戦と勝利の女神
戦と勝利の女神モリガンの元ネタはケルト神話からだったりします。
戦と勝利の女神、モリガン。
神々の中でも圧倒的な力を持つとされており、古来よりあらゆる戦場に出没しその結果を左右してきた。
そして彼女に気に入られた戦士はその力を借り、戦場を圧倒的な力で支配してきたと言い伝えられている。
我らの祖先―――リキヤ・ハヤカワが設立した傭兵ギルド”モリガン”の名もこれに由来するとされており、リキヤ・ハヤカワはその生涯において傭兵としての仕事を一度も失敗させたことが無いという。
それはおそらく、正真正銘の女神の加護があったからだ―――戦と勝利の女神、モリガン。その女神は彼らのすぐ傍らにいたのだから。
きっとそう主張する人間は何人も出てくるだろう。最強の傭兵ギルド、その地位を手に入れたのは女神の力であって、彼ら自身の実力ではないのだ、と。
私はそうは思わない。
戦の勝利とは、自らの―――同志たちの手によって掴むものだ。仲間で力を合わせ、一丸となって掴むものであって、女神の加護や運で決まるものでは断じてない。太古の昔、それこそ神と人間が共に戦っていた神話の時代であればそうなのだろうが、今は違う。今の戦場に、神々が居る場所などないのだから。
「見果てぬ夢、か」
にやりと笑いながら、刀の切っ先を女神モリガンへと向けた。
見果てぬ夢―――その道程は永く、永く、果てしなく永い。この命があるうちに終着点を見ることは無いだろう。それはどんな武人であっても例外ではない。
私とてそうだ。今の力を手に入れ、テンプル騎士団を強大な軍隊へと変えた今となっても、想い描く理想の実現にはまだまだほど遠い。
だが、やはり彼女は、フィオナという少女だった女神は人間を分かっていない。
見果てぬ夢、それが自らの一生の内に叶わぬからこそ、ヒトは子供たちに、次の世代にその夢を託すのだ。掲げた夢を次世代に託し、そしてその子供たちがまた次の世代へそれを託す。それを何度も何度も繰り返してきたのだ。
だから見果てぬ夢だろうと何だろうと、ヒトはそれに手を伸ばす。
何もわかっていない―――こんな奴に、理想を語らせてなるものか。
刀をくるりと回し、切っ先を地面に押し付けた。そのまま地面を抉るかのように刀身を振り上げ、斬撃をフィオナへと―――女神モリガンへと向けて解き放つ。
蒼い結晶の花たちを蹂躙しながら迫る斬撃。無論、こんなもので倒せる相手では無かろう。相手は戦の女神。古来より戦場に君臨し続けてきた存在である。こんな一撃で倒せた方が、むしろ拍子抜けというものだ。
案の定、斬撃は途中で止められた。地面を抉りながら迫る一撃を、モリガンは手にした槍の一閃で薙ぎ払ったのだ。ガラスが割れるような甲高い音が響き、衝撃波が世界核の中をびりびりと震わせる。
たった一撃、それを互いに見せつけあっただけで、相手の力が何となくだが分かった。
この女神の実力は桁外れだ―――今まで戦ってきたどんな強者とも比べ物にならない。正真正銘の真の実力者。女神という地位は決して伊達ではないのだ、と。
ああ、だからこそ。
挑む価値があるというもの。
小手調べなど、もう必要ない。あるのは力と力、その全力でのぶつかり合いのみ。
姿勢を低くし、刀の刀身を地面に擦り付けながら突っ込んだ。フェイントなどという小細工も無い、真っ向からの全力勝負。ただただ強さと速さだけに勝敗を託した単純な一手だった。
息を吐きつつ、肩から余分な力を抜く。その状態で左手に持った刀を振り上げ、最初から女神の喉元を狙う。
ガギンッ、と振り上げた一撃が食い止められる感覚。見るまでもない、狩り上げた一撃の前に立ちはだかったのは、あの槍の柄であろう。その程度の攻撃などお見通しだと言わんばかりに、女神の冷たい目線がじっとこちらを見つめている。
その至近距離で、魔術を使う事にした。
近距離用対物魔術”覇者の眼光”。目に魔力を集中させ、収束したそれをレーザーとして近距離の敵に放つ対物魔術。
魔力の収束の気配を悟られたのか、至近距離で放った一撃は躱された。紫色の、闇が具現化したかのような一撃は、モリガンが首を傾けた事によって不発に終わり、収束限界を超え何もない空間で霧散していく。
ドンッ、と重い衝撃が走った。
何の前触れもなく、モリガンの周囲に衝撃波が生じたのだ。まるで接近戦を挑む私を拒絶するかのような、相手の憎悪が、拒絶の意志がはっきりと感じられる決別の一撃だった。
幸いダメージは無い。が……ああやって衝撃波を乱発され、接近戦を潰されるのは面倒だ。かといって遠距離戦を仕掛けるのもまた最適解とは思えない。
その時、身体に力が漲るような感覚が生まれた。振り向くと、戦いを見ていることしかできなかったオリヴィエの周囲に魔法陣が3つも浮遊しており、煮え滾るマグマのような紅い輝きを発している。
ステータス強化魔術”戦乙女の加護”。あらゆる攻撃力を上昇させ、またあらゆる攻撃への耐性を上昇させる補助魔術の中でも大技とされているものだ。戦闘に直接介入できぬのならせめて補助をという、彼女なりの気配りだろう。
ありがとう、と思いつつ彼女の方を見て微笑むと、オリヴィエは強い意志を抱いたまま頷いた。
背中はあの娘に任せた。
女神モリガンが両手の槍を掲げたまま、ふわりと空中へ浮かび上がる。淡く白い光を放ったまま宙に浮かぶその姿は、人類に救済を齎す女神や大天使を彷彿とさせたが、戦と勝利の女神を名乗る彼女がそんな優しいものを与えてくれるとは思えない。
救済の代わりに降り注いだのは、彼女が召喚した魔法陣から機関砲のように放たれる、無数の白銀の槍だった。幾千、幾万の軍勢が一斉に投げ放ったかのように、槍の雨が天空から降り注いでくる。
歯を食い縛り、降り注ぐ槍をAK-15で迎撃する。幸い弾丸を一撃でも命中させればその運動エネルギーを削ぐには十分なようで、被弾した槍は砕けこそしないものの、あらぬ方向へと逸れて飛んでいった。
自分に被弾しそうなものよりも、オリヴィエに命中しそうなものを優先して迎撃。自らよりも他人を優先して迎撃したからなのか、腹に槍のうちの1本が突き刺さり、全身に鋭い痛みを齎した。
「団長!」
私はどうなっても良い。
だが、同志だけは、この娘たちだけは。
ホムンクルスたちは単なる遺伝子の複製ではない。駒でもない。彼女たちは私と血の繋がりのある家族なのだ。母と子、姉と妹のような存在なのだ。彼女らの命を軽んじ、自らだけが生き延びるなど、そんな無責任な事など出来ようか。
歯を食い縛りながら痛みに耐え、AK-15のマガジンを交換。9つに分かれた尻尾にコッキングレバーを引かせ、呼吸を整える。
一旦刀を地面に突き立て、左手を腹に刺さっている槍へと伸ばした。出血がひどくなるのを覚悟の上で、強引にそれを腹から引き抜く。肉の裂ける生々しい音を響かせながら、やがて黒ずんだ血に塗れた槍が、私の手の内に収まった。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……」
傷口が塞がっていくのを確認しつつ、槍を握る手をぎゅっと握りしめる。
ああ、そうか……私の血も、こんなに紅いものか。
あれだけの命を奪ってきたのだ。こんなバケモノのような姿になったのだ。それでもなお、血は紅いというか。それでもなお、ヒトの子というか。
握りしめたそれを、咆哮と共に女神へ向け放り投げた。ゴウッ、と空気を裂きながら飛んでいったそれはいとも容易く槍の一撃に弾かれ、回転しながらどこかへと飛んで行ってしまったが、一瞬でも注意を逸らす事が出来たのならばそれで十分だった。
僅か一瞬、瞬きするよりも短い一瞬の間に、私は女神モリガンの側面へと回り込み、彼女へ向かって跳躍していた。
『!!』
ぐるりと縦に一回転し、左手の刀を振り下ろす。全ての体重と落下する勢い、更に回転した勢いと腕力を乗せ、一点に集約した重いその一撃は、空中に浮遊したままのモリガンにあっさりと槍で受け止められてしまう。
言葉は交わさない。
もう、言葉を交わす意味もない。
分かり合えない人間はこの世界に必ず存在する。世界を一つにするなど、所詮は叶わぬ夢―――ヒトの争いは、未来永劫消えることは無い。
言葉の代わりに交わすのは、相手を殺すという意思を乗せた鋭い一撃、その応酬だけだった。
モリガンは攻撃を受け止めた槍を押し退け、私を再び地面へ吹き飛ばす。背中を地面に叩きつけられ、呼吸が一瞬ばかり詰まった。
起き上がると同時に、右腕の肘から先を鋭い痛みが苛む。ボトッ、と湿った何かが足元に落下する音。見ると、そこにはAK-15のグリップをぎゅっと握ったままの私の右腕が転がっていて、肘から先が消失していた。
地面に落下し一瞬動きが止まる私を狙った、女神モリガンからの槍の投擲だった。狙いが逸れたのか、その一撃は心臓ではなく、眉間でもなく、右腕を捥ぎ取るのみにとどまったようだ。
ああ、痛いな。
私はこうして傷を受け続けているのに、向こうは未だ無傷、か。さすがは戦と勝利の女神、太古より戦場を支配してきた者に相応しい力と言えるだろう。
それに挑むのだ、生半可な力では勝つことはおろか、傷をつける事すら叶わぬだろう。
走りながら右腕を再生させつつ、まだ骨格が再生し、その表面を肉が覆いつつある段階の右腕を強引に動かして、地面に何本も突き刺さっている女神の槍を3本ほど、強引に引き抜いた。
そのうちの1本を投げ放ち、続くもう1本を手から放して蹴り飛ばす。そして最後のもう1本を検めて地面に突き立て、それを足場に一気に跳躍。2本の槍が弾かれる硬質な金属音が頭上から響き、それでもなお一矢報いる事が叶わなかったことを悟る。
跳躍し、空中で改めて刀を両手でしっかりと握った。身体中の魔力を乗せ、落下する勢いを乗せて女神へと振り下ろす。
ドッ、と両腕に衝撃が走った。頭上で何かが弾け、温かく鉄臭い液体が降りかかる。
「―――」
『―――痴れ者が』
―――不可視の刃。
何も見えなかった。何も感じなかった。何の気配もなかった。
何も悟らせず、ノーモーションで生じた不可視の刃。それが切り飛ばしたのは、今まさに振り下ろさんとする私の両腕、その肘から先だった。
刀を握ったままの腕が、血を撒き散らしながら回転し地面へと落ちていく。
『ヒトの身でありながら、神に挑もうなどと』
だからこそ―――ヒトの身だからこそ、だ。
格上相手に戦いを挑んで何が悪い?
両腕の再生は間に合わない―――それはよく分かっていたから、私は眼前に居る女神の首筋に、この牙で思い切り喰らい付いた。
『―――!!』
これが、女神に刻んだ最初の傷。
牙を深く食い込ませ、そのまま肉を大きく抉り取る。迸る白い光を浴びながら地面に落下し、口の中に残った肉を吐き出した。
やっと両腕が再生し終わったのを確認し、地面に落ちていた刀を拾い上げる。
頭上を見上げると、女神モリガンは傷口を修復し終え、恨めしそうな目でこちらを見下ろしていた。ヒトの身で、と言ったが、そのヒトに傷を付けられる気分はいかがだろうか?
一矢報いてやった、顔に泥を塗ってやった。その小さな達成感を噛み締めつつ、後ろにいるであろうオリヴィエに語り掛ける。
「オリヴィエ」
「は、はい」
「お前は逃げろ」
「え……?」
「相手の力は予想以上だ……お前はここを離脱し、味方と合流してありのままを伝えよ」
「だ、団長は? 団長はどうなさるおつもりです」
「もう少し遊んでから行く」
手を突き出し、紫色のメニュー画面を出現させた。メニュー画面の項目の中から1つを選び、出現したメッセージに対し”承認”と記載された場所をタッチ。ガギンッ、とロックが外れるような感触が身体中に走り、全ての枷が外れる。
どの道、ここから先の戦いには誰も介入できまい。おそらく神であっても、だ。
だから彼女には生きて仲間の元に戻り、ありのままを伝え今後に備えてもらう。その方が万が一の事態にも対処できるだろうし、何より私も周囲の事を何も気にかけずに全力で戦える。
「……ご武運を」
敬礼してから、オリヴィエは踵を返し、振り向くことなくエレベーターの方へと向かって走っていった。彼女が地上へと、例のミサイルサイロへ続くエレベーターに乗ったのを見守ってから、安堵しつつ髪を束ねていた白いリボンを外す。
これでもう、この穴倉には私と女神モリガンだけだ。
ここが私の墓標となるか、それともあの女神の墓標となるか。
無論、女神の墓標だ。
夫を、同志たちを、我が一族を利用した罪を必ず償わせてやる。
『……彼女を逃がす、か。それで痴れ者よ、勝ち目はあるのか?』
「……」
『なるほど、自らを犠牲に時間を稼ぎ、仲間に再起を促す魂胆か。これだから人間は―――』
「―――やはり貴様は人間を何もわかっていない」
『なに?』
息を吐き、女神を睨んだ。
「そんな奴に、私は倒せんよ」
『ふっ…………虚勢を張るなど、みっともない』
ならば、試してみるか?
姿勢を低くし、正面から突っ込んだ。瞬発力をフル活用して一気に跳躍し―――女神モリガンよりも更に上へ、一気に舞い上がる。
『!?』
先ほどと、ジャンプ力が全くと言っていいほど違う。
そのまま落下する勢いを乗せ、空中に浮遊する女神モリガンへと急降下。槍を突き上げ、不可視の刃まで動員して応戦してくる。瞬く間に身体中に鋭い痛みが乱舞し、視界が紅く染まっていくが―――関係ない。
落下する流星の如く、そのまま女神に斬りかかった。斬撃そのものは槍でガードされたものの、落下してくる衝撃まではさすがの女神でも殺し切れなかったようで、私と共にそのまま花が咲き乱れる大地へ。
ドムンッ、と女神の背中が地面へと叩きつけられ、やっとモリガンは苦しそうな表情を浮かべた。
ああ、それだ。その顔をもっとよく見せてくれ。
『な、何が……さっきとは全然……?』
「―――”王権拘束”を解除した」
『なに……?』
転生者のレベルの上限は9999である。
上限に達すると全てのステータスがカンストし、まさに最強の存在となる―――それは良い、力こそが全てなのだから。
だがそうなると、日常生活での不便が生じる。力のコントロールが上手くできず、誤ってコップを握り潰してしまったり、隣人の骨を折ってしまったりと、加減が利かなくなってしまうのだ。
それを防ぐために用意されたのが、この王権拘束と呼ばれるスキルである。
効果は『全てのステータスを5分の1に制限する』というもの。戦いにおいては害悪でしかないスキルであるが、日常生活を送るのであれば、いつも通りの生活がしたいのであれば必須のスキルと言っていいだろう。
今まで私は、これを有効にしたまま戦っていた。女神を舐めていたわけではない。後方にいたオリヴィエを巻き込まずに戦う自信が無かったからだ。
だが―――もう彼女は脱出し、巻き込まれる心配はない。
周囲を気にせずに全力で戦える、というわけだ。
『貴様、まさか今まで5分の1のステータスで戦って……!?』
「―――もう、加減は不要だ」
全力で殺り合おう。




