メルンブルッヘ潜入
ゴキッ、と、首の骨が折れる音が聞こえてきた。
首の骨を折って敵兵を始末するのは、ナイフや短刀で敵兵の首を切り裂くよりもちょっとばかり手間がかかる。ナイフを持っているのならば首元に狙いを定めて突き立てるだけでいいけど、首の骨を折るのならば敵兵をしっかりと押さえつつ、抵抗される前に素早く首の骨をへし折らなければならない。
でも、集中力が切れている敵兵の首の骨を折るのは簡単だ。敵がやってくるわけがないと思って油断しているのだから、ノーガードと言っても過言ではない。
首の骨を折って始末すれば、周囲に血は飛び散らない。万が一他の兵士がこっちにやってきても、血痕で俺たちが襲撃してきた事を悟られずに済む。
始末した敵兵をコンテナの陰に隠し、後方の木箱の陰に隠れている仲間たちに合図を送る。頷いたジェイコブがコルトM1911を構えながら周囲を警戒し、他に敵兵がいないことを確認してからセシリアに合図を送った。
「容赦ないな」
「容赦する必要なんかねえよ」
敵兵である以上、皆殺しにする。
生け捕りにするのは、そいつから聞き出さなければならない情報がある場合のみだ。とはいっても、情報を聞き出したらそいつもしっかりとぶち殺すが。
「警備が厳重だと思ったが、兵士は油断しているようだな」
「ああ」
警備兵たちが油断している理由は、多分ウェーダンの時と同じだ。
メルンブルッヘの北部にあるロイジェンデールでは、帝国軍の守備隊がフランギウス軍の攻勢を迎え撃っている真っ最中なのである。今のところは帝国軍の守備隊が攻め込んでくるフランギウス軍を血祭りにあげているらしく、帝国軍の塹壕が陥落する様子はないという。
それゆえに、警備兵たちは敵兵がここへと潜入してくる事を全く想定していないのだ。
ただ単に油断しているだけなのだろうか。それとも、ここに収容されている捕虜や転生者がそれほど重要ではない存在だからなのだろうか。
潜入の難易度が下がったことは喜ばしい事だが、油断するわけにはいかない。敵が油断している以上、こっちが警戒しながら潜入すれば難易度はさらに下がっていくのだから。
ナガンM1895を構えつつ姿勢を低くして、セシリアとジェイコブの2人と共にメルンブルッヘの基地の中へと潜入する。既にコレットとマリウスの2人は別行動をとっており、軍港の方へと向かっている。もし爆薬の設置が終わったら、俺たちと同じく施設内へ潜入するのではなく、ここへと侵入する際に切断した鉄条網の辺りで待っているように伝えておいた。設置を終えて空俺たちを追ってきたら、捕虜や転生者を連れて離脱する俺たちと合流できなくなり、逆に敵基地の中に置き去りにされてしまう恐れがあるからだ。
小型の無線機があれば簡単に連携をとれるんだが、現時点で生産できる無線機は大型の無線機ばかりである。なので、この3人の中では俺しか携行していない。
最新型の銃で武装することも大切だが、このような情報を味方に伝達するための装備は、下手をすれば新型の銃以上に重要な代物と言ってもいいだろう。最新型の強力な銃を持っていたとしても、仲間と連絡を取る方法が伝令や伝書鳩しかなければ味方と素早く連携をとる事は不可能だ。
味方に情報を伝達するまでのタイムラグを可能な限り短縮することは、非常に大きなアドバンテージとなるのである。
コンテナの陰から施設の入り口を睨みつける。入り口には金属製の扉があり、ランタンを手にした警備兵が2人立っていた。背中にはボルトアクションライフルを背負っており、銃口の付近には既に銃剣を装着している。ランタンの光のせいで、白銀の銃剣がまるで溶岩のような色に変色していた。
ここから狙撃しようかと思いつつ、後ろで待機していたジェイコブに合図する。彼のメインアームは、コルトM1911の銃身を7インチにまで延長し、ロングマガジンと木製の銃床を取り付けたピストルカービンだ。銃口には隠密行動を想定してサプレッサーを装着してある。
ナガンM1895からサプレッサー付きのモシンナガンに持ち替え、狙撃の準備をする。リアサイトとフロントサイトを覗き込み、敵兵の顔面に弾丸をお見舞いする準備を整えたが、敵兵の表情を見た途端に違和感を感じた。
先ほど首の骨を折った敵兵のように、油断している様子がない。
「待て」
「ああ、なんだかおかしい」
ライフルを背中に背負っているものの、近くの暗闇をランタンで照らしたり、周囲を見渡して侵入者がいないかチェックしている。先ほど仕留めた警備兵のように集中力が切れている様子はない。
一旦ライフルを下げつつ息を呑む。あの2人以外に敵兵がいればここから狙撃するわけにはいかないし、仮に近くにいる敵兵がその2人の警備兵がいる方向を見ていなかったとしても、弾丸に撃ち抜かれて崩れ落ちる音を聞けば大慌てで駆けつけるのは想像に難くない。
気配を殺しながら、他に敵兵がいないことを確認する。遠くにある見張り台の上にはスコープ付きのライフルを背負った兵士がサーチライトで見張り台の周囲を照らしているのが見えるが、さすがにあそこまでは人間が倒れる音は聞こえないだろう。
セシリアに向かって頷いてから、ジェイコブと共に再び警備兵に狙いを定める。セシリアは背負っていた三八式歩兵銃を構えると、他の警備兵がこっちに寄って来ないか警戒を始めた。
「3、2、1」
カウントダウンを終えると同時に、ジェイコブと同時にトリガーを引いた。
ピダーセン・デバイスを装着したモシンナガンM1891と、コルトM1911を改造したピストルカービンが、雨の中でひっそりと火を噴いた。置き去りにする筈の銃声をサプレッサーに取り上げられた哀れな2発の弾丸は、暗闇の中でランタンを手にしていた2人の警備兵の眉間を直撃し、警備兵たちを即死させてしまう。
警備兵たちが崩れ落ちたのを確認してから、俺とジェイコブは素早く移動した。倒れた警備兵の死体を近くのコンテナの中へと放り込み、血が付着したランタンの明かりを消して排水路の中へと放り投げる。見張り台の上にいる兵士の方を見つめたが、彼がサーチライトで照らしているのは全く別の方向だ。
セシリアに合図を送ると、彼女も姿勢を低くしながら素早く合流した。彼女はあまり潜入や隠密行動は経験していないらしいのだが、足音を立てないような走り方をしていたし、周囲もしっかりと警戒している。ウラル副団長から教わったのだろうか。
「やるな、力也」
「それはどうも、ボス」
ゆっくりとドアを開けつつ、武器をモシンナガンからナガンM1895に持ち替える。いくらピダーセン・デバイスを装備したことによってセミオート射撃ができるようになったとは言っても、モシンナガンの銃身は長いので室内戦ではあまり役に立たない。モシンナガンよりはるかに小型のナガンM1895の方が、警備兵を素早く撃ち抜く事ができるというわけだ。
サプレッサー付きのリボルバーを通路に向けて警戒しながら、グリップをぎゅっと握る。
テンプル騎士団に入団してからまだ3ヵ月くらいしか経過していないというのに、既に転生者を何人も倒す事ができている原因は、九分九厘俺の実力ではない。フィオナ博士が再起動させたあの端末の機能と、一緒にダウンロードしちまった前任者の記憶のせいだ。
前任者の記憶までダウンロードしてしまったせいで、頻繁に前任者が目にした光景や彼の仲間だった傭兵たちの姿がフラッシュバックする。セシリアの事をエミリア――――――前任者の妻だ―――――――という女性と勘違いしてしまう事も珍しくはない。
けれども、その厄介な記憶と一緒に、かつては”最強の転生者”と言われた男の戦い方まで身に着ける事ができた。潜入する際はどのように敵兵を排除すればいいのかが分かるし、銃の使い方も分かる。剣で敵兵のどこを斬れば効率よく殺せるかを理解しているし、戦闘機や戦車の操縦方法も把握している。
――――――俺の実力ではない。
まるで、自我以外の全てを前任者に乗っ取られているようだ。
ふざけるな。
俺が速河力也だ。
敵兵を容易く殺す度に、自分の実力などではないという事を痛感してしまう。
自分の実力ではないという事を痛感する度に、残っているのは自我だけなのではないかと思ってしまう。
「…………力也?」
「なんでもない」
後ろでコルトM1911と短刀を構えながら周囲を警戒していたセシリアにそう言ってから、通路の奥へと進んでいく。
復讐ができるのであれば、自分の記憶じゃなくてもいい。
復讐ができるのであれば、自分の力じゃなくてもいい。
自分の意思とこの手で、勇者をぶち殺す事ができるのであれば。
メルンブルッヘの施設の中は、かつて明日花と一緒にぶち込まれていた強制収容所と比べるとかなりマシだった。あっちの施設は最初から捕虜や叛逆者を収容して強制的に労働させたり、人体実験に使うための施設だったのに対し、こっちは強制収容所として機能することを全く想定していない施設なのだから、忌々しい鉄格子は見当たらない。
けれども、臭いや雰囲気はあの施設とそっくりだ。
血の臭い。
埃の臭い。
膿の臭い。
鉄の臭い。
通路を進んでいくと、かなり広い倉庫に辿り着いた。倉庫の中には既に巨大なコンテナが所狭しと並んでいて、天井には巨大なクレーンがぶら下がっている。壁や天井には照明が用意されているようだけど、光の量を制限されているのか、それとも照明が故障しているのか、灯りはやけに弱々しかった。
弱々しい光によって中途半端に照らされた倉庫の中は薄暗い。コンテナとコンテナの間は真っ暗になっており、ライフルを抱えた兵士が隠れられるほどのスペースがある。隠れる場所はたっぷりとあった。
「このコンテナは一体………?」
「戦場に送る武器とか兵器の部品じゃねえか?」
すぐ近くにあるロイジェンデールでは、ヴァルツ軍の兵士たちがフランギウス軍を迎え撃っている。帝都から送られてきた物資をここに保管しているのだろうか。
では、先ほど通路の奥から漂ってきた血の臭いの発生源はどこだ?
「…………いや、ここだな。ここに捕虜がいる」
「え?」
薄暗い倉庫の中を見渡しながら、セシリアは自分の鼻に真っ白な指を当てた。
「祖先からの遺伝でな。私の嗅覚は人間より発達しているんだ」
「そ、そうだったんですか」
「ジェイコブ、お前だってキメラだろ?」
「あのな、調整を全く受けてないホムンクルスがオリジナルの遺伝子を全部受け継げるわけねえだろうが」
ホムンクルスは、生まれる前に錬金術師たちが調整を施すことで、オリジナルとなった人間と全く同じホムンクルスを生み出したり、オリジナルが身に着けている特技や才能を最初から身に着けた状態で生まれる事ができるのだ。
大昔は自我や痛覚を剥奪し、自爆能力を身に付けさせたホムンクルスをこれでもかというほど大量生産し、圧倒的な物量の軍勢を編成していたクソ野郎もいたという。現代の技術でもその”戦時型”のホムンクルスを再生産することは可能らしいが、テンプル騎士団ではホムンクルスに人権を与えているため、ホムンクルスから自我を剥奪する行為は禁忌とされている。
嗅覚が常人と変わらない俺やジェイコブが先頭を進むより、嗅覚が発達しているセシリアが先頭を進んだ方が良さそうだ。薄暗いせいで視覚には限界がある以上、暗さの影響を全く受けない嗅覚での索敵の方が遥かに効率がいい。
武器をモシンナガン―――――ピダーセン・デバイスとサプレッサーを装備している――――――に持ち替え、ジェイコブと一緒にセシリアの後に続く。倉庫の中にずらりと並ぶコンテナの蓋は開きっ放しになっていたけれど、その代わりに忌々しい鉄格子が装着されていて、コンテナが捕虜たちを収容する牢屋と化している。
中にいる捕虜たちの大半は餓死しているようだった。痩せ細った様々な種族の捕虜たちが、コンテナの中で横になったまま微動だにしない。
もしかしたら、転生者も同じように餓死しているのではないだろうか。
そう思いながらコンテナの中を覗き込んでいたその時だった。
「力也、生存者だ」
別のコンテナの中を覗き込んでいたジェイコブが、小声で俺とセシリアを呼ぶ。彼が生存者を発見したコンテナには、ヴァルツ語の文字と豚の絵が描かれていた。おそらく、豚肉やソーセージが入っていたコンテナなのだろう。
ソーセージの入っていたコンテナに捕虜を入れておくとは。
顔をしかめながら、コンテナの中にある鉄格子を覗き込んだ。コンテナの中には薄汚れた制服――――――おそらく転生者の制服だろう―――――――に身を包んだ、痩せ細った少年が座り込んでいる。拷問を受けた際に付着したのか、かけているメガネのレンズには血痕が付着していて、そのレンズの奥にある瞳は虚ろになっていた。
だが――――――――その虚ろな目と俺の目が合った途端、彼と俺は同時に目を見開いた。
「お前…………」
「え…………」
「お、おい、お前…………まっ、まさか、”リョウ”か…………!?」
嘘だ。
お前までこっちの世界に来てしまったというのか。
「り………リッキー…………?」
痩せ細っていた転生者の少年が、細くなった手を痙攣させながら鉄格子へと手を伸ばす。
よく見ると、彼の顔は血まみれだった。俺と同じように、強制収容所で拷問や暴行を受けていたに違いない。血痕だらけになっているメガネのレンズには亀裂があるし、頬や手にはびっしりと痣があった。
「力也、知り合いか?」
「向こうの世界の親友だ。…………おい、大丈夫か?」
「はははっ…………また君に会えるなんてね…………」
「待ってろ、今鉄格子を開けてやる」
コルトM1911をホルスターに収め、右手を鉄格子へとかざすセシリア。その直後、彼女の真っ白な肌が何の前触れもなく漆黒の外殻に覆われたかと思うと、まるでドラゴンの身体から外殻を引き剥がし、人間の腕に取り付けたかのような禍々しい腕に変貌してしまう。
普通の人間よりも遥かに鋭い爪が生えた手で鉄格子を掴んだセシリアは、普通の人間よりも遥かに発達したキメラの筋力を使い、簡単に鉄格子をへし折ってしまった。少しばかり鉄格子が軋む音が倉庫の中に響き渡ってしまったから、もしかしたら警備兵に聞かれてしまったかもしれない。
だが、救出目標である転生者がリョウだった以上、最悪の場合でも彼だけを助ければ今回の作戦は成功だ。しかし、出来れば他の捕虜たちも助けたいものである。
ひしゃげた鉄格子の中に義手を伸ばし、痩せ細ったリョウの腕を掴んで引っ張り出す。自分の力で立つ事ができないのか、コンテナの外に出たリョウはすぐによろめくと、そのまま俺の身体に寄り掛かってきた。
「もう大丈夫だ。安全な所に連れて行ってやるからな」
「ありがとう………また、君に助けられたね…………」
彼を救う事ができて良かった。
モシンナガンを片手で持ったまま、痩せ細ったリョウを背負って踵を返そうとした次の瞬間だった。
――――――唐突に、倉庫の中が明るくなった。
弱々しい光を放っていた照明が復旧したわけではない。コンテナよりも上にあるキャットウォークの上に、よく見るとずらりとサーチライトが並んでおり、その傍らにいる兵士たちがコンテナの前にいる俺たちへと向けて過剰としか言いようがないほどの光をぶちまけているのだ。
コンテナの隙間から、立て続けに何人も帝国軍の兵士たちが走ってくる。彼らはライトで照らされている俺たちを睨みつけながら、銃剣の付いたボルトアクションライフルを構えた。
罠だったのか………?
「――――――初めまして、魔王セシリア。隣にいる黒髪の少年が”ウェーダンの悪魔”ですかな?」
ライフルを向けている兵士たちの奥から、指揮官と思われる若い将校が歩いてくるのが見える。腰にはサーベルを下げていて、反対側には拳銃が収まったホルスターも装備しているようだ。年齢は他のライフルマンたちとあまり変わらないようだが、身に纏っている軍服の装飾が普通の兵士たちよりも豪華である。
将校か?
すると、その将校はまるでパーティーに招待された貴族のようにお辞儀をしてから、ライトで照らされている俺たちに向かって自己紹介をした。
「私は”ハンス・ハインリッヒ・フォン・ローラント”中将。お見知りおきを」




