星よ、我が元へ落ちよ
クレイデリアが現在、壊滅的な損害を被っているというアナリアのニュース番組が終わった。物騒で残酷極まりない事実を国民に周知する―――そんな重々しい番組の後にラジオから流れてきたのは、美しいピアノの旋律だった。
この曲は聞いた事がある。転生前、いわゆる前世の世界で聴いた曲。まさかこんな異世界で、向こうの世界のものと何も変わらぬクラシックを耳にする事が出来るとは。
ドビュッシーの『月の光』。
この世界に前世の世界の音楽が存在する、というのは珍しい事ではないらしい。というのも、どうやら前世の世界からやってきた転生者が、技術や知識以外にもこういった文化を持ち込んだのだという。それがこの世界の人々へと伝わり、継承されていった―――転生者すべてが悪ではない、という事だ。
太古の日本に進んだ文明を齎した、渡来人のような存在と言うべきだろうか。
それの大半が力の悪用という、最悪な答えに行きついてしまったことが悲しくてならない。そうならなければ、転生者ハンターなどと言う禍々しい狩人が生まれることも無かっただろうに。
音源がレコードのものなのか、微かにノイズを含んだ、しかし美しいピアノの旋律。こうして夜空を見上げている時に静かな音楽を聴くというのも、なかなか良いものだ。
夜空はこんなにも綺麗なのに―――星の海はずっと頭上に在ったというのに、地上では戦争が絶えない。
そう思うと哀しくて、綺麗なピアノの旋律が優しい慰めのようにも聴こえた。
音楽の中に人間の足音が混ざったのを、諜報員として鍛え上げた聴覚が敏感に察知する。歩き方、特に足音と気配の消し方で同業者だと分かる。
「兄さん、こんなところに」
やってきたのは弟の優だった。やっぱりお前だったか―――そう思いながら振り向くと、彼は湯気と甘い香りの立ち昇るマグカップを差し出す。
ホットココアだった。砂糖とミルク控えめの、僕が最も好きな味。カカオの香りを最も生かす事が出来るのはやはり余計なものを極力混ぜない事―――個人的に、そう思っている。
「ああ、ありがとう」
「……勝てそうかな」
「さあ」
テンプル騎士団が未知の無人兵器群と戦っている、という情報は、西側諸国よりも先に我々海神が掴んでいた。現地の情報は常に入って来るけれど、はっきり言ってテンプル騎士団が勝てるとは思っていない。
既に彼らの損害は全戦力の80%にも達し、タンプル搭内部にも無人兵器が侵入しているという話だ。武器庫で埃を被っていた旧式の銃器までかき集め、バリケードを築いて籠城戦の構えをしているようだが、それがいつまで持つか。
数多の海と大陸を超えた果てで戦う彼らに思いを馳せていると、夜空の一角が燃えた。
赤く、紅く、燃え盛る星。いくつもの小さな炎の礫を引き連れたそれが、星空の彼方からやって来る。
1世紀前から夜空の中に在り、冷たく暗い星の海から地表を見下ろしていたテンプル騎士団の”槍”。それが最後の務めを果たそうと、大地へ真っ逆さまに落ちてくる。
―――ハーキュリーズ13。
テンプル騎士団の作戦はこうだ。
無人兵器の全世界への拡散を防ぐため、クレイデリア全土を戦場とし奴らを抑え込む。この防御戦闘には試作兵器や虎の子の対消滅兵器も全力投入しており、それでも守備隊は玉砕しつつあるという。
その隙に、セシリアが無人兵器群の親玉の元へ突入。対消滅榴弾を満載した衛星砲を落下させ、無人兵器群の無力化を狙うというものだ。
作戦自体は悪くない―――ただ一つ、それがセシリアの命と、下手をすればテンプル騎士団という組織そのものを引き換えにしかねない事を除けば。
彼女たちがやったことは許される事ではない。が、これを機に滅んでしまえと思っているわけでもない。
だから生きてくれ―――この戦いから、1人でも多く。
「ああ―――星が落ちる」
ハーキュリーズ13落下まで、あと9分
『ハーキュリーズ13、間もなく終末誘導を開始』
『落下コース、想定内』
『同志団長からのシグナル、依然として健在。作戦計画は滞りなく推移中』
ホムンクルス兵からの無機質な報告は聞き慣れている。この魔力通信システムが組織内で普及し始めてからというもの、実際の声で会話する機会というのはめっきり減った。
聞き間違いや命令の伝達ミスを無くす、という目的から見れば良い事なのであろう。物事は工程が増えれば増えるほど、間違いの発生率は比例して増えていくものだ。だから理想的なのは間違いようのないほど工程が単純で、尚且つ目的を達成できる手段を用意する事。その困難な要求に最適解を突きつけてみせたのが、発言者の思考を直接相手へ伝達するこの魔力通信システムだった。
しかし、非合理極まりない理由ではあるが―――発言者の口から、その肉声で発せられる事の無い言葉とは、こんなにも冷淡で無機質に思えるものか。普段は気にかける事こそなかったが、組織の最高指導者たるセシリアの”余命”が減っていく報告をこうも淡々と告げられては、嫌でもそれを意識せざるを得なくなる。
いつもと同じように返答しながら、ノーチラスの広大な発令所、その中央に位置する艦長席に座るアバルキンは溜息をついた。
彼女が居なくなったら、テンプル騎士団はどうなる事か。
今のテンプル騎士団は、強力なリーダーシップを発揮しているセシリアが居るからこそ成り立っている。彼女の持つ絶対的な力、敗北を知らぬその強さに魅せられ、その赤い旗の下に集った同志は数多い。
セシリア亡き後のテンプル騎士団がどうなるか―――考えたくもないが、予想はつく。
後継者争い、内乱、空中分解―――少なくとも今の規模は維持できまい。良くて規模の縮小、悪くて完全消滅。後継者たるセシリアの息子もまだ幼く、とてもテンプル騎士団の指導者を任せられる状態とは言えない。
(団長……本当にこれしかなかったというのですか)
アームレストの上に乗せた手を握り締め、疑問を浮かべる。
もっと他に手があった筈だ、とアバルキンは考えた。セシリアがその命を犠牲にする必要はない……そう断言する事が出来れば、いったいどれだけの同志が救われる事か。
できる事ならば今すぐにでも彼女を連れ戻したい。再びテンプル騎士団の上に立ち、同志たちを導いて欲しいという思いはある。が、それは許されない事であるし、もう間に合うとも思っていない。
全てが手遅れだった。
背後でタラップを駆け上がってくる足音がして、アバルキンは思考を中断した。後方の発令所入り口を振り向くと、そこには警備兵に制止されながらも発令所へと足を踏み入れた親衛隊の兵士が立っていた。
オリヴィエ―――セシリアの遺伝子をベースに生み出された、彼女のホムンクルス兵だった。顔つきに髪の色、左目の眼帯。全てに至るまで、セシリアに瓜二つだ。
「同志艦長、今すぐ救出隊の編成を」
「……もう間に合わんよ」
冷淡に返答すると、カチリ、と安全装置を外すような音が聞こえ、後頭部に冷たく硬い感触が押し付けられる。PL-15を突きつけられていると悟ってもなお、アバルキンの表情は変わらなかった。
返答次第では貴様を殺す―――それを行動で示そうとするオリヴィエに、警備兵たちが一斉にAKの銃口を向けた。
やめてくれ、と心の中で思う。せっかく助かった命だ……同志団長が生かした命を、仲間割れで失うつもりか、と。
「同志艦長、艦の進路をファルリュー島へ」
「たった8分で何ができる」
「団長を連れ戻します。親衛隊には魔術師兵も居る、転移を使えば―――」
「それでも間に合うものか」
「艦長」
「ダメだ、と言ったらどうする」
「艦を占拠してでも向かいます」
「潜水艦を動かしたことも無いくせに、生意気を言うな」
アバルキンは目を細め、ゆっくりと立ち上がる。銃を突きつけるオリヴィエを睨んだ彼は、今まで通りの、まるで機械のように冷淡な声で現実を突きつけた。
「ハーキュリーズ13の落下まであと8分23秒、それまでにファルリュー島最深部まで到達できるか? 艦をそこまで接近させれば無人兵器にやられる。そんな中で上陸できるのか? ヒトの身で出来る転移の距離は? 転移可能圏内に安全地帯は?」
「……」
「現実を見ろ、同志オリヴィエ。それにな……同志団長は覚悟を決められたのだ。お前はその覚悟に水を差すつもりか」
「……」
突きつけられていた銃口が、ゆっくりと下がっていく。オリヴィエは表情を変える事はなかったが、彼女の肩が微かに震えている事からも、その内面では認めたくない現実を―――8分後には訪れるであろう残酷な結末を受け入れなければならない、という葛藤が伺えた。
気持ちは分かる。それはアバルキンとて同じだからだ。
現実を認める事は、決して弱さではない。残酷な現実を受け入れ、その結末を見届けて先へと進む―――それもまた強さなのだから。
「進路反転。これよりノーチラスは、クレイデリアへ帰還する」
黒い外殻の破片が宙を舞った。
皮膚を素手で引き剥がされるような激痛が全身を駆け巡り、血飛沫が目の前で乱舞する。
歯を食い縛りながら傷口を再生させつつ、ファイアーボールでリキヤを牽制。回復が済むまでの目くらましになる事を期待して放った一撃だったが、その目論見は大きく外れる事になる。
キメラの外殻に頼らず、上半身を逸らして攻撃を躱すリキヤ。左肩を逸らした勢いを殺さずにそのままくるりと回転したかと思いきや、2m近いロングバレルに換装されたOSV-96を片手で構え、照準器も覗き込まずに12.7mm弾を撃ち返してくる。
ゴウッ、と50口径の弾丸が肩を掠め、衝撃波で身体が揺れる。いくらキメラの身体であるが故に装備品の重量が気にならないとはいえ、あれだけ長大なライフルに小型化した対戦車兵器を搭載すれば取り回しに難が生じる。それは私も経験した事があるから良く分かる。
だが―――相手が機械だという事を差し引いても、文字通り手足の如くそれを使いこなすリキヤには脱帽だ。なるほど、100年以上前の世界で最強の転生者の称号を欲しいがままにしただけの事はある。このくらいでなければ”転生者の天敵”などとは呼ばれまい。
祖先の偉大さを実感しつつ、足元の結晶の花を思い切り蹴り飛ばした。焦げた土と蒼い結晶の欠片が散弾のように飛び散って、リキヤの視界を一時的にとはいえ遮断する。
姑息と言われようが関係ない。とにかく、打てる手は全て打つ。その上で全身全霊を尽くし、悔いのない戦いでこの人生を締めくくるのだ。
跳躍し、空中で身体を大きく捻る。落下する勢いと回転を乗せ、カランビットナイフを握った右手を左へ大きく薙いだ。喉元を狙った一撃ではあったものの、ガギッ、と石にナイフを突き立てるような嫌な音がして、必殺を期した一撃が不発に終わったことを悟る。
咄嗟に後方へ飛び退くが、遅かった。小型化したRPGを搭載した超重量の銃身が左の側頭部を打ち据え、ぐらりと視界が揺れる。
何と脆弱なものか―――この頭蓋骨の中に詰まっている、脳味噌という部品は。
踏み止まりつつ、姿勢を落とす。頭の上を過熱されたマズルブレーキが突き抜けていき、目の前にリキヤのヒグマみたいな巨躯が迫った。
最初に一撃を受けた左肩の再生は、まだ終わっていない―――いや、違う。
いつまでも消えぬ痛みに違和感を感じ、やがてそれは絶望へと変わった。
―――傷が再生していない。
「はは、は……」
そうか、もう……。
使い果たしたのか。
腹の中の魂を。
吸収した数多の魂を。
これで私は不死の怪物ではなくなった―――殺しても殺しても、何度でも蘇る九尾の妖ではなくなった。
今の私は、ただの人間。
殺せば呆気なく死ぬ、ただのヒトの子に過ぎぬ。
懐に飛び込み、至近距離でファイアーボールを叩き込んでから飛び退いた。焼け爛れた大地に、抉れた左肩から滴り落ちた鮮血が滴り落ち、ジュウ、と蒸発する音を立てる。
くるり、とカランビットナイフを回し、腰の後ろにある鞘に納めた。
降参した、というわけではない。
ハーキュリーズ13の落下まであと7分―――眼前まで迫った自らの命の終焉、それを飾るのはやはり、戦が相応しい。
こんな身体になってもなお、戦いを求める自分にちょっと呆れた。これは自分の意志なのか、それとも滅びの使徒たるリキヤの血によるものか。
目の前に魔法陣を召喚し、その中に手を突っ込んだ。蒼く冷たい感触。指先が氷のように冷たい何かに触れると同時に、体内の魔力が一気に吸い上げられていくのが分かった。
今までは吸収した他者の魂でブーストしていたが―――もうそれも出来ないのだ、自分自身の魔力を回すしかない。
歯を食い縛り、それを魔法陣の中から引っ張り出した。
蒼く、冷たく透き通った剣。クレイモアを思わせる形状のそれは、しかし人の手によって造られたものではない。遥か太古の時代、神話の時代から現代へ残された伝説の剣だった。
”星剣スターライト”。
祖先から受け継いだ、私の奥の手。
魔力が足りぬというのならば、私自身の魂を魔力に変換して使うまで。
どうせ余命はあと7分―――すべてが消えるのだ。今更、寿命を削る心配をして何になるというのか。
ちらりと頭上を見上げた。既に外は暗く、夜空には赤い星が浮かんでいる。赤く、赤く燃え盛るそれは、地球の重力と魔力ビーコンの導きによって、真っ直ぐに大地へ向けて落ちてくる。
ああ、そうだ、ここに落ちろ―――私の元へ、落ちてこい。
落ちよ、星よ。
魂の一部を魔力に変換、それを惜しみなく星剣スターライトへと伝達していく。身体から生命エネルギーたる魂が吸われていくせいなのか、魔力の乱流の中で踊る私の髪が真っ白に染まっていくのが分かった。
色素が抜け落ち、聴覚も嗅覚も、視覚も衰えていくのが分かる。
自分の身体が、死んでいくのが分かる。
戦いを求めるのが、相手を滅ぼすのがリキヤの本質だというのなら。
私はそれに忠実であろう。
我が死地は、戦場だ。




