消えゆく命
『シルヴィア、お前は特別な子だ』。
幼少の頃、周囲の大人からそう言い聞かされて育ったことを思い出す。シルヴィア、お前は特別だ。お前はただのホムンクルスなんかじゃない、崇高な使命と共に生まれてきた。お前は他の子よりも特別なんだ、と。
一体何が”特別”なのか、私には理解できなかった。ただ、他の子とは違う、何かに選ばれた特権のようなものがあって、その事が私にとっては誇らしかった。
確かに考えてみればそうなのだろう。他のホムンクルスのような蒼い髪ではなく、闇のように黒い髪を持ち、年齢も団長として就任したセシリア・ハヤカワと同じ。数ヵ月の遅れはあれど、最高司令官として組織を率いる人間とそうも共通点があれば、自分に自信も持てるというものだった。
座学でも、訓練でも成績は常にトップ。テンプル騎士団の高官や錬金術師は、そんな私を我が子のように褒めてくれた。
いつからだろう……称賛する言葉が減り、これが当たり前だ、という言葉に変わっていったのは。
それもまあ、当たり前だろう。
私が特別だった理由、それを知れば、何故今まで血の繋がりもない赤の他人が、ホムンクルスの1人として生まれた私にあんなに愛情を注いでくれたかが分かるというものだ。
『―――シルヴィアの様子はどうだ』
『ええ、優秀です。”スペア”にしておくのはもったいない』
ウラル・ブリスカヴィカ大将と技術班の主任の話を聞いたあの夜、私は自分の出生の秘密を知った。
『万一、同志セシリアが死ぬ事があれば……その時はシルヴィアを替え玉に。なあに、同志セシリアの遺伝子から造ったホムンクルスです。誰も気付かんでしょう』
胃袋の中身を吐き出しそうになったあの感覚は、まだよく覚えている。
自分の存在を否定された衝撃は、これ以上ないほど大きなものだった。自分の存在そのものを否定された瞬間―――自分だと思っていた存在が、実は他人の複製でしかないと知った瞬間の、土台から全て崩れ去るような喪失感。
けれども、そんな私を複製としてではなく、1人の人間として見てくれたのは―――結局のところ、オリジナルただ1人だった。
『私について来い、シルヴィア』
まだ、やっと10歳になったばかりの幼いセシリア。彼女の一言で、私は決めた。
この人の影でいよう、と。
スペアであろうと何だろうと構わない。私はこの人の、セシリアの影になるのだ。
彼女と私、2人でセシリアなのだから。
「無人兵器群、タンプル搭へ到達」
淡々と報告しているように思えるオペレーターたちの声にも、若干の焦燥感が滲み出ているのが分かった。やはりホムンクルスとして生まれた彼女たちも人の子だ。どれだけ機械のふりをしていても、人間として生まれた以上は機械になる事など出来ないのだ。
速河力也という男が、悪魔を名乗っておきながら最期は人間として死んでいったように。
「案ずるな、想定内だ。対空砲とミサイルで迎撃、歩兵部隊は隔壁入り口で迎撃態勢を整えろ、奴らを地下に入れるな」
「了解」
さて……打てる手は打った。
勝負はここからだ。後は我々が、同志団長の勝利まで粘れば我々人類の勝利。同志団長がL.A.U.R.A.を討ち取るまで持ちこたえられなければ向こうの勝ちだ。
「友軍の損耗率は」
「既に損耗率は70%を突破、殆どの部隊との交信が途絶しています」
随分と死んだものだ……ついこの前まで、世界最強の軍隊とまで言われていたテンプル騎士団が、本気を出してこの有様。確かにこれが全世界に広がっていけば、この無人兵器を止める手立ては無いのかもしれない。核兵器を超える威力の戦略兵器―――対消滅兵器まで全力投入してこれなのだから。
「団長代理」
団長席で腕を組みながら指揮を執っていると、後ろに控えていた親衛隊の幹部が口を開いた。
「何か」
「ここももう危険です。シェルターに避難を」
振り向きはせず、モニターをじっと見据えたまま目を細めた。
近くに居なければ聞こえない程の声だったが……万一、今の発言が周囲に居るオペレーターたちの耳に入っていたらどうなる。指揮官代理が部下を見捨て、我が身可愛さにシェルターに逃げ込んだともなれば、前線で戦っている同志たちに申し訳が立たない。
そんな進言を受け入れるわけにはいかなかった。
「私はここで指揮を執る」
「団長代理!」
部下の方を振り向き、苦笑いを浮かべた。
「……どこに逃げても同じだ。いずれ見つかり、滅ぼされる」
「……」
「勇敢に戦って死ぬか、みっともなく逃げまどって死ぬか……ならば私は、前者を選ぶよ。最後まで戦い抜き、散っていった英霊たちに胸を張れるような最期を遂げたい」
「しかし……」
「それに、同志団長は今戦っているのだ」
同志セシリアは、あの人は今、L.A.U.R.A.と戦っている。この忌々しい無人兵器共の親玉と、真っ向から戦っているのだ。組織の総大将が自らの命と引き換えに奴らの親玉を屠ろうとしているというのに、私だけ逃げるわけにはいかない。
「私はあの方の力を信じる」
「団長代理……」
「同志、戦える兵士に武器を支給しろ。負傷兵の中にも志願者を募って防御態勢を敷け」
「負傷兵も……ですか」
「そうだ、志願者だけでいい。敵の侵攻を少しでも遅らせるのだ」
最早、末期だ。かつてナチス・ヴァルツが滅んでいったのと同じ道を、我々も歩みつつある。
滅ぶべくして滅ぶ、というのならばそれでもいい。だが……我々は黙って、大人しくこの世界から消えていくような真似はしない。
最期の瞬間まで、最後にの1人になるまで、抗って、抗って、抗い尽くす。1体でも多くの敵を道連れに、我々は地獄に落ちる。
さあ、かかってこい。
我々はここだ、ここに居る。
ドッ、ドッ、ドッ、と重々しい音が連鎖して、T-15-57の砲塔から57mm機関砲が立て続けに放たれる。新設計の砲塔に搭載されたそれの威力はまさに暴力的で、集中砲火を浴びせれば戦車の撃破も期待できるほどだと謳われていたが―――それは決して、誇張などではなかったらしい。
シルカの車列の弾幕と共に放たれた機関砲の掃射が、無人兵器の群れを面白いほどに一気に削っていく。砲弾の直撃を受け、あるいは炸裂弾の炸裂に巻き込まれて、人間の上半身を機械化したような化け物たちがスクラップに姿を変えていった。
移動を始めるT-15-57を支援するように、俺たちも移動しながら空にAK-15を放った。装甲車や実装対空砲の武装と比較すると非力だが、それでも十分に敵機の撃墜は見込める武装だ。弾丸の向かう先で火花が閃き、無力化された無人機たちが次々に落ちていくのが分かった。
マガジンを交換し、T-15-57を援護しながら溜息をつく。
まったく……キールの野郎、無茶をするところまでアイツに似なくていいのに。
キール戦死の報告を聞いた時は、思わず崩れ落ちそうになった。あの感覚は相棒の死を知った時も感じた―――自分の中の何かが、大きく欠け落ちるような感覚、と言うべきか。
あの状況で、絶望的な戦況で部下を守り抜いた事は褒めてやるぞキール。だがな……それはお前も生きて帰ってこそ、より完璧なものになるのだ。
死んでは意味がないじゃないか。
「うわぁっ!!」
「!」
叫び声が聞こえ、ぎょっとしてそちらを振り向いた。アサルトライフルで応戦していた味方の兵士が、空から単独で急降下してきた無人兵器に足を掴まれ、体勢を大きく崩しているところだった。
せめて、俺の手の届く所だけでいい―――誰も死なせてなるものか。
反射的に、AK-15のセミオート射撃をその無人機に叩き込んでいた。人間でいうこめかみの部分に7.62×39mm弾をプレゼントされ、紅いスパークを発しながら無人機が動かなくなる。
その兵士に駆け寄り、そっと助け起こした。
大丈夫だ、まだ血は出ていない。
「安心しろ、怪我はない」
「じ、ジェイコブ上級大将……どうして前線に……?」
「こうなったら兵士も将校も関係ない。そうだろ」
ぽん、とそいつの肩をそっと叩き、ウインクしてから装甲車のところに戻った。ドッ、ドッ、ドッ、という雷の音にも似た轟音が連鎖し、タンプル搭上空を舞う無人兵器群の中に火球を散りばめていく。
周囲の戦況は最悪だった。先ほどまでは各地で勇ましく撃ち上げられていた対空砲火も、今ではすっかり数が減ってしまっている。要塞砲も全て沈黙してしまっていて、空へ放たれる砲火の大半は出撃した車両によるものだった。
空ではまだ空軍の同志たちが踏ん張っているが……なかなか悲惨な状況だった。MiG-29やSu-35に混じって、MiG-21の初期型まで飛んでいるのが分かる。主翼のパイロンにぶら下げたガンポッドを掃射して懸命に敵機の数を減らしていく航空隊だが、また1機のMiG-21が無人機の群れに呑まれ、爆炎へと姿を変えた。
戦力損耗率は、既に70%を超えている。
司令部からの命令は続いているが、それに対応できる部隊の数は着実に減ってきていた。俺たち特戦軍もタンプル搭の防衛戦闘に参加しているが、これがいつまで続く事か。
AK-15をフルオートに切り替え、マガジンの中が空になるまで撃ちまくった。T-15-57を呑み込もうとしていた無人兵器群の中に紅いスパークが走り、先頭集団が鉄屑と化していく。
弾切れと同時にライフルから手を離し、胸に取り付けていたホルスターからMP17を引っ張り出す。ハンドガンのスライドを組み込んだピストルカービンだ。伸縮式のストックを兼ね備え、取り回しの良さと優秀な命中精度を誇る。
さすがにフルオート射撃はできず、威力はアサルトライフルの一撃に劣るが、そこは技量でカバーする。現場で戦っていた頃の腕はまだ鈍ってはいないようで、鉤爪を大きく広げながら突っ込んでくる無人兵器群の眉間に、次々に9mmパラベラム弾を叩き込んでいった。
イナゴのような群れがすっかり数を減らし、残った奴らが一旦上空へ離脱していったその時だった。後方で閃光が生まれ、爆音が連鎖し始めたのは。
ぎょっとしながら振り向くと、タンプル砲の機関部にとりついた無人兵器たちが、至近距離でレーザーを放っているところだった。要塞砲の機関部が融解し、小さな爆発が何度も生じている。
パパンッ、と甲高い爆発が連鎖し、タンプル砲の砲身が揺れた。砲身を支えていた支柱のうちの1本が砕け、自重で軋み始めた砲身へと伸びるワイヤーのうちの何本かが千切れたのだ。
嫌な予感がして、咄嗟に俺はカリーナとノウマンの2人を思い切り突き飛ばしていた。
ドンッ、と背中をいきなり押され、ぐらついた2人がそのまま地面に転倒する。
何故なのか、俺には分からない。これが相棒の言っていた感覚だろうか。戦場に居る時間が長いと、どういうわけなのかは分からないが、自分や仲間に迫った危機が何となく察知できるのだという。
ああ、そうか―――これが―――。
その思考は、バチンッ、と鞭を打つような高い音に遮られた。
「ジェイコブ司令!!」
身体に走る衝撃。内臓が潰れ、骨が砕け、自分の命に亀裂が入る感覚。
一時的にスローモーションになった視界の中で、荒れ狂う巨大なワイヤーを見た。タンプル砲の砲身を支えていたワイヤーだ。砲身を支えるためにぴんと張りつめられていたワイヤーが切断され、それの直撃を受けたらしい。
ふわりと浮き上がった身体が地面に叩きつけられると同時に、意識が遠退いていくのが分かった。
「司令、しっかりしてください! 司令!!」
「……よお、お前ら……無事、だな」
喉の奥から血が逆流してくる感覚。開いた口の奥から溢れ出たそれが、頬を伝って地面に小さな川を作った。
「カリーナ、早くヒールを!」
ヒールをかけようとした彼女の顔が、突きつけられた現実に歪むのを見て、自分の運命を悟った。
ああ、そうか。俺はここまでか。
既に負傷は、魔術による治療で何とかなるレベルを超えているらしい。そうであることは、何となくだが自分でも分かった。もう助からないのではないか、手遅れなのではないか、と。
すまない、カスミ……アシュリー。
絶望するカリーナの手を握り、血が逆流してくる苦しみに耐えながら、最後の言葉を遺そうと足掻いた。
「……カスミには、俺が死んだって言うな」
それが、俺の最期の言葉。
いずれ彼女も俺の死を知るだろう。少しでも悲しませないようにと思ったが……軍人の妻なのだ、こうなるのは覚悟しているだろう。それでも、妻を悲しませたくないという矛盾と不甲斐なさが込み上げてきて、意識を手放す寸前に視界が歪んだ。
ああ、俺泣いてるのか……。
そうだよな、やっぱり死にたくない……家族に別れを告げるには、まだ早い。
でも、もう駄目だ。お迎えが来てしまった。
じゃあな、カスミ。
俺は一足先に、仲間の所に逝ってるよ。




