今夜の献立
「悪りぃ。頭冷やしてくる」と言ってルミはキッチンを抜け、強めにドアを閉めて出て行ってしまった。ルカは呆然と見送る事しかできなかった。どうしてこんなことになってしまったのだろう。ただ一緒に晩ご飯を食べようと思っただけなのに。ひとり残されたルカはベランダに干したままの洗濯物に目をやった。今日はルミくんの当番だけど、ボクがやってしまおう。取り込んだ服を畳みながらふとルカのシャツにシミができていることに気が付いた。ー自分は彼にとってのシミではないか、そう考えてふいに目頭が熱くなりルカは慌てて上を向いた。いくら涙が溢れないからと言ったって上を向いたまま歩ける訳がないのに。
履き古したサンダルと色あせたTシャツに裾のほつれたデニム、無造作にポケットに突っ込んだままの紙幣と小銭。ルカは自分の見すぼらしい格好に苦笑した。こんな姿で外に出るなんていつ振りだろうか。今のオレに残されたものはこれだけか。ボソリと呟いてじわじわと色を失っていく空を見上げた。そう言えば今日の洗濯当番はオレだったな。そのうち湿っぽくなってくることは分かっている。それでも帰る気分にはなれなかった。思えばアイツと最後にケンカをしたのはいつだっただろうか。どうやって仲直りしたのかを思い出すには少し時間が経ち過ぎてしまった。
今日は久しぶりに帰りが同じ時間になるので一緒にご飯を食べる事にした。定時ダッシュをキメて意気揚々と帰宅した2人は献立を決めるにあたり平行線となっていた。「オレはメシと肉と野菜が食えたらそれでいい」「ボクは一緒に料理したいなぁ、餃子とか麻婆豆腐とか良いと思うんだけど」「餃子なんてタネ作って皮に包んで蒸し焼きにするじゃねえか。いつ食えるんだよ」「せっかく一緒に居られるんだからたまにはいいでしょ?」「それは次の機会でいいだろ、この時間が勿体無い」「こうやって考えたりするのがいいのに」「じゃあ今日は手早く食えるものにして次に作る料理を考えりゃいいだろ」「そうい言って結局次があった試しがないクセに」「何だと?言いたい事はハッキリ言えって言ってるだろうが」「ボクは君みたいに独りよがりには…」「お前っ!」ルミはルカの言葉が終わる前に胸倉を掴んで壁に押し付けた。「そんなにオレと居るのがイヤならそう言えよ。出てってやる」「そうやって都合の悪いことから逃げるの、変わらないね」「っるせぇ!」「痛いっ」乱暴に押し倒されたルカが呻いた。馬乗りになったルミはハッとして掴んだままの両手を離してルカから下りた。そして話は冒頭へと続く。
部屋から駅に続く通り沿いにあるベンチに座り、家路につく人の波を眺める。ルミは今日という日をとても楽しみにしていた。早く食事を済ませてのんびりコーヒーを飲みながら次に予定が合う日に何をするのかを話したり、最近ルカの周りであった出来事を聞いたりしたかった。料理を作るのは嫌いではない。だが料理をしながらだと気が散って会話を楽しめない、だから手短に作れる料理を提案したのにルカはそれを否定した。狭いキッチンにオトコが2人並んで立っても暑苦しいだけだろうに。オレは間違っているだろうか。
畳み終わった洗濯物を箪笥にしまい終えて、ルカは床に座り込んだ。どうしてあんな事を言ってしまったのか、それほどにボクは不満に感じていたのだろうか。強引な所もあるが彼はいつも自分の事を考えてくれていると思う。単に言葉足らずで不器用なだけだと分かっているつもりだった。少しでも彼の側に居て声を聞いていたい。横顔を見て、目を見て、そして見つめていられたいと思った。ボクは自分が思うよりもずっと独りよがりだったのかも知れない。薄暗がりでひとりぼっちになった部屋はルカをより悲しくさせた。
ルミが近所のバーガーショップに入ると既に数人の列ができていた。普段なら苛立つ所だったが考えなしに店に入ったため、注文を考える時間ができて好都合だった。あの野郎ココのセットが好きなんだよな、あれだけ人には健康的にしろって言うクセに意味分かんねぇ。ドリンクは苦手な炭酸系にしてやろう。あれこれ面倒だ、帰って飯食ってのんびりするぜ。レジで注文を済ませた後ルカに連絡しようとポケットをまさぐったが見つからなかった。さっさと帰ってやらねえとアイツまた何か余計なこと始めそうだな、ってオレが飛び出してきたのにさっさと帰ろうなんて虫が良すぎるってか。ちゃんと謝りますよーっと。我ながら酷い言い草だと苦笑いしながら顔を上げると店のガラス越しにルカが見えた。
やるべき事の無くなった部屋でルカは視線を巡らせていた。リビングのテーブル横に見慣れないレンタルショップのバッグを見つけた。這い寄って中身を覗いてみると…このDVDってボクが観たがっていた作品じゃないか!もしかしてルミ君これを早く一緒に観たくてあんな事を…?で、でもそれなら先にそう言ってくれたら良いのに…ほんとに言葉足らずなんだから。あーもう余計お腹が空いてきちゃった、よし今日は好きなものを食べる日にする!生気を取り戻したルカは立ち上がると近所のバーガーショップに向かった。
自動ドアを抜けたルカは受取場所でバツの悪そうなルミを見つけた。「え、ルミ君がどうしてココにいるの?」「オレの勝手だろ、たまたま食いたくなったんだよ」「たまたまなんだ?」「何だよ悪いかよ」「べっつにー」2人がにらみ合っていると商品がカウンターに届いた。「ガチ盛りチーズバーガーセットとお手軽セットをご注文のお客様~」「オレです」「大変お待たせいたしました、ご注文の品はお揃いでしょうか」「あぁ、どうも」「ありがとうございました~またお越しくださいませ!」
店を出るなりしたり顔でルミに詰め寄るルカ。「あれれ~何で2人分あるのか説明してもらおうかな~」「るせぇな、帰ってさっさと食いながら映画観んぞ」「ちょ待ってよ、袋そんなに傾けたらジュース零れちゃう!」「じゃあお前が持って帰れ」「いやで~す!今日はルミくんがボクをちやほやする日に決めました~☆」「知るかそんなもん」「してくれないと今月の家事ぜ~んぶ任せるからね?」「おい待て」
一日の終わり、色めき立つ商店街を付かず離れず進む2人の背中は、楽しげに雑踏へ消えていった。