内を通り過ぎて出入口を出ると、茶色や灰色などのビルが立ち並び、駅の出入口の近くはバスやタクシーの乗り場、自動車が何台も走る岡崎の町を私は目の当たりにした。
「着いたのはいいけれど……、どうやってお母さんの事を尋ねようかな……」
岡崎に辿り着けて母の似顔絵も描けたのは良いが、私はすぐに行き止まってしまった。ふと考えていると、バス乗り場の近くに電話ボックスがあったのを見つけ、電話帳ならお店や病院だけでなく、町に住んでいる人の住所や電話番号も書かれているので、探せば小仲の一つくらい見つかる筈だと思って、電話ボックスの中に入った。
携帯電話の普及で駅でしか見られなくなった公衆電話だが、携帯電話の充電切れや家に忘れてきた人達にとってはありがたいアイテムである。祖父の名前は小仲延夫。私は小仲の名前が見つかるまで電話帳をめくり続けた。
「小仲……朝紀、小仲厚、小仲映介、小仲和歳……」
そしてようやく「小仲延夫」の名前を見つけて、私はテレホンカードを公衆電話の中に入れて番号を押した。最後の一文字を押し終えると、プルルルル、と着信音が鳴った。着信音が七回鳴った処で、「もしもし」という低い女の人の声がした。
「あっ、あの……もしもし……。小仲……延夫さんのお宅ですか?」
私は電話の主の声に戸惑いつつも、失礼のないように対応する。
『はい。小仲延夫は私の夫ですけど、どちら様で?』
当たった! この声の主は母方祖母だと私は嬉々となった。そして落ち着きを払ってこう応えた。
「あの……、私、信じてくれないかもしれないけれど、小仲さんの孫の紅林聡美といいます。今学校は夏休みで、その……六歳の時に出ていった母……小仲さんの娘を探しに来て、栃木県からやって来ました。図々しいかもしれませんが、小仲さんの家にお邪魔してもよいでしょか?」
祖母は長い事会った事のない私の存在をすぐに受け容れてくれるかくれる訳ではない。それどころか深く疑って電話を切るかもしれない。ところが返事は意外なものであった。
『いいですよ。今は。場所はわかる?』
「あ、はい。電話帳の住所を書き写したら、交番の人に尋ねてみます」
失礼します、と言って受話器を切ると、全身の力が抜けたように心の緊張がほぐれた。祖父母の家で待っていれば、いずれ母が帰ってきて私を見たらどう反応するだろうか。そう思うと私の胸が高鳴った。
祖父母の住んでいる家の住所を書き写した後は駅前交番の人に住所の場所と行き方を教えてもらった。
「ここに行くには二番線バスの竹之原行きに乗って、公営住宅前で下車すれば行けるよ」
交番の駐在さんは地図を広げて祖父母の住んでいる所を指さす。
「教えてくれてありがとうございます」
私は交番を出て竹之原行きのバス乗り場へ行ってバスが来るのを待った。待ってから五分後に臙脂色の車体にベージュのラインのバスが来て『竹之原行き』と電光表示されていた。
バスに乗り込んで座席の一ヶ所に座ると、バスのエンジンが動いて、竹之原行きのバスは動き出して岡崎駅を出発していった。
バスが進むにつれてビル街から住宅街、住宅街の中にある田畑、また別の住宅街と進んでいき、中に乗っている乗客も降りたり乗ったりと変わっていく。
空は澄み切った青で雲はちぎった綿のように小さく、無人地の草や田んぼの稲が風で軽く揺れるのを目にしていると、景色は団地がいくつも並ぶ景色に変わっていった。
『次は公営住宅前。公営住宅前。お降りの方はブザーを押してお教え下さい』
アナウンスが流れて私はここで降りる所だと気づいて、ブザーを押した。乗っている人もお年寄りや四、五十代の女の人が多く、若い人は私だけになっていた。バスが停車すると、私はバス代を払い、キャリーバッグとリュックサックを持ってバスから降りた。
降りた先は緑色の野菜が植えてある畑と農家とおぼしき家が十軒。反対側の道路は白い壁の団地が三棟。畑の向こう側は一階建ての茶色い建物がいくつも並んでいる寂しそうで狭い地域であった。もしかしたらここが公営住宅で、母方祖父母が住んでいるのだろう。腕時計を見ると、指針は十一時十三分だったから、四十分もバスに乗っていた事になっていた。
母方祖父母が住んでいるとおぼしき公営住宅は一つの建物に三つの世帯があって、建物は三棟あった。前は玄関で後ろはベランダになっており、何ヵ所の世帯には洗濯物や布団が干されていた。よく見ると壁は亀裂が入っていたりシミが浮いていたりと相当年季の入った建物だと知った。子供の声や赤ちゃんの泣き声や親の叱る声が聞こえてきたけど、公営住宅は低収入所得者やシングルマザーや年金暮らしの老人が多いと聞いていたので動揺する事はなかった。
私は裂いたノートの一枚に母方祖父母の現住所と電話番号を書き写したメモを頼りに、〈小仲〉の家をようやく見つけ出した。三〇三号。
(ここにお母さんの方のおじいちゃんとおばあちゃんが住んでいるんだ……)
そう思うと、ドキドキとなった。私はおそるおそるインターホンを押して、ビーという音が鳴った後に足音が聞こえてきて、黒い玄関の戸が開いて、一人の老女が出てきた。
灰色の髪を後ろでヘアクリップでまとめて、切れ長のつり目に三角形の顔、背は曲がっており、一六三センチの私より低く見えた。服装は薄手の紫のトップスに長い黒いスカート。
「あなたが孫の紅林聡美……って子?」
おばあさんは私を見て尋ねてくる。
「はい。紅林聡美です。初めまして」
私は返事をすると祖母とおぼしき老女は私を中に入れてくれた。
「外は暑いからね」
公営住宅の一世帯の中はとても狭く、玄関に入ってすぐが台所で床にちゃぶ台と座布団、その向かいがトイレ、トイレの隣が脱衣所と風呂場らしく、廊下は一人しか通れない程の幅で、台所の後ろは部屋で襖が二つあって、四畳程の部屋が二つあるようだった。
「あなた、孫の聡美よ。初めてお目にするでしょ?」
祖母は私を奥の部屋に案内し、その部屋はベランダのある部屋で、四畳半の畳部屋にはパイプ柵の介護ベッドが置かれており、そこに一人のおじいさんが横たわっていた。窓とベランダのカーテンは日射し除けの為に閉ざされているが、網戸になっているので、風でユラユラ動いていた。この部屋のベッドの他には小さな箪笥と扇風機、それから三段のチェストだけの簡素な部屋だった。
ベッドに寝ているおじいさんはだいぶやせており、禿げ頭で大きめだと思われる目は半分瞼で降りており、体が弱そうに見えた。
「ああ……、この子が依李子の娘の……」
「く、紅林聡美です。初めまして……」
祖父は右手を伸ばしてきて、私に向けてくる。左腕は動かないのだろうか。
「おじいちゃん、脳梗塞で左半身がマヒしていてね」
祖母が言った。
「今から三年前に夜中急に苦しみだしてね……、それ以来ずっと横でいる事が多くなって私が介護しているの」
それを聞いて私は沈黙する。叔父が犯罪者になった上に世間から糾弾されて親戚も知り合いもいない土地に逃げた母と祖父母は辛い生活を送っているのだと悟った。
「私が落ちこぼれに生まれた為に親兄弟から見下されて名門学校は入試に全部失敗して、生まれてきた子供は平凡だと思っていたら依李子がやたらと賢くて、私は依李子は中学校から名門に入れようと決めて教育ママになって、勉強ばっかりさせていたら依李子は落ちこぼれを見下す子になっていて……。
弟の公夫は何の変哲もない普通の子だと思って甘やかしたり厳しくしたりもせずにきたのに、あんな事をやらかしていて……」
祖母は自分が生み育てた二人の子供の結果について涙を出して、すすり泣いた。こんな筈じゃなかったのにという風に。一方で私は勤勉な父と優しくて穏やかな祖母に育てられたからか、非行に走る事も落ち零れる事もなく今に至る。
「あ、あの……お母さんは……?」
私は母の事が気になって、つい泣いている祖母に尋ねてしまった。祖母はすすり泣きつつも、母の行方を私に教えた。
「依李子……、あんたのお母さんはここには住んでいないよ。結婚して金持ちの男の所に住んでいるんだよ」
「えっ!?」
それを聞いて私は耳を疑った。母は父から別れを切り出されて実家に帰って千葉県にもいられなくなって愛知県に移り住んだ後は、てっきり愛知県で就職して祖父母と暮らしているものかと思っていた。
「依李子は岡崎市内の会社に中途採用で就職したけど、次第にコツコツ働く事に疲れて、『前の女との子供がいてもいいから、専業主婦になりたい』と言ってきて、就職してわずか僅か一年で連れ子のいる男の人と結婚して、その人達と暮らしているんだよ」
祖母は母の現在の状況を私に教える。
「……あの、ここに来る前に東京のホテルのテレビに偶然母が映ったのを目にして、岡崎の駅に入ってくのを目にしたんです。そしたら母は着飾っていたんです」
私は二日前についての成り立ちを祖母に教えた。
「ああ、あの時依李子は私達の家に来ていたのよ。生活費を渡した後、すぐに帰っていったわ」
「……あつかましいかもしれませんが、母の今住んでいる家の住所と電話番号を教えてくれませんか? 母の居場所がわかれば、後は自分で」
私は祖母に懇願して、母の今いる場所を求めた。母に直接会えたとしても、娘の聡美だと信じてくれる訳がない。追い返されるかもしれないし、不審者扱いされるかもしれない。でも私は母の安否を自分の眼で確かめたいのだ。
「あなたのお母さん、依李子は名鉄岡崎駅から北へ……」
私は祖父母から母のいる場所を教えてもらうと、名鉄岡崎行きのバスが来るまで、家にいなさいとわれた。私が祖父母のいる公営住宅のバス時刻は十時から夕方四時までの間は一時間に二本しかなく、次のバスが来るまで三十分待ったのだった。
祖父母の現住区は2Dトイレ風呂付きの部屋で、祖父の部屋の隣は祖母の部屋で、机と椅子と小さな本棚と中古の小型テレビしかない四畳半で夜は畳に布団を敷いて寝ていた。母は祖父母の江に帰ってくるのは月の二、三回だけで、お金を渡したらすぐに帰るという様だった。
十一時二十分になると、五分後のバス到着に合わせる為、祖父母の元を去る事にした。
「私の事を受け入れてくれてありがとうございます」
私は母の祖母とベッドで寝ている祖父に頭を下げると、別れの挨拶を告げた。
「私達は孫に直接会えただけでも嬉しいのよ。もう会えないだろうけど、元気でね。気をつけて行くのよ」
「はい。それでは失礼します
さようなら」
祖父母の家を出て私は再び太陽が照りつけ、熱気のこもるアスファルトの道をあるき、バス停へ向かっていった。祖父母の家の公営住宅には冷暖房機はあったが、倹約の為使っていなかった。
網戸の風と扇風機の風ですごし、うっすらと暑かったのだ。制汗剤を塗っていても汗が浮き出ていた
バス停に着くとミーンミーン、と蝉の鳴く声が耳に入ってくる。それからして、名鉄岡崎行き竹之原経由のバスが走ってきて私は中に乗り込む。冷房が効いていて、お客さんも少なく私は座席に座る事が出来た。田畑と農家のある景色からバスは次第に住宅街、
低層ビルの並ぶ街、そして『名鉄岡崎駅』の看板がかかげられた駅の広場に到着する。
名鉄線岡崎駅の街並みは一階がファーストフード店やコンビニになっているビルや学習塾や予備校、銀行や金融ビルの建物がそびえ、子供連れの母親や女子高生のグループ、カートを持って歩くおばあさん、クールビズのサラリーマンなどが行き来していた。
祖母から聞いた話では、母は名鉄線岡崎駅より北口から遥か七キロ先にある住宅街で暮らしているという。住所は岡崎北区スターライトヒルズと言っていたから、バスかタクシーで行った方がいいと言われていた。
確かに駅北口には『スターライトヒルズ行き』のバス停はあったが、バスは二~三時間に一本しかなく、次に乗れるのは昼三時一二分であった。スターライトヒルズ行きのバスは巡回であったが、一周に三十五分もかかる為、私は今日母に会いに行く事はパスする事にした。お腹も減っていたし、汗だくだったので駅近くの飲食店で食べてから、今夜泊まるホテルを探しに行く事にしたのだった。