悪魔の正体、魔王の子孫
仲間たちと共にボートから降り、沖に停泊しているヴェールヌイへと『我々ガ帰還スルマデ待機セヨ』と発光信号を送る。ボートから降りた仲間たちが武器の準備を終えたのを確認してから一緒に物陰へと移動し、ポーチの中からメルンブルッヘ周辺の地形が描かれた地図を取り出した。
メルンブルッヘはそれなりに大きな基地だ。戦艦が5隻ほど入港できる規模の軍港もあるが、最近は戦艦や巡洋艦よりも潜水艦が良く立ち寄るという。どうやらヴァルツ帝国軍は潜水艦を本格的に敵国の艦隊への攻撃に投入しているらしい。
潜水艦や軍港にダメージを与えれば潜水艦の補給ができなくなるだろう。とはいっても、今回の目的は潜水艦の破壊ではなく、あくまでも転生者と捕虜の救出だ。
小型のランタンで地図を照らしながら、これから敵基地へと潜入する仲間たちの顔を見渡す。この作戦に参加するのは、俺、ジェイコブ、コレット、マリウス、セシリアの5人だ。普段であれば第二分隊と第三分隊が支援してくれるのだが、今回は第一分隊のみで彼らを救出しなければならない。
「シュタージからの情報では、南東部には地雷原があるらしい。少し回り込んで南方から侵入しよう」
「確か、南方は鉄条網くらいしかなかった筈だな」
「ああ。そっちの方が難易度が低いからな」
少なくとも、捕虜を救出する前に敵兵に発見されることは許されない。敵兵に発見されたとしても、ヴァルツの連中は俺たちの攻撃が潜水艦を破壊する事だと勘違いする可能性が高いが、最悪の場合は捕虜や転生者を別の場所へと移送されたり、処刑されてしまう恐れがある。
地図を見ながら、ピダーセン・デバイスを装着したモシンナガンを用意する。銃口にはサプレッサーが装着されているので、隠密行動にはうってつけだろう。サプレッサー付きのナガンM1895もあるが、命中精度ならばこちらの方が上である。
「潜入後はどうする? 5人で一緒に行動するのか?」
「そうしたいが………もし脱出する際に敵に発見されたら、停泊中の駆逐艦や巡洋艦が追撃してくる可能性がある」
もし軍港の敵艦隊が追撃してきたらとんでもない事になる。こっちは駆逐艦1隻のみだし、ここは既に転移阻害結界の範囲内なので、敵艦隊から転移で離脱するという事もできない。ヴェールヌイには強力な魚雷も搭載されているものの、たった1隻で帝国軍の駆逐艦や巡洋艦から逃げ切るのは不可能と言ってもいいだろう。
可能であれば転生者や捕虜をヴェールヌイに連れ帰るまで発見されないことが望ましいが、万が一的に発見された場合の事も考慮し、敵艦に爆薬を仕掛けておきたい。だが、爆弾の設置を担当する隊員は俺たちと別行動をする必要があるし、この作戦の最優先目標は転生者の救出である。爆破のために危険を冒した挙句、転生者の救出に失敗することは絶対に許されない。
すると、地図を見ていたコレットがニヤリと笑った。
「少尉、爆破なら私の得意分野です」
「どうするつもりだ?」
楽しそうに笑いながら、ポーチの中から爆薬を取り出すコレット。片手に爆薬を持ったまま、軍港を指差した彼女は言った。
「みんなが潜入している間に、私が駆逐艦や潜水艦に爆薬を仕掛けます」
「全部爆沈させるつもりか?」
「いえ、持っている爆薬で艦艇を沈めるのは不可能です。ですが、出撃できなくなる程度の損傷は与えられます」
「危険だ、コレット」
「敵は捕虜を救出されることよりも、潜水艦を破壊されたり、軍港を使用不能にされることを恐れている筈です。艦艇や設備を破壊すれば、敵は捕虜よりも艦艇と軍港を守ろうとすることでしょう。むしろ、捕虜を守る兵員の方が手薄になるかもしれません」
「だが―――――」
「いや、一理ある」
首を縦に振りながら、セシリアはコレットの方を見た。確かに敵に俺たちの襲撃の目的が艦艇や軍港の破壊だと思い込ませる事ができれば、捕虜や転生者を警備している兵士たちも手薄になる事だろう。敵の警備兵の人数が減れば潜入の難易度は一気に下がる。
しかし、捕虜を警備する警備兵が減るという事は、減った分の人員が艦艇や軍港の警備を行うという事を意味する。そう、単独で艦艇へ爆薬を設置するコレットの方が危険になるという事だ。
それに、単独行動をしているコレットが逃げ遅れる恐れもある。
「ボス、正気か?」
「ああ。だが、さすがに単独での行動は危険だ。マリウス、コレットと一緒に行動して支援してやれ」
「了解です」
「捕虜の救出は、私、力也、ジェイコブの3人で行う」
「………分かった。2人とも、もし危険だと判断したら俺たちを置いて基地の外へと先に脱出して構わん。無理だけは絶対にするな」
「「了解」」
地図を畳みながら、ちらりとマリウスの顔を見上げる。彼の本職は機関銃での味方の支援や、敵部隊の強行突破だ。マドセン機関銃や他の軽機関銃を手に持ったまま乱射できるほどの筋力があるので、もし仮に敵に発見されたとしても、華奢なコレットを守り抜いてくれるに違いない。
頼んだぞ、マリウス。
首を縦に振ると、マリウスも首を縦に振った。
ランタンの明かりを消し、ライフルを肩に担ぎながら歩き出す。作戦の説明を聞いていたジェイコブは腰に下げている大型のポーチからエリクサーの入った容器を2人に手渡すと、「本当に無理すんなよ」と言ってから歩き出した。
俺の方をそっと叩いてから、俺にもエリクサーの入った容器を渡すジェイコブ。彼から受け取ったエリクサーをポーチの中に放り込んでから礼を言い、黒いバラクラバ帽をかぶった。
現代のエリクサーは改良されて錠剤になっているが、大昔のエリクサーは液体状であり、試験管のようなガラスの容器に入れられていた。そのため、戦闘中に容器が破損してエリクサーが零れてしまい、傷口の治療ができなくなってしまう事は珍しくなかったという。
とはいっても、現代でもまだ液体状のエリクサーは存在するが。
端末を取り出し、後ろを歩いているセシリアにサプレッサー付きのナガンM1895を渡す。出撃前に何度か射撃訓練を行っているし、使い方も教えてあるので問題はないだろう。
「行くぞ、ボス」
「ああ」
メルンブルッヘ南東部の浜辺から、メルンブルッヘ基地へと向かって歩いていく。シュタージの情報によると、あと30分ほどで雨になるという。暗闇で潜入を行える上に雨も降ってくれるとはな。潜入するにはうってつけの時間帯と天候だ。
先ほどまで空の上に居座っていた太陽は、海原の向こうへと消えつつあった。
メルンブルッヘの周辺は、よく雨が降る。窓の向こうに見える海も大きな波が荒れ狂っているのが当たり前で、まだ金属製の装甲で覆われた戦艦や装甲艦が開発される前は数多くの帆船がこの海域で沈没したという。
船乗りたちが恐れていた海域に足を踏み入れ、軍港を作って駆逐艦や潜水艦に補給ができるようになったのは、産業革命が始まって装甲艦が普及し始めてからだ。
秘書の兵士が、メルンブルッヘの海を眺める事ができる執務室のカーテンを閉める音を聞きながら、勇者は机の上に置かれているコーヒーのカップを口元へと運んだ。ランタンに灯りを付け、机の上に置かれている地図を見下ろしてペンで印をつけていく。
現在、ロイジェンデールでの戦闘は帝国軍の方が有利になりつつあった。フランギウス軍はいくつか塹壕を突破することに成功したものの、戦闘開始前にヴァルツ軍が用意しておいた地雷原で大きな損害を出して後退しており、陥落させた塹壕で部隊の再編成や増援部隊との合流を行っているという。
ロイジェンデールには転生者は配備されていないものの、まだ地雷原は残っている上に、後方には大規模な砲兵隊が展開しており、塹壕で部隊の再編成を行っているフランギウス軍に対して砲撃を行っている。帝国軍が地雷原を迂回して攻撃すれば、すぐに塹壕は奪還できるだろう。
「この戦闘も我が軍の勝利でしょう」
嬉しそうに言う秘書を見上げて微笑みながら、勇者は彼が持ってきたクッキーへと手を伸ばした。
「これなら皇帝陛下も喜んでくださる」
「ええ。フランギウスなど敵ではありませんから」
微笑みながらクッキーを噛み砕いていると、執務室のドアが外側からノックされた。本部や司令部の執務室を訪れる時も、よく彼の元を訪れる男は他の将校たちよりも静かにノックする。だからこそ、誰が執務室のドアをノックしたのかをすぐに悟る事ができた。
転生者部隊に関する報告にやってきてくれたのだろうかと思いつつ、勇者は言った。
「どうぞ、ローラント”中将”」
「失礼します、勇者様」
執務室のドアを開け、書類を抱えながら執務室の中へとやってきたのは、メガネをかけた若い将校だった。ヴァルツ軍の将校は初老の男性が多いが、彼はまだ歩兵部隊に所属するベテランの兵士たちと同じくらいの年齢である。
ヴァルツ帝国軍の最年少の将校なのだ。
彼は抱えていたファイルを勇者の机の上にそっと置くと、目を細めながら敬礼をした。勇者も彼が告げようとしている報告が、良い報告ではないということを察しながら腕を組む。
「”ウェーダンの悪魔”の件で報告があります」
そう言われた途端、勇者は目を細めた。
ヴァルツ帝国の一部の兵士たちは、テンプル騎士団に所属するある兵士を恐れている。
そのテンプル騎士団の兵士がヴァルツ軍の兵士たちを恐れさせることになったのは、西部戦線のウェーダンの戦いであった。あの戦いは、帝国軍からすれば虎の子の転生者部隊が大損害を被った挙句、強力な転生者が皇帝や他の将校に過小評価されるきっかけとなった戦いである。
その戦闘の最中に、その兵士の噂が生まれた。
テンプル騎士団の遠征軍が帝国軍の攻撃を防いでいる間に、たった1人で防衛ラインの後方へと潜入し、司令部の兵士と転生者を惨殺したというのである。生存者はごく少数のみであったが、その生き残った兵士も仲間が次々に惨殺されていくのを目の当たりにしてしまったらしく、精神を病んでしまって全員除隊したと言われている。
その生存者が、錯乱しながら『あいつは悪魔だ』と証言したため、そのテンプル騎士団の兵士は『ウェーダンの悪魔』と呼ばれることとなった。
だが、殆どの将校は生存した兵士が見間違えたか、幻覚を見たのだろうと決めつけている。実在するという事を認めてしまえば兵士たちの士気に大きな影響を与えてしまうからだろうが、列強国でもあるヴァルツ帝国軍の部隊が、たった1人の兵士によって壊滅させられたという事を認めたくないからこそ、ウェーダンの悪魔の噂を否定し続けているのだろう。
勇者も、後者の理由でその噂を否定している将校の1人であった。
「悪魔がどうした?」
「生存者の証言ですが、襲撃してきたウェーダンの悪魔と司令部の指揮官だった来栖は知り合いだった可能性があります」
「なに?」
「生存者が、来栖が悪魔に『牢屋の中で無様に死んだ筈だ』と罵倒していたのを聞いたそうです。………勇者様、来栖の知人の中で牢屋に放り込まれていた男に思い当たる人物はいますか?」
そう告げられた瞬間、勇者は腕を組んだまま目を見開いた。
――――――1人しかいない。
強制収容所の中で、牢屋の中に放り込まれて絶望した少年。目の前で妹を何度も犯された挙句、最終的に殺された転生者。
「ば、バカな………あいつは手足を斬り落とされていたんだぞ? それに、あの直後に強制収容所はテンプル騎士団の襲撃で壊滅している。牢屋に入れられていたとはいえ、我が軍の一員だったあいつを魔王が生かしておくわけが――――――」
「テンプル騎士団は、既により高性能な機械の義手や義足を実用化し、復帰を希望する負傷兵に移植して復帰させているとのことです。先進国の義手や義足よりもはるかに高性能だそうですよ」
そう、テンプル騎士団の技術力は各国の技術をはるかに上回っている。現代では機械の義手や義足が主流になっているとはいえ、それを移植した兵士を戦闘に復帰させるためには、数少ない職人に依頼して製造した高額な義手や義足が必要だ。だが、テンプル騎士団はその職人が創り上げる義手や義足よりもはるかに高性能な義手や義足を容易く製造し、負傷兵に移植して戦闘に復帰させられるほどの技術力を持っている。
先進国には蛮族と呼ばれている勢力だが、その蛮族が最も優れた技術力を持っているのだ。
それゆえに、戦闘で手足を失った程度であれば、負傷兵は容易く復帰させる事ができるのである。戦闘中に爆風で片腕や片足を失ったテンプル騎士団の兵士が、その数ヶ月後に機械の義手や義足を移植された状態で塹壕へと突っ込んでくるのは珍しい事ではない。
各国よりも優れた技術力を手に入れた原因は、転生者たちが生産する兵器を参考にする事によって独自の技術を発展させる事ができた事と、全盛期の頃から古代文明の技術を解析し、その技術を利用していた事だろう。
牢屋の中で手足を斬り落とした少年の事を思い出しながら、勇者は凍り付く。
「………生きているというのか、あいつが」
「…………その可能性は高いかと。記録を調べてみましたが、速河力也の遺体は確認されませんでした」
猶更、ウェーダンの悪魔の存在を認めるわけにはいかなかった。
かつて自分を異次元空間に封印した忌々しい男と全く同じ名前の少年が、殺した筈だというのに生存しており、テンプル騎士団の一員として帝国軍に大損害を与えているのだから。
心の中に居座っている屈辱と怒りが肥大化すると同時に、勇者は拳を思い切り机に叩きつけた。
ドン、という音が響くと同時に、カップの中に残っていたコーヒーが零れ、机の上に置かれている地図のメルンブルッヘ周辺を黒く濡らした。
「おのれ…………ッ! なぜ死なない!? あれだけ絶望させ、全てを奪ってやったというのに! なぜとっとと死なないッ!?」
激昂する勇者を見つめながら、ローラント中将は目を細める。
勇者は、速河力也を恐れている。
手足を失った挙句、全てを奪われた男が自分の所へと復讐しに来ることではなく、”速河力也”という存在そのものを恐れている。まるで、ウイルスが自分を消し去るために投与されたワクチンを恐れるように。
全てを奪って絶望させたのは逆効果だったのではないかとローラント中将が考えていると、勇者は拳を握り締めながら立ち上がった。
「…………中将、”あの裏切り者”は速河力也の知人だったな?」
「ええ。それと、彼がここに移送されているという情報は、おそらくテンプル騎士団は掴んでいる事でしょう。あの男を救出しに来る可能性は高いかと」
テンプル騎士団の総大将であるセシリア・ハヤカワと、彼女に救出されたと思われる速河力也の目的は、勇者へ報復することである。メルンブルッヘへと移送されてきた転生者は勇者の情報を知っているため、是が非でも救出しようとするだろう。
メルンブルッヘの軍港を破壊する可能性もあるが、軍港を破壊して海軍の戦力を削るよりも、帝国軍の転生者部隊の指揮官である勇者を消すための情報の方を、テンプル騎士団は間違いなく優先する。
テンプル騎士団は、転生者の恐ろしさをよく理解しているのだから。
「…………よろしい。ならば罠を張ってやるとしよう。中将、守備隊に”あいつ”も編入せよ」
「よろしいのですか? 魔王を刺激する恐れがありますが」
「構わん、所詮は未熟で野蛮な小娘だ」
「…………了解しました。錬金術師たちには指示を出しておきます」
勇者に敬礼をしてから、ローラント中将は踵を返す。執務室の立派なドアを閉め、外でライフルを抱えて警備をしている警備兵に挨拶をした中将は、赤いカーペットの敷かれた廊下を歩きながら溜息をついた。
勇者は速河力也を恐れているが、逆にセシリア・ハヤカワを過小評価している。
キメラは”突然変異の塊”と言われるほど変異を起こしやすい種族である。それゆえに、キメラを激昂させるのはニトログリセリンをバーナーで炙るのに等しい。
セシリア・ハヤカワも、リキヤ・ハヤカワの血を受け継いだキメラの1人なのだから。




