慈悲と弾丸
タンプル搭の地下にある居住区は、テンプル騎士団に所属するドワーフたちが急速に拡張していった区画だ。通路の左右に高級ホテルを思わせる部屋がいくつも連なっており、兵士たちの家族や保護された奴隷たちが生活している。
大昔は奴隷が売られているのは当たり前の事であり、奴隷の売買を違法にしていたのはオルトバルカ王国南方のドルレアン領くらいだった。現在では奴隷の売買は禁止されているものの、大昔は人間以外の種族を奴隷にして売るのは当たり前の事だったのである。
それゆえに、テンプル騎士団が保護することになった奴隷の人数は非常に多かった。作り過ぎとしか言いようがないほど拡張した居住区が、陸軍の連中が保護してきた奴隷たちを受け入れた後に満室になっているのは当たり前の事だったのだ。
最優先で拡張されたのは居住区だが、ドワーフの職人たちは他にも訓練区画や戦術区画の拡張も行っていたし、他の設備の改良や拡張も行っていたため、タンプル搭の地下は非常に広い。全ての曲がり角に案内板を用意しておかなければ、配属されたばかりの新兵や他の要塞から異動してきた兵士が迷子になるほどである。
既に区画の80%はヴァルツ軍に占拠されていたものの、なけなしの戦力が守っている20%の区画の制圧に手を焼いているのは、タンプル搭の地下が広い事と、構造が複雑であることが功を奏していたためだった。
既に居住区の通路には、破損した配管や鉄板で構築したバリケードが居座っていた。バリケードの周囲にはモスグリーンの制服に身を包んだヴァルツ兵の死体が倒れていて、バリケードを血飛沫で禍々しい黒と紅の迷彩模様に染め上げている。
連れてきた兵士たちと共にバリケードの後ろへと回り込むと、生き残っていた兵士が「同志、ご無事だったんですね!?」と言いながら駆け寄ってきた。
「タンプル搭を放棄するという話は聞いたな?」
「ええ、残念ですが…………我々はここで時間を稼ぎます」
「俺たちも支援する。ミハイル、重機関銃はそこに設置しろ」
「了解!」
重機関銃を肩に担いでいたオークのミハイルにそう言ってから、連れてきた兵士たちと共に配置につく。バリケードの後ろで姿勢を低くしつつ、モシンナガンのハンドガードをバリケードの上に乗せてアイアンサイトを覗き込んだ。
呼吸を整えながら、死体に埋め尽くされている通路の向こうを睨みつける。傍らでは弾薬の入った木箱の中から7.62mm弾のクリップを取り出した兵士が、ここで時間を稼いでいた兵士たちに弾薬を手渡していた。
よく見ると、ここで応戦していた兵士たちの肩に描かれているエンブレムはバラバラだった。陸軍や空軍のエンブレムの制服を着ている兵士もいるし、今日は休日だったのか、私服姿でライフルを構えている兵士も見受けられる。バリケードの奥で、負傷した兵士にエリクサーを配ったり包帯を巻いているのは、よく見ると衛生兵ではなく憲兵隊の腕章を付けた女性の兵士である。
次の瞬間、前方の通路の曲がり角からモスグリーンの軍服に身を包んだヴァルツ兵が顔を出した。俺たちがいないか確認するために顔を出したのだろう。
顔を引っ込めるよりも先に、その若い兵士の眉間に風穴が開く。奥にある壁や配管に血飛沫が付着し、灰色と紅色の迷彩模様と化した。
カラン、と手榴弾らしきものが投擲される。どうやらそれは手榴弾ではなくスモークグレネードだったらしく、真っ白な煙を放出し始めた。こっちはバリケードで身を守りつつ重機関銃で弾幕を張る事ができるちょっとした塹壕であるのに対し、向こうの武装はボルトアクションライフルのみであり、遮蔽物はあの曲がり角のみ。スモークグレネードで身を隠しつつ、強行突破を図るつもりか。
「弾幕を張れ!」
仲間たちに命じると、バリケードに隠れていた兵士たちが弾幕を張り始めた。重機関銃に凄まじい勢いで弾薬の連なったベルトが飲み込まれていき、排出された薬莢がバリケードの一部と化した鉄板に当たって金属音を奏でる。
白煙の壁の向こうから、男性の呻き声や悲鳴が聞こえてきた。どさり、と人間の肉体が崩れ落ちる音や、持っていたライフルが床に落下する音も聞こえてくる。
案の定、敵は白煙で身を隠しながら強行突破を試みるつもりだったらしい。白煙の向こうにうっすらと見える人影に向かって引き金を引くと、ヴァルツ語で叫んでいたその人影が胸を押さえながら崩れ落ちた。そいつを助けようとした他の兵士の側頭部にも、お構いなしに弾丸を叩き込んでいく。
住民の避難はいつになったら終わるのだろうかと思ったその時、弾幕を張っていたミハイルの重機関銃がぴたりと止まった。
「く、くそっ!」
まだ、彼の機関銃にはベルトが残っている。
くそったれ、動作不良か!
彼が使っている重機関銃はテンプル騎士団で正式採用されている機関銃ではなく、水冷式のかなり旧式の代物だ。もし採用している機関銃が足りなくなってしまった場合のために保管していた予備の機関銃である。
2つの重機関銃のうち、片方が動作不良で沈黙したことに気付いたのか、ヴァルツ兵は銃剣付きのライフルを構えて距離を詰めてきた。ミハイルは重機関銃での射撃を諦めて腰のホルスターからトカレフTT-33を引き抜き、肉薄してくる兵士に向かってぶっ放し始める。
敵兵の眉間に7.62mm弾を叩き込む。がくん、と大きく頭を後ろに揺らした兵士が崩れ落ち、脳味噌の一部や頭蓋骨の欠片を後ろの床へとばら撒いた。
白煙が薄れ始める。このまま突撃するべきか、一旦曲がり角まで戻って体勢を立て直すべきか戸惑っている敵兵たちに向かって、生き残ったライフルマンたちが容赦なく弾丸を叩き込んでいく。AK-47のフルオート射撃でズタズタにされた兵士たちが崩れ落ち、モシンナガンに狙撃された若いヴァルツ兵が風穴から血まみれの頭蓋骨を覗かせながら倒れる。
ボルトハンドルを引き、弾薬を装填しようと思ったその時だった。
曲がり角から、奇妙な装備を手にした1人のヴァルツ兵が躍り出たのである。身に纏っているヘルメットと軍服は他の兵士たちと同じだが、手に持っているのは銃剣付きのボルトアクションライフルではなく、銃の部品を流用したと思われる金属製の杖だったのだ。
魔術師かと思ったが、その杖を持った兵士が懐から取り出した端末を操作してライフルを装備し、背中に背負ったのを見た俺たちはぞっとする羽目になった。
そう、転生者だ。
「あいつを狙え!!」
既に強行突破に失敗した兵士たちは曲がり角へと全力疾走している。中にはライフルを投げ捨てて丸腰で逃げている兵士もいた。少なくとも、あの兵士たちに反撃されることはないだろう。
数名のライフルマンが転生者へと攻撃を開始する。俺も5発の弾丸をクリップで装填してから、7.62mm弾でその転生者を狙撃した。
しかし、彼に向かって放たれたライフル弾の群れは、その転生者を直撃して風穴を開けるよりも先に蒼い光を放ったかと思うと、甲高い音を奏でながら跳弾し、ひしゃげた状態で壁や天井の配管を直撃してしまう。
魔力を展開して防壁代わりにしているらしい。
その時、杖を持っていた転生者がこっちに杖の先端部を向けた。杖の先端部に真紅の光が集まり始めたかと思うと、真紅の光が炎の球体と化し、周囲に陽炎と無数の火の粉を放出し始める。ファイアーボールかと思ったが、大半の魔術師が一番最初に習得する初歩的な魔術にしては魔力の圧力があまりにも高すぎる。別の魔術だろうか。
仲間たちに「伏せろ!」と叫んだ次の瞬間だった。
ファイアーボールらしき炎の球体が唐突に弾け飛んだかと思うと、銃弾よりも小さな無数の炎の弾丸が、まるで戦車砲のキャニスター弾のようにこっちに飛来した。ライフルから手を離してバリケードの影に隠れた直後、金属の溶ける臭いや肉の焼ける臭いが鼻孔の中へと流れ込んでくる。
味方が餌食になっていませんようにと祈りながら顔を上げた俺は、目を見開いた。
数名の兵士が、バリケードの後ろに倒れていた。中には肩を押さえながら呻き声をあげている兵士もいるが、頭をあの炎の弾丸で撃ち抜かれ、即死している兵士もいる。後方で負傷した兵士に包帯を巻いていた憲兵もエリクサーの入った瓶と包帯を持ったままうつ伏せに倒れていて、抉り取られた後頭部から黒焦げになった脳味噌の残骸を撒き散らしていた。
「くそ…………っ!」
『テンプル騎士団の残存兵力に告ぐ、直ちに降伏せよ』
今しがた魔術をぶっ放した転生者が、音響魔術を使って降伏勧告を始めたのが聞こえた。
降伏するわけにはいかない。まだ住民の避難が終わっていない以上、是が非でもここを突破させるわけにはいかないのだ。先ほど中央指令室で兵士たちに「是が非でも生きろ」と命じたが、ここで降伏することは民間人を生贄にする事に等しい。
玉砕してでも、ここを守らなければ。
だが、俺たちが持っている武器ではあの魔術師の防壁を貫通することはできない。ポーチの中には7.62mm弾の徹甲弾もあるが、これで貫通できる可能性は低いだろう。他の区画の連中に増援を要請することも不可能である。
チェックメイトだというのか。
「団長…………あれを…………」
憲兵が手当てしていた負傷兵の1人が、口から血を吐きながらバリケードの後ろにある代物を指差す。
他の武器庫から持ってきたのか、バリケードの後方には銃や弾薬が入ったでっかい木箱が置かれていた。その傍らには、その木箱に入っているライフルよりも更に巨大なライフルが立てかけられているのが分かる。
姿勢を低くしながら、そのでっかいライフルを掴んだ。
そこに置かれていたのは、『デグチャレフPTRD1941』と呼ばれるボルトアクション式の対戦車ライフルだった。モシンナガンと違って1発しか弾薬を装填できないものの、7.62mm弾よりもはるかに貫通力が高い14.5mm弾を使用する代物である。最新の戦車の装甲を貫通することは不可能だが、大型の魔物の外殻をこれで貫通することはできるため、テンプル騎士団創設時から対魔物用の兵器として正式採用され続けていたのだ。
木箱の中から14.5mm弾を取り出す。残っていたのはたった3発だけだったが、おそらくこいつならば一撃であの防壁を貫通する事ができる筈である。
教えてくれた負傷兵に礼を言ってから、バリケードの縁まで戻った。転生者の少年の忌々しい降伏勧告を聞きながらバイポッドを展開し、ボルトハンドルを引いてからでっかい14.5mm弾を装填する。銃床を肩に当てながら呼吸を整え、照準器を覗き込む。
すると、生き残っていた兵士たちが一斉射撃を始めた。AK-47やモシンナガンを手にした兵士が、その魔術師へと7.62mm弾を立て続けに叩き込む。先ほどと同じように弾丸は甲高い音を奏でながら跳弾し、天井や壁に風穴を穿つ。
無意味な攻撃だったが、彼らのおかげで転生者の少年は俺が対戦車ライフルを持っているという事に気付いていない。
「蛮族が…………俺たちの慈悲を無視するとはな」
慈悲だと?
照準器を覗き込みながら嘲笑する。
悪いな、慈悲を無視しちまって。
お詫びに―――――――俺たちの”慈悲”をくれてやる。
転生者が再び杖を構える。ボルトアクションライフルのレシーバーを流用した杖の先端部にまたしても真紅の光が集まり、炎の球体を形成する。
それが弾け飛ぶよりも先に、デグチャレフPTRD1941が火を噴いた。
モシンナガンとは比べ物にならないほど巨大な銃声が轟き、猛烈な反動が右肩に牙を剥く。マズルブレーキから金色のマズルフラッシュが溢れ出し、その光を置き去りにした一発の巨大な弾丸が、魔物の外殻すら容易く貫通してしまうほどの運動エネルギーを引き連れて飛翔する。
転生者の少年はその巨大なマズルフラッシュに気付いてこっちを振り向いていたが、彼が目を見開いた頃には弾丸を弾いていた魔力の防壁が砕け散っており、少しばかり先端部が歪んだ14.5mm弾が少年の胸板にめり込んでいるところだった。
大量の鮮血と肉片が荒れ狂った。血まみれの骨の破片や内臓の一部が床の上に飛び散り、杖をぎゅっと握った転生者の手が血まみれの床の上に落下する。
「残った2発はお釣りだな」
木っ端微塵になった転生者の少年の残骸を見つめながら、対戦車ライフルのグリップから手を離す。切り札の転生者が木っ端微塵にされたのを目の当たりにした敵兵たちが、慌てふためきながら撤退していったのを確認した俺は、バリケードの縁に寄り掛かりながら呼吸を整えた。
『δε agusten ё 77gols. Жёр oguapxln bel mogaruz.(第77居住区の住民の避難完了。守備隊は撤退を開始せよ)』
住民の避難は完了したらしい。
高地ヴリシア語で住民の避難が完了したことを通達する音声を聞いた俺は、木箱の中から別のモシンナガンを取り出した。予備の弾薬をポーチの中へとぶち込み、木箱の中に一緒に入っていたスパイク型の銃剣を装着してから踵を返す。
負傷兵に肩を貸しながら立ち上がり、兵士たちに言った。
「よし、撤退する。軍港に行くぞ」
他の兵士たちも、負傷兵に肩を貸しながら立ち上がった。手の空いている兵士は戦死した兵士の遺体を背負いながら立ち上がり、俺たちと共に軍港へと繋がっている通路へと向かって歩き始める。
タンプル搭には魔力と蒸気で動くエレベーターが設置されているんだが、動力区画が陥落してしまった以上、動いている可能性は極めて低い。非常用の動力を使っているのだから、最低限必要な設備にだけ動力が回されている筈である。
エレベーターが使えれば楽なんだがなと思いつつ、負傷兵たちと共に階段を下りた。
階段の先には、軍港へと繋がっているかなり巨大な通路があった。軍港へと到着した輸送船から物資を積みかえたトラックや、海兵隊を乗せた輸送車や戦車を強襲揚陸艦に積み込むための通路であるため、超重戦車が何両も並走できるほどの広さと高さがある。かなり無茶だが、その気になれば飛行機でここを通過することもできそうだ。
その通路で、数名の憲兵とトラックが待っていた。
「同志団長代理、ご無事でしたか!」
「ああ。すまんが、負傷兵たちを先に乗せてくれ」
「お任せを。さあ、こっちだ。よく頑張ってくれた」
「うぅ………す、すまん…………」
中央指令室に残っている連中はまだ脱出していないのだろうか。
負傷した兵士をトラックに乗せると、トラックに運転手が乗り込み、軍港へとトラックを走らせ始めた。
「同志、俺の妻とイリナは脱出したのか?」
「いえ、まだ見ていませんが…………」
何だと…………!?
ぞっとしながら拳を握り締めた。確か、イリナは襲撃が始まる前に居住区の孤児院にいた筈だ。住民を避難させる際には女性、子供、老人を優先させるように命じたから孤児院の子供たちは真っ先に避難できる筈だが、逃げ遅れたというのか?
妻も孤児院にいるイリナを手伝いに行くと言っていたから、多分イリナと一緒にいる筈である。
「ど、同志?」
「お前ら、ここでトラックを守れ。負傷兵を先に乗せろ」
「ちょ、ちょっと待ってください。どこに行くつもりですか!?」
「逃げ遅れた住民がいるかどうか確認してくる。もし30分経っても俺が戻って来なかったら、トラックで脱出して隔壁を閉鎖するんだ。分かったな?」
部下にそう言ってから、その部下が背負っていたAK-47を借り、俺は再び居住区へと繋がる通路へと向かって走り出した。




