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異世界で復讐者が現代兵器を使うとこうなる   作者: 往復ミサイル
第五十三章 機械仕掛けの神
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父との約束


「はなせっ、はなせよぉ!!」


 どれだけ叫んでも、どれだけ暴れても、機械のバケモノは聞き入れなかった。まだまだ小さなユーリの足をマニピュレータでがっちりと掴み、どこかへと引きずっていく。


 対象が子供だろうと、この兵器たちには関係なかった。彼らに組み込まれている命令は単純明快なもので、”生命体の抹殺”のみに集約されているからだ。生命反応が検出されるのであれば、老人も若者も、女も子供も、ヒトであろうと動物であろうと関係ない。ただただ殺し、死体の山を量産する存在。それがこの簡易型戦闘人形という悪辣な兵器なのである。


 銃どころか武器もなく、戦闘経験もなく、十分な力もない5歳児にとっては絶望的な状況。こうなっては成す術なく殺されるしかないのだが、迫り来る死の運命を黙って受け入れられるほど、ユーリは生きる事を諦めていなかった。


 お前らなんかパパが来たらみんなやっつけられるんだ。僕のパパはとっても強いんだ。お前らなんか―――そう、父が、キールさえ来てくれれば。どんな悪者でもやっつけてくれるヒーローが来てくれれば、お前らなんか。


 最後の最後まで、希望を捨てなかったユーリ。だが容赦という言葉を知らない機械の兵器は、じたばたと暴れるユーリをマニピュレータでがっちりと床に押さえつけると、いよいよ止めを刺す準備に入った。


 恐怖に染まった幼い少年の顔を覗き込むように、ぎょろりとした眼球のようなセンサーを近づけてくる戦闘人形オートマタ。やがてその紅い眼球の表面に、バチッ、と紅いスパークが走り始める。


 魔力の充填が始まったのだ。


 装甲すら引き裂く鉤爪と、人体を容易く消し去るレーザー砲。そしてその身を質量弾として相手に叩き込む特攻―――それがこの無人兵器群の攻撃手段。


 幼い子供1人消すのに、特攻する必要などない。


「おまえらなんか……おまえらなんか……っ」


 強がるが、その声には涙が混じり始める。


 買い物になんか来なければよかった。家で大人しく勉強していればよかった。せっかく読み書きを覚えて両親に褒めてもらったばかりだというのに―――沸々と湧き上がる後悔が心を抉り、絶望という空洞をどんどん拡大させていく。


 死神の鎌が、ついに幼いユーリの首にかけられ―――。





 ―――しかしその無慈悲な運命を、一発の弾丸が撃ち抜いた。





「!!」


 ガギュゥンッ、と重々しい金属音を響かせ、唐突に戦闘人形オートマタが動かなくなる。風穴からはどろりとした、半透明の紅い人工血液を垂れ流し、スパークを発しながら鉄屑と化す戦闘人形オートマタ。慌ててそれから離れたユーリの背中へ、聞き覚えのある頼もしい声がかけられる。


「ユーリ!!」


「パパ!!」


 やはり来てくれた。


 少年にとってのヒーローが。


 悪魔の再来と謳われた、テンプル騎士団最強の兵士が。













 最愛の息子が無事だった事に感謝しながら、武器をAK-15に持ち替える。涙目になりながら駆け寄ってくる我が子を抱き寄せつつ庇い、銃口を頭上へと向ける。


 よく生きていてくれた―――こんな絶望的な状況で、いつ死んでもおかしくない状況で、まだ5歳の我が子は生きていた。せっかくの洋服が血まみれになっていて、どこか怪我をしているのではないかと心配になったが、周囲に死体が山ほどある状況を鑑みれば彼がどうやって戦闘人形オートマタの索敵をやり過ごしていたのかが窺い知れる。


 まだ5歳―――やっと読み書きを覚え、幼稚園でできた友達とたくさん遊んでいる年頃の幼い子供に、こんな過酷な現実を押し付けた連中の事を考えると腸が煮えくり返りそうになる。俺たちの息子によくもこんな真似をと憤るが、相手は機械。感情も無ければ恐怖も感じない存在だ。


 それに、その相手も油断ならない。


 1体1体はそれほどでもない。最低でも9mmパラベラム弾を数発叩き込めば無力化は期待できる程度の耐久力しかない。が、最大の脅威はその物量と、機械ゆえに恐れを知らないという事だ。


 左足にしがみつく息子を庇いながら、頭上を旋回する戦闘人形オートマタの群れを睨む。獲物を見つけた猛禽類のようだ。ああやって空を旋回し、いつ急降下して仕留めにかかるかタイミングを計っているのだろうか。


 頭上に生まれた黒い渦はどんどん肥大化していく。脅威となる相手と判断したようで、ショッピングモールの他の場所で殺戮を続けていたであろう同胞たちを取り込み、機械の群れはどんどん大きくなっていった。


 クレイデリアの青空を一望できるほど広い、しかし砕けたガラス張りの天井。それを覆い尽くすほどの大きさになったところで―――黒い渦の一角が、崩れる。


 来る―――なだれ落ちてくる一団にAK-15のフルオート射撃を叩き込んだ。7.62×39mm弾は通常のアサルトライフル用の中間弾薬と比較すると大口径で、しかし装薬の量はあまり変わらない。それ故に射程はそれほど長くはなく、中距離射撃にも対応できるが弾道には独特の癖がある。


 が、今はその大口径ゆえのパワーが頼りになった。小口径弾薬よりも重い7.62mm弾が殺到する戦闘人形オートマタの一団を豪快に撃ち抜き、頭上から装甲の破片を降らせる。


「わぁぁぁぁっ!!」


「逃げるぞユーリ!」


 銃声か、それとも殺到してくる戦闘人形オートマタに怯えたのか、ユーリが足元で絶叫する。だがそれも無理のない事だ。まだ5歳の幼い子供に、戦場でのストレスに耐えるなど到底不可能な話。鍛え上げた兵士でさえ、何かの拍子で精神を病みかねないこの世の地獄、それが戦場だ。


 40発入りのマガジンを1つ使い切る勢いで豪快に弾丸をばら撒き、左手でユーリを抱き上げながら走った。スリングでぶら下げているアサルトライフルから手を離し、PL-15に持ち替える。


 今はとにかくシェルターへ逃げ込まなければ。あそこならば分厚い隔壁があるからそう簡単に破られないだろうし、内部にはいざという時の食料の備蓄と武器もある。本部が本格的な掃討作戦を開始するまでは持ちこたえられるはずだ。


「……っ」


 それにしても、ショッピングモールの中は地獄だった。


 洋服売り場に転がる女性や従業員の死体。隣のおもちゃ売り場には、我が子だけでも守ろうと小さな身体を抱き抱え、もろともに腹を貫かれて息絶えた親子の死体がある。


 俺たちテンプル騎士団も、世界中で同じことをやってきた。戦闘員、非戦闘員構わず殺してきた。それがテンプル騎士団のやり方で、無用な報復を招かないための最善の手だと皆信じていた。


 東洋には『因果応報』という言葉がある。


 今までやってきた事が、テンプル騎士団に降りかかるというのならばまだ納得できる。同じような事をやってきたのだから、それが自分たちにそっくりそのまま返されても文句は言えない。


 だが―――ここに居る人々が、一体何をした?


 彼らはただ、何の変哲もない日常を謳歌していただけだ。平和なクレイデリアで、戦争とは無縁の場所で平穏に暮らしていただけだ。


 テンプル騎士団と共に在るだけで罪だとでも言うのか? クレイデリア人こそ滅ぶべきだとでも言うのか?


 そんな理不尽は許容できない。


 ならば抗うしかあるまい。兵士としての本能が、そして俺自身の理性が導き出した結論はあくまでも徹底抗戦だった。


 戦って戦って、ただひたすらに戦う。結局それしか道は無い。


 対話で、外交で戦争が防げなかった以上は戦うしかない。


 雑貨店の棚を派手に吹き飛ばし、人間の上半身を思わせる簡易型戦闘人形が飛び出してくる。ぐりん、と紅い眼球型のセンサーが旋回してこっちを見据えたが、それがレーザーを放つよりも先に2発の9mmパラベラム弾が眼球を粉砕していた。


 ぐじゃあっ、とまるでゼラチンの塊に拳を突き入れたかのような、生々しく湿っぽい音がする。あの眼球は機械の部品で造られているわけではないのか? 


 無論、確認している暇はない。拡張マガジン付きのPL-15を片手で放ち、散発的に飛び出してくる戦闘人形オートマタを撃ち抜きながら、下の階へ通じるエスカレーターか階段を探す。とにかく、下の階へ到着してしまえばこっちのものだ。後はシェルターへ駆け込むなりすればいい。


 後退するスライドから薬莢が零れ落ち、血糊で埋め尽くされた床の上に落下して、微かに蒸発するような音を残した。


 電化製品コーナーを横切り、エスカレーターが見えてきたところで、PL-15をホルスターに戻し武器をAK-15に持ち替える。空になっていたマガジンを新しい40発入りのマガジンで弾き飛ばし、予備のマガジンを装着。そのまま素早くコッキングレバーを引いて薬室へ初弾を装填。


 テンプル騎士団広報部の公式ホームページに掲載された動画を見た人々から『爆速リロード兄貴』と呼ばれた技量は未だ健在だ。AKの再装填リロードなど1秒で事足りる。


 戦闘態勢を整えたところで、俺はぴたりと足を止めた。


「パパ……?」


「……」


 このまま行ってはいけない。


 脳裏を過った嫌な予感は、その直後に現実となった。唐突にエスカレーターが大きく抉れたかと思いきや、下の階を徘徊していた機械のイナゴの群れが鋼鉄の濁流の如く上の階へ上がってきたのである。


 いや、あれが1m弱程度のサイズの兵器の集合体だなどと言ったら誰が信じるだろうか。群れというよりも、まるで巨大な生物の身体の一部を目の当たりにしたような、そんな迫力と禍々しさがある。


 咄嗟にAK-15のアンダーバレルにぶら下がっているM203を発砲、無防備な戦闘人形オートマタの群れの一角を40mmグレネード弾で吹き飛ばし、ユーリを抱えて別ルートへ。


 あんな規模の群れが待ち構えているのだ、このルートは使えない。となると西側にある階段を使って降りていくか、腹を括って吹き抜けから飛び降りるかのどちらかになるだろう。もちろん、電源が死んでいるからエレベーターは論外だ。


 階段に辿り着こうとしたその時だった。


「!!」


 近くにあったエレベーターの扉が融解し、その向こうから簡易型戦闘人形が顔を出したのである。


 俺たち親子をターゲットと認識し、風穴から這い出てくる戦闘人形オートマタ。一発ぶちかましてやろうかと思ったが、背後から大蛇の如き大量の群れが迫っている事も考えると、1秒たりとも足を止めている時間はない。


 ユーリを抱き抱えたまま階段を駆け下り、踊り場でターン。いくつも死体が転がっている階段で滑らないよう注意しつつ、ライフルから手を離しポーチへ。中から手榴弾を掴み取り、安全ピンを外して3秒数える。


 1、2、3。


 何度もやってきた事だから、考えるまでもなかった。最早反射と言っても良いレベルで正確に手榴弾を投擲し、追手の先頭集団を爆砕。追撃の勢いが衰えたところで一気に階段を駆け下り、壁面にある非常用隔壁の閉鎖スイッチのガラスカバーに拳を叩き込んだ。


 ガラスの割れる音と共に、非常電源で動作した隔壁が上から降りてくる。堅牢なメモリークォーツ製だ、いくら戦闘人形オートマタでもぶち破れまい。


 ごしゃあ、と閉鎖された隔壁の向こうで大量の金属の物体が激突する嫌な音を聴き、獲物を仕留め損ねた間抜け共に中指を立てた。


 あとはシェルターに行くだけだ―――その目論見を、死に物狂いで追ってきた死神が打ち砕く。


 正面にある吹き抜けの底。国内の歌手がやってきてライブを開くこともあるショッピングモール内の広場に、大量の戦闘人形オートマタの群れが浮遊していたのである。


「パパ……!」


「クソが」


 隔壁を打ち破る事の出来なかった連中も、吹き抜けの上から合流しその群れに加わった。一層規模を増した黒い濁流が、蜷局とぐろを巻く蛇のようにぐるぐると旋回を始める。


 やがてその先頭の一団が、鎌首をもたげた。


 何とか奴らを振り切ったつもりが、逆に窮地に立たされるとは。


 後方は隔壁で塞いでしまった。左右には逃げ場なし……道は正面、あの広間に通じる道しかないが、その唯一の突破口から大量の戦闘人形オートマタが殺到しつつあった。


 何か手はないのか。最悪でも、ユーリだけでも逃がすための手段は。


 唇を噛み締めながら、震える小さな手で縋りつくユーリの顔を見下ろした。何とかこの子だけでも守ってやりたい……俺たちの、夫婦の未来だけでも。


 ―――すまない、ロザリー。


 シェルターに無事に避難しているであろう妻の顔を思い浮かべ、そっとユーリを床に下ろした。後ろに隠れていなさい、とだけ告げ、右手にPKPを、左手にAK-15を構え、迫り来る戦闘人形オートマタの濁流を睨む。


 ―――来るなら来い。


「うおぉぉぉぉぉぉぉぉあぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁ!!」


 黙って殺されはしない。


 こいつらを1機でも、1匹でも道連れにする。ウェーダンの悪魔、その再来の力を骨の髄まで思い知らせてやる。そうやって自分を奮い立たせなければ挫けてしまいそうだった。あまりにも絶望的な、残酷過ぎる現実に心が折れてしまいそうだった。


 けれども、その恐怖を支えてくれているのは―――兵士としての使命ではなく、父としての本能だった。


 最愛の妻との間に生まれた我が子を守ろうという、親としての本能だった。


 雄叫びを上げながら両手の銃を乱射する。エジェクション・ポートから凄まじい数の薬莢が排出され、視界に映る残弾数のカウントが減っていく。


 弾切れになった左手のAK-15を投棄し、両手でPKPを保持。こっちには特注の300発ベルトと弾薬コンテナがあるから弾数は豊富だが、それもいつまで続くか。


 マズルフラッシュの向こうで、イナゴの群れがどんどん砕けていくのが見える。7.62×54R弾の掃射がこんなにも頼もしく見えるとは。機関銃が歩兵戦でどれだけ重要なのかが改めて良く分かるが、自らの死が徐々に迫っている事も良く分かっていた。


 弾丸が戦闘人形を穿つスパークと火花、迸る人工血液。それらの乱舞が段々と、こちら側に迫ってきているのだ。


 残弾数のカウントの減少は続く。200、170、150、130、110……。


 やらせるものか。


 やらせるものか、息子だけは。


 せめて、せめて最後に。


 今まで大勢殺してきた……そんな俺だが、せめて最後に。


 守り通したい。


 この子だけは!


 残弾数が100を切り、死の宣告が迫る。80、60、40……。


 弾薬コンテナから伸びるベルト、それに装着された最後の1発が機関部レシーバーに吸い込まれたところで、俺は歯を食い縛りながらPKPを投げ捨てた。辛うじて敵機の濁流を押し留めていた弾幕が無くなり、イナゴ共が決壊したダムの水の如く押し寄せてくる。


 後ろを振り向き、怯えるユーリを抱きしめた。ぎゅっと抱きしめ、背中で庇った。


 大丈夫、お前だけは死なせはしない。


 ゴウッ、と戦闘人形オートマタの群れが、俺たち親子を飲み込んだ。


 背中に、後頭部に、両肩に、脇腹に、身体のいたるところに鋭い痛みが走る。紅い飛沫が、ピンクの肉や内臓の一部が、血の付着した白い骨の欠片が舞い散って、自分の身体がどんどん削られていくのが分かった。命が消えていくのが分かった。


「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


「パパ! パパぁ!!」


 歯を食い縛り、とにかく耐える。


 神様、どうか……どうか。


 命懸けの祈りが天に届いたのか、無人兵器たちの濁流は俺たちの周囲を通過し、天井に巨大な穴を穿って2階へと抜けていった。


 ああ、くそ……身体が動かない。


「パパ……」


「……無事か」


 目だけを動かして、胸の中で震える息子を見下ろした。


 ああ……よかった。


 ユーリは無傷だった。せっかくロザリーが買ってくれたお気に入りの洋服が返り血で台無しになってるが、そんなもの命に比べりゃ安いもんだ。我が子の身体には、傷一つついていない。


 安堵すると同時に、身体から力が抜けた。


「パパ、パパ! しっかりして、パパ!」


 崩れ落ちた俺の身体を必死に揺さぶるユーリ。ママ(ロザリー)に似た優しそうな目には涙が浮かび、瞳には血まみれになった俺の姿が映っている。


 ああ、酷い有様だ。腹は切り裂かれて腸が露出し、肋骨も見えている。身体中がとにかく滅茶苦茶に切り裂かれていて、死体にしか見えない。


 痙攣する腕を動かして腰の後ろからカランビットナイフを鞘ごと外し、それをユーリに預けた。


「これ……パパのナイフ……?」


「……昔、大佐から預かったものだ……パパの大事なお守りだ。ユーリ、これはお前が持て」


「でも……」


 血まみれの手を、ユーリの頭の上にそっと置いた。ああ、前に頭を撫でた時よりも大きくなっているのが分かる。そうか、こいつもちゃんと成長しているんだ……いっぱい遊んで、いっぱい食べて、いっぱい勉強して、いっぱい眠って……。


 それはこれからも、きっと続く。彼が大人になり、素敵な女性と結婚して家庭を持ったら、今度は父親になったユーリがそれを見守るのだ。


「テンプル騎士団の……兵隊さんに……それを見せろ……。きっと、お前を守ってくれる」


「パパは……パパはどうするの?」


「だいじょうぶ……パパはね、ちょっと疲れちゃった……少しお休みしたら、後から行くよ」


 そう言っても、ユーリは納得してくれない。


 きっと何かを悟ったのだろう。ここで父を休ませてしまったら、父の下を離れてしまったら、きっと二度と戻ってこないと。どこか遠くへ行ってしまうと。


 小さな手が手を掴み、ぐいぐいと引っ張ろうとする。こんな小さな身体で、父を連れていこうというのか。目の前で死にかけている父親を。


 涙が浮かびそうになった。だが―――もう、いい。もう十分だ。


 ユーリ、お前はまだ小さい。その小さな手で、小さな背中で、俺なんか背負わなくたっていいんだ。


「ユーリ」


「やだ……やだ、パパもいっしょに……!!」


「ユーリ、聞きなさい」


 これが、父から子への最後の言葉になるかもしれないのだ。


「いいか、ユーリ。お前は強い子だ……強いからこそ、いつかきっと他人の苦しみも分かる人間になれる」


「……」


「パパみたいに他人から奪う事しかできない人間ではなく……他人を救えるような、強くて優しい大人になるんだぞ」


「……うん」


「お前は1人じゃない……ふふっ、泣くな。男の子だろ……?」


 目に浮かんだ涙を指先で拭ってから、もう一度頭を撫でた。


 頭上の大穴から、断面からケーブルやら鉄骨やらが覗く穴の向こうから、嫌な音が近付いてくるのが分かる。あの戦闘人形オートマタの群れ、その特徴的な駆動音。俺たちの生命反応を探知して戻ってきたとでも言うのか。


 もう、時間はない。


 別れの時だ。


「さあ、行け」


「……うん」


「ママとアレクセイによろしくな」


 カランビットナイフを大事そうに抱え、踵を返してシェルターの方へ走っていくユーリ。彼の後ろ姿が暗闇の向こうに見えなくなるまで見送り、ポーチから最後の手榴弾を引っ張り出した。


 天井の大穴の向こうからこちらを覗く戦闘人形オートマタの、あの忌々しいぎょろりとした眼。穴の向こうに紅い光が点々と浮かび、その数を増やしていく。


 他人の命を奪う事しかできなかった俺でも―――最期に、息子を守る事が出来た。


 これならきっと、同志大佐も褒めてくれるだろう。最大の勲章だ。


 今まさに飛びかかろうとしているイナゴ共を見上げてにやりと笑うと、連中は一斉に飛びかかってきやがった。


 じゃあな、ユーリ。


 いっぱいご飯食べて、大きくなるんだぞ……。


 家族の顔を思い浮かべながら、手榴弾の安全ピンを抜いた。













 夫の声が、キールの声が聞こえたような気がした。


 彼が助けに来てくれたのだろうかと思って周囲を見渡すけれど、シェルターの中に居るのは避難してきた他の市民たちや、警戒に当たる連邦武警の兵士たちばかり。最愛の夫の姿はどこにもない。


 空耳かと思ったけれど、それにしては鮮明に聞こえた。


 『ありがとう』、と。


 感謝の言葉というよりは、今までありがとうとでも言うかのような……別れを告げるようなニュアンスを含んだ、短い言葉。


「キール……?」


 胸騒ぎがした。


 キールの身に何かがあったのではないか、と。


 いや、でも―――あの人に限ってそんな事は有り得ない。


 そうだ、きっと彼は帰ってくる。帰ってきて、ユーリを肩車して、アレクセイを笑わせて。


 だから今は信じよう。


 そして祈ろう。


 夫が帰ってきますように、と。


 また家族みんなで出かけられる日がやってきますように、と。



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