9つの分隊
通常のジャック・ド・モレー級戦艦の前部甲板には、40cm4連装砲の砲塔が2基も居座っている。しかし、大半の武装を取り外して訓練施設や司令部などの設備を搭載することを優先したキャメロットの前部甲板は、他のジャック・ド・モレー級の同型艦たちと比べると非常にシンプルだった。
訓練区画の中にも体力試験をするのにうってつけのスペースがあるが、これから始める試験はできる限り広いスペースで行う事が望ましい。
既に、前部甲板には入隊試験を受ける兵士たちが並んでいた。新兵たちの訓練であれば遅刻したり服装が乱れている兵士が紛れているのは珍しくないのだが、ここにいるのは陸軍や海兵隊から選抜されてきた屈強な兵士たちである。服装は全く乱れていないし、参加する36名の兵士全員がそろっている。
「では、今から体力試験を開始する! この入隊試験は、全て4人1組で参加してもらう事になる!」
なぜ4人1組かというと、テンプル騎士団のスペツナズは4人で1個分隊であるからだ。敵陣に潜入する1個分隊を、残りの2個分隊が狙撃や空爆の要請で支援することになっているため、入隊試験を受ける兵士たちにも4人1組で行動することを意識してもらわなければならない。
入隊試験を受ける兵士たちは36名だ。4人ずつチームを組めば、ここに9個分隊が編成されることになる。
隣にいる兵士を見つめながら4人1組になった兵士たちを見渡しつつ、俺は告げた。
「いいか! 戦場で戦友を置き去りにしたり、見殺しにするのは兵士として最も恥ずべき行為だ! 我がスペツナズには、平然と恥を晒せるような間抜けは必要ない! そのため、この4人の中で誰か1人でも脱落することになったら、連帯責任としてそのチーム全員を失格とする!!」
もしチームの中の誰かが失格になったら、残った3人も失格になるという事だ。一番最初に入隊試験を受けた兵士たちはざわついたり、厳しすぎると抗議してきたが、前の試験で失格になった兵士からどんな試験なのかを聞いているからなのか、今回の試験を受ける兵士たちはそれほどざわつかなかった。
スペツナズの分隊を構成する兵士の人数は非常に少ない。そのため、もし誰か1人でも負傷して行動不能になったり、戦死してしまえば残った兵士たちまで大損害を被る羽目になる。
それに、スペツナズが引き受けるのはテンプル騎士団の命運を左右する重大な任務ばかりである。もし任務の最中に負傷して敵の捕虜になってしまったら、敵は是が非でもこちらの機密情報を聞き出そうとするだろう。捕虜になった兵士が拷問を受ける羽目になるのは言うまでもない。
場合によっては、関与している事自体が発覚してはならないような任務もある。
それゆえに、負傷した兵士を置き去りにしてはならない。
「仲間の足を引っ張るな! 仲間を決して見捨てるな! もし心が折れそうになっている貧弱な馬鹿野郎がいたら、他のメンバーが支えてやれ!」
『『『『『了解であります、同志少尉!!』』』』』
整列した兵士たちがでっかい声で返事をすると、艦の中から木箱を抱えてきたオークの隊員が、俺のすぐ脇に大きな木箱を置いた。木箱の中にはスペツナズが正式採用しているフェドロフM1916が収まっている。
まだ陸軍や海兵隊の一部の兵士にしか支給されていないアサルトライフルを珍しそうに見つめている内に、ホムンクルスの隊員がバラクラバ帽が入った袋を持ってきた。
「今から特別にこのアサルトライフルとバラクラバ帽を諸君に貸してやる! このライフルを背負い、バラクラバ帽をかぶって体力試験を受けるように! よし、まず第一分隊から受け取れ!」
赤き雷雨の隊員は、フードの付いた黒い制服とバラクラバ帽を身に着けて作戦に参加する。雪原などの場所では寒冷地用の白い制服が支給されることもあるが。
兵士たちにバラクラバ帽とフェドロフM1916が支給されたのを確認してから、整列している兵士たちを見渡しながら叫んだ。
「では、今から我々が『やめろ』と言うまで、延々とキャメロットの艦首から艦尾までランニングをしてもらう! 立ち止まった者と、その立ち止まったバカの所属する分隊の隊員は全員失格となる! もしぶっ倒れそうになっている間抜けを見かけたら支えてやれ!」
ちなみに、前回の試験では次の日の朝まで兵士たちを走らせ続けた。2回目に行った試験ではこの一番最初のランニングで兵士全員が失格となってしまったため、合格者はいなかったがな。
兵士たちに”どのくらい走ることになるのか”ということを告げなかった理由は、希望を持たせないためだ。合格するためには、指示通りに俺たちが”やめろ”と言うまで走らなければならない。相手が提示した希望に縋るのではなく、自分で希望を作り出す強靭な精神力が必要なのだ。
分隊の仲間が失格となれば他の兵士たちも失格となるため、この試験では分隊の仲間たちと一緒に走り、脱落しそうになっている仲間を支えることが望ましい。
兵士たちに「何か質問はあるか」と問いかけると、エルフの男性の兵士がゆっくりと手を挙げた。
「あ、あの、トイレはどうすればいいのでしょうか?」
「我慢しろ」
艦首や艦橋の脇には、既に赤き雷雨の隊員が木箱を運んでいた。木箱の中にはアイスティーが入った水筒がたっぷりと収まっている。
さすがに兵士たちに水分補給をさせずに次の日の朝まで走らせるのは危険なので、飲み物の支給は行う。だが、食事は一切支給しない。これから甲板の上をひたすらランニングすることになる兵士たちには、水分補給以外は我慢してもらう事になる。
場合によっては、敵の勢力圏への潜入が長引く恐れがあるからだ。当たり前だが、潜入中はシャワーを浴びることはできないし、場合によってはトイレを我慢することになる。携行している食料が底を突いた場合は、周囲に生息している動物を仕留めたり、キノコや木の実を食料代わりにしなければならない。
「よし、艦首側に並べ! 体力試験を開始する!」
キャメロットの全長は304mだ。戦艦大和よりも巨大な超弩級戦艦の甲板の上を、スペツナズに入隊するためにやってきた無謀な大馬鹿野郎共にひたすら走ってもらうとしよう。
ちなみに、この訓練は俺も経験している。俺が走った時の監視役はセシリアだった。
支給されたフェドロフM1916を背負った兵士たちが、キャメロットの艦首側にずらりと並ぶ。彼らも分隊の仲間と一緒に走るのが鉄則だという事を理解しているらしく、先ほど編成された分隊の仲間たちと一緒に並んでいる。
仲間を置き去りにしようとする大馬鹿野郎がいないことを確認して安堵した俺は、ちらりと海を見た。キャメロットが航行している海域はラトーニウス海の西部。このまま西の方へと進んでいけばフェルデーニャ王国やフランギウス共和国があるし、更に西へと進めばまだ世界大戦に参戦していないアナリア合衆国へと辿り着く。
ラトーニウス海の西武はそれほど波が高くないので、艦も全くと言っていいほど揺れない。ランニング中に甲板から転落する間抜けが出ることはないだろう。
ホルスターの中からナガンM1895を引き抜き、サプレッサーを取り外す。シリンダーの中に1発だけ空砲を装填してから銃口を天空へと向けた途端、走り出す準備をしていた兵士たちの目つきが鋭くなる。
「――――――試験開始!」
そう告げると同時に、トリガーを引いた。
ナガンM1895が銃声を発した直後、整列していた兵士たちが一斉に走り出す。もちろん、いきなり全力疾走するような大馬鹿野郎はいない。いつまで走らされるか分からない以上、体力を可能な限り温存するのが鉄則である。
仲間たちと共に走り出した兵士たちを見守りながら、右手で頭を掻いた。
勇者に斬られた右腕の代わりに移植された義手では、当たり前だが普通の人間の手のように、触れた物体の感触や温度が分からない。だから、この義手で大切な人の手を握ったり、優しく抱きしめても、相手の温もりを感じることはできないのだ。
もちろん、義足を移植した両足も同じである。
残ってるのは左腕だけだ。
普通の人間と同じように、相手の温もりを感じる事ができるのは。
手のひらを見下ろしている内に、走り出した兵士たちは艦首から艦橋の脇へと達していた。高角砲の砲身や機関砲を磨いていた乗組員たちが、見覚えのないライフルとバラクラバ帽を身に着けた奇妙な兵士たちの集団を興味深そうに見下ろしている。
艦尾の方から、艦尾で待機している赤き雷雨の隊員の怒鳴り声が聞こえてくる。やがて、左舷から艦尾へと走っていった兵士たちが、今度は右舷で高角砲の整備をしていた砲手たちに見下ろされながら艦首の方へと走ってきた。
体力の温存が鉄則とはいえ、遅く走り過ぎるのは意味がない。
「この間抜け共、もっと早く走れ! 敵兵に不味いミンチにされるぞ!!」
『『『『『りょ、了解!!』』』』』
次の日の朝まで続く、304mのランニング。
身に着けている装備はそれほど重くはない。だが、この入隊試験に合格してスペツナズに入隊することが許されたら、さらに厳しい訓練を受けることになる。入隊する事ができたとしても、それ以上に過酷な訓練で脱落してしまう兵士も多いのだ。
特殊部隊に入隊して戦いたいというのなら、耐えてみせろ。
監視役の兵士たちに怒鳴りつけられながら走る兵士たちを睨みつけながら、義手を思い切り握りしめた。
海原の向こうから、太陽が顔を出した。太陽が大空へと向かって進んでいくにつれて、漆黒に染まっていた海面が徐々に紺色へと変色していき、美しい蒼へと変貌する。
腕を組んだまま海面をちらりと見てから、ホルスターへ手を突っ込む。
監視役の兵士たちも、試験を受けている兵士たちと同じく次の日の朝になるまでずっと甲板で彼らを見張っていた。もちろん、食事は摂っていないし、トイレも我慢している。彼らのように延々とランニングをする羽目になっていない事以外は、彼らと同じ条件だった。
そろそろ走るのを止めさせてもいいだろうと思いつつ、近くにいる兵士に目配せする。ナガンM1895を素早く取り出し、シリンダーの中に空砲を1発だけ装填してから、兵士たちがまた看守の方へと走って戻ってくるのを待つ。
「あ、アレックス………が、が、頑張れ、朝だぞ………」
「も、もうっ………むぅ、む、無理ぃ…………」
「諦めないで………きっともう少しよ…………!」
戻ってきた兵士たちを見渡した監視役の兵士たちが目を見開いた。
今までの試験では、俺がランニング終了の合図をするためにリボルバーを引き抜く頃には6割の兵士たちが脱落しているのが当たり前だったんだが、今回は信じられないことに1人も脱落していない。
当たり前だが、種族によって体力や身体能力に大きな差がある。
肉体が頑丈で戦闘に向いていると言われるのは、ハーフエルフ、オーク、吸血鬼、サキュバス、キメラである。逆に肉体が華奢で戦闘に向いていない代わりに、鍛冶や魔術などの技術力が高いと言われているのが、エルフ、ドワーフ、ダークエルフ、ハイエルフたちだ。
案の定、入隊試験を受けたホムンクルス兵――――――タクヤの遺伝子がベースなのでキメラに分類される――――――たちは、他の種族の兵士たちと比べるとそれほど体力を消耗している様子はなかった。とはいっても、さすがに次の日の朝まで休憩や食事なしで延々と走らされたのだから、走る速度はかなり遅くなっているし、ふらついているホムンクルス兵もいる。
ぶっ倒れそうになっている兵士もいるが、まだ体力に余裕のある兵士が肩を貸してやりながら一緒に走っている。
よくやった。
今まで試験を受けた兵士の中で、お前らが一番立派だ。
そう思いながら、リボルバーを天空へと向けた。
撃鉄がシリンダーの後端部へと潜り込んだ途端、装填されていた空砲が銃声を生み出す。ぶっ倒れそうになっている仲間に肩を貸したり、ふらつきながら走っていた兵士がぎょっとしながらこっちを向いた。
「そこまで。ランニングはこれで終了だ」
走っていた兵士たちが立ち止まり、呼吸を整え始める。もちろん、次の日の朝までひたすらランニングしていたのだから、歓声を上げたりはしゃぐ事ができるほどの体力が残っているわけがない。
甲板の上にぶっ倒れる兵士たちを見下ろしながらリボルバーをホルスターの中へと戻す。
「そのまま聞け、間抜け共。ランニングは合格だ。次の体力試験は明日の朝7時から訓練区画の第9訓練場で行う。とっとと部屋に戻って食事と睡眠を摂り、準備を整えろ。分かったか、この豚共!」
『『『『『りょ、了解であります…………』』』』』
次は延々と腕立て伏せやスクワットでもやらせるとしよう。
兵士たちに解散するように命じようとしたその時だった。
「速河少尉、ここにいたか」
艦橋の近くにあるハッチから顔を出したエルフの兵士がこっちへとやってきた。身に纏っているのはテンプル騎士団の一般的な黒い制服だが、左腕に紅い腕章を取り付けており、腰にはホルスターに収まったコルトM1911とロングソードを下げている。
肩に描かれているエンブレムは憲兵隊のエンブレムだ。彼の階級章を見て大尉だという事を理解した俺は、その憲兵を見つめながら敬礼する。
「はっ、入隊試験の最中でありました」
「申し訳ないが、同志団長がお呼びだ。10分以内に会議室に」
会議室?
用事があるのであれば執務室に呼ぶ筈である。いきなり会議室に呼ぶという事は、俺やスペツナズの隊員たちを投入せざるを得ない任務があるという事だろう。
執務室ではなく会議室に呼ばれたのを聞いていた他の隊員たちも、試験の監視を他の分隊の兵士に任せる羽目になることを悟ったらしく、大尉に敬礼しながら苦笑いしていた。
「了解しました、同志大尉」
敬礼してから、憲兵隊の大尉は踵を返して艦内へと戻っていく。
「同志諸君、部屋に戻って休みたまえ。なお、明日の試験の監視は十中八九別の分隊の隊員が担当することになるが、そいつらもかなり厳しいから舐めないように。では、解散!」
まだぶっ倒れたまま呼吸を整えている兵士たちにそう命じてから、俺も艦内へと向かって走り始める。
くそったれ、あの兵士たちは恵まれてるな。これからしっかりと食事を摂って、ベッドでぐっすりと眠れるのだから。




