味方ではない味方
「力也くん、面を上げなさい」
「はい」
予想通りでした。
粛清されませんようにと祈りつつ、土下座した状態からゆっくりと顔を上げ、腕を組みながらこっちを見下ろしているサクヤさんの顔を見上げる。
「ここは何人部屋?」
「1人部屋です」
「ここに住んでるのは誰?」
「セシリアさんです」
「あなたの性別は?」
「男です」
「17歳の男女が1人用の部屋に同居するのは健全と言えるかしら?」
「いえ、不健全です」
セシリアさんにここに引っ越すように命じられたんですけどね。
言い訳はせずに、彼女の質問に答えながら瞳を見上げ続ける。多分、サクヤさんはセシリアに命令されてここに来たと言っても信じてくれないだろうし、言い訳したら火に油を注ぐことになるかもしれない。こういう時は黙っていた方がいいだろう。
復讐を遂げる前に粛清されるわけにはいかないし。
すると、後ろにいたセシリアが俺の前に立った。
「姉さん、力也にここに引っ越すように指示したのは私だ」
「セシリア、どうして彼と一緒にこの部屋に住もうと思ったのかしら?」
ヤバい。
セシリア、答えちゃダメ。間違いなく火に油を注ぐことになる。
けれども、自分の姉に問いかけられたセシリアは、土下座していた俺が慌てて立ち上がって彼女の口を塞ぐよりも先に答えてしまった。
「決まっているではないか、姉さん。彼が私のお気に入りだからだ」
「!?」
言わないでよ………。
冷や汗を拭い去りながらゆっくりとサクヤさんの方を振り向く。腕を組みながら話を聞いていた彼女は、目を見開きながらこっちを見ると、プルプルと震えている手を辛うじて動かして腰に下げている大太刀の柄へと近付ける。
「お、お、お気に入り………? うふふっ、それってどういう事かしらぁ…………?」
「私は力也を気に入っている。強いからな」
俺も目を見開きつつ、彼女が俺の事を心配したり気に入ってくれていた理由を察しながらセシリアの方を見た。
この人は、もしかしたら俺の事を男として気に入っているのではなく、ただ単に”強い部下だから”気に入っているだけだったのではないだろうか。というか、下手したらセシリアさんは恋愛という概念すら知らない可能性もある。
多分、彼女は異性との接し方を知らないのだ。確かに、異性との接し方を理解していないか、その異性を愛していなければ一緒にシャワーを浴びるのは有り得ない。
シャワーを一緒に浴びた事を思い出した途端、冷や汗の量が増えた。
それまでサクヤさんに知られたら確実に消される。借りパクされた大太刀で首を切断されるに違いない。
「力也は凄いんだぞ。右腕と両足が無くなった状態でも生きていたし、初陣で転生者を討ち取ったのだ。優秀な兵士ではないか」
「…………せ、セシリア。もしかして、彼の事を気に入っている理由は力也くんが強いからなの?」
どうやらサクヤさんも、セシリアが俺の事を兵士として気に入っているという事を察したらしい。異性として気に入っているわけではないという事を理解したからなのか、彼女はすらりとした白い手を大太刀の柄から放してくれた。
「む? ああ、そうだぞ?」
「「そ、そうなんだ………」」
サクヤさんと同時に溜息をついてから彼女と目を合わせる。もしセシリアが俺を兵士として気に入っているのではなく、異性として気に入っていると答えていたのならば、間違いなく部屋の中は血の海になっていただろう。バラバラになった肉片と機械の部品が転がる羽目になっていたに違いない。
粛清されずに済んだようだ。
肩をすくめていると、サクヤさんはもう一度溜息をつきながら頭を掻いた。
「…………とにかく、男女が1人用のベッドで一緒に寝るのは不健全よ。力也くん、今夜から寝袋を持って来て床で寝なさい」
「は、はい」
「む? 姉さんはどうするのだ?」
「え? 私は昔みたいにセシリアと一緒に寝るわよ?」
おい。
苦笑いしながら部屋の中を見渡す。窓際に1人用のベッドが置かれており、周囲にはタンスや本棚も置かれている。ベッドのすぐ近くには1人用の小さなテーブルとクッションが置かれているが、これを退かせば寝袋を使って寝るためのスペースは確保できそうである。
確かに、17歳の男子と女子が一緒のベッドで寝るより、18歳の姉と17歳の妹が一緒のベッドで寝る方が健全だ。それに、正直に言うとセシリアと一緒のベッドで寝てたら死ぬと思う。
何故かというと、彼女の寝相がヤバいからだ。
当たり前のように裏拳で頬を殴打してくるし、稀に眠ったまま立ち上がって壁に立てかけられている日本刀を引き抜き、こっちに向かって振り下ろしてくる事もある。
彼女と一緒のベッドで永眠する羽目になる恐れがあるのである。というか、サクヤさんは大丈夫なんだろうか。
「あ、力也くん」
「はい、副団長」
「あなたは真面目そうだから大丈夫だと思うけど、シャワー浴びてるのを覗いたら粛清するわよ?」
「絶対やりません」
復讐を果たす前に死にたくないッス。
苦笑いしながら踵を返し、カバンに入ったままになっている私物の中から財布を取り出す。今夜寝る時に使うための寝袋を買いに行かなければ、今夜は床の上で寝る羽目になってしまうからな。
ついでにジェイコブから借りていたラノベも持って行って、買い物が終わったら彼に返してくるとしよう。
「風邪かも」
武器屋のカウンターの向こうから顔を出したジェイコブは、白いマスクをしながら咳き込んだ。
ちなみに、今日は12月30日である。9月上旬にはもう雪が降り始めるオルトバルカ連合王国から離れたとはいえ、アナリア合衆国周辺の海域にも、オルトバルカが雪国と化している元凶の『シベリスブルク山脈』の冷たい風が影響を与えており、海水は非常に冷たい。
午前中の訓練でその海に放り投げられたジェイコブは、どうやら風邪をひいてしまったらしい。
「マジかよ」
「ゴホッ………まあ、エリクサーと薬飲んでるから多分明日には治ると思う」
「そうか」
「おう。ゴホゴホッ………つーか、あの時俺じゃなくてお前がサクヤさんの相手してれば風邪ひかずに済んだんだけどよぉ」
「ごめんなさい。………あ、これ借りてたやつ。面白かったぞ。ありがとな」
ジェイコブじゃなくて俺がサクヤさんと戦ってたら、多分俺も海に放り投げられていたと思う。しかも義手と義足がかなり重いので、そのまま沈んでいく羽目になっていたに違いない。
「何か持ってくか?」
カウンターの近くにある本棚から数冊のラノベを取り出し、カウンターの上に並べるジェイコブ。ここは武器屋の筈なんだが、何でこんなにラノベとかマンガが置いてあるんだろうか。
転職したんだろうかと思いつつ、ちらりと看板を見上げる。看板にはボルトアクションライフルとロングソードのイラストが書かれていて、様々な言語で武器屋だと書かれている。店の奥にも敵軍から鹵獲した銃やテンプル騎士団の団員から買い取った武器が並んでいた。以前にジェイコブに買い取ってもらった敵兵のライフルも棚に並んでいる。
「そういえば、この”異世界で魔術師が禁術を使うとこうなる”っていうラノベ、大昔から連載してるらしいぞ」
「もう400巻超えてるんだっけ」
「ああ。このエルフのヒロインがお気に入りなんだよね。…………あ、エロ本持ってく?」
「遠慮しとく。あの部屋に持って帰ったらサクヤさんに殺されそうだ」
苦笑いしながら断ると、エルフのヒロインが手足を縛られているイラストを見てニヤニヤしていたジェイコブがこっちを睨みつけた。
「羨ましいよなぁ。黒髪の美少女たちと一緒の部屋で生活できるなんて」
「何言ってんだ、下手したら死ぬぞ」
セシリアの寝相はヤバいし、サクヤさんも厳しいからなぁ………。
「とりあえず、俺はそろそろ部屋に戻るわ。寝袋も買ったし」
「はいよ。それにしても可哀そうだよなぁ。ベッドのある部屋で寝袋使って寝なきゃならないなんて」
「セシリアに寝相で殺されるよりはマシだ」
「ハハハッ、そうだな」
ジェイコブに礼を言ってから、踵を返して通路へと向かって歩き出した。先ほど購入した寝袋を背負ったままハッチを通過し、タラップを駆け上がって別の区画へと向かう。
窓の向こうに広がっている海原はもう見えなくなっていた。照明を点灯させながらキャメロットの隣を航行する駆逐艦を見つめながら、義手の長い指で頭を掻く。
もうすぐでアナリア合衆国の領海へと到達する。既にシュタージが合衆国側へとテンプル騎士団艦隊が寄港することを伝えているため、アナリア軍の艦隊に攻撃されることはないだろう。
アナリア合衆国は今のところは中立国という事になっているが、ヴァルツ帝国軍が開始した無制限潜水艦作戦によってアナリアの貨物船や輸送船も被害を居被っており、国内ではヴァルツ帝国に報復するべきだという意見も多いらしい。
しかし、世界大戦へ参戦するのは危険だという意見も多いという。
―――――――きっと、セシリアはアナリアを世界大戦に巻き込むつもりだ。
義手を握り締めながら唇を噛み締める。アナリア合衆国に到着したら、もたついている合衆国でスペツナズを暗躍させ、ヴァルツ帝国に宣戦布告するきっかけを作ろうとしているのだ。合衆国の宣戦布告が早まれば、既に同盟国のうちの1つが崩壊しかかっている帝国軍は一気に劣勢になるだろう。
もしかしたら、春が終わる頃には戦争が終わるかもしれない。
窓の向こうの真っ黒な海面を見つめながら、俺はニヤリと笑った。
今の世界大戦が終われば、次の世界大戦で勇者を討ち取れる。
帝国軍を叩き潰すために何の罪もない中立国を戦争に巻き込むことになるが、俺はセシリアの命令通りに暗躍し、もたついている合衆国をとっとと戦争に招待するつもりだ。
帝国軍と戦うために派遣された若い兵士たちが、きっと何百人も犠牲になる事だろう。もし戦死したその兵士たちが、合衆国が宣戦布告を速めた原因を知れば、俺たちの事を呪うかもしれない。
ああ、呪ってくれて構わんさ。
俺は報復のためにお前たちを戦争に巻き込む。だから、全身全霊で呪ってくれ。
復讐を果たす事ができれば、どんな死に方をしても構わない。民衆に糾弾されながらギロチン台へと連行され、首を斬り落とされてもいい。兵士たちに銃を向けられ、銃殺刑にされても受け入れてみせよう。
妹を殺したクソ野郎共を地獄に送れるのであれば、無残な死に方をしても構わない。
”悪魔”と呼ばれても、構わない。
ジャック・ド・モレー級戦艦に搭載されている40cm4連装砲が搭載されていないせいで、殆ど武装を搭載していないキャメロットの甲板は広い。普段は朝から夜まで様々な部隊がその広い甲板を使っており、波の音だけでなく、兵士たちの呻き声や教官の怒鳴り声が聞こえてくるのが当たり前なのだが、さすがに深夜1時を過ぎれば波の音しか聞こえない。
ウラルは、この時間帯の甲板を気に入っていた。
吸血鬼の天敵である太陽は見えないし、誰もいないおかげでリラックスできる。よく本を持ってきて潮風を浴びながら読書をしたり、満月を見上げながらウォッカを飲んでいる。
だが、今夜はリラックスするわけにはいかなかった。
「ごめんなさい、遅刻ですね」
甲板に立ったまま満月を見上げていると、艦橋の近くにあるハッチの向こうから、車椅子に乗った銀髪の女性が甲板へとやってきた。
「気にしないでくれ、博士」
自分で車椅子のタイヤを回しながら、ウラルの隣へとやってくるステラ博士。持っていた書類を真面目な顔でウラルに差し出すと、お気に入りの場所で彼女を待っていたウラルはそれを受け取り、書かれている文字を素早く確認する。
書類に書かれていたのは、テンプル騎士団創設時の戦闘の記録だった。
(懐かしいな………”災禍の紅月”か)
災禍の紅月とは、この世界で100年毎に起こる大災厄である。大昔の戦争で命を落とした兵士たちの怨念がもたらす大災厄と言われており、この災禍の紅月が起こる度にこの世界は滅亡しかけた。
書類に書かれていたのは、タクヤ・ハヤカワたちによって設立されたテンプル騎士団が、その災禍の紅月の元凶となった”天城輪廻”という少女と死闘を繰り広げた時の記録だったのである。
タクヤの遺伝子を採取し、それを使って無数のホムンクルスを生産した輪廻は、圧倒的な物量のホムンクルス兵たちを全世界へと派遣して全人類を殺し尽くし、ホムンクルスたちの世界を作り上げようとしていた。しかし、タクヤが率いるテンプル騎士団の精鋭部隊が彼女の本拠地であった”空中都市ネイリンゲン”へと突入し、輪廻を撃破したことによって世界は救われたのである。
しかし、彼女が災禍の紅月を引き起こした理由は、この世界を救うために転生させられる勇者たちを救うためであった。
この世界が滅亡寸前になる度に、あらゆるパラレルワールドから”リキヤ”という名前の少年たちが強制的に転生させられ、世界を守るために戦わされる仕組みになっていたのである。輪廻はそのリキヤたちを救済するため、転生者たちをタクヤに狩らせて彼らを成長させつつ、自分が強大な”悪役”になって彼らに撃ち破られることで、リキヤたちを転生させるという仕組みを作った神々に『この世界の人々でも世界を守ることはできる』ということを証明し、リキヤたちを開放しようとしていたのである。
戦闘の記録を読みながらその事を思い出したウラルは、ステラがなぜここに自分を呼び出したのかを理解した。ちらりと車椅子に乗っている彼女を見下ろすと、ステラは真面目な表情で首を縦に振る。
「あの戦いの後、新たな”リキヤ”の転生は観測されませんでした。この世界へと転生したリキヤは100人で終わる筈だったのです」
「――――――なのに、”101人目”がいる」
101人目のリキヤ。
存在することのない、101人目。
タクヤたちが災禍の紅月を打ち破ったことで、神々はこの世界の人間でも世界を守ることはできるという事を知り、リキヤたちを転生させるという仕組みを廃止した筈である。だからこそ、あの災禍の紅月の終結後にはリキヤたちの転生は確認されていなかった。
しかし、今のテンプル騎士団にはリキヤがいる。
”99人目”であったセシリアの祖先と、全く同じ名前の男が。
「世界の仕組みが変わったとでもいうのか?」
「…………もしかすると、災禍の紅月の襲来が近いのかもしれません」
「バカな。まだ前回の災禍の紅月から100年経ってないぞ?」
「はい。………ですが、99人目が封印した勇者の復活はイレギュラーでしかありません」
「奴が災禍の紅月の元凶だと?」
「そうなる可能性は高いかもしれませんね。………念のため、彼は監視しておく必要があるかと。現在、監視用に調整した新型ホムンクルスの製造中です」
「…………”次世代型ホムンクルス”のプロトタイプという名目で作ってたあいつか」
「ええ」
テンプル騎士団で製造されているホムンクルスは、殆ど調整を受けずに製造される”戦後型”と呼ばれるモデルである。戦後型と呼ばれる理由は、災禍の紅月で輪廻が製造した自我のないホムンクルスたちが”戦時型”と呼ばれているからだ。
戦闘の記録を読み終えたウラルは、ステラから渡されたもう1枚の書類を受け取ってから読み始める。それに記載されていたのは、輪廻との最終決戦で崩壊し、カルガニスタンとヴリシア大陸の中間に広がるウィルバー海峡へと墜落した天空都市ネイリンゲンに関する記録であった。
崩壊してウィルバー海峡へと墜落した天空都市ネイリンゲンの残骸は、テンプル騎士団、殲虎公司、白き花の3つの勢力によって迅速に回収され、天空都市に使われていたあらゆる技術が解析された。ホムンクルスの製造技術も、その際に接収して解析に成功した技術の1つである。
「残骸の回収作業の責任者はフィオナ博士でした」
「…………」
「ウラルさん、おかしいと思いませんか?」
「…………ああ」
ウラルはゆっくりとステラの顔を見下ろした。
「…………転生者の生みの親である輪廻が死んだのに、なぜ転生者の転生が止まらない?」
「世界の仕組みに組み込まれて転生していたのはリキヤだけです。それ以外の転生者は、輪廻が他のパラレルワールドから転生させていた存在に過ぎません」
リキヤ以外の転生者は、輪廻が転生させていた存在である。
つまり、転生者たちを転生させていた輪廻が死亡してしまった以上、転生者たちもこの世界にやってくることはなくなるという事だ。しかし、天城輪廻がタクヤやラウラによって打ち倒された後も、転生者たちは当たり前のようにこの世界へとやってきている。
「調査によると、輪廻は転生者たちの端末を管理する”マスターアカウント”と呼ばれるものを所有していたそうです。ですが、それがテンプル騎士団や他の組織に回収されたという記録は残っていません」
「…………戦闘で紛失したか、何者かが密かに回収して隠しているという事か?」
書類を読み終えたウラルは、海面を見つめながら凍り付いた。
ステラがマスターアカウントの話を始める前に、フィオナが残骸の回収作業の責任者を担当していたという話をした理由を察したのである。
前者であれば、マスターアカウントが機能を停止することによって転生者たちの転生もぴたりと止まる筈である。だが、まだ転生が継続しているという事は、輪廻が所有していたマスターアカウントはまだ機能しているという事を意味する。
「そんなバカな……………」
「………………確かにあの人は天才技術者ですが、味方だと思わない方が良いかもしれません」
ウラルから返してもらった書類を魔術で焼き払い、燃えていく書類を海面へと投げ捨てるステラ。炎に包まれた書類が、漆黒の海面を橙色の光で照らしながら落ちていく。
自分で車椅子のタイヤを回しながらハッチの方へと戻っていくステラを見つめてから、ウラルは拳を握り締めた。
第七章『赤き雷雨』 完
第八章『自由の国』へ続く




