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後ろ盾と濡れ衣


 部屋のテーブルの上に、一枚の白黒写真が飾ってある。


 1年前にアルカディウスの教会の前で撮影された写真だ。写っているのはスーツを身に纏った俺と、純白のウエディングドレスに身を包んだ綺麗な女性である。教会の中にはスーツを着たテンプル騎士団の兵士やスペツナズの隊員たちが並んでいて、中には教会の出口の近くで空に向かって銃をぶっ放している馬鹿野郎もいる。


 おかげで、随分と騒がしい”結婚式”だった。テンプル騎士団の関係者やモリガンの関係者の結婚式では、空砲を装填した機関銃やアサルトライフルを空に向けてぶっ放すのが伝統らしい。


 タクヤやユウヤの結婚式の事を思い出して笑ってから、右手の薬指にある結婚指輪を見下ろす。


「ん………」


 しばらくすると、ベッドで眠っていた金髪の女性がゆっくりと瞼を開けた。ベッドから起き上がってあくびをした彼女は、一足先に起きていた俺を見ると、微笑んでから頬にキスをする。


「おはよう、”エリザベート”」


「おはよう、ダーリン。もうお仕事?」


「ああ、今日は新兵共の訓練がある」


 彼女の名は『エリザベート・ブリスカヴィカ』。俺と同じく吸血鬼の女性だ。3年前の奴隷救出作戦で救出した奴隷の中の1人で、救出された後はタンプル搭で保護されることとなったのである。絶滅寸前のサキュバスや、まだ個体数の少ないキメラほどではないが、吸血鬼も大昔の掃討作戦のせいでかなり個体数の少ない種族となっている。それゆえに、奴隷にされれば非常に高い価値になるらしい。


 弱点で攻撃されなければ再生能力のおかげですぐに手足が切断されても再生するから、人体実験にもってこいだからな。


 タンプル搭で保護された後、エリザベートは自分を救出した部隊を探したらしい。だが、いくらタンプル搭で保護されている民間人でも作戦に参加した部隊の情報を教えてしまうのは大問題だから、なかなか教えてもらえなかったという。


 けれども、エリザベートがタンプル搭に保護されてから1年後に、俺は彼女と出会ってしまった。確かスペツナズに入隊した新入りたちの訓練が終わった後だった。訓練区画から居住区へと繋がる隔壁を警備兵に開けてもらった時、隔壁の向こうにある通路を歩いていたエリザベートと目が合ったのである。


 その1年後に、俺は彼女と結婚することになったのだ。


 テーブルの上に置いてある小さな木箱に手を伸ばし、中に入っている試験管を2本ほど取り出す。試験管の中に収まっているのは真っ赤な鮮血だ。テンプル騎士団に所属している団員たちに協力してもらい、少しばかり抜かせてもらった血である。


 血は吸血鬼の主食だ。それ以外の食べ物や飲み物を口にすることはできるが、基本的に栄養を摂取できるのは血だけなので、血を吸わなければあっという間に死んでしまう。


 口の中に生えている鋭い犬歯を使って相手に噛みつき、そのまま血を吸うこともできるんだが、そういう吸い方は敵から血を全部吸い尽くす場合か、直接噛みついて血を吸うことが許されるくらい親密な関係の相手の場合だけだ。だから、イリナは自分の夫だったタクヤの首筋によく噛みついて血を吸っていたし、そのまま押し倒していた。


 片方の試験官をエリザベートに渡しつつ、蓋を開けて中に入っている血を口へと運ぶ。あっという間に”朝食”を終わらせてから立ち上がり、壁に掛けてある赤いベレー帽をかぶって部屋の出口へと向かう。


「帰りは何時くらいかしら?」


「うーん………何も任務がなければ7時くらいには戻る」


「そう、待ってるわ」


「ああ」


 見送ってくれるエリザベートに向かって微笑みながら、彼女のお腹を見下ろす。


 彼女のお腹は、随分と大きくなっていた。


「もう少しでパパとママになれるな」


「そうね。ふふふっ、どんな子供が生まれてくるのかしら」


「楽しみだ。…………じゃあ、行ってくるよ」


「行ってらっしゃい、ダーリン」


 最愛の妻とキスをしてから、俺は訓練区画へと向かうのだった。















「バカな、カズヤが処刑されただと!?」


「はい………先ほど、ラガヴァンビウスのクレイデリア大使館より連絡がありました。潜入しているエージェントも、同志団長が火炙りにされて処刑されたことを確認しております」


 強烈な絶望が、心の中を抉り取る。


 幼少の頃から鍛え上げてきた教え子が――――――殺された。


 戦争の最中に敵と戦って戦死したというのであれば、彼を殺した敵への復讐を誓いつつ、よく勇敢に戦ってくれたと彼を労う事ができただろう。だが、カズヤは戦闘の最中に戦死したのではなく、王室への反逆と言う脱背衣を着せられた挙句、火炙りで処刑されたのだという。


 歯を食いしばりながら、執務室にある世界地図を睨みつけた。


 ハヤカワ家と王室は親密な関係だった筈だ。ハヤカワ家の初代当主であったリキヤ・ハヤカワが、若き日のシャルロット1世をテロリスト共から救出するという依頼を成功させたことによって、ハヤカワ家は王室の後ろ盾となったのである。ハヤカワ家の邪魔をしようとする貴族を王室が権力を使って阻止し、王室に牙を剥こうとする敵をハヤカワ家が始末してきたのだ。


 しかし、王室は唐突に親密な関係だった筈のハヤカワ家の当主に濡れ衣を着せた挙句、処刑したのである。


 なぜ後ろ盾となっていたハヤカワ家を敵に回した………!?


 手塩にかけて育てた教え子を無残に殺した王室に怒りつつ、彼が殺された理由を予測しようとするが、全く仮説が組み上がらない。一緒に協力しようと微笑みながら握手をしている相手に、何の前触れもなくナイフを突き立てるに等しい行為だからだ。


「サクヤたちはどうなっている?」


「はい、同志団長のご家族はクレイデリアへと亡命しております。明日にはクレイデリアへ到着するかと」


「分かった。では、シュタージのエージェントたちに今回の事件の原因を調べさせてくれ。それと、オルトバルカの大使館の職員をクレイデリアに帰国させろ。場合によってはオルトバルカに宣戦布告することになるかもしれん」


 そう言った途端、報告していたホムンクルスの兵士が凍り付いた。


 この世界で最強の愛国と言われている、オルトバルカ連合王国と戦争をすることになるかもしれないからだ。奴らが我らの指導者の命を奪ったというのであれば、こちらも報復に女王の命を奪わなければならない。


 それに、もし大使館の職員をオルトバルカに残しておけば、彼らを人質に取られる恐れもある。関係が急激に悪化したことで戦争になる可能性が爆発的に向上した以上、弱みは減らしておく必要がある。


「りょ、了解しました」


 ホムンクルスの兵士は、敬礼してから踵を返し、執務室を後にした。


「…………くそったれ」


 テツヤが引き起こした内戦によって大損害を被ったテンプル騎士団の再編は、まだ終わっていない。しかも団長の能力が急激に劣化したことで、旧式の兵器しか運用できなくなり、テンプル騎士団は急速に弱体化してしまった。


 戦力の強化を行おうとしていた時に、オルトバルカに裏切られた挙句、団長を殺されてしまうとはな………。


 部屋の壁に飾ってある写真を見つめながら、溜息をついた。


 写真に写っているのはテンプル騎士団を創設したメンバーたちだった。若き日のタクヤやラウラが、腰に剣を下げ、両手にAK-15を持って白黒の写真に写っている。災禍の紅月が終結し、行方不明になっていたタクヤがフェルデーニャ王国から戻ってきた後に撮影された写真だ。


 すまないな、タクヤ。


 戦友に謝ってから、俺は頭を抱えた。













 装甲車のドアの中から、黒髪のキメラの少女たちが降りてきた。到着した彼女たちを出迎えた憲兵隊の兵士たちが、一斉に敬礼をする。すると、一番最初に降りた黒髪の少女が、まるで訓練を終えて部隊に配属された兵士のように、こっちに敬礼をした。


 微笑みながら、彼女の方へと歩いていく。


「無事だったか、サクヤ」


「ええ。亡命に受け入れに感謝いたします、ウラル団長代理」


 団長だったカズヤが死亡してしまったため、今は俺が団長代理を担当している。


 普通であれば、訓練で他の候補者よりも優秀な成績を出しているサクヤがそのまま団長の役目を継承することになるのだが、いくら既にカズヤから兵器のデータを託されているとはいえ、彼女はまだ9歳の少女である。テンプル騎士団を指揮するには経験が余りにも浅すぎるため、彼女が17歳になるまでは俺が彼女の代わりに団長の役目を担当しなければならない。


 けれども、カズヤが死亡する前に彼女にデータを託していたのは幸運だった。転生者が能力で生産した兵器や武器は、それを生産した転生者が死亡すると同時に消滅してしまう。つまり、もしカズヤが愛娘にデータを継承せずに処刑されていたとしたら、テンプル騎士団が運用している兵器の大半が消滅し、殆どの兵士が丸腰になってしまう羽目になっていたのだ。


 処刑されるという事を悟っていたからこそ、カズヤは早いうちに娘にデータを預けておいたに違いない。


 すると、装甲車を降りたセシリアも隣へとやってきた。サクヤはもう既に俺に預けられて訓練を受けていたし、2ヶ月ほど前には実戦を経験―――――数名の兵士に護衛されて後方支援を担当した―――――しているので何度も会っているが、セシリアは俺には預けられず、ラガヴァンビウスの自宅で父親に鍛えられていたため、会うのは久しぶりである。


 3年ぶりだろうかと思いながら彼女にも挨拶をしようとしたが、セシリアの紫色の瞳を見た途端にぞっとしてしまった。


 3年前に彼女と会った時は、俺を見る度に目を輝かせていた。だが、今のセシリアの瞳は強烈な絶望と復讐心のせいで虚ろになってしまっている。


「セシリア…………」


「…………おじさん、父上はなぜ殺されたのですか?」


「…………現在調査中だ。安心しろ、セシリア。カズヤを殺した王室の連中には必ず―――――――」


「――――――――王室の連中は、私が皆殺しにします」


 8歳の少女が宿すとは思えない強烈な殺意と復讐心が、セシリアの瞳から溢れ出る。いや、まだ幼い少女だからこそ殺意と復讐心が強烈になるのだろう。両親と共に生活するのが当たり前の幼い子供が父親を失うという絶望は、両親がいなくても生きていける大人が感じる絶望の比ではない。


 虚ろな目つきのままそう言ったセシリアは、踵を返して母親の所へと戻っていった。


 彼女と母親のリリスたちを、憲兵たちが居住区へ案内していく。父親が王室の連中に処刑されてしまった以上、ラガヴァンビウスに留まるのは非常に危険な事だ。父親と同じように濡れ衣を着せられて処刑されたり、迫害される恐れがある。だが、テンプル騎士団の本部であるタンプル搭ならば安全だ。彼女たちまで消そうとするのであれば、テンプル騎士団の全兵力を相手にしなければならないのだから。


 少なくとも、オルトバルカの連中はサクヤやセシリアたちまで消すためにテンプル騎士団と戦争をすることはないだろう。こっちは遠慮なく戦争の準備をさせてもらうが。


「サクヤ、お前も部屋に戻って休んでおけ」


「はい、教官」


 憲兵に彼女を部屋まで案内するように命じてから、近くにいるホムンクルスの兵士を呼んだ。


「何でしょうか、団長代理」


「今、第一主力打撃艦隊はどこにいる?」


 第一主力打撃艦隊は、テンプル騎士団海軍の切り札である。テンプル騎士団艦隊の総旗艦であるジャック・ド・モレーが旗艦を担当する艦隊であり、複数のジャック・ド・モレー級戦艦、ソビエツキー・ソユーズ級戦艦、スターリングラード級重巡洋艦で構成されている。海軍の艦隊の中でも最強の艦隊と言っても過言ではないだろう。


 しかも、第一主力打撃艦隊の艦艇の乗組員たちの大半は、テンプル騎士団が創設された頃から所属しているベテランの団員たちである。


「第一主力打撃艦隊は、現在南ラトーニウス海で演習中です。帰還するのは3週間後の予定ですが」


「すぐに呼び戻せ。補給を済ませた後、空母ナタリア・ブラスベルグと強襲揚陸艦も合流させてオルトバルカ東部の沖で待機させろ」


「お待ちください、同志。オルトバルカと本当に戦争を始めるおつもりなのですか?」


「現時点では圧力をかけるだけだ。王室への抗議も行っておけ。それと、円卓の騎士を3時間以内に全員招集するんだ。今回の事件と、オルトバルカへの宣戦布告について議論する」


「わ、分かりました」


 テンプル騎士団の法案は、円卓の騎士が全員承認しなければ可決されない。だから、オルトバルカへの宣戦布告も円卓の騎士が1人でも拒否すればあっという間に否決されてしまうのだ。


 このような方式になったのは、強行採決を防ぐためである。テンプル騎士団は異世界の兵器を運用する強力な軍隊であるため、その軍隊を使って敵国を攻撃する際は細心の注意を払わなければならない。だからこそ、この方式こそが最善の安全装置()として機能する。


 もし円卓の騎士たちが宣戦布告を可決し、オルトバルカの王室がカズヤが王室への反逆を企てたという濡れ衣を撤回しなければ、沖に待機させている艦隊に艦砲射撃を行わせ、海兵隊をラガヴァンビウスへと進撃させる。


 もちろん、民間人を巻き込まないように、既に潜入しているエージェントたちから王室へ避難勧告を出すように要請させておくがな。


 だが、なぜ王室はハヤカワ家を裏切った?


 テンプル騎士団を率いるハヤカワ家を疎んでいたというわけではないだろう。ハヤカワ家を疎んでいる貴族は多いというが、王室はハヤカワ家の祖先に若き日の女王を救ってもらったという大きな借りがあるし、その後も何度も彼らに仕事を依頼していた筈だ。


 そのハヤカワ家を切り捨てた挙句、濡れ衣を着せた理由の仮説が全く組み上がらない。


 唇を噛み締めながら、結界によって強制的に青空に変更させられた空を見上げた。


 青空の隅を、微かに白い雲が侵食しつつあった。


 

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