最後の敵、その名は
「戦局に関する最新情報です」
「うむ」
「無人兵器群の襲来により、テンプル騎士団は防衛線力の4割を喪失。防衛線は今までに見ない速度で内地へ後退しつつあります」
ぴくり、と微かにヴィルヘルミナの眉が動いたのを、シャルロッテとベルは見逃さなかった。
こういう報告が上がってくるのは予想外、というわけではない。むしろ大方は予想通りに推移していた。東西冷戦に参加している国家の中でも抜きん出て強大な軍事力を誇るテンプル騎士団が本気を出してもこの結果なのである。
投入可能な戦力をかき集め、ヴィラヌオストクを消滅させた恐るべき兵器―――”対消滅兵器”を無制限に投入してもこれなのだ。テンプル騎士団の軍事力ですら食い止め切れぬ物量の暴力。それが今、クレイデリアに牙を剥いている。
ヴィルヘルミナが眉を動かした理由は、予定よりも早くテンプル騎士団の戦力が失われている事だろう。
実際、それはシャルロッテにしても、そして報告したベルにとっても予想外の早さであった。世界中の軍事力を目にする機会の多い立場故に、仮想敵国としているクレイデリアの軍事力はよく知っている。
中国軍に匹敵する正規軍を持ち、更に全盛期のソ連軍を遥かに上回る規模の民間軍事会社を持つ、世界最強の軍事国家。東側諸国、”永久安寧保証機構”の首領という立場であり、西側諸国にとっては最も厄介な存在。
しかしその軍事力は本物で、セシリアが団長に就任してからというもの、関わってきた戦争にはほとんど勝利してきた。敗北したのは、シャルロッテの進言で手を引いたアレイン内戦くらいのものであろう。
だからもっと踏ん張ってくれるものと、持ちこたえてくれるものと西側諸国も期待していたのだ。
だが、敵の戦力はこちらの想定を遥かに上回るものだった。
あのテンプル騎士団が。
世界最強の軍隊が、この世から消えようとしている。
世界最大の脅威が消えるならば良い、と考える政治家は多いだろう。資源採掘の利権を得ようにも、豊富な資源を有する国家は先に永久安寧保証機構に加盟してしまい、クレイデリア、ジャングオ、ポーンラントという三大軍事大国が睨みを利かせている状況。その頭が消え去れば永久安寧保証機構も瓦解し、西側が一気に有利となる。
―――そんな事を考えていられるのは、政治家だけだ。
猫の獣人特有の鋭い目を細くしながら、シャルロッテは心の中で嘆いた。今、このタイミングでのテンプル騎士団全滅が何を意味するのか、それを考える事も出来ず敵の出血死を喜んでいられるのは、目先の利益にしか興味がない堕落した政治家だけだ、と。
今クレイデリアを攻め滅ぼさんとしている無人兵器たちが、テンプル騎士団諸共クレイデリア人を皆殺しにした後にどうするか、そこまで考えが及ばないものなのか。
クレイデリアを更地に変え、そのまま姿を消す―――そんな事など有り得ない。
あれは飢えた猛獣だ。血肉を求めて徘徊する猛獣なのだ。その腹を満たすまで、無人兵器たちの殺戮は止まらない。
次はポーンラントかジャングオ、その次は倭国へと及び―――ポーンラントを滅ぼした一団は、そのまま隣国たるヴァルツへ雪崩れ込むだろう。
そう、決して対岸の火事というわけではないのだ。クレイデリアへの支援、それが出来なくとも国家予算の多くを防衛費に費やし、無人兵器群の侵攻に備えなければならない。
このままではやがて、全世界があの無人兵器に喰い潰されてしまう。
「クレイデリアへの支援を表明している国家は?」
「それが、全て断られているそうです」
「何故?」
「永久安寧保証機構での安全保障条約の条文の中に、このようなものが」
そう言いながら壁の立体映像投影装置を操作したベルが見せたのは、クレイデリア語で記載された条約の一文だった。
【クレイデリア及びテンプル騎士団は、永久安寧保証機構加盟国が攻撃を受けた場合、これを全力で防衛するものとする。なお、クレイデリアが敵国からの攻撃を受けた場合、加盟国各国に救援の義務は生じない】。
加盟している国家が攻撃を受けた場合、クレイデリアはそれを全力で支援するが、逆の場合その義務は生じない―――首領たるクレイデリアが滅亡の危機に瀕しても救援は無用、知らぬ存ぜぬを決め込むべし。
「これを根拠として、政府は援助を断っています」
「……時間を稼いでいる間に備えておけ、という事か」
冷戦中はまさに最大の脅威、目の上のたん瘤のような存在ではあったが、今となっては違う。
世界を守る最後の砦として、クレイデリアは無人兵器群の前に立ちはだかっているのだ。
今できる事は、クレイデリアからの難民の受け入れや軍備拡張―――無人兵器群の襲来に、とにかく備える事。
西側諸国にできる事は、それしかなかった。
44cm砲の一斉射撃が、味方の駆逐艦を呑み込もうとしていた無人兵器の濁流を粉砕する。大蛇の如き隊列に大穴が開き、反対側の空が覗いたが、それも僅か一瞬の出来事に過ぎなかった。次の瞬間には後続の無人兵器がその穴を埋め、何事もなかったかのように群れで空を舞い続ける。
どれだけ吹き飛ばしても、どれだけ撃墜しても終わらない戦い。
敵の物量が尽きるのが先か、それともテンプル騎士団が猛攻に屈するが先か。
「全艦右90度回頭。回頭完了後、前方の敵無人兵器群に対し対消滅榴弾一斉射!」
「おもーかーじいっぱーい!」
特殊作戦軍に所属する4隻のネイリンゲン級強襲揚陸戦艦たちも、この防衛戦闘に駆り出されていた。本来、彼女らの任務は特殊部隊を乗せて敵地に上陸させ、上陸完了後はその支援を行う事。要するに特殊部隊の母艦としての役割を期待された艦艇たちだが、こうなってしまっては本来の役割も何もない。
搭載していた車両やボート、ヘリを全て降ろし、身軽になった後部甲板に大量のボフォース40mm4連装機関砲、そして自沈用の対消滅爆弾を満載し、二度と帰らぬ覚悟で出撃してきた特殊作戦軍の主力艦隊。艦隊の司令官とネイリンゲンの艦長を兼任するリョウも、今回ばかりは死ぬだろうと遺書を遺してきていた。
もっとも、それを目にする仲間が戦後何人残っているかという事ばかりが気がかりなのだが。
圧倒的物量の敵にも屈さず、弾幕を張りながらウィルバー海峡を一糸乱れぬ動きで駆け回る特戦軍主力艦隊。全長320mの巨体とは思えぬ身軽さで回頭を終えた4隻の強襲揚陸”戦艦”たちが、第一砲塔と第二砲塔の砲口を、前方の無人兵器群へと向けた。
「撃てぇ!」
微かに間隔を空け、立て続けに合計8発の対消滅榴弾が解き放たれる。甲板が爆炎で真っ黒に染まり、装薬の強烈な臭いが艦橋へと流れ込んでいった。今頃航海長たちは咳き込んでいるのではないか、とそんな事を考えつつ、敵の情報が映し出されているCICのモニターに視線を向ける。
敵の陣形は、今の一斉射撃で大きく削れていた。まるで円柱状にくり抜かれたかのように陣形が抉れ、大きな隙が生じているのがはっきりと分かる。
その意図を理解したのか、そこに海軍航空隊のF-35Cたちが殺到した。削がれた勢いを取り戻そうと、対消滅榴弾による砲撃で捥ぎ取られた陣形を再編している最中の無人兵器たちに、ここまで温存していた対消滅ミサイルを放ったのだ。
艦載機用にサイズダウンしたモデルとはいえ、腐っても鯛。威力はまだまだ健在だ。強烈な一撃で抉られた傷口へと更に第二の銛が突き立てられ、純白の爆炎がウィルバー海峡上空で弾けた。
まるで雲が広がるかのような、真っ白な爆炎。触れた物質を何であろうと消滅させる死の炎が無人兵器たちに牙を剥く。
ついに、空飛ぶ大蛇を思わせる無人兵器たちの陣形の一つが完全に分断される。攻撃を終え、旋回し離脱に移る海軍航空隊。仲間の仇を討とうとしたのか、それとも単純に脅威と見做したのか、無人兵器の群れがイナゴのように陣形を離れ、F-35たちを追う。
それを薙ぎ払ったのは、彼らの後方から飛来したレールガンの一撃だった。
風を引き裂く金切り声にも似た轟音を響かせ、2機のSu-57Rが舞う。どこかの傷痍軍人が操る2機のSu-57Rは散開すると、レールガンをぶら下げ鈍重になっているにも関わらずクルビットを敢行。くるりと宙返りしながら機関砲を薙ぎ払い、周囲の無人機を撃墜してから颯爽と離脱していった。
ここは大丈夫だ―――そう判断し別の艦隊の支援に向かおうと、進路変更を命じようとしたその時だった。
「敵機、本艦に向け接近中!」
モニターの映像が切り替わる。陣形の寸断という大仕事をやってのけたネイリンゲンを危険と判断し、狙いを定めたのだろう。真っ赤に爛々と煌めく眼球でネイリンゲンを睨みながら、イナゴの群れが艦隊の頭上から急降下してくる。
「対空砲、撃ち方始めっ!!」
既に対空ミサイルは撃ち尽くした。残った兵装は主砲と機関砲のみ―――最新の装備を持っていながら、打てる手は第二次世界大戦と変わらない事にもどかしさを感じながらも、無線機のマイクに向かって命じる。
残弾があるCIWSよりも先に、後部甲板に砂の入った土嚢袋と共に並べられた機関砲群がいち早く反応した。最新機器の扱いに慣れていても、アナログな兵器の扱いに不慣れな若手を、そういったアナログな兵器で戦ってきたベテランが補いながら対空砲撃を開始。曳光弾の光が空へと伸び、艦の頭上で火球が連鎖する。
無人兵器の眼前へ到達した砲弾の近接信管が作動し、無人機を爆炎で包み込んだ。それにCIWSの高精度な対空射撃も加わり、艦隊の頭上は地獄に早変わりした。
空が燃えているかのような爆炎の雲。しかし、少しでも火力を緩めればたちまち敵の突破を許してしまう事になるだろう。1機でも敵機が取り付けば、そこから殺戮が始まる。
第二、第三砲塔の上部に備え付けられた対空機関砲もそれに加勢し、艦隊を狙った無人兵器群の勢いは完全に削がれた。
「最大戦速、距離を離せ!」
「機関室、最大戦速だ!」
『了解、最大戦速!』
この奮戦が、いつまで続くか。
CICに響く報告を聞きながら命令を下し、リョウはふと今は亡き親友の事を思い浮かべた。
復讐を誓い、ヒトであることを辞めながらも、結局組織の中で誰よりも人間らしさを見せた力也。彼が居たら、この状況も少しは変わっていただろうか?
(……僕も僕なりにさ、ベストは尽くしたんだ。最後の最後まで、ヒトでありたかった。君みたいに)
力也最期の出撃の直前、別れの盃を交わした事を思い出す。あの時の彼は、これから死にに行くとは思えない程澄んだ目をしていたのをよく覚えている。あれが死地に赴く人間の目か―――いや、だからこそだろう。己で死に場所を見つけ、やっとそこへ手が届く。そうなれば、残るものは何もない。あんなに澄んだ、綺麗な目で死にに行けるのだ。
モニターに反射して映る今の自分の目も、あの時の親友の目に似ていた。
ああ、そうだ。ここが死に場所だ。
腹は括った。後は最期の瞬間まで、断頭台の刃が落とされるその瞬間まで、足掻き続ければいい。
これが最期だ。
死んで後悔しないよう、盛大に。
「同志諸君、ここが踏ん張りどころだ。ベストを尽くすぞ!」
蒼い光の大地が、そこにはあった。
死者を慰めるような、生者の魂を浄化するような、全てを包み込む母の如き優しさすら感じる光。地中の奥深く、世界核と名付けられた地下遺跡の中を埋め尽くす光の発生源は、蒼い結晶の花弁を散らす花たちだ。
蒼い、蒼い大地。しかしその頭上に広がるのは地獄のような空だ。黒い無人兵器たちが無数に空を飛び交い、そこにあるはずの空をすっかりと埋め尽くしてしまっている。しかもその数はどんどん増え、次々に転移してクレイデリアへ向かっているようだった。
これを止めねばならない―――そのために、私は来た。
降りてきたエレベーターから、蒼い花畑へと足を踏み入れる。
一斉に、結晶の花弁が宙に舞った。まるでこの世界核の主に客人の来訪を告げるかのように。それは花たちが見せた、精一杯の歓迎の意志だったのだろうか? それとも外敵に対する警鐘か―――いずれにせよ、私を拒む理由にはならない。
地底の花畑の中央、そこにL.A.U.R.A.は居た。
確かに見れば見るほどに、写真に残るラウラ・ハヤカワそっくりだ。雪のような白い肌と、燃える炎のような、あるいは血のような赤毛。伝承の通りだし、テンプル騎士団の記録に残る彼女の容姿とも一致する。
下半身と胸元を装甲で覆ったそれは、まるで黒いドレスを纏っているかのよう。
これから始まるのは死の舞踏会。互いに互いの命を奪い合う、1対1の殺し合いだ。機械にそれが理解できるものだろうか―――そう思いながら62式機関銃の銃口をL.A.U.R.A.に向けた私は、ある事に気付いた。
最初にここを訪れた時よりも―――L.A.U.R.A.のお腹が、大きくなっているのだ。
以前もそうだった。お腹が膨らんでいて、そこに新たな命を宿した妊婦のようだった。しかし今は、あの時よりもさらに大きくなっている。生誕の時が近い、とでもいうのだろうか。
奴が生み落とすのは、無論赤子などではない。おそらくは今までの戦闘データを収集し、発展に発展を重ねた戦闘人形の完成形―――”完全体”、とでも呼ぶべきか。
そんな事はさせない、と引き金を引こうとしたその時だった。
『あぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!』
「フィオナ……?」
フィオナの苦しそうな声と共に、L.A.U.R.A.が頭を押さえながらもがき苦しみ始めたのだ。
L.A.U.R.A.に取り込まれ、同化した女神モリガン―――フィオナの意識は、まだ残っているらしい。が、変だ。あの機械の中で、L.A.U.R.A.の中で何かが起こっている。それは確かだった。
『消えろっ、消えろっ、消えろっ! 死人の分際で、私にノイズを……あぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!』
死人、とはどういう事か。
まさか―――L.A.U.R.A.に生体ユニットとして組み込まれた力也の脳が、あいつがL.A.U.R.A.の中で抗っているのか?
だとしたら、力也の意識はまだあの中に―――。
ベリッ、と何かが剥がれるような、嫌な音がした。やがて液体が溢れる音と気泡が弾ける湿っぽい音が連鎖し、花畑の上に紅い飛沫が降り注ぐ。
戦闘人形の人工血液とはまた違う、べっとりとした粘度のある液体だった。人工血液ではない……これはなんだ?
「!」
その答えは、L.A.U.R.A.の腹を見ればすぐに分かった。
大きく膨らみ、中に宿った命の生誕へのカウントダウンが始まったL.A.U.R.A.のお腹。その中から、真っ黒な装甲に覆われた剛腕が突き出ているのである。機械でありながら子を孕んだL.A.U.R.A.。その中で生まれたL.A.U.R.A.の子が、外に出ようと母体の腹を内側から引き裂いている。
やがて、腹が大きく裂け―――真っ赤に染まった羊水のような液体と共に、L.A.U.R.A.の生んだ最終兵器がその姿を現した。
手足には、今までの戦闘人形と共通した意匠が見て取れる。力也の義肢を更に洗練させた発展型、それを雛型にしているのは間違いない。
だが―――L.A.U.R.A.の腹から出てきたそれは、今までの戦闘人形と比較すると異質な姿をしていた。
両腕と下半身は機械だ―――それは良い。真っ黒な防弾フレームの隙間から、メモリークォーツ装甲の紅い光が漏れていて、それが決して生身の手足ではない事が分かる。
異質なのは、腰から上だった。
がっちりと鍛え上げられ、割れた腹筋がある。その表面は装甲では覆われてはおらず、肌色の、生身の人間と変わらぬ色合いの人工皮膚で覆われているのが分かる。シリコン製なのだろうか。
格闘家のような体格の身体。その上に乗っているその顔は、覚悟を決めてここにやってきた私を惑わすに十分だった。
「……力…也…………?」
L.A.U.R.A.の腹から生まれてきたのは、力也と全く同じ顔と同じ身体を持つ、戦闘人形の完全体だった。
バシュウ、と蒸気が抜けるような音がして、へその緒の代わりに母体と繋がっていた最後のケーブルが切り離される。
すっ、と手を突き出す完全体。するとその掌に炎が生じ、やがてそれは1本の大きな鉄杭へ姿を変えた。
それはかつて、亡き妹のために復讐を誓った男の姿。
私の最後の敵――――――その名は、力也。
『―――ターゲット確認。排除開始』




