女神の目覚め
ガギン、と荒々しい金属音を蒼穹に響かせながら、保護カプセルが分離されていく。それはまるで鋼鉄の蕾が花開くかのような光景にも思えたが、蕾の中身は美しさで人々を癒す花などではない。
むしろ、一撃で人類を死に追いやる最悪の破壊兵器―――その片鱗であった。
大陸間弾道ミサイル”トーポリM”。ロシア製の兵器をテンプル騎士団が改良し、タンプル砲からの発射にも対応できるようにした代物だ。本来であれば核弾頭、あるいはより強力な対消滅弾頭を搭載し、敵国への核攻撃及び報復攻撃に備えつつ、敵の攻撃を抑止する”使われない前提の兵器”である。
抑止力として敵国を威圧するべき兵器がその矛先に捉えたのは、忌むべき敵が眠る島―――ラトーニウス共和国領、ファルリュー島。
永久安寧保証機構加盟国を仮想敵国とし、クレイデリアに対しても強行的な外交政策を行うラトーニウスへ配慮し、ミサイルの中身は核弾頭や対消滅弾頭ではなく通常弾頭となっている。火力はかなり落ちるものの、搭載されている複合装薬と大気圏外からの突入の勢いがあれば、その破壊力は核兵器にも劣らない。
砲撃の際の爆発からミサイルを防護する保護カプセルを脱ぎ捨て、世界の終末を齎すであろう本来の姿を露にした7発のミサイルたち。燃料を全く使わぬまま大気圏を離脱した彼らは、姿勢制御用のスラスターを吹かしながら軌道を修正し、やがてその切っ先を再び蒼い地球へと向けた。
狙うはファルリュー島地下、世界核の中に眠るL.A.U.R.A.―――フィオナの遺した最悪の遺産、その首一つのみ。
大気圏へと突入を開始したタイミングで、やっとミサイルの後端、そのエンジンノズルに紅い炎が燈った。
紅い炎を纏い、大地へと落ちていく7つの流星。
ラトーニウス共和国沿岸部の都市『ガナジスク』の街中からも、その光景ははっきりと見えた。近隣に海軍の基地があり、頻繁に軍事演習が行われている事から、突然の爆音には慣れている住民たちであったが―――その異様な光景には、足を止め、顔を上げて凝視せざるを得なかった。
ある者は隕石だと叫び、信仰深い老人は世界の終わりだと嘆く。母の腕に抱かれた幼い子供は、紅く燃えるミサイルを指差しながらそれを目に焼き付けた。
やがて7つのミサイルと、同時に着弾するようタイミングを計算して放たれた1発の徹甲榴弾、合計8発の鉄槌がファルリュー島を打ち据え―――核爆発のように派手な火柱を、冬の空に打ち立てた。
着弾と同時に、モニターにノイズが走る。荒れ狂っていた波がまるでしかりつけられたかのように大人しくなったかと思いきや、吹き上がる火柱に遅れて生じた衝撃波によって海面が大きく抉られ、巨大な波と化す。
ファルリュー島近海に潜むノーチラス級原子力潜水艦”モビーディック”が出撃させたドローンからの映像だった。機体が激しく揺れ、衝撃波の中で何とか体勢を立て直そうとする様子が、中央指令室のメインモニターに映っている。
初弾命中、とオペレーターが告げた。各拠点から5点バースト、つまりタンプル砲に充填されている装薬全てをつぎ込んで放たれた砲撃の一番槍は、正確に標的となる島を直撃していた。
『第二波、来ます』
火柱がキノコ雲と化し、ラトーニウスの空へ立ち昇っていく最中に、二度目の攻撃がファルリュー島を穿った。傘のように広がるキノコ雲を突き抜いて地表を穿った8つの流星が、再び核爆発のような火柱で南ラトーニウス海を震わせる。
核戦争が始まったら、きっとこんな光景が世界中で繰り広げられるのだろう―――核戦争の予行演習にも思える映像を見据えながら腕を組んでいたセシリアの耳に、オペレーターからの報告が届く。
「世界核、露出を確認」
映像が切り替わり、人工衛星からの映像となった。まるで火山の噴火を宇宙空間から観測しているようにも思える映像だが、どんな処理を行ったのか―――濛々と立ち昇る黒煙が薄れ、その内側に広がる巨大なクレーターがはっきりと見えるようになる。
ファルリュー島地下にあったミサイルサイロはもう、その原形を留めていなかった。焼け爛れ、いたるところで火種が燻る灼熱のクレーターの表面に、辛うじて人工物らしき物体の一部が覗く程度である。
そのクレーターの底に、見覚えのある光景が広がっていた。
こんな状況でも機械のように淡々と報告してくるホムンクルスたちですら、それには息を呑んだ。
黒く、紅く、焼け爛れた破滅の大地。
その真ん中に、文字通りの異彩を放つ領域がある。
燻るクレーターの中心部、その奥底。ポツリと空いた穴の中から漏れるのは、地底で咲き乱れる蒼い花。火の粉と共に濛々と立ち昇る黒煙の中に、セシリアには見覚えのある蒼い結晶の花弁が混じり始める。
世界核の中で咲き乱れていた、あの花だ。
二度に渡るタンプル砲の斉射を受け、ついにミサイルサイロの底にあった地盤までもが抉られ、露出した世界核。地底に穿たれた空間に咲き乱れる蒼い花、その中心部に佇む巨大な影が、ゆっくりと動き始める。
それは巨人だった。
大きさは30mはあるだろうか。肌色の、しかし色白の人工皮膚で覆われた巨大な身体の構造は、人間の女性そのものだった。すぐ近くで見なければ、本物の巨人にしか見えないだろう。胸元や下半身は黒い装甲とケーブルで覆われ、まるで黒いドレスを身に纏っているかのよう。お尻まで伸びた赤毛は炎のようで、まるで太古の伝承に残る女神を彷彿とさせる。
L.A.U.R.A.。フィオナ博士が設計からシステムの構築まで全てを行い、テンプル騎士団の中枢AIとする予定だった代物。無人兵器の操縦から各種兵器の管理に至るまでを肩代わりさせる筈だったそれが、今となっては人類に牙を剥く存在となっている。
眠りから目覚めた巨大な女神は、真っ赤な瞳で空を睨んだ。まるで成層圏の向こう、冷たく、宇宙線の飛び交う宇宙空間に佇む人工衛星を見据えているかのようで、セシリアは背筋にぞくりと冷たいものが走るのをはっきりと感じ取った。
L.A.U.R.A.の顔は、その名の通りテンプル騎士団初代副団長、ラウラ・ハヤカワを模して造られている。ラウラがそのまま、身長30mの巨人になったようにも見えるような外見で、古参の団員たちにとっては親しみすら感じる姿をしている。だが―――初代団長を支えた姉としての優しさも、”鮮血の魔女”という二つ名を欲しいがままにした女傑としての凛々しさもそこには無い。
あるのはただ、得体の知れない気味の悪さ。どこまでもどこまでも、ただひたすらに深い闇。あらゆるものを飲み込んでしまう深淵を直視しているかのような感覚が、ただそこにはある。
「第三波、着弾まで20秒」
ホムンクルス兵の淡々とした、しかし微かに動揺を含んだ報告。彼女らの報告を聞いていると、セシリアは時折このオペレーターたちは機械なのではないかと思ってしまう事があった。が、得体の知れない敵を目にして動揺しているという事は、機械ではなくヒトであるという事だ。恐怖も快楽も、絶望も動揺も、全ては人間にのみ許された特権。機械でな真似できない領域であり、他の模倣を決して許さぬ聖域だ。
オペレーターが秒読みを開始した、その時だった。
クレーターの底にぽっかりと開いた、世界核へと通じる大穴。そこから水が涌き出るように、黒い濁流が溢れ始めたのである。
石油が涌き出たようにも見えるが、違う。そこから湧き出たのは石油などではなく、絶望という言葉が悪意と共に具現化されたような存在―――クレイデリアに大打撃を与えた、例の無人兵器群だった。
母なるL.A.U.R.A.を守ろうとでもいうのか、彼女の頭上でぐるぐると渦を巻いた無人兵器の大軍は、防壁のように屹立すると、飛来するICBMと徹甲榴弾の前に立ちはだかり―――その身を母の楯とした。
ズン、と黒い濁流の表面を、容赦なくICBMと砲弾が殴打する。群がる羽虫の群れが振り払われるように、その隊列が大きく乱れ炎が広がった。防がれた、とオペレーターの1人が呟いたが、完全に防ぐまでには至らなかったらしい。
爆炎がL.A.U.R.A.にまで達し、その人工皮膚の表面を焼いたのだ。痛みがあるのか、巨大なラウラの姿をした機械が金切り声を発する。それは稼働限界を超えた機械を強引に動かしたような軋み音にも、絶望に耐えられなくなった女性の叫びにも聞こえた。
喪失を補おうとするかのように、世界核から更に大量の無人兵器が溢れ出る。先ほどの防壁よりも分厚い陣形を敷き、次の攻撃に備える無人兵器たち。
第四波来ます、とオペレーターが告げ、四度目の集中砲火がファルリュー島を穿った。
続けて五度目の砲撃が着弾。南ラトーニウス海に浮かぶ孤島を世界地図から消し去らんばかりの無慈悲な砲撃に、海面は大きく荒れ狂う。
仕留めたか―――誰かが呟くと同時に、黒煙の中で紅い閃光が生じた。
L.A.U.R.A.が今の砲撃で大破し、爆発したのだろうか―――そんな希望を抱く者もいただろう。実際、セシリアもそうだった。今の一撃で仕留める事が出来ていれば、どれだけの人々が救われた事だろう。どれだけの死者が報われた事だろう。
しかし現実はどこまでも冷酷だった。まるで人類を嫌い、敢えて過酷な結果を突きつけているかのようで、その運命には悪意すらも感じさせる。
黒煙の中で煌めいていたのは、大破炎上したL.A.U.R.A.などではなかった。
唐突に黒煙を穿ち、紅い何かが放たれる。それはミサイルや砲弾よりも遥かに速く、文字通りの光の速度で衛星軌道上に到達したかと思いきや、オペレーターが報告するよりも先にメインモニターの映像がノイズに取って代わられた。
ぶつん、と映像が途切れる。
「何事か」
「……ハーキュリーズ6、反応消失」
世界核の中央、まさに血の底から、天空の遥か彼方に浮かぶ機械の星を撃ち抜いた―――その事実を理解するのに、セシリアであっても、そしてオペレーターたちでもほんの少しの時間を要した。
無人兵器を統括する事を期待し製造された中枢AIに、衛星軌道上の人工衛星を撃ち抜けるだけの射撃精度と、それを可能とする兵装が搭載されているなど聞いた事がない。あるいは、死にかけの女神モリガンを取り込んだことで”アップデート”を果たしたとでもいうのか。
指示を受けるまでもなく分析を始めるオペレーターたち。ノイズの不快な音とキーボードを叩く音が連鎖する中央指令室に、異質な電子音が立て続けに響いたのはそのすぐあとの事だった。
衛星軌道上に浮かぶ、テンプル騎士団の人工衛星。かつてタクヤ・ハヤカワが異世界へと渡り、アメリカ合衆国から技術供与を受けて打ち上げまで漕ぎ着けたハーキュリーズたちの反応が、次々に消失し始めていた。
「ハーキュリーズ9、反応なし」
「ハーキュリーズ12、消失」
「ハーキュリーズ5、通信途絶」
「ハーキュリーズ4、反応消失」
衛星軌道上の人工衛星の反応が凄まじい速さで減っていく。
損害を受けているのは、テンプル騎士団の人工衛星だけではない。彼らよりも進んだ電子戦能力と諜報能力を持つ海神から供与された人工衛星の反応まで、段々と消失し始めている。
「まさか、人工衛星を狙撃して……?」
「……」
テンプル騎士団にとって―――そして海神にとっても、想定外の事態が起こっていた。
メンテナンスを怠っていた古い機械が軋むような、しかし女性の金切り声にも聞こえる咆哮が、ラトーニウス海の空に響き渡った。
声を発しているのは、地底に眠る巨大な女の姿をしたAI―――佇んでいるだけならばそれは、機械のドレスを纏った赤毛の女神にも見える事であろう。蒼い花園の中で静かに眠るその姿は、さぞかし幻想的であったに違いない。
しかし今のそれには、ただただ禍々しさだけがあった。
口が裂けてしまいそうなほど大きく口を開けたL.A.U.R.A.。その表面に紅い魔法陣が浮かんだかと思いきや、ぐるぐると回転するその中心部から、スパークと共に紅い血のような閃光が放たれる。
黒煙の残滓も、空に浮かぶ雲さえも撃ち抜いたその光は、あっという間に成層圏を脱した。真紅の熱線、その矛先に浮かぶのは―――テンプル騎士団が保有する最後の人工衛星。
いや、正確には”衛星砲”と言うべきか。
ハーキュリーズ13―――衛星軌道上に浮かぶタンプル砲の砲身を、真紅の熱線が打ち据える。
その寸前で、紅い閃光は飛沫と化した。
砲身の周囲に展開された、対デブリ用の魔力防壁がレーザーによる狙撃を弾いたのだ。高圧魔力の束が弾かれ、激しいスパークと共に魔力防壁の輪郭を、暗い宇宙空間に浮かび上がらせる。
撃ち抜けぬのならばと、レーザーの出力を更に上げるL.A.U.R.A.。しかしハーキュリーズ13の防護も並ではない。有事の際には敵国からのミサイル攻撃や核攻撃にも耐える事を想定している。その魔力圧は実に、チェルノボーグの18倍にも達していた。
最強の楯が耐えきるか、それとも最強の矛がそれを刺し貫くか。
やがて―――ハーキュリーズ13の楯が、砕けた。
衛星軌道上で閃光が弾け、魔力防壁が破られる。
しかし、テンプル騎士団の切り札たる意地なのか―――L.A.U.R.A.から放たれたレーザーが大きく逸れる。砲身の表面と、対デブリ迎撃用のCIWSが何基か融解し、砲撃に支障が出るほどの損傷を受けたものの、虎の子の衛星砲は健在だった。
魔力防壁が弾けた際の衝撃でレーザーが逸れ、暗黒の宇宙の果てへと消えていく。
力比べには屈したものの、衛星砲そのものは残った。
しかし、近隣に浮かぶ宇宙飛行士たちの拠点たる宇宙ステーションで、窓からその様子をうかがう宇宙飛行士たちは絶句していた。
確かにハーキュリーズ13の原型は残っている。
だが、その砲身の一部は融解しており、とても砲撃できる状態でない事は火を見るよりも明らかであった。
予備の砲弾―――それも対消滅榴弾―――はあるのに、衛星砲が無い。
世界核への攻撃開始から僅か数分で、テンプル騎士団は切り札と”眼”を全て失ったのである。




