血濡れた左手、母の右手
『ヒトが始めたすべての戦争は、ヒトの手によって終わらせなければならない』
タクヤ・ハヤカワ、テンプル騎士団創立10周年の演説にて
12.7mm弾が、蒼い光波に呑まれて消失する。
それは勢いを衰えさせることなく、後方でOSV-96を腰だめに構えるリキヤにまで迫った。三日月型の蒼い斬撃。触れれば全てを融解させ、溶断する、防ぐことのできぬ最強の矛。それをリキヤは空中へと跳躍して回避し、星の落ちつつある暗黒の空を背景に、空中でRPGを放つ。
星剣スターライトを突き出し、光波の第二波を解き放った。溢れ出んばかりの魔力の塊が刀身から剥離して、対戦車弾頭を真正面から消し飛ばす。
こうして光波を放つだけでも―――いや、星剣スターライトの柄を握り、振るうだけでも精一杯だ。加減を間違えれば、少しでも気を緩めれば自分の命まで吸われてしまいそうだ。剣を振るい、光波を放つ度に”自分”が死んでいく。細胞の一つ一つが枯れ果て、筋肉が断裂し、記憶がどんどん消えていく。
自分自身という存在を削りながら、私は戦っていた。
人生の最期を、最高の戦いで締めくくるために。
そして仲間たちと、子供たちが生きていく次の時代のために。
OSV-96のアンダーバレルに、追加された特注のハンドガードを介してマウントされたRPG-7。強引に小型化し、バックブラストまで廃したそれは最早原形となった兵器よりも性能が大きく劣るものとなっている筈だが、威力は健在だ。戦車の撃破は期待できなくとも、人間一人を消し飛ばすには過ぎたる代物である。
どこから取り出したのか、予備の弾頭を装着するリキヤ。巨体が着地すると同時に世界核の地面が抉れ、大きな土煙が噴き上がった。
火砕流にも、火山の噴煙にも思える土煙。それを穿って飛翔するのは、先ほど再装填を終えたばかりのRPGの弾頭だった。
避けようと足に力を込めたが、両足の筋肉は、運動神経は、もう私の要求そのままに答えてくれることは無かった。最初に込めた力が抜けていく感覚がして、反応が一瞬遅れる。
ここまでか、とは思わない。
ハーキュリーズ13の落下まであと6分、6分もある。対消滅弾頭が全てを消し飛ばすその瞬間まで、戦いをやめてなるものか。
腹を括り、限界だと訴える両足に鞭を打って駆け出した。大地を踏み締める足の中で毛細血管や筋肉繊維が千切れていく感覚がしたが、動ければよい。今はとにかく、前に出る必要があった。
弾頭が放たれた距離は比較的至近距離。これくらいならばもしかしたら、と期待を抱きつつ、腹と胸、そして両腕をキメラの外殻で覆う。
星剣スターライトの刀身を横倒しにし―――迫り来る弾頭を、横から殴りつけた。
ゴギィンッ、と装甲板を打ち据える砲弾のような、重々しく無機質な金属音が響き渡る。微細な金属片を撒き散らしながら、ロケットモーターに点火したRPGの弾頭が顔のすぐ脇を掠めていった。白煙をこれ見よがしに刻みながら飛翔したそれは、やがて世界核の壁に激突し、無意味な火球と化して消えていく。
ただ、それだけの動作―――以前ならば他愛もなくやってのけた事ですら、今の肉体にとってはこれ以上ないほどの負担となった。身体中の骨が軋み、今にも砕け散りそうになる。喉の奥で鉄臭く熱い液体が迸り、喰いしばった歯の隙間から血が滲んだ。
ドンッ、と両足で地面を踏み締める。今にも折れてしまいそうな足に鞭を打ち、そのまま小さく跳躍。ブツンッ、と血管が千切れる感触と激痛に目を見開くが、血の溢れる喉の奥から咆哮を発し、身体中から上がってくるサイン―――ありとあらゆる痛みを掻き消した。
小さく跳躍したまま、ぐるりと縦に一回転。その勢いを乗せ、縦回転斬りをリキヤの脳天へと振り下ろす。
防ぐか、躱すか―――どっちだリキヤ。
『―――』
ぐんっ、とリキヤの上半身が傾く。躱すつもりか―――ならば、と剣の軌道を変えようとした直後、目の前に立っているヒグマのような巨漢が左足を振り上げる。
蹴りで迎え撃つ―――わけではない。
がっちりとした、ヒトの足にできる限りの筋肉を詰め込んだような”戦うための足”。常にキメラの外殻に覆われているそれから、赤黒いブレードが展開していた。
思い出した。
初代当主―――リキヤ・ハヤカワは、戦闘で左足を失っている。
失った足の代わりにサラマンダーの素材で作った義足を移植して戦線に復帰。そして彼はそのまま、ヒトの遺伝子とドラゴンの遺伝子を併せ持つキメラの始祖となったのだ。
振り下ろした剣を、そのままブレードに向かって叩きつけた。ガギュ、と鋭利な金属音が響き、蒼い火花と紅い火花が世界核の中で乱舞する。
脚力と腕力では勝負にならないが、こちらは回転の勢いを乗せている上に両腕で剣を保持している。瞬間的であれば、力比べで軍配が上がるのはこちらの方だ。
「まだまだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
血を吐きながら叫び、両腕にできる限りの力を込めた。バキバキ、と両腕を覆うキメラの外殻が砕け、そこから捻れた、まるで悪魔のような角が伸び始める。
迎え撃つリキヤの瞳。燃える炎のようでありながらも虚ろで、無機質で、無関心にも見える機械の眼。そこに映る私の姿は、もう怪物だった。頭だけではない。肩や首筋、両腕から、悪魔のように捻れた大小さまざまな角が伸びている。
ヒトの姿をし、ヒトの言葉を喋りながらも、怪物のような姿をした女。それが今の私。
まるで身の内に宿していた狂気が、行き場を失った復讐心が、そして戦いへの渇望が、肉体が限界を迎えつつあることを良い事に具現化しようとしているようにも思えた。
―――失せろ。
これは私の戦いだ。私の戦いなのだ。
滅びの使徒の血統など、どうでもいい。私は私だ、私は私なのだ。
私は―――。
そこまで考えが至り、私は自分の名前を忘れている事に気付いた。
「―――」
ああ、私は誰だ。
誰なのだ、私は。
戦おうという意志にだけ突き動かされ、こうして剣を振るっている私は何者だ。
私は、私は。
歯を食い縛った。
ハーキュリーズ13の落下まで、あと5分。
腕を思い切り振り下ろし、義足のブレードを両断。それと同時に、今までにないほど重々しく、本能的に危機感を感じてしまう振動が左腕に走った。
「―――!」
左腕の肘から先が、有り得ない方向へ―――外側へと、曲がっている。
ああ、折れたか。
なんと、ヒトの身は脆いものか。
身体も、魂も、何もかもが脆い。
―――ああ、だからこそ。
脆いからこそ、簡単に潰えてしまうからこそ、立ち上がろうとするのかもしれない。
牙を剥く理不尽に、残酷な現実に。
本来はきっと、それが戦おうという意志の根源であった筈だ。それが今、どうしてこんなにも歪んでしまった?
そうだ、私も―――立ち向かおうとした。
家族を、仲間を容赦なく奪っていく勇者に―――いや、違う。あんなちっぽけな存在など眼中に無い。
立ち向かうべきは、この現実だ。
当たり前のように、悪辣に全てを奪っていく理不尽な現実に、一矢報いようとした―――それが私の戦う理由。血濡れた復讐心の中心にあった、本当の理由。
そうだ、私は―――。
「私は―――ッ」
残った右手に力を込める。
折れてしまっても良い。千切れてしまっても良い。
限界まで、戦って戦って、戦い抜く。
殺す事で、滅ぼす事で救われる命があるというのなら。
私はそれを、全うするだけだ―――!
「―――私はセシリア・ハヤカワだッ!!」
これが私の名前。
滅びの使徒としての名ではない。何者かの意志に操られる傀儡でもない。
私は私だ。私はどうあっても、私なのだ。
だから、この戦いは私のものだ。
吠えながら、一歩前に出る。
ここまで懐に飛び込まれれば、あの対物ライフルは役に立つまい。銃身を延長したが故に槍のようなサイズとなった対物ライフルも、伸ばせば剣が届くような間合いにまで踏み込んでしまえばもはや鉄の棒切れ。12.7mmの礫で人体を裂く機械の槍と言えど、その穂先から逃れてしまえば意味などあるまい。
それを向こうも理解しているようで、リキヤはOSV-96から手を離す。
代わりに空いた両手に、赤い火球を生み出した。
ファイアーボール―――いや、違う。それよりも更に上位のものだ。溢れ出る魔力反応からその規模を予測するが、それは途中でやめた。
もう、関係ない。
先に致命的な一撃を与えた方が勝利するのだ。
ゴウッ、と燃え盛る業火が迸る。
―――対艦魔術『煉獄砲』。
攻撃的な術の多い炎属性の魔術の中でも、最上位に位置する大奥義。そんなものを至近距離で喰らったらたまったものではない。骨どころか、分子すらも残るまい。
だが、それでも。
一歩、更に一歩。
力也、見ているか。
お前が選んだ女、これが私だ。
一歩、更に深く踏み込んだタイミングで、リキヤが煉獄砲を解き放った。
それはまるで地獄の炎そのものを具現化させたかの如くだった。ナパーム弾や焼夷弾が、ただの小火にしか思えぬほどの業火。触れるまでもなくあらゆる物質が発火し、大気すらもプラズマ化してしまう。
高熱のあまり、赤どころか白く見えてしまうほどの光が私のすぐ右を掠めた。星剣スターライトを握る腕が炎に包まれ、キメラの外殻も、そして傷口から顔を出す捻れた角までもを焼き尽くしていく。
ぼろり、と肩から先が完全に炭化して崩れていった。腕が炎の熱に焼かれて消えていく中、原形を保ったまま宙を舞う星剣。地獄の炎にも屈せずに蒼く輝くその柄を口で咥え、なおも前へ。
赤く輝く炎と、それに抗う蒼い星明り。両者が徐々に迫っていく中で、私は確かに見た。
目の前に居るリキヤが―――機械で造られた複製でしかない傀儡が、笑っていた。
相手を蔑むような笑いではない。まるで我が子が立派に育ったのを見届けた親のような、どこか達成感と充実感、そして安堵に溢れた優しい笑み。
与えられた命令と、組み込まれたプログラムに基づいて行動する事しか知らぬ機械の人形が、なぜ笑みなどを。
あれではまるで、まるで―――。
歯を食い縛り、口に咥えた剣を思い切り振り下ろした。
蒼い斬撃が煉獄の奔流すらも切り裂いて―――蘇った煉獄の戦士を、切り裂いた。
筋骨隆々の巨躯、その胸板に大きな傷が刻み込まれる。人工皮膚の切れ目から溢れ出たのは人工血液でもオイルでもなく、血のように真っ赤な炎だった。本当の血のように、あるいは機械の身体を依り代に戦っていた”誰か”の魂が成仏するかのように、その炎は噴き上がっていく。
ガクン、とリキヤが崩れ落ちた。
焼け爛れた大地に膝をつき、身体中を燻らせながら―――完全体に至った最強の戦闘人形が、ついに動かなくなる。
【ありがとう―――】
幻聴だろうか。
誰の声かは分からないが―――礼を言う声が、聴こえたような気がした。
一気に激痛と疲労感が身体を苛む。戦闘中に溢れ出ていたアドレナリンが切れ、激痛や疲労との関係が遠ざかっていた魔法のような時間が終わりを告げる。
咥えていた星剣スターライトの刀身に亀裂が生じ、それが大剣の全体へと繋がっていく。酷使し過ぎたか―――神々が鍛えたとされる伝説の武器、完全なる存在が生み出した代物でも、とうやら壊れる事はあるらしい。
今までありがとう―――強敵を打ち倒す奥の手として活躍してくれた剣に礼を告げると、蒼く美しい星の剣は完全に砕け、蒼い光の粒子となって大気中へ消えていった。
尻尾を伸ばし、腰の後ろの鞘からカランビットナイフを引き抜く。
今は亡き夫から受け継いだナイフが、私の最後の武器だった。
まだ、戦いは終わっていない。
後はL.A.U.R.A.を―――フィオナを。
ドッ、と嫌な衝撃が、腹を撃ち抜いた。
実際に戦場で血を見てきたから分かるが、本物の血というのはどこまでも赤い。ドラマとか映画で見るような、赤黒いものではないのだ。もっと鮮やかで、禍々しく、本能的に危険だと思ってしまう色合い。
それが、鉄の臭いがする熱いそれが、私の口から溢れていた。
「―――」
腹を射抜く、黒い触手。
違う、ケーブルだ。大型のコンピューターに繋がれている、あのケーブルだ。
それがまるで意志を持っているかのように、私の腹を貫いているのだ。
『―――やはり、貴女はイレギュラーだ』
あの完全体を”出産”し、力尽きていたかに見えたL.A.U.R.A.。赤子の代わりに機械の兵士を抱いていた腹に大穴を穿たれ、機械では有り得ぬ生物的な断面―――脈打つ人工筋肉や血管のようなコードを覗かせながら、赤毛の女巨人が再び立ち上がる。
私の腹を貫いているケーブルは、その腹から伸びていた。
「ガフッ……!」
血を吐きながら崩れ落ちる私を尻目に、L.A.U.R.A.の制御を完全に乗っ取ったフィオナはゆっくりと頭上を見上げた。
もう、すぐそこまでハーキュリーズ13が迫っている。世界核の周囲には大気圏突入でもなお燃え尽きる事の無かった無数の破片が流星のように降り注ぎ、さながら巨大隕石の襲来で滅亡の瞬間を迎えたかのよう。
この世の終わり―――少なくとも私とこの女に訪れる結末としては、間違ってはいない。
『ここまで追い詰められるとは予想外でした。でも、勝つのはこの私』
立ち上がったL.A.U.R.A.が、両手を頭上に掲げた。真っ白な手のひらに紅い氷の槍が形成され、その穂先が落下してくるハーキュリーズ13を睨む。
迎撃するつもりか。
そんな事はさせない!
腹に力を込め、口に咥えたカランビットナイフの一閃で腹を射抜くケーブルを切り落とす。L.A.U.R.A.にとっては何ともない程度のダメージなのだろうが、少し気に障ったようで、頭上の星だけを見上げていたL.A.U.R.A.がこっちを振り向いた。
『そんな身体で、今更何ができるというのです』
「―――足掻く事はできるさ」
『魔力は尽き、武器を握る腕も失い、魂も大きく削がれた貴女に、足掻く事など……』
L.A.U.R.A.の腹から伸びたケーブルが、私の足に巻き付いた。振り払おうとするが、もうそれを引き剥がせるだけの力も私には残っていなかった。ああやって強がって、立っているだけがもう精一杯。起き上がれるだけの体力も、既に残されていなかった。
どれだけ身体を動かして暴れようとしても、自分の肉体はそれに応えてくれなかった。黙って敗北を受け入れろと言わんばかりに、あらゆる命令を拒否する肉体に憤っている間にも、L.A.U.R.A.の生み出した氷の槍はどんどん巨大化していく。
ああ、ここまでなのか。
多くの同志たちを犠牲にして、ここまで辿り着いて。
自分の命まで引き換えにしたというのに、結局は負けるのか。
世界のため、子供たちの時代のために死んでくれ―――そう命じて死なせてしまった同志たちを、彼らが命を賭けた意味を失わせる羽目になるというのか。
そんな事、認められるか。
枯れ果てた身体でも何かできる筈だ。せめて、せめて一矢報いるくらいは―――フィオナの迎撃を、妨害する事でもできれば。
結局私は、何もできなかった。
どれだけ念じても、抗おうとしても動かぬ身体。足に巻き付いたケーブルに力が入り、両足の骨が砕けていく痛みと無力感だけが、ただただ脳裏を満たしていく。
すまない、力也。
すまない、皆。
これが、私の限界だ。
私の、敗北だ。
いつの間にか、地面が真っ黒に染まっていた。
影―――ハーキュリーズ13の影かと思ったが、違う。燃えながら堕ちてくるあれの影ならば、こんなに真っ黒にはならない筈だ。まるで黒いペンキを盛大にぶちまけ、地面を真っ黒に塗り潰してしまったかのよう。あるいは奈落へと続く大穴のようだ。
その影の中から―――無数の”手”が伸びた。
『これは……!?』
「……?」
それらは、すべてヒトの手だった。
真っ白な手がある。褐色の手がある。小さな手が、大きな手がある。
傷だらけの手がある。指が何本か欠けた、痛々しい手がある。
そしてその中には、機械の手―――義手もあった。
それら全てが―――まるで怨敵に掴みかかるかのように、仇を見つけたかのように、一斉にL.A.U.R.A.の方へと伸びた。赤毛の女巨人から見れば小さな手でしかないそれらだったが、とにかく数が多い。
まるで、今まで死んでいった戦死者たちの怨念がフィオナに牙を剥いたような……そんな、禍々しい光景だった。
影の中から手を伸ばす死者たち。
彼らには、見覚えがあった。
―――みんな、戦死した兵士たちだった。
フィオナの計画のため、利用されて死んでいったテンプル騎士団の兵士。中には戦時中のヴァルツ兵や、フランセン兵、ヴリシア兵にフランギウス兵、アナリア兵、倭国兵まで混じっているのが分かる。
いや、それだけではない。
もっと古い時代―――産業革命時代の戦死者と思われる、古い軍服姿の兵士もいた。その更に古い時代からやってきたのか、甲冑姿の騎士も居るのが分かる。
みんな、血まみれだった。
血まみれで、恨めしそうな表情を浮かべ、L.A.U.R.A.に取り込まれたフィオナにしがみついている。
『は、放せ……放しなさいっ!!』
どれだけケーブルを薙ぎ払い、振り払おうとしても、死者たちは次から次へとやって来る。
L.A.U.R.A.にしがみつき、地獄へ呑み込もうとしているかのような死者たち。
その中に、ウラル教官が居た。
「あ……」
教官だけではない。
教官の妹のイリナも、死んだ私の父や母も……弟も、そして姉さんもいた。フィオナの計画で利用され、間接的に殺されていった死者たち。その真相を知り、一斉にフィオナに牙を剥いたかのようだった。
キールが、ジェイコブが、そしてクラリッサが、L.A.U.R.A.にしがみついていく。
タクヤが、ラウラが、ナタリアが、カノンが。
モリガンの傭兵たち―――エミリア、エリス、そして私の祖先、リキヤ。
みんなが―――死んでいったみんなが、そこにいた。
安らかな眠りを放棄して、自分たちを死に追いやった忌むべき相手を地獄に叩き落すために、みんなここへやってきた。
ただ―――力也だけが、そこには居なかった。
『放せ、放せぇっ! 死人風情が今更何を……死にぞこないめ! アンデッドの真似事など―――』
ハーキュリーズ13の落下まで、あと30秒。
真っ黒な地面を、私は這った。死者たちに交じって這い回り、口に咥えたナイフをL.A.U.R.A.の人工皮膚に突き立てる。
もちろん、殺せるとは思っていない。
足止めだ。
フィオナ―――いや、女神モリガンよ。お前もここで死ぬのだ。
私たちと一緒に。
『ふざけるな、ふざけるなぁっ! 女神であるこの私が、死者に殺されるなど―――そんな事、あっていい筈がない!!』
ハーキュリーズ13の落下まで、あと20秒。
『放せ、放せぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!』
ああ―――死ぬのだな、私は。
死んで、みんなの所へ逝くのか。
姉さんも、力也も、シズルも……みんな元気にしているだろうか。
ああ、でも。
やっぱり、死ぬのは怖いな。
やり残したことも、たくさんある。
悔いが無い、と言ったら嘘になる。
息子の成長を見守りたかった。
あの子が大人になるのを見届けて、素敵な女性と結ばれて、家庭を持つのを見届けたかった。
孫たちや息子たちに看取られて、この人生を終えてみたかった。
ああ、後悔ばかりだ。
弱いな、私は。
でも、それでも。
この女は、私たちが連れていく。
だから―――。
「ぶっ殺してやるぜジュテエェェェェェェェェェェェェムッ!!!」
フィオナの断末魔すら呑み込んで、白い光が弾けた。
対消滅弾頭の炸裂―――全てを消し去る、無慈悲の光。
それが私たちを、全てを呑み込んだ。
光に呑まれ、消えゆく意識。
その中で最期に思い浮かべたのは―――倭国へ疎開している筈の、最愛の我が子の顔だった。
1935年 12月7日
ハーキュリーズ13、ファルリュー島に落下
多くの命を奪った凄惨な戦いは、テンプル騎士団の83%の戦力とセシリアの命を引き換えに、幕を下ろしたのであった。




