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日の下(もと)の娘、日陰の母  作者: 浅葱沼 氷雨乃
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第2話 母の情報

 母を探しに千葉県に来た聡美だが、母の家はなく行方不明だった。母が事件の関連人物だと知ると、聡美は千葉県から東京へと向かう。

 ゴトゴトという音で目が覚め、瞼を開くとカプセルホテルに泊まっていた人達が起き出して、朝食が開かれる食堂に向かうところだった。

 私は起きてキャリーバッグとリュックを持って、トイレで昨日風呂上りに着ていたTシャツとパンツから襟シャツとスカートに着替えた。ホテルの一階にある食堂では泊まっていた人達が席に座って朝食を食べており、コーヒーやベーコンエッグの匂いが漂っていた。朝食メニューは焼き魚セットかトーストセットかベーコンエッグセットかパンケーキセットで、私はトーストセットをホテルスタッフの女性に注文し、厚切りトースト二枚に使い切りのバターとイチゴジャムが一つずつ、紙パックの牛乳とヨーグルトも付いていた。私はトーストをかじり、食べ終えるとフロントでチェックアウトを済ませ、他の宿泊客に混じって外に出る。

 この日も晴天で太陽が照り、入道雲も浮かんでいた。ホテルは一日中冷房が効いていたから暑さから免れていた。

「どうしようかな……」

 私は駅中で他の人の邪魔にならないように柱に寄り添い、今日の予定を考える。腕時計を見ると朝の八時四十五分。家なら父はとっくに会社に出かけているし、祖母も皿洗いや洗濯物を干している。

 図書館は九時からだし、私は六歳以前の記憶を思い出していった。母は私が生まれてからも会社で重役を勤め、二、三ヶ月に一度は出張して家を空けていた。流石に一ヶ月以上はなかったから、短くて三日、長くても一週間は出張に行っていたのを思い出す。お土産は東京ばななだったり、くまモンのぬいぐるみだったり、ふわどらだったりと行った先の名産品や名物品が多かった。

 私は思い出した。昨日読んだ本の作者、鬼山則和。この人の事を調べようと思った。その為にはインターネットが効率良いと思った。私はインターネットカフェの会員証を持っていた。父が会社の休日に使うPCは父が家に仕事を持ってきてやる為が多く、私はインターネットがやりたい時には佐野の町か足利の町か ら三キロ半ある国道沿いのインターネットカフェに行っていた。

 私は電話ボックスを探し、ネットカフェの千葉市内にある支店を探した。一番近い場所で稲毛にある事がわかると、私は電話ボックスを出てJR千葉駅に入り、各駅停車でこの先の稲毛駅へ向かっていった。勤め先や学校に向かう快速より各停の方が空いていると思っていたが、各停も結構混んでいた。

 稲毛駅に降りるとやはりバスターミナルや銀行やコンビニなどが見られ、私は稲毛駅近くのネットカフェ『快活CLUB』を見つけた。モダンな造りの内装のこのネットカフェはPCの他にビリヤードやダーツなどもあり、若者やネット環境のない人野為の憩い場である。

 受付でスタッフから五〇番の席を貸してもらい、リクライニングシートとPCと机のある個室に入った。検索欄に『鬼山則和』と入力し、検索結果が千件出た。

 まずウィキペディアでプロフィールを見る。一九七六年東京都墨田区生まれ明治大学情報部卒業。新聞社での記者経験を機にルポルタージュ作家になる。現在五〇歳。今までに携わってきた事件は二七件。

 その中の一つ――二〇一六年に刊行された『歪んだ恋心』を目にして、昨日の事を思い出して胸が痛むが、一度ショックを感じたのかそれ程ひどい恐怖はなかった。

 検索欄に「千葉県若松区 放火」と入力して検索ボタンを押した。数秒の読み込みの後、千葉県若松区に関する情報が二百件程表示される。

その中の一つである事件のウィキペディアをクリックしてみると、表示された。

千葉県若松区内にある黒沢梓さんの家が燃えて半壊し、被害者の梓さんは放火事件の前にストーカーにつきまとわれていた事を家族と警察と職場の上司に伝えた。

逮捕されたのは千葉県四街道市に住む会社員・小仲公夫で警察はストーカー規制違反と家宅放火罪の疑いで逮捕。

小仲公夫は両親と五歳上の姉の四人家族で、千葉県四街道市で生まれ育ち、小中学校は市内の公立、高校は千葉県立佐倉高等学校を卒業し、大学は千葉大学教育学部に進学卒業。大学卒業後は千葉市内にある広報会社OTMに就職し、勤務態度も真面目で良好であった。

入社五年目の二〇一五年四月に黒沢梓さんが小仲公夫の勤める職場に新入社員として入社。黒沢梓さんは類稀な美人で千葉県の私立大学を首席で卒業し、家事が得意な家庭的な女性で、小仲公夫は黒沢さんに一目ぼれをした。

小仲公夫の黒沢さんに対する思いは日に日に募り、通勤中も仕事中も家に帰っても黒沢さんの事ばかり考えるようになり、最初は挨拶をする普通の関係から黒沢さんに色目を向けようになっていた。

黒沢さんが新入社員として入社してから一ヶ月後、小仲公夫の様子も変わってきた。

 上司や同僚から頼まれた仕事の内容をよく聞かず三度も尋ねてくる事があり、入社してから直すのは数回で済んだ書類の作成を二、三十回も直す羽目になり、会議中はぼんやりする事が多くなったと、当時の職場の人間は語る。

上司から「やる気がないのなら会社を辞めろ」と言われると小仲公夫は反省し、仕事を悔い改めるが黒沢さんが入社してから三ヶ月目に小仲公夫の行動が変わっていった。

仕事ははかどっているのに残業する事が多くなり、帰宅も夜の十一時と遅くなる事が多く、毎週日曜日には「友達の家に行ってくる」と言って、夕方六時あたりに帰ってくる事が多々起きていた。

二〇一五年五月二十三日頃から黒沢さんの身の異変が起き始める。

駅構内や電車の中では気が付かなかったが、人気(ひとけ)の少ない住宅街に来ると誰かに後をつけられている事が分かり、家に入ると尾行者がいなくなっていた。

自宅のコンピューターにアドレス名が伏せられているメールが届くようになっており、内容はどれも「梓、好きだ。結婚してくれ」「梓、君が僕の前に現れてから僕は君の事を考えるようになった」「君は僕にとっての理想の女性だ。だれにも渡したくない」などのストーカーじみたメールで最初はいたずらだと思って削除していったが、一日に十通も来るので、メールアドレスを三回も変えたと黒沢さんは言っていた。

また自宅や携帯電話にも公衆電話からの着信が来て、家族に頼んで家電話は録音を付けて携帯番号を五回も変えた。

「梓、好きだよ」「結婚してくれ」などと同じ内容の電話ばかりで、またボイスチェンジャーを使っているらしく、どこの誰かわからないでいた。

 また梓さんの自宅に差出人不明の手紙が一度に七通届く事もあり、やはり黒沢さんに対する告白や結婚要求の内容ばかりであった。

 黒沢さんは家族や職場や警察に相談しようと考えたが、黒沢さんの家庭状況にはゆとりがなく、父親は二〇一三年九月に脳梗塞になり三十二年間勤めていた会社を退職して自宅介護を受け、母親は父親の介護をしながら家事と地元スーパーのパートの仕事、弟は大学三年生で姉の黒沢さんに続いて就職活動を始めており、妹も大学受験を控えている高校三年生という難儀ぶりであった。

 誰にも相談できないまま黒沢さんはストーカー被害を受け、二〇一五年九月十一日に帰宅してみると、一通の差出人不明の黒沢さん宛の封筒が郵便受けに入っていた。中を開封してみると、それは婚姻届であった。

 流石に手紙やメールや電話だけでなく婚姻届が自分の元に来ると、黒沢さんは自分でストーカーを探す事を決意し、手紙は全部ワープロ打ちであったのに対し、婚姻届は白紙であった為、黒沢さんは手紙の消印を調べて、うち二つの封筒は四街道の消印であった事から四街道市に家を持つ同じ会社の者だと察した。それがただ一人、小仲公夫であった。

 九月一七日、終了時間になると黒沢さんは小仲公夫を倉庫に呼び出すと、自分の元に届いた婚姻届を見せて尋問した。小仲公夫は全部白状したのを認めると、黒沢さんは小仲公夫の前で婚姻届を引き裂き、「両方の家族にも職場にも警察にも言わない代わりに、永遠に私につきまとわないで下さい」と告げた。

 小仲公夫に忠告した黒沢さんは逃げるように会社を去ると、小仲公夫は黒沢さんに自分との結婚を認めてくれなかったと逆恨み、九月二十一日の深夜二時頃、若松区にある黒沢さんの家に来て、ライターの火で着けた新聞紙の切れ端を縁側の下に放り込んで放火した。

 一階で寝ている黒沢さんの両親が煙の臭いに気づき、二階にいる黒沢さんの弟と妹を呼んだ。弟と妹は両親の呼ぶ声に気付いたが、二階の奥の部屋にいた黒沢さんは気づくのに遅れて、気付いた時には一階は火に包まれ、消防隊によって救助され死者はでなかったものの、黒沢さんの家は半壊し、最後に逃げ出した黒沢さんは火事のショックで若松区の病院に運ばれ、半日後に落ち着くと、同じ会社の先輩からストーカーを受けていた事を警察に話した。

 黒沢さんの自宅の焼け跡からストーカーの根拠となる手紙がいくつか発見され、翌九月二十二日に小仲公夫を住宅火災法違反の罪で逮捕した。

 二〇一五年十二月二日にはストーカー規制法違反の罪で書類送検され、千葉県千葉市内の拘置所に入れられ、二〇一六年三月五日、懲役十六年と被害者に損害賠償二千万円の支払いを命じられた。

 小仲公夫の両親は息子が逮捕されると近所の住民から避難や糾弾を浴びせられ、全親族や交友関係から絶縁され、マスコミ記者につきまとわれ、食糧の買い出しは家から一時間かかる街まで行かなくてはならない状況だった。

 五歳年上の姉も小仲公夫の逮捕で会社を解雇され、夫は姑と子供を連れて離婚し、全親類と交友関係から絶縁され、実家に舞い戻り、両親同様「加害者家族」と罵られ、二〇一六年三月十六日を最後に近所の住民からの目撃情報で姿を見せなくなった。

 小仲公夫の両親と姉の行方は依然として不明である。


 私はウィキペディアの項目を見ると、眩暈を催した。昨日ほどではなかったが、母の弟が職場の新人女子に一目ぼれした事でストーカーとなり、婚姻届を送りつけて破かれた為に叔父は新人女子の家に火を着けて犯罪者になった。父と祖母は母の家系に犯罪者がいる事を嫌って私を引き取って母を離縁した。

 私が父と祖母とのうのうと暮らしている間に母は「加害者家族」のレッテルを貼られ、事件の半年後に四街道市を両親と共に逃げたという事実。母は確かに絶望して悔しがっただろう。だけどストーカー被害に遭った黒沢梓さんはあの後、どうなったのかも気になった。

 私はネットの検索欄に「千葉県若松区 放火 被害者」と書き込み、検索ボタンを押す。数秒の読み込みの後、結果が十程出てきた。

 その一つを確かめると、それはネット掲示板の抜粋で、ストーカー放火事件後の黒沢さんの事が書かれていた。

「黒沢梓は放火の後、就職した会社を退職し、弟も大学を中退し妹も大学受験を辞めた」

「黒沢梓は事件の後、母の兄が経営する兵庫県の調味料製造会社のある兵庫県明石市に引っ越しし、二年間の心療内科の通院を経て兵庫県内の小企業に就職した」

「黒沢梓の弟と妹は伯父の会社の事務員となり、父は要介護だが存命、母も健在である」

「黒沢さんは再就職後は同じ会社の三歳上の重役と結婚して家庭を築いている」


 黒沢さんは事件から大分回復して、円満な家庭を築いている事が分かって安心した。

 スレッドの抜粋は黒沢さんの事だけでなく、母の事もいくつか書き込まれていた。

「ストーカー犯の姉は中学校から名門に通っていて、大企業に就職して出世して裏切らない男と結婚して性格が良くて頭の悪い姑をいじめて楽しんでいて何の障害もない女の子を持てて幸せだったのに、弟がストーカーした為に会社をクビになって離縁されたんだとさ」

「ストーカーされた女の子と対面した時、加害者の姉は謝罪するどころか、女の子を見てブチ切れて激怒したそうだよ」

「『あんたがデブでブスでバカだったら、私の弟にストーカーされずに済んだんだ! あんたが私の地位と名誉と幸福をぶっ壊したんだ! 慰謝料払え!』って裁判所内で叫んでいたそうだ」

「姉弟そろって逆恨みかよ。姉の子、夫に引き取られたんだってな。それは幸運かな」

 いくら母が頭の悪い人が嫌いだからって、こんな書き込みはひどいではないのだろうか。

 腕時計を見ると、いつの間にか四十五分経っていた。私はインターネットによる情報収集はここまでにして、昼食時までにどこかで夏休みの宿題をしようと席を立った。

 会計カウンターで料金を払い、再び暑い空の下を歩き回った。空は朝より明るくなっており、入道雲に陽炎。道路ではバスや自動車が走り、街を歩く人々も半袖やノースリーブなどのクールビズである。

 街の景色も歯医者や金融会社が中にあるビル、赤紫の看板のイオン、マクドナルドと栃木県の都会とは似ているようで異なる景色。公園ならベンチの他にテーブルもあると思い、駅前の地図で公園を探し、公園は小学校の近くにあるとわかると、そこへ向かっていった。通りかかった小学校は夏休みの為閉鎖しており、だだっ広い校庭の上に校舎と体育館と滑り台などの遊具が建っている風景で、学校の横断歩道を越えた先に灰色の建物の図書館、図書館を通り過ぎた所が公園で、公園には幼い子を連れたお母さんや小学校二、三年生の子達が遊びに来ており、アスレチックやブランコや砂場の他にもベンチと机があり、周囲は団地であった。私は東屋にある机とベンチに座り、バッグから夏休みの問題集を出して解いていった。日陰のある場所とはいえ、熱気を感じ汗が問題を進めていく度に額や首から出て滴っていく。

 国語と数学と英語の問題集を終えると、公園に来ていた親子や子供達は次々に去っていくのを目にすると、どうしたかと思って手首の腕時計を見てみた。指針は十二時五分前を示しており、昼食時だから帰っていったのかと察した私は駅前に戻って昼食を採る事にした。

 駅前の飲食店は思っていたより混雑しており、ファーストフードもファミリーレストランもチェーン店も夏休みの中高生やサラリーマン、主婦が並んでいた。

 一分でも早く食べられるようにと十軒回ってみたが、最低でも十分は並んでないと入れないと悟って、駅構内のデリカテッセンでソーセージやサラダの入った弁当を買い、駅の上り線ホームのベンチに座って食べた。

 お金はまだある。時間も宿題もある。私は東京へ向かう事にした。

 母が出ていった原因の事件の記録の本を書いた鬼山則和さんに会いに。

 鬼山則和さんの書いた本『歪んだ恋心』は新宿にある有名な出版社の清林堂出版(せいりんどうしゅっぱん)の住所と電話番号はインターネットカフェで問題集の余白に書き写したから大丈夫だった。

 私は稲毛駅のホームに入る前に出版社は予約しないといけない事を思い出して、鬼山さんに会えないと気づいて、公衆電話を探して、あまり使わないテレホンカードを電話に入れて、清林堂出版に電話した。

 プルルルル……と呼び出し音が五回鳴った所で受付の女の人の声がした。

『はい。清林堂出版です』

「あ、の、もしもし。私、栃木県からやって来た紅林(くればやし)(さと)()といいまして、高校の夏休みの課題レポート提出の為にルポルタージュ作家の鬼山則和さんにお会いしたいのですが、鬼山さんのご在宅の場所はおわかりですか?」

 私は半分本当半分嘘を使って申し出た。

『鬼山則和さん、ですか? 今、担当編集の方に尋ねてくるので、少々お待ちください』

 ここで待機のメロディーとなる音楽が鳴り、私は電話ボックスの戸を半分開けて、涼んだ。途中でペットボトルのジャスミン茶を買ってきておいたので、水分補給には困らなかった。

 三分程経って受付の人からの電話があり、私はしっかりと聞く。

『もしもし? 鬼山則和先生は来週の月曜日の午後二時半になら予定が空いているとの事です。もし来られるようなら当社の一階の待合室でお待ち下さい』

「来週の月曜日……」

 五日後なら会える、事であった。五日となると東京新宿近くの安いホテルで四日間宿題で時間を埋めるしかない。このまま会えないよりは五日後に待つ事を選んだ。

「……それでは来週の月曜日に清林堂出版に来ます。お忙しい処、ありがとうございました」

 受話器を切ると、私は五日後に鬼山さんから事件の詳しい話を聞けると知ると、胸がドキドキになった。

 私は稲毛駅前のインターネットカフェで東京に行く前に東京の安く泊まれるホテルを探しておいたので問題なかった。東京行きの快速列車は銀色の車体に青いラインで中はとても涼しく、また乗客もそんなに乗っていない事から座席に座れた。営業らしきサラリーマンやクラブ活動から帰るジャージ姿の女子高生、母親と一緒に遊びに行く女の子といった乗客の姿も見られ、錦糸町を過ぎた所で地下道に入り、私は東京駅で降車し緑ラインの山の手線に乗り換えて、浅草に向かっていった。

 東京駅は多くの人が使い為か明るく広く、山の手線の他にオレンジラインの中央線などの番線も多々で、店もキオスクや弁当屋、食事処にお土産屋と豊富だった。

 山の手線に乗って浅草の安いホテルへ向かい、浅草のホテルは二人一部屋の四畳ほどの大きさで、壁に窓一つと二段ベッドとテーブルと椅子二脚。食事は朝食だけなら出せて、共同の浴場もあった。

 ホテルに着いたのは夕方六時過ぎで、空は紫がかって学校のクラブや会社から帰る人々の姿が多く見られ、私はホテルに行く前にコンビニで弁当とペットボトルのジュース、甘い物欲しさのヨーグルトを買って、ホテルの宿泊室で食べた。人間は空腹が達していると、普段食べない物でもおいしく感じる。小さなグリーンサラダと鶏そぼろ弁当でも。泊まったホテルは二段ベッドの下の方にキャリーバッグとリュックを置いて一泊四千円の安いホテルの為、エアコンがなく窓を網戸にして涼んだ。


 浅草の格安ホテルで四日間は気ままで快適だった。ホテルから朝食のトーストセットあるいは和食セットで食べおさめて、その後はホテルの宿泊室で夏休みの宿題、昼は昼食を食べに外に出て、コインランドリーにも行って着替えの服と下着を洗って乾燥気にかける。

 夕食はコンビニやファーストフード店で買った物をホテルで食べる。ホテルに泊まって二日後の昼、私は親友の純麗に電話で報告した。ホテルの近くにある公衆電話を探して、群馬県の伊勢崎にある純麗の家に電話する。

『もしもし、掛川です……』

「純麗? 私、紅林聡美。今、東京の浅草にいるの」

『東京の浅草? 聡美、千葉県に行ってたんじゃなかったの?』

「うん、それがね……」

 私は純麗に理由を話し、純麗は「成程」と返事した。

『鬼山っていうルポライターに会って、聡美のお母さんの事を教えてもらう、ねぇ……』

「うん。誰にも言わないでよ。あと、私のお父さんとおばあちゃんから私の事を尋ねてこなかった?」

『それね、尋ねてきたけど、「私も知りません」って返事したよ。聡美のお父さん心配していたけど。でも聡美は賢いししっかりしているから大丈夫でしょ』

「ありがとう。じゃあ、また何かあったら連絡するね」

 私は純麗との通信を終えると、ホテルへ戻っていった。日曜日は朝から雨で、私は宿泊室で問題を解いていった。午前は漢字、午後は英語、夕方は数学と決めていって。この日のディナーは吉野屋の牛丼で腹ごしらえをしてから、ホテルで入浴して、明日の朝食の後すぐホテルを出発できるように寝入った。窓の外からザー……という音が次第に静かになっていくのを耳にしていくうちに眠りに落ちた。

 翌日、カーテンの隙間から入る日差しで私は目を覚ました。窓の外を目にすると空は雲一つもない青空に朝日が輝いていた。寝着にしているTシャツとスパッツからチェック柄のシャツと黒いハーフパンツに着替えた。ホテルの食堂で朝食のトーストセットを食べてから荷物を取りに行ってフロントでチェックアウトを済ませてホテルを出て、暑い中の浅草の街を歩いた。自動車が道路を走り、歩道にはサラリーマンや学生などの人が歩く中、私は浅草へ向かい、新宿行きの切符を買った。夏休みも一週間経った為か、老人や中年や青年の他、クラブやプールに出かける中高生の姿も目にした。電車は満員だったけれど、クーラーで涼しかった為問題なかった。新宿に着くと、多くの人々が出入りしており、約束の時間である清林堂出版の鬼山さんと接するまでまだ四時間もあったので、私は新宿駅ビル内の本屋で時間をつぶす事にした。

 東宮の本屋は栃木県や群馬県の本屋と違って品数が多く、小説や文庫、実用書の他にも画集や写真集、外国語の本も品ぞろえが豊富であった。

 私は冒険ファンタジーが好きで、角山書店のドリーミング文庫から出版されている『エターナル=エンパイア』というファンタジー小説がお気に入りだった。この話はずっと農民だと思って生きていた女の子が実が皇帝の妾の子だと知って、主人公の両親である母と育ての父が何者かに暗殺された処で主人公の運命が動き出すというロマンスサーガである。現在五巻まで発売されているが、私は三巻しか持っていない。だから鬼山さんに会うまでの時間が近づくまでに『エターナル=エンパイア』や女子向け小説を読む時間に当てていた。

 本屋で時間をつぶしている内にお腹が鳴った。腕時計を見てみると指針は十二時十分前を指している。ホテルでの朝食が8時十五分だったから、四時間近くも経っていたのだ。

 私は読んでいた本を棚に戻し、本屋を出て駅構内へ入っていき、清林堂出版のある方向の道へ進んでいって、途中で飲食店を見つけたらそこで食べようと決めた。

 真昼のビル街は熱気で陽炎が浮かび上がり、日差しもそれなりにある。それでもビル街は二車線の道路を走る自動車、八方向の横断歩道、都心を歩く老若男女と溢れ返っている。

 新宿駅を出発してから三十分、私は昼食を食べる事にした。浅草のホテルで過ごした四日間は素朴な食事ばかりだったから、何かスタミナのある物を食べようと思った。途中、小じゃれたレストランを見つけて中に入るとジャズBGMと薄暗い内装の店内、この店の切り盛りしているらしい五十代くらいの夫婦、ビジネスマン風と六十代くらいのおばあさんの客がいるだけだった。

 メニューは主にパスタとピラフで、私はスープとサラダ付きのチキンソテーランチを注文した。厨房から肉の焼ける音と匂いがして早く食べたいと思った。


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