母の戦い
後世において、セシリア・ハヤカワの評価は大きく二分されている。
二度に渡る世界大戦をクレイデリアの勝利に導いた英雄か。
それとも、権力と力に溺れた冷酷な独裁者か。
しかし世間の評価がどうであれ、彼女は私の母だった。
我らの母だった。
リキヤ・ハヤカワⅡ世 著 『勝利の母』より
1967年 6月15日 8月15日
クレイデリア連邦 首都アルカディウス
『次のニュースです。アスマン帝国北部で発生した自爆テロについて、帝国陸軍参謀本部は徹底的な報復を行うと声明を発表。テロ組織への攻勢を強めていく模様です。テロの主犯格はヴァラム教過激派と見られており、同組織は各地で破壊活動を―――』
冷戦が終わったと思ったら今度はこれだ。
対テロ戦争。大規模な戦争とか、大国のイデオロギーに操られた中小国の代理戦争こそなくなったものの、世界中のいたるところでこうしたテロ活動が目立つようになっている。
アナリアとクレイデリアという二大国家の対立が無くなり、世界が1つに纏まろうとしている時代にこれだ。古傷から滲み出る膿のように、テロリストという存在は姿を現した。
毎日のように報じられるテロについてのニュースに嫌気が差しながら、さっき買ってきた安物のチーズバーガーにかぶりつく。チーズの味とピクルスの酸味が良いアクセントになっていて、これが本当にワンコインで買えるハンバーガーのクオリティで良いのかと感動すら覚える。
「団長、この後の予定ですが」
「うん」
「9時よりNATOの会合、その後は国際対テロ委員会での演説、正午からはジャングオのリー・ルオシー総統主催の昼食会、午後からはモルゴリア陸軍との合同演習の視察、夕方からは倭国首脳との会合となっています」
「今日もスケジュールぎっちぎちだねぇ」
「これも仕事です。お覚悟を」
ちょっとは休みをくれないものかね、と不満も言いたくなるが、母からこの役目を―――テンプル騎士団団長という役目を受け継いだ時から、覚悟は決めていた。
二度の世界大戦、冷戦、そして無人兵器群の襲来。徹底的な破壊を乗り越え、これから始まるのは”再生の時代”。傷を癒し、隣人と手を取り合いながら、共に未来と繁栄へ突き進む時代だ。その舵取りを任されたのだから、責任は重大である。
ハンバーガーを平らげ、キンキンに冷えたタンプルソーダの入ったコップに手を伸ばしたその時、オフィスにある電話が鳴った。
『デェェェェェェェェェェェェン!!』
「はい、ハヤカワです」
『同志団長、アナリアン・タイムズの記者がいらしていますが』
はて、アポは取っていたか……ちらりと側近のユーリ隊長の顔を見上げると、覚えがありませんな、と言わんばかりに首を横に振った。なるほど、アポなしで天下のテンプル騎士団本部に突撃とは、なかなか肝の据わった記者もいるものだ。
まあ、冷戦も終わり東西の国交も正常化した後だからこそこんな事が出来るのだろうけど。
「記者の名前は?」
『マリエ・センドウという方ですが』
マリエ……”センドウ”か。
ちょっとばかり、ニヤニヤしたくなった。腕時計を確認し、さっきユーリ隊長が言っていた次の予定まで時間がある事を確認してから、これくらいいいだろ、という意味を込めて隊長の顔を見上げる。
「面白い、オフィスまで通してくれ」
『かしこまりました』
「団長!」
受話器を置くと同時に、ユーリ隊長が呆れながら言う。
「予定に遅れたらどうするのです」
「大丈夫、早めに切り上げるさ」
「まったく……いいですか、先代の頃より組織の規模は縮小したとはいえ、あなたは歴史あるテンプル騎士団の9代目団長なのです。もっとこう、団長としての自覚をですね……」
「分かってるさ」
分かってるからこそ、だ。
確かに今のテンプル騎士団は、先代―――母の代と比較すると、僅か17%程度の規模しかない。
1935年の12月、忌むべき無人兵器群の襲来により、人類滅亡は回避されたものの世界は大きな傷を負った。特にテンプル騎士団の損害は深刻で、全体の戦力の83%を喪失するという熾烈な戦いだったという。
それでも残った戦力は先進国の軍隊と同等のレベルだというのだから、当時のテンプル騎士団がどれだけ馬鹿げた戦力を保有していたのかが良く分かるというものだ。そしてそれを統率していた母の力にも脱帽である。
戦後、テンプル騎士団は国防のためにも十分な戦力を有していたことから再度の軍拡を行わず、残った軍備の最適化を行いつつ、母から俺の代になってから空いた予算を世界の復興のために費やした。
『破壊から再生へ』―――それが今のテンプル騎士団が掲げる政策の目玉となっている。
しばらくすると、コンコン、とオフィスのドアをノックする音が聞こえてきた。ハンバーガーの包み紙をゴミ箱にホールインワンさせてからどうぞ、と返事を返すと、扉が開き、金髪の綺麗な女性の記者が部屋の中へと入ってきた。
「失礼します。私、アナリアン・タイムズ記者のマリエ・センドウと申します。団長のリキヤ・ハヤカワ氏ですね」
「ええ。ハヤカワです、よろしく」
「本日はアポも無しにいきなり申し訳ございません」
「全くです、せめて事前にアポを―――」
「まあまあ」
隣で腕を組むユーリ隊長を宥めながら、どうぞ、と来客用のソファへ案内する。まったく、ユーリ隊長はなかなかお堅い性格なのが玉に瑕だ。彼も父親譲りの、正義感の強い優秀な兵士なのだが。
人数分の紅茶を淹れ、ジャムを添えてから一緒にソファに腰を下ろすと、マリエ・センドウ氏はボイスレコーダーと思われる小さな機械をテーブルの上に置いた。
「ジャムで良かったかな? ブランデーもあるけど」
「いえ、クレイデリアン・スタイルの紅茶には興味がありましたので」
「それは良かった」
正確にはオルトバルカの飲み方だけどね、コレ。
「いきなり質問して悪いけれど……センドウさん、貴女の父親はもしかして、ユニットXの?」
「ええ……マサト・センドウは私の父です」
やっぱりそうだ。
冷戦中、対テンプル騎士団のために設立されたアナリアの特殊部隊、ユニットX。転生者のみで編成された彼らと、テンプル騎士団の特殊作戦軍は冷戦中に幾度も鎬を削り合ったという記録が残されており、情報が公開された今となっては冷戦を扱った創作物の定番のネタにされている。
「冷戦中は色々あったようで……お父さんはお元気ですか?」
「ええ。退役して今は母と一緒に暮らしています。毎週退役軍人とゴルフをするくらい元気ですよ」
お元気そうで何よりです。
「それで、こちらもお伺いしたいことが」
「大方、母の事でしょう?」
「ええ」
やっぱりそうだ。
セシリア・ハヤカワ―――俺の母で、先代のテンプル騎士団団長。二度の世界大戦を勝利に導き、無人兵器の襲来から祖国と組織を身を挺して守り抜いた英雄という評価もあれば、フランセン人の虐殺を指示し、権力と武力に溺れた冷酷な独裁者という正反対の評価をされる事もある。
彼女に関しては公開されていない情報も多い。テンプル騎士団が情報公開に積極的となった今となっても、だ。
「あの方が今、世界からどういう評価を受けているかはご存じですね」
「ええ」
「ですが私は知りたいのです。あの人が―――セシリア・ハヤカワが、本当はどういう人だったのか。英雄でも、独裁者でもないあの人の素顔を、ありのままの姿をあなたの口からお聞かせ願いたい」
「……なるほど」
ありのままの母の姿、か。
まあ、良いだろう。
世界の評価を覆せるような事でもないが……知ってる限りを話そう。
「―――あの人は、世界の評価がどうであれ、私にとってはたった1人の母親だったのです」
1935年 12月7日
ハッチを開け、ヘヒト・イェーガーの上へと這い出た。
空には黒雲が浮かび、太陽すらも呑み込もうとしている。あれが本物の雲ではなく、無数の無人兵器によって形作られた影なのだとしたら、戦力差は相当なものだ。10億対1……その彼我の戦力差ですら、甘く見積もったものなのではないかと思えるかもしれない。
兵士1人につき10億体は倒さねば、戦力は吊り合わないという事だ。
しかし、そうはならない。敵の戦力は無尽蔵ではあるが……親玉たるL.A.U.R.A.を倒してしまえば、無人兵器の生産は止まるだろう。そうなれば世界は救われる。
私1人の命と引き換えに。
腰に下げたポーチから、魔力ビーコンの誘導装置を取り出した。電源を入れ、紅いLEDが光り出したのを確認しポーチに戻す。
これで衛星軌道上のハーキュリーズ13は、このビーコンがある場所へと落ちてくる。これが発する魔力放射を受信し、それに向かって誘導するという仕組みだ。問題はこれを最後まで、それこそ落下してくる衛星砲が終末誘導に入るまで続けねばならないという事。
ハーキュリーズ13の全長は300m。各所にメモリークォーツを使用して軽量化が図られているとはいえ、その重量は1350tにも及ぶ。そんなものが、一発でツァーリボンバの700倍の威力となる対消滅榴弾を15発も満載して、衛星軌道上から落ちてくるのだ。単純な質量だけでも破滅的な威力を誇るそれに、核を上回る破壊力の兵器を満載すればどうなるか。
少なくとも、L.A.U.R.A.は確実に消滅するだろう。フィオナが遺した忌まわしい負の遺産の完全消滅を以て、この事件は幕を閉じる。それで良いではないか。
ヘヒト・イェーガーから降り、かつて”オレンジ・ビーチ”と呼称されていた砂浜へと上陸。防水ケースの中から武装を取り出し、攻撃準備を済ませる。
一際大きな防水ケースの中から出てきたのはブローニングM2重機関銃。12.7mmNATO弾を使用する、大口径重機関銃のベストセラー。テンプル騎士団では海兵隊を中心に採用されているが、既に広く使用されているKordやKPVとは弾薬の規格が全く違う事から、採用されている数はそれほど多くない。
手持ちで撃てるように改造されたそれのコッキングレバーを引き、初弾を薬室へ装填。後端部に追加されたピストルグリップを握り、銃身の付け根から伸びるキャリングハンドルを掴んで腰だめで構える。
親衛隊の兵士たちの装備も、殆どが機関銃だった。RPK-203にドラムマガジンを装着し、ストックやハンドガードを改造したものを装備している。通常のアサルトライフルでは、装弾数の関係から無人兵器群に不利という判断なのだろう。
オレンジビーチから内陸部へ素早く移動し、ジャングルを抜ける。前回ここを訪れた時と同じルートだったが、信じがたい事に敵の警戒やトラップは一切ない。ジャングルを抜けて岩山まで辿り着いたが、はっきり言って拍子抜けだった。
違うのは、ここから先だろう。
幻術で隠されていたハッチから、内部を確認し突入。元々老朽化の著しかった施設内部は、L.A.U.R.A.への直接攻撃の際に生じた爆発の振動で大きく崩落していた。以前に来た時よりも、床には多くの瓦礫やケーブルが転がっている。下手にここで爆発物を使おうものならば、今度こそ完全に崩落するのではないか―――手榴弾の使用すら躊躇わせるほどの惨状に、息を呑む。
敵が来る様子も今のところはない。とりあえず、前回と同じルートで進んで行くとしよう。砲撃で世界核が露出するほどに大地が抉られているのだから、ミサイルサイロまで降りた後はルート変更をせざるを得ないが。
無論、地上のクレーターの底から行くという作戦も考えたのだが、今やあそこは無人兵器の出入り口になっている。ダムの放水口に突っ込むようなものだ。いくら殲滅に適した武装を持っていると言ってもあの物量は捌ききれない。
タラップを駆け下り、ミサイルサイロの底へ。
サイロの中は静まり返っていた。無人兵器が出てくる気配どころか、物音ひとつしない。
「……」
止まれ、と親衛隊の兵士たちにハンドサインを送る。
今、微かに空気が震えた。単なる振動だったそれは、ビリビリと反復を繰り返し、空気中に不吉な波紋を広げていく。
やがて―――破壊されたエレベーターの扉をぶち抜いて、無数の無人兵器が姿を現した。やはり、大量の群れと共に雪崩れ込んでくるその姿は、餌を求めて移動するイナゴの群れのようだ。
撃てと命じる代わりに、ブローニングM2重機関銃の引き金を引いた。銃身の半ばまでヒートシールドで覆われた太い銃身から、勇ましい銃声と共に50口径の弾丸が放たれていく。
それを合図に、親衛隊の兵士たちもRPK-203をフルオートで放ち始めた。セミオートで攻撃する余裕などない。出し惜しみすればやられる。
マズルフラッシュの向こうで、被弾した無人機たちが次々にスクラップに変わっていった。最低限しか搭載されていない防弾フレームではこの程度の防御力なのだろうが、もしこれが本格的な防御力を持った兵器であれば今頃世界は全滅していただろう。この物量で、なかなか壊れないとなればもうお手上げである。
個々を突破し、L.A.U.R.A.を破壊するまで止まるわけにはいかないのだ。
既に魔力ビーコンのスイッチは入れた。今頃、衛星軌道上ではハーキュリーズ13が姿勢制御を繰り返し、大気圏突入準備に入っている事だろう。
やるからには、L.A.U.R.A.に直撃させねば。
そうしなければ、世界は救われない。
人類に未来は訪れない。




