悪魔の槍
「状況を」
会議室の椅子に背中を預け、腕を組みながら顔を上げると、会議室で立体映像投影装置の準備をしていたシルヴィアが、親衛隊の兵士に目配せをした。髪を黒く染めた親衛隊の兵士は頷くと、手元にあるキーボードを手慣れた様子で弾き、立体映像の制御装置を立ち上げていく。
テンプル騎士団のロゴ―――異世界の”中国”という国と、”ソビエト連邦”とかいう国家の国旗を組み合わせたようなデザインだという―――が投影され、衛星軌道上に浮かぶ巨大な砲身が映し出された。
衛星砲として衛星軌道上を漂う”ハーキュリーズ13”、その無残な姿だった。
「L.A.U.R.A.からの反撃は辛うじて魔力防壁で防ぎましたが、御覧の通り無傷ではありません。砲身の前部は融解、宇宙飛行士による調査では機関部にも甚大な損傷が見受けられました。GPSの受信装置も全壊、制御機構も破損し、砲弾の装填機構にも損傷が見受けられるとの事です。砲撃はもう不可能でしょう」
L.A.U.R.A.の放った対衛星レーザー、ハーキュリーズたちを片っ端から屠ったその一撃に、ハーキュリーズ13だけは辛うじて耐えた。衛星軌道上に浮かぶデブリや隕石、有事の際には西側諸国から放たれるであろう対衛星ミサイルに対しての防御システムとして、あれにはチェルノボーグ以上の出力を誇る魔力防壁が備わっており、それが見事に役目を果たしたと評するべきか。
しかしそれは、完全ではない。
映像に映る衛星砲を見れば、それが決して無傷で済む代物ではなかったという事が分かる。
砲身の前部は熱で融解、冷たい宇宙空間の中でまだ真っ赤に熱を発している。目立った外傷はそれくらいのものだが、機関部や装填装置にも深刻な損傷があるらしく、もう衛星砲としての役目を果たす事は出来ないだろう。
「……復旧の目途は?」
問うと、シルヴィアは首を横に振った。良い報告の時も、悪い報告の時も、彼女は常に淡々と告げる。まるで自分の事ではないかのような冷たさがあるが、落ち込んだような声で報告されるよりも、これくらいはっきりと言ってもらった方が気分が良い。
「L.A.U.R.A.からの砲撃の余波を受け、予備パーツの保管モジュールが全損しました。宇宙空間での復旧は叶わないでしょう。シャトルを送るにしても、クレイデリア国内の宇宙基地は大半が破壊されています。可能性があるのはジャングオと倭国ですが……」
「そこから打ち上げたとしても間に合わぬ、か。やってくれるものだな」
溜息をつきながら、ラトーニウスに変な配慮をした自分の愚かさを呪った。クレイデリアとラトーニウスの関係悪化を回避するため、対消滅弾頭ではなく通常の弾頭での攻撃を指示したのは間違いだった。今ではそう思っている。
というのも、ラトーニウスはNATOへの加盟に積極的であり、西側諸国も受け入れ態勢を整えつつある。NATO加盟国への攻撃は西側諸国への宣戦布告に等しいわけだが、ファルリュー島はラトーニウスの領海内にある彼らの領土だ。そこに対消滅弾頭による飽和攻撃を行おうものならば、被害は島の消滅だけに留まらない。
あれは最も威力を抑えたモデルでも、ソビエトが開発した世界最強の水爆”ツァーリ・ボンバ”の700倍の破壊力を秘めている。放射能こそばら撒かないが、爆風に触れた物質を何だろうと消し去る性質を持っており、その脅威度は核兵器を軽く超える。
そんなもので飽和攻撃を行おうものならば、衝撃波を受けて発生した津波がラトーニウス沿岸部を襲うだろう。それでもまだ運が良い方で、最悪の場合は爆風がラトーニウス沿岸部にまで達し、多くの民間人に被害が出る。
NATO加盟に積極的な国家に被害が及べば、クレイデリアの立場は危うくなる―――最悪の場合、西側諸国との核戦争の口火を切る事になりかねない。
そういう政治的な事情もあったからこその選択だったのだが―――迂闊だった。最悪の場合、国際的な非難を私1人が背負って組織を守るという道もあっただろうに。
過ぎたことを悔いても仕方がない。今はとにかく、今できる事をやるべきだ。
「砲弾はあるのに撃てないのか」
「海神から余剰パーツの譲渡は受けられないか?」
「馬鹿、海神の衛星と我が軍の衛星は規格が全く違う。流用できるパーツなんてあるわけがない」
GPSの受信装置は全損、機関部にも深刻な損傷―――つまりは他の衛星からの観測データを受信できず、制御機構の破損により本部からの命令も受け付けない。宇宙を漂うデブリに成り下がった、という事だ。
「シルヴィア」
「はっ」
「ハーキュリーズ13用の予備砲弾、何発残っているか」
「……対消滅弾頭が15発です」
砲弾は無事、か。
それならばまだ、手はある。
バーナビー・ヘルソン大統領にとって、最近の楽しみは古い映画を見る事だった。
若い頃はよく、当時付き合っていたガールフレンド―――そして今の妻である―――を誘って映画館で映画を見ていたものだ。若き日のヘルソン大統領はアクション映画が好きで、特にアナリアのヒーローが悪を打ちのめすような、そういう映画ばかりを見ていた。
世界大戦当時は帝国軍がモデルの悪の組織を、そして冷戦中はテンプル騎士団をモデルにした悪の帝国を、正義のヒーローが殲滅するような映画。そういう代物が上映され、西側諸国でヒットを記録している。
けれども最近では、山のようなポップコーンを片手に過激な映画を見るだけの余裕は彼には無い。
勢力拡大を続けるテンプル騎士団への牽制や対応で手いっぱいで、そういった映画を気分転換に見ようものならば、嫌でも”仕事”の事を思い出してしまう。プライベートでも仕事の事が切り離せないというのはかなりの苦痛で、だから彼は辛い現実から逃れるように、最近ではラブストーリーやコメディを好んで見るようになった。
永久安寧保証機構への対応だけではなく、つい最近ではテンプル騎士団より公開された、クレイデリアを蹂躙した謎の兵器への対策にも追われているヘルソン大統領。最後に妻と映画を見たのはいつだったか―――確かあれは3ヵ月前、昔と変わらぬ映画館で、ポップコーンを手にしながらコメディ映画を見たのが最後だった。
次に妻を映画館へ連れて行ってあげられるのはいつになるのだろう―――コーヒーを飲みながらぼんやりとそんな事を考えていると、執務室のドアをノックする音が聞こえてきた。
「入れ」
「失礼します」
入ってきたのは副大統領だった。スーツ姿の似合う紳士のようにも見える男だが、過労が祟ってか少し瘦せたようにも見える。執務中にぶっ倒れないか心配になってしまうほどだ。ヘルソン大統領の補佐を任せられるのはこの男しか居ないのだから、無理だけは控えてほしいものである。
副大統領が片手に持つトレイの上を見て、大統領は要件を察した。
トレイの上には、ダイヤルの無い紅い電話がある。受話器を手に取れば、テンプル騎士団団長たるセシリアの元へと電話が届く仕組みとなっている。いわゆるホットラインだ。
「大統領、セシリア・ハヤカワ団長よりホットラインです」
どうせ、例の無人兵器群についてだろう。
主力部隊不在の隙を突かれたとはいえ、あのテンプル騎士団に無視できぬ大打撃を与えた兵器だ。西側諸国でもその存在を最大の脅威と捉え、国家防衛のために軍拡を推し進めている。アナリアも例外ではなく、軍への予算を10%上乗せする法案が上院と下院を通過したところだ。
力は、更なる力によって滅ぼされる。それは世の常だが、テンプル騎士団にここで倒れられては困る。
万一クレイデリアが陥落し、世界最大規模の軍隊が全滅したとなれば―――次は我が身、我が国だ。これは決して対岸の火事ではない。むしろ、あの”輪廻の大災厄”以上の世界存亡の危機と言っていい。
受話器を手に取ると、相も変わらず威圧的な女の声が聞こえてきた。あれほどの大損害を被ったというのに、我関せずといった態度にも思えたが―――ヘルソン大統領には、微かに声音が優しいように聞こえた。
なんだかんだでセシリアとは長い付き合いだ。彼が大統領になる前、陸軍の参謀総長を務め、共に枢軸国軍や帝国軍と戦っていた頃からの付き合いだからこそ、その微かな変化に気付く事が出来たのかもしれない。
『久しいな、大統領』
「これはこれは、セシリア・ハヤカワ。今回は何用かな?」
『例の無人兵器―――あの親玉の居場所は特定している。36時間後、我々はその親玉に総攻撃をかけるつもりだ』
無人兵器の親玉―――テンプル騎士団からの情報にあった、L.A.U.R.A.という巨大兵器の事だろう。彼らの公開した情報を信じるならば、それは離反したフィオナ博士が無人兵器の統括AIとして製造した巨大兵器であるという。
「……勝算は?」
『ゼロではないが、100とも言えない』
セシリアにしては珍しい、はっきりしない返答だった。
それほどまでに追い詰められている事か―――事態は思ったよりも深刻なのかもしれない。まるで水銀でも飲み込んだように胃が重くなる感覚を覚え、大統領は自分の顔が強張っていくのを感じた。
彼女であれば”勝てる”だとか”勝てない”といったように、100か0かではっきり答える。中途半端な、曖昧な答えを返すような女ではない。
『今回連絡したのは、もう一つ理由がある』
「何だね」
『……君たちには色々と迷惑をかけた。この戦いが終わったら、冷戦を終わりにしよう』
彼女の声は、傍らで立つ副大統領にもはっきりと届いていた。東西で世界を二分した冷戦、それを終わらせようという申し出。セシリアからの有り得ない提案に、大統領の頭が真っ白になる。
「待て、団長。それはいったいどういう―――」
『すまんが会議が始まる。これが最期の会話になるのは寂しいが……私はこれで。さらばだ、大統領』
それは彼女なりの、あまりにも不器用な謝罪にも聞こえた。まさか、と嫌な予感が脳裏を駆け巡り、顔が青くなっていく。待ってくれ、と受話器に叫んだが、向こうから聴こえたのは接続が解除された事を意味する電子音だけだった。
嫌な予感と不器用な謝罪の言葉だけを残し、セシリアと大統領の最期の会話は幕を下ろした。
「作戦を説明する」
大会議室に集合した、各部署の将校や司令官たちの顔を見渡しながら淡々と告げた。第一次世界大戦以前、それこそ初代団長の時代から今まで戦い抜いたベテランの将校もいれば、つい最近昇進したばかりの、真新しい軍服に身を包んだ若手の将校もいる。
ここに居る誰もが、いや……テンプル騎士団に所属する全ての同志たちが悟っている筈だ。
”これが最期の戦いだ”、と。
立体映像を操作した。ロゴマークが展開するアニメーションが中断され、立体映像に地球の映像と、その周囲に浮遊する衛星砲―――ハーキュリーズ13の映像が映し出される。
「知っての通り、我が軍の衛星の大半は破壊され、海神から供与された人工衛星も4割を喪失した。現在、海神が軌道の修正やバックアップデータの整理を行っているが、今後の作戦能力にもそれなりに影響は出るだろう。それに我々は、切り札たる衛星砲を封じられている」
ハーキュリーズ13が使えなくなったのは大きな痛手だ。タンプル砲の再装填作業も進んでいるが、圧倒的な打撃力を誇る決戦兵器を封じられた痛手を補うまでには至らない。
「敵は無尽蔵の物量を誇る。現在、各地に展開している部隊を呼び戻し、祖国の防衛のために展開させているが……彼我の戦力差は10億対1、勝算はない」
将校たちがざわめいた。若手の将校も目を見開き、「10億対1だって……?」と驚いたように口にしているのが聞こえる。
そうだ、それほどまでに絶望的な戦力差だ……我がテンプル騎士団の全戦力を以てしても、それほどまでの差がある。輪廻の大災厄が可愛く思えるほどだ、笑えてくる。
結局、今の我々にできる事は”全戦力を展開し迎撃する”という、無いよりはマシ程度の延命措置だった。
「現在、非戦闘員のジャングオへの疎開を急がせている。国土全域が戦場となるだろう。だが、この作戦はそれだけではない」
映像が切り替わった。海神の衛星から撮影された、ファルリュー島の衛星写真だ。タンプル砲の全力砲撃で焼き払われた土壌から、世界核の蒼い光が漏れ出ている。
「諸君が無人兵器を迎え撃っている隙を突き、私と親衛隊がファルリュー島へ突入。L.A.U.R.A.を完全破壊し、この惨劇に終止符を打つ」
L.A.U.R.A.の完全破壊―――。
少なくとも、手持ちの火器であれを破壊するのは困難を極めるだろう。工兵の頼れる大親友であるC4でも無理だ。せめて艦砲射撃、あるいは要塞砲クラスの破壊力が無ければ、あの忌々しい機械の女神を仕留めるのは不可能と言っていい。
そこで映像が切り替わった。衛星軌道上、そこを漂うハーキュリーズ13が映し出され、地球へと降下する予測コースがオレンジのラインでハイライト表示される。
「当然ながら手持ちの火器での破壊は困難だ。そこで、衛星軌道上のハーキュリーズ13にありったけの対消滅弾頭を装着しファルリュー島へと落下させ、L.A.U.R.A.の完全破壊を試みる」
「同志団長、発言の許可を」
「許可する」
手を挙げて立ち上がったのは、特戦軍の指揮官であるジェイコブ上級大将であった。第一次世界大戦の頃と比べると、今の彼は多くの戦場を見据えてきたベテランの将校と言っても良い眼光の鋭さがある。
おそらく、察したのだろう。今回の作戦の内容を。
「ハーキュリーズ13は制御機構が破損していると聞いています。ファルリュー島に落とすにしても、それを誘導する手段が無いと思うのですが」
「それについては代替手段を用意している」
「代替手段?」
背後の立体映像が切り替わった。宇宙飛行士たちが、破損したハーキュリーズ13に新たなモジュールを急ピッチで装着している映像が流れる。
「元々、我々の人工衛星は耐用年数が過ぎたものを質量弾として敵勢力への攻撃に使う事を前提として設計されている。このハーキュリーズ13も例外ではない。有事の際には核弾頭や対消滅弾頭を満載し、敵地へ落とす質量弾としての運用も想定されている」
今、宇宙飛行士たちが衛星軌道上で行っているのはそのための作業だ。外付けの誘導モジュール、魔力誘導装置の取り付けと対消滅榴弾の装填作業。今、天空から地表を見下ろす衛星砲は、その命と引き換えに全てを滅ぼす悪魔の槍と化した。
さすがにこれならば、この一撃ならば、L.A.U.R.A.の完全破壊も夢ではない。無人兵器群の防御を突き抜いて、ファルリュー島諸共あの機械の女神を完全に消滅させてくれる事だろう。
「誘導は地上からの魔力ビーコンで行う」
「待ってください。魔力ビーコンによる誘導はまだ試験段階で、終末誘導まで全て手動で行わなければなりません」
「分かっている」
「衛星砲に搭載される対消滅榴弾は15発……転移でも間に合いませんよ」
「分かっているとも」
本来、質量弾として使用する場合は他の衛星からのデータを受信しつつ、投下される衛星の制御機構が自身の誘導を行う仕組みになっている。ハーキュリーズ13の制御機構が健在であればこの手が使えたのだが、残念ながらL.A.U.R.A.の反撃でこれは破損、ハーキュリーズ13単独での誘導は叶わない。
だから誰かが、衛星落下のその瞬間まで現地に留まり、魔力ビーコンで誘導を行わなければならないのだ。
対消滅榴弾が、全てを消し去るその時まで。
「団長、あなたまさか……」
「誘導は私が行う」




