決死の抵抗
”塔”が、ゆっくりと崩れていく。
かつては組織の力の象徴でもあり、数多の侵略者を砕いてきた虎の子の決戦兵器。それが燃え上がり、支柱を崩され、機関部を崩されて、赤黒く染まる夕日の中で倒壊していく姿はまるで、テンプル騎士団という組織の覇権に終焉を告げているようにも思え、多くの兵士たちの心を折った。
「タンプル砲が……倒れる……」
地下へと非難していく負傷兵を護衛していた陸軍のとある兵士は、それを目の当たりにして心の中が真っ白になる感覚を覚えた。いつも当たり前のようにそこにあって、天空を支える柱の如く佇んでいたテンプル騎士団の切り札。それが敵の攻撃を受け、こうして崩壊していくのは二度目だ―――100年前の、輪廻の大災厄以来である。
祖父が話していた事が、目の前で再び繰り返されていた。
砲身の軋む音と支柱の崩れる音を周囲に響かせながら、いたる所から黒煙を吹き上げるタンプル砲の砲身が倒壊。タンプル搭の周囲を取り囲む岩山に寄り掛かるように倒れたかと思いきや、度重なる酷使と無人機たちの攻撃で限界を迎えつつあった砲身が折れ―――退避しようとしていた、負傷兵を乗せたT-14の車列を下敷きにして、派手な土煙を吹き上げながら大地に倒れ伏す。
倒壊したタンプル砲の土煙を突き破り、なおも前進してくるのは、この地獄を作り出した張本人たちだった。どれだけ同胞が撃ち減らされようとも、死を恐れずに突撃し、自ら諸共敵を屠る機械の兵士たち。かつてのテンプル騎士団が制御しようとし、しかしフィオナ博士の離反と共に失われた技術が組織を滅ぼそうとするとは何たることか。
PKM汎用機関銃を構え、地下への侵入を少しでも遅らせようと陸軍の兵士たちは奮戦する。7.62×54R弾の束がイナゴの群れへと射かけられ、黒い雲にも思える無人兵器の群れの中に紅い爆炎をいくつも生み出したが、それでも敵の勢いを削ぐには至らない。
むしろ、敵の位置を見つけたと言わんばかりに無人兵器の群れが崩れ、彼らの元へと急降下してくる。それを目にした陸軍の兵士たちは、ああ、ここで死ぬのだと悟った。
二脚を立てながら射撃する機関銃手の眉間を、無人兵器の放った紅い対物レーザーが射抜く。肉の焦げる臭いを充満させながら上顎から上を消し飛ばされた死体が、後方へと崩れ落ちた。
どれだけ弾幕を張っても、手持ちの火力をありったけ叩き込んでも、無人兵器の進撃は止まらない。
激流を石ころで食い止めるのが不可能なように、歩兵の持つ火器だけでこの無人兵器の群れを食い止める事など不可能だった。虎の子の空中艦隊をあっという間に全滅させ、艦隊や要塞の頭上を飛び越えて、ここまで直接攻め込んでくるような敵である。いくら機関銃が戦場において脅威となるとはいえ、それは対人戦の話。人間以上の物量を誇り、死を恐れぬ無人兵器を食い止めるまでには至らない。
覚なる上は自爆するか―――自らの命と引き換えに、少しでも敵の数を減らし華々しく散るか。
散っていった仲間のように無残に殺されるよりは、とホムンクルスのライフルマンが腹を括ったその時だった。
「―――死にたくなければ、左右に避けなさい」
「え―――」
何者だ、と聞き返すよりも先に、前方から迫る無人兵器よりも恐ろしい威圧感が後方から発せられた。振り向いている暇などない―――そう確信し、身体を動かした兵士たちが安全を確保した次の瞬間、ヒュンッ、と何かがすぐ脇を通過していくような音が響く。
唐突に、無人兵器の群れの先頭を、闇色の斬撃が直撃した。三日月の形をした斬撃が先頭集団を吹き飛ばし、そのままイナゴのような群れの奥へ奥へと突き進んでいく。
散開し、後方の群れと合流していく無人兵器たち。ただの一撃であれを退けた張本人が、地下通路の入り口で微笑む。
「あ、あなたは……」
そこにいたのは、灰色のドレスに身を包んだ金髪の女性だった。血のように紅い瞳は一見すると優しそうな雰囲気を放っていて、しかしその内にはどんな逆境にも屈しないような、不屈の信念のようなものが見え隠れしている。
古めかしい貴族の女性のようにも思える彼女が浮かべる、優しくも力強い笑み。その紅い唇の隙間から覗くのは、人間よりも遥かに長い、発達した特徴的な犬歯。
そう、吸血鬼だった。
―――アリス・ローラ・クロフォード。
奴隷の身からレリエル・クロフォードの妻となった、アリア・カーミラ・クロフォードの実の妹。病に倒れ風前の灯となった姉の救助をテンプル騎士団に請い、その完治をクレイデリアで待ち続けていた彼女も戦列に加わるつもりのようで、右手には吸血鬼の伝統的な装飾が施されたサーベルが握られている。
「アリス・クロフォード……!?」
「私も戦います、テンプル騎士団の皆さん」
「危険です、地下へ避難を」
「大丈夫です。私、強いですから」
兵士たちの忠告を意に介さず、不敵な笑みを浮かべながら前に出るアリス。右手に握るサーベルの刀身には既に、闇色のオーラのようなものを纏わせており、先ほどの攻撃の第二波を放つ準備は完了しているようにも見えた。
「それに」
眼前から迫り来る、無人兵器の濁流。先ほどの一撃を警戒してか、今度は群れの規模が違う。ダムの放水の如き勢いがあったが、それを目の当たりにしてもなお、アリスの顔から余裕の表情は消えない。
「―――姉さんの眠りを邪魔する痴れ者に、誅罰を」
ブンッ、と軽やかにサーベルを振り下ろすアリス。刀身から剥離した魔力が瞬く間に三日月形の斬撃を形成したかと思いきや、銃弾のような速度まであっという間に加速し、迫り来る無人兵器の群れを真っ向から吹き飛ばす。
絶望という暗闇の中に、微かな光が燈った瞬間だった。
人類はまだ、負けてはいない。
斬撃を突破してきた無人兵器を、左斜め下から右斜め上へと振り上げる軌道で放った斬撃で両断するアリス。銃が主役となり、戦場で実際にサーベルが使われる事などなくなった現代ではあるが、吸血鬼との身体能力と剣術の組み合わせは、未だに銃にも後れを取らない力強さがある。
防弾フレーム諸共両断し、この程度の強度であればいける、と確信を抱いたアリスの視界の端―――背景に過ぎなかった赤黒い空の中に、炎が燈る。
「……?」
無人兵器たちを次々に斬り捨てながらも、アリスは注意を空へと向けた。
それはまるで、流星のようだった。もっと禍々しい表現をするならば、天空が流した血の涙のようにも見える。
大地は血塗られ、日が沈みつつある赤黒い空。禍々しい風景であることを考えれば、後者の方が適切な表現なのかもしれない。
空から、紅い炎を纏った何かが落ちてくる。
1つではない―――複数だ。
「星が……」
星が、落ちてくる。
暗く、冷たく、遠い空の彼方から。
血塗られた大地、殺戮の原点へと。
太陽光パネルが、砲身の機関部から剥離した。それは大気圏突入の熱に晒され、あっという間に燃えて小さくなっていき、燃え残った破片となって共に血塗られた殺戮の大地へ。
姿勢制御用のスラスターの燃料も使い果たし、無事に地球の重力に捕らえられたハーキュリーズ13。こうなってしまえば、後は辿る運命はただ一つだ―――搭載された対消滅弾頭と共に、この質量を地表に叩きつけて、破壊兵器としての一生を終えるのみ。
対デブリ用のレーザー砲のターレットも脱落し、炎の中で小さな金属の粒と化した。
100年前、かつてタクヤ・ハヤカワが滅亡の未来を回避するために建造を命じ、1世紀に渡って秘匿を続けた虎の子の衛星砲。その生涯を締めくくるのは、人類滅亡の回避、そのための一撃。
セシリア1人と数十万人のテンプル騎士団団員の命と引き換えに、人類は再び平和を謳歌する事となるだろう。
大気圏へと突入しながら、部品を次々に脱落させていくハーキュリーズ13。それはまるで涙を零しているようにも見え、中央指令室でその映像を見ていたシルヴィアは目を細めた。
こんな最期を用意したテンプル騎士団への恨み―――では、ないだろう。自らが落下する場所、そこに居るセシリアを死なせることになるのだから。
そこまで考えたところで、シルヴィアは小さく首を横に振った。機械がそんな感情を持つなど有り得ない。機械とはあくまでヒトに造られた物、”道具”に過ぎないのだ。それがどれほど高度に発展しようとも、金属と電子回路の身体を持ち、潤滑油を血液代わりに通わせるそれが心まで持つことなど無い。
それがシルヴィアの、そしてセシリアの共通の持論だった。にもかかわらずついそんな事をっ考えてしまうとは、自分もなかなか狂い始めていると見える。自嘲の笑みを浮かべるシルヴィアは、部下から渡されたAK-12にマガジンを装着し、コッキングレバーを引いた。
アリスの参戦のおかげで敵の勢いを削ぐことに成功しているが、タンプル搭地下への入り口はそこだけではない。格納庫直通のエレベーターも破壊され、格納庫からも既に大量の無人兵器がタンプル搭の地下要塞内部へ侵入しているのだ。
中央指令室の向こうから響いてくる銃声も既に近くまで迫っている。聞こえてくるのは銃声と迎撃に当たっている兵士たちの悲鳴ばかり。ここの陥落ももう時間の問題―――自らの死が迫って来るにつれて、シルヴィアの手が震えているのが自分でも分かった。
冷淡で、機械のような女である事を心掛けてきたシルヴィア。彼女はあくまでもセシリアの影のような存在であり、彼女の身に何かがあれば、シルヴィアがその代行を務める事になっている。あくまでもセシリアの予備でしかない。
そう思ってはいたものの―――どれだけ冷淡な機械を演じていようとも、ヒトとして生まれてしまった以上は機械になる事など不可能なのだ。生まれ落ち、そして死ぬその瞬間まで、ヒトはヒトであり続けなければならないのだ。
ヒトであるが故に、死が怖い―――しかし、それを口にしてしまう事は許されない。
絶望的な状況の中でも、常にいつもと変わらぬ振る舞いを。それが、彼女にとって部下たちへの精一杯の鼓舞だった。
「ハーキュリーズ13、落下まであと15分」
あと15分―――それがL.A.U.R.A.に残された猶予であり、セシリアの寿命。
「同志諸君、ご苦労だった」
徹底抗戦のため、支給された小銃の用意をするオペレーターや親衛隊の兵士たちに向かって、シルヴィアはいつものような口調で―――しかし、微かに申し訳なさを滲ませた声音で告げた。
「もはや、ハーキュリーズ13の落下を阻止する手段は無いだろう。星は落ち、L.A.U.R.A.は滅ぶ。そうして世界は守られるのだ。我々の犠牲は、決して無駄ではない」
最後の最後まで、セシリアと共に歩んでくれた同志たちに感謝しながら、シルヴィアはL.A.U.R.A.と戦っているであろうセシリアの身を案じた。
同志団長、先に逝きますよ―――刻一刻と迫る最後の瞬間まで抗い続ける事を誓い、息を吐く。
既に中央指令室の出入り口にはバリケードが築かれており、バリケードの影には武器庫から引っ張り出してきた水冷式重機関銃―――PM1910重機関銃が据え付けられている。予備の弾薬もたっぷりと確保してあるが、果たしていつまで持ちこたえられるか。
唐突に、固く閉ざされた中央指令室の扉が大きくひしゃげた。向こうに居る何かが、凄まじい勢いで衝突したのだ。突進で扉をぶち破れないと悟ったようで、しばらく間を置いてから、扉の表面が段々と赤く染まっていく。
金属の溶ける特徴的な、身体に悪い事がはっきりと分かる悪臭が漂う。やがて赤く焼けた扉が水飴のようにぐにゃりと歪み、融解し、その向こう側から鋭利な鉤爪を持つ無人機が顔を覗かせる。
「撃てぇ!!」
シルヴィアの号令と共に、PM1910重機関銃が火を噴いた。元となった機関銃は第一次世界大戦や第二次世界大戦で活躍した旧式の代物である。銃身の冷却に水を使うという、現代では考えられないほど古い設計の代物ではあるが、重量や取り回しなどの利便性はともかく、威力だけは十分だった。
ガガガッ、とのっぺりとした無人兵器の顔面に、7.62×54R弾が弾痕を穿つ。制御ユニットを粉々にされ擱座する無人兵器だったが、その後方からは同型の兵器が次々に入り込もうとしているのが見え、シルヴィアや機関銃の射手を務める親衛隊の隊員は息を呑む。
倒しても倒しても、それすら無意味と思えてしまうほどの物量。しかも相手に感情は無く、インプットされた命令は生命体の殲滅のみ―――。
ぞわり、と身体中に悪寒が走る。恐怖に屈しそうになる自分を何とか奮い立たせながら、シルヴィアはAK-12の引き金を引いた。
兵士たちの決死の抵抗は、未だ終わらない。




