サクヤの選択肢
ガスマスクを装着した兵士たちが、気を失っているサクヤを担架に乗せて製造区画の外へと運び出していく。兵士たちの左腕には衛生兵であることを意味する白い腕章が取り付けられていた。エリクサーでサクヤの胸の傷が塞がっているとはいえ、念のため治療魔術師の治療が必要である。
衛生兵たちによって彼女が運び出されていくと同時に、ゆっくりと製造区画の中にずらりと並んでいるホムンクルスの製造装置を保護していた鋼鉄のカバーがスライドして、青白い培養液の中で眠るホムンクルスの赤子や胎児たちがあらわになった。へその緒の代わりに黒いケーブルが装着された赤子たちは無事だったらしく、ガラスの柱が損傷している装置は1つも見当たらない。
全ての装置が無事だという事を確認してから、ちらりとフィオナ博士の死体の方を振り向いた。天井から奇襲してきたサクヤの一撃によって頭を粉砕されてしまった彼女の周囲には、数名の衛生兵たちが集まっている。外殻で覆われたキメラの腕で思い切りぶん殴られて頭を叩き割られたのだから、もう生きているわけがなかった。
衛生兵たちが死体に向かって敬礼してから、もう1つの担架で死体を運び出していく。
フィオナ博士が死亡したのは”大損害”だな………。
彼女をここへと連れてくるべきではなかったと後悔しながら、拳を握り締める。今のテンプル騎士団は、彼女とステラ博士の技術力で辛うじて列強国以上の技術力を維持している状態である。その技術力を生み出す頭脳の持ち主が死亡してしまったのだから、大損害としか言いようがない。
それに、フィオナ博士はこの義手と義足を作ってくれた恩人だ。彼女が作った義足のおかげでもう一度立ち上がれるようになったし、この義手のおかげでもう一度武器を持てるようになったのだから。
くそったれ。
「力也………」
「すまない、博士………っ」
止めておけばよかった。
製造区画へと繋がるハッチのハンドルを回しながら、「俺に任せろ」と言っていればよかった。
フィオナ博士の死体を乗せた担架を持った衛生兵たちが、隔壁を開けて製造区画の外へと出ていく。隔壁が閉まる音が反響するのを聞きながら唇を噛み締めていると、やけに小さな手が左肩に触れた。
セシリアかと思ったけれど、彼女にしては手が小さ過ぎる。製造区画の中には俺とセシリアしか残っていない筈だ。一体誰の手なのだろうか。
ゆっくりと後ろを振り向くと、いつの間にかすぐ後ろに白髪の幼い少女が浮遊していた。身に纏っているのは技術者たちが身に纏っている白衣だが、彼女には少しばかりサイズが大きいらしい。
ふわふわと空中に浮きながら微笑んでいる白髪の少女を見た途端、ぞっとすると同時に、端末の前の持ち主の記憶がフラッシュバックした。
薄暗い部屋のソファの上で横になっている前の持ち主の身体の上に乗ったまま、顔を覗き込んでくる幼い幽霊の少女。俺の後ろに浮遊している白髪の少女と、顔つきが全く同じだった。
「フィオナ………?」
彼女がフィオナ博士なのだ。
前任者の記憶のおかげで、彼女の正体を瞬時に理解する事ができた。彼女の名前を呼ぶと、微笑みながら肩に触れていた幼い幽霊の少女は首を傾げながら目の前へとやってくる。
『あら、この姿をあなたに見せたのは初めてだった筈ですが』
「…………前任者の記憶がフラッシュバックした」
『あらあら、リキヤさんの記憶ですか。残念ですねぇ、びっくりさせようと思ったんですけど』
この端末の前の持ち主は、最強の傭兵ギルドと言われているモリガンのリーダーだったリキヤ・ハヤカワである。彼の記憶まで一緒にダウンロードされていたおかげで、当時のフィオナ博士がどのような姿なのかは知っていたのだ。
そう、フィオナ博士は12歳で病死した幼い少女の幽霊なのである。”まだ生きていたい”という強烈な未練のせいで成仏する事ができなかった彼女は、オルトバルカ王国南部のネイリンゲンという街にある屋敷の中を100年以上彷徨い続けていたのだ。そのせいでその屋敷は幽霊屋敷と呼ばれるようになってしまい、誰も近寄らなくなってしまった。
そこにリキヤ・ハヤカワとエミリアの2人がやってきたのだ。エミリアの許婚との決闘に勝利して彼女を奪ったリキヤ・ハヤカワは、エミリアと2人でラトーニウス王国からオルトバルカ王国へと亡命し、その幽霊屋敷を購入して傭兵ギルドを始めることになるのである。
幽霊になってその屋敷を彷徨っていたフィオナ博士も、そのギルドの一員となった。
「じゃあ、あの頭を割られた死体は何だったんだ?」
『あれはホムンクルスの技術を使って作った肉体ですよ。それに私が憑依してただけです』
「憑依?」
『ええ』
「その姿じゃダメなのか? 何であの肉体に憑依してたんだ?」
血まみれになったガスマスクを取り外しながら問いかけると、博士はどういうわけか顔を赤くしながら答えた。
『だ、だって………私、もうこの姿から成長することが無いんですよ』
「えっ?」
『………お、大人になってみたかっただけですっ』
確かに、幽霊はもう成長することがないからな………。
博士は12歳で病死してしまったから、きっと大人になることに憧れていたんだろう。そう思いながら博士が憑依していた肉体の事を思い出した俺は、彼女が顔を赤くしている理由が大人に憧れていただけではないという事を悟る羽目になってしまう。
彼女が憑依していた肉体は―――――やけに胸が大きかった。
ちらりとフィオナ博士の”本体”の胸を見てから、頭を抱える。
だからわざわざ肉体を作って憑依してたのかよ………。
「とりあえず、そろそろ戻ろう」
「ああ」
血まみれの義手で頭を抱えたまま、俺はセシリアと共に製造区画を後にするのだった。
「サクヤ・ハヤカワに施された調整は、全て解除されていました」
病室のベッドの上で眠るサクヤの傍らに立っていたナタリアのホムンクルスは、サクヤの顔を見下ろしながら報告した。鹵獲されたサクヤは、既に錬金術師たちによって帝国軍に施された20%の調整のうちの8%を解除されていたという。ある程度は自由になる事ができた状態とはいえ、信じられないことに彼女は自力で残った12%の調整を解除したとでもいうのか。
強靭過ぎる精神力だ。
数値が表示されている魔法陣を消し、サクヤの枕元に置いていた小さな装置の電源を切ったナタリアのホムンクルスは、「もう彼女は自由です」と報告すると、敬礼をしてから病室を出ていった。病室のドアの外には、もしサクヤが再び暴走した際に対処できるように、腰にロングソードを下げた2名の警備兵が待機している。
だが、気っと彼らの出番はないだろう。
サクヤはもう自由になったのだから。
義手の爪を展開し、持ってきたリンゴの皮を剥きながらセシリアの顔を見つめた。
そう、サクヤはもう自由だ。
だから選ぶ事ができる。このまま実の妹共に戦うか、再び安らかに眠るかを。
「ん………」
「ね、姉さん………!」
ベッドで眠っていたサクヤが、ゆっくりと目を開けた。ベッドの近くに立っているセシリアを見た彼女は、嬉しそうに微笑みながら自分の妹にゆっくりと手を伸ばす。
「立派になったわね、セシリア………」
涙を拭い去ったセシリアは、彼女の真っ白な手をぎゅっと握りしめた。
サクヤが命を落としたのは、9年前のタンプル搭陥落の時だという。妹を逃がすために父親から継承したデータを彼女へと託し、襲撃してきた勇者と戦って戦死したといわれている。
だから、この2人が再開するのは9年ぶりなのだ。サクヤが微笑んでいるのは久しぶりに再会した妹が立派な女性に成長していたからなのかもしれない。
皮を剥き終えたリンゴを義手の爪で切断し、皿の上にそっと置いていく。果汁まみれになった指を拭いていると、ベッドで横になっているサクヤがこっちを向いた。顔をちらりと見てから、俺の頭から生えている日本刀の刀身のような形状の角を見て目を丸くする。
「彼は………………同胞ではないみたいね」
「ああ、こいつはまだ人間だ」
「そう………。ふふっ、私と戦っていた時も、セシリアと一緒にいたわね」
「ええ」
キメラに近い姿になってしまったが、俺はまだ人間だという。
頭から伸びている角に触れていると、切り終えたリンゴを手に取ったセシリアがそれを姉の口へと運んだ。
「ところで………姉さんに聞きたいことがある」
「あら、何かしら」
随分と早く聞くんだな。
目を細めながらセシリアを見上げる。彼女はサクヤの手を握るのをやめてから拳をぎゅっと握りしめ、ベッドに横になっている姉の翡翠色の瞳を見つめた。
ついに問いかけるのだ。このまま生きて共に復讐を果たすか、もう一度眠るかを。
前者であれば彼女は大喜びすることだろう。あのタンプル搭陥落さえなければ団長を継承していた筈の姉が仲間になるし、死んでしまった姉とまた生活する事ができるのだから。
しかし――――――後者であれば、セシリアはまた辛い思いをすることになる。9年ぶりに再会した実の姉を、自分の手で殺さなければならないからだ。
サクヤはどちらを選ぶのか。
「…………姉さんは、これからどうするつもりなのだ?」
「…………」
ホムンクルスの肉体に魂を呼び戻された状態で生きることを望むのか。それとも、もう一度眠ることを望むのか。
きっと、死者にとっては強引に魂を呼び戻されることは最大の苦痛に違いない。しかも、呼び戻された上に操られ、実の妹と戦う羽目になってしまったのだから、サクヤ・ハヤカワは安らかに眠るべき死者だというのにこれ以上ないほどの苦痛を味わった筈だ。
すると、サクヤは自分で手を伸ばし、後者を選ばないでくれと祈りながら握り締めていたセシリアの手をそっと握った。
「…………死者って、安らかに眠るべきよね」
微笑んだまま、彼女はベッドの近くにある丸い窓の向こうを見つめる。海原の向こうへと沈みつつある夕日によって、蒼い海面は橙色に染まっていた。その橙色の海を航行するのは、キャメロットを護衛するテンプル騎士団本部の残存艦隊である。
実の姉の顔を見下ろしたまま、セシリアは目を見開いた。
確かに、死者は安らかに眠るべきだ。花を添えられた墓標の下に埋められた棺の中で、静かに眠っているべきなのだ。その安寧が、死者たちにとっての最大の平穏に違いない。
彼女はそれを奪われた。
どちらを望んでいるのかを察したセシリアの瞳から、涙が生れ落ちる。
サクヤは、安らかに眠ることを望んでいるというのか。
すると、サクヤは微笑んだままセシリアの方を振り向いた。
「だからね、許せないの。私を強引に呼び戻した勇者たちが」
「え?」
「――――――もしよければ、私も一緒に戦わせてくれないかしら?」
「ね、姉さん………」
真っ白な手を伸ばし、セシリアの涙を拭い去ってから抱きしめるサクヤ。涙を流し始めた妹の頭を撫でながら、サクヤは優しく告げた。
「それに、9年前の死に方だって納得できる死に方ではなかったもの。だから、私もあいつらに復讐したいのよ。…………いいかしら?」
「…………もちろんだよ、姉さん………っ」
死者は、安らかに眠るべきである。
死者からそれを奪うという事は、死者たちに苦痛を与えることに等しい。
それゆえに、サクヤ・ハヤカワは報復を選んだ。
テンプル騎士団へと牙を剥くために用意された肉体で、勇者やヴァルツ帝国へと復讐することを選んだのだ。
9年前に死んでしまった姉と、彼女のおかげで生き延びた妹が泣きながら抱きしめ合うのを見守ってから、俺はこっそりと病室を後にした。
2人きりにした方が良さそうだからな。
そっと病室のドアを開けると、待機していた警備兵たちが敬礼してきた。
「お疲れ、同志諸君。もう彼女は問題ないから、警備する必要はないぞ」
「え………し、しかし………」
ドアを閉めてから、ニヤリと笑う。
「もう暴走する恐れはない。彼女は元通りになった」
サクヤの精神力が、錬金術師たちの調整に打ち勝ったのだ。
そう告げると、2人の警備兵は「では、失礼します。何かあったらすぐ呼んでください」と言ってから踵を返し、通路の向こうへと歩いて行った。
真面目に警備するのは喜ばしい事だが、ホルスターの中のハンドガンと腰に下げたロングソードだけでは、多分サクヤを食い止めるのは不可能だろう。それに、完全に拘束されていた状態ではなかったとはいえ、彼女は自力で錬金術師たちの調整に抗い続けていたのだから、もうヴァルツの連中に操られることはない筈だ。
良かったな、セシリア。
病室のドアの向こうから聞こえてくる彼女の嗚咽を聞いてから、俺も踵を返した。




