甘い男、無慈悲な男
火薬の臭いと熱を引きつけた薬莢が、ぐるぐると回転しながら床へと落下し、キン、と甲高い音を奏でた。けれども、その薬莢が躍り出ると同時に銃口から姿を現した轟音の残響が、薬莢の金属音をあっさりと飲み込んでしまう。
射撃訓練場の奥にある人型の的に風穴が開いたのを確認した少年は、ゆっくりとAK-74の銃口を下ろした。彼の放った5.45mm弾は人型の的の肩の部分に命中している。確かに命中と言ってもいいが、実戦であればそれほど致命傷ではない。しかも、彼が持っているAK-74は小口径の弾薬を使用するため、大口径の7.62mm弾を使う他のアサルトライフルよりもストッピングパワーが劣っている。実戦で敵兵の肩に小口径の弾丸を撃ち込んでも、殺すことはできないだろう。
けれども、その少年は肩に命中させたことを満足しているらしく、微笑みながらこっちを振り向いた。
「どうですか、ウラル先生」
「最初から肩を狙ったのか」
「ええ」
こいつは、極力敵に致命傷を与えないような部位を狙撃したのだ。
射撃の技術は立派だが、優しすぎる。彼の父親がこの訓練を見ていたら落胆するに違いない。
甘すぎると思いながら、AK-74からマガジンを取り外してコッキングレバーを引き、エジェクション・ポートから飛び出した5.45mm弾をキャッチする少年を見守る。
彼の名は『ヒロヤ・ハヤカワ』。ユウヤと彼の妻であるアリシア・ハヤカワとの間に生まれたキメラの少年である。髪の色は母親と同じく金髪で、かなり優しそうな顔つきをしている。体格はがっちりとした筋肉で覆われていたユウヤよりもはるかに華奢であり、銃を持って戦うよりも、学校で勉強している方が似合っていると言えるだろう。だから、訓練や実戦でボディアーマーとヘルメットを身に纏い、AK-74を抱えているのはミスマッチとしか言いようがない。
ヒロヤはハヤカワ家の当主の中でも最も甘い男だ。
ハヤカワ家は、人々を虐げる転生者を狩る”転生者ハンター”の一族である。無関係な人間は一切巻き込まず、人々を虐げるクソ野郎だけを徹底的に消し去る兵士たちだ。それゆえに、クソ野郎共が命乞いをしてきたり、白旗を振ったとしても攻撃を続行して殺し尽くすのが日常茶飯事である。
だが、ヒロヤは基本的に”敵を殺さない”。
自分に牙を剥いたごろつきや盗賊共には反撃せず、説得して戦いを止めさせるのだ。戦場でも敵兵を殺すのではなく、極力致命傷にならない場所を狙撃するのである。だからヒロヤは敵を殺せる確率が低い5.45mm弾を使用するAK-74やAK-12を愛用し、容易く人間を殺せる大口径の弾丸を忌避する。
「ヒロヤ、本当に敵を殺す必要がないと思うか?」
問いかけると、ヒロヤはマガジンを取り外したAK-74を背負いながら答えた。
「ええ。そうしなければ、殺し合いは止まりません」
「では、当たり前のように人々を奴隷にして苦しめたり、平然と人々を虐殺するようなクソ野郎がいたらどうする? 説得して改心させるのか?」
「ええ、説得します。その後にその人を降伏させ、生き延びた住民たちに裁いてもらいましょう」
正直に言うと、ハヤカワ家の連中はまともではない。
ヒロヤの祖父であるタクヤや父親のユウヤに、「殺し合いを止めるにはどうするべきか?」と問いかけたことがある。すると、あの2人はすぐに「敵が絶滅するまで徹底的に殺し尽くす」と即答したのである。
そう、敵を絶滅させることがハヤカワ家の思想では当たり前の事なのだ。殺した敵の戦友が報復しようとする前に、その戦友もろとも絶滅させ、報復が始まる前に戦いを終わらせようとするのである。
ヒロヤはその思想を嫌ったからこそ、敵を説得して戦いを止める事を選んだのかもしれない。殺し合いを止めるために武器と憎しみを捨てるのは正解かもしれないが――――――ヒロヤの場合は甘すぎる。
銃に実弾を装填し、安全装置を解除してしまった以上は、敵を殺す覚悟をしなければならない。死傷者が1人も出ない戦場などありえないのだ。
「申し訳ありませんが、この銃を武器庫に返却しておいてください」
「かしこまりました、坊ちゃま」
傍らで待機していたホムンクルスのメイド――――――髪が蒼いから”戦後型”だろう――――――にAK-74を預けたヒロヤは、メイドが持ってきたタオルで汗を拭いてから、壁にかけてあるコートを手に取った。
「ん? もう”撮影”の時間か?」
「はい。今日は戦闘シーンの撮影らしいので、帰りは遅くなるかもしれません。母上にはもう連絡してあります」
「頑張れよ」
「はい、先生」
ヒロヤの本職は、転生者ハンターではない。
彼の本職は――――――映画俳優なのである。しかも、彼が出演することになっている映画は、ネイリンゲンをラトーニウス騎士団から守り抜いたモリガンの傭兵たちの戦いを映画化した『バトル・オブ・ネイリンゲン』というタイトルの映画で、ヒロヤは曽祖父であるリキヤ・ハヤカワの役で出演するという。
映画の制作にはテンプル騎士団やモリガン・カンパニーも協力しており、当時のモリガンが採用していた兵器や、現存している作戦行動記録を撮影に使っているらしい。手の空いている兵士たちもラトーニウスの騎士の役で出演することになっている。
通路の方へと歩いて行くヒロヤに手を振ってから、壁に立てかけてあるAK-47を手に取った。
ユウヤの後を受け継ぐことになるのは、ハヤカワ家の当主とは思えないほど優しい息子になることだろう。敵を説得して戦いを止めさせるという事に賛同する兵士は非常に多いが、甘すぎると非難している古参の兵士も非常に多い。最近入団した新兵たちからすれば敵を殺さずに済むが、敵を皆殺しにするのが当たり前だったタクヤやユウヤと共に戦った世代の兵士たちからすれば、甘すぎるとしか言いようがない。
俺はヒロヤを非難するつもりはないが、彼の甘いやり方でテンプル騎士団が分裂してしまうのではないかと思ってしまう。
それゆえに、俺は直感しつつあった。
テンプル騎士団の全盛期が、終わりつつあるという事を。
白黒のスクリーンの向こうで、砲塔に『Black Fortress』と白いペンキで書かれた漆黒の戦車が、ゾンビとなってしまったラトーニウス騎士団の騎士たちを砲撃する。モリガンの黒い制服に身を包んだ機関銃の射手がベルトを装填している間に、塹壕の中からグレネードランチャー付きのAK-47を手にした少年が躍り出た。
7.62mm弾のセミオート射撃でゾンビたちを次々に射殺していく少年を見つめながら、俺とイリナはポップコーンを口へと運んだ。ゾンビの呻き声と銃声を聞きながらタンプルソーダ――――――テンプル騎士団が開発した炭酸飲料である――――――の瓶へと手を伸ばし、蓋を外してからタンプルソーダを飲む。
モリガンの傭兵たちの戦いを映画化した『バトル・オブ・ネイリンゲン』は大ヒットしたらしい。クレイデリア国内の映画館でもこの映画を何度も上映しており、映画館の前に観客の列が出来上がるのは日常茶飯事だ。
「タクヤが言ってたんだけど、転生者たちがやってくる異世界だと映像はカラーが当たり前で、こういう白黒の映像はとっくに廃れてるんだって」
戦車の履帯にゾンビが踏みつけられているシーンを見ながら、イリナが唐突にそう言った。
「俺たちの世界が遅れてるってことだな」
「そうだね。向こうの世界の技術力に追いつくのは何年後なんだろう」
転生者たちがやってくる世界の科学力は、この世界よりも遥かに発達している。こっちの世界では馬車が主流だった頃には、向こうの世界では最新型の自動車が道路を走っているのが当たり前だったという。こっちの世界の兵器は、映画館の座席の向こうに居座るスクリーンに映っている戦車やアサルトライフルよりもはるかに性能が劣っているというのに、モリガンが採用していた兵器は向こうの世界で採用されている兵器よりも少しばかり旧式だったらしい。
けれども、こっちの世界の技術はタンプル搭の研究区画の管理人となったフィオナ博士と、転生者たちによって急激に発達しつつある。
黒い制服を身に纏ったモリガンの傭兵たちが、魔剣でゾンビたちを操っていた騎士団の指揮官と戦い始めた。曽祖父の役を演じているヒロヤが仲間たちに一斉射撃を命じるが、弾丸や砲弾は魔剣が発する魔力の防壁に防がれているらしく、次々に跳弾してしまう。
タクヤたちが経験した戦いは俺とイリナも知っているが、あいつの父親だったリキヤが経験した戦いは知らない。モリガンの作戦行動記録を閲覧したり、遺族の話を聞いた程度だ。
目の前のスクリーンで上映されている映画の題材になっているのは、魔剣を手に入れたことによって唐突にオルトバルカに宣戦布告したラトーニウスを、モリガンの傭兵たちが迎え撃った『ネイリンゲンの戦い』だ。たった10人足らずの傭兵が、魔剣を持った騎士や無数のゾンビたちを迎撃して勝利した有名な戦いである。
ネイリンゲンの戦いはモリガンの傭兵たちが経験した激戦と言われているが、正確に言うと氷山の一角だ。モリガンの傭兵を率いていたリキヤ・ハヤカワは、下手をすれば10人足らずの仲間と共にテンプル騎士団の戦い以上に過酷な激戦を経験している。
彼らの戦いはどのような戦いだったのだろうか。
そう思いながら、魔剣を持っている騎士団の指揮官と死闘を繰り広げるモリガンの傭兵たちが戦っているシーンを見つめ続けた。
ヒロヤ・ハヤカワは甘い男だった。
敵を殺すのが当たり前だったタクヤやユウヤと共に戦った世代の兵士たちには甘すぎると非難されることはあったものの、若い兵士たちには指示されていたし、改心した転生者のうちの何人かはテンプル騎士団に協力してくれたおかげで、テンプル騎士団はさらに勢力を伸ばすことになった。
彼の代でタクヤとユウヤが築き上げたテンプル騎士団の全盛期は終わるのだと思っていた俺たちは、無事に組織の勢力が拡大していったのを見て安堵した。テンプル騎士団は揺り籠を守りつつ、クソ野郎共を粛正するための軍隊である。もしテンプル騎士団が分裂して内乱が始まることになったら、最悪の場合は分裂の原因となってしまった団長を鋼鉄する必要があったからである。
しかし、俺たちは理解することになった。
彼の甘さが、テンプル騎士団の衰退の原因の1つとなったことを。
「ウラル先生、父上は甘すぎます」
テンプル騎士団の兵士にAK-12を突き付けられながらトラックに乗り込んでいく転生者たちを睨みつけながら、まだ幼い黒髪の少年が言った。年齢はまだ8歳くらいだろうが、8歳の少年が発するとは思えない怒りと殺意を纏った声である。
タクヤやユウヤも、クソ野郎が人々を虐げているのを目の当たりにした時はこの少年のように怒り狂っていた。だが、この少年が憎んでいるのは人々を虐げる転生者だけではない。その転生者を殺さずに改心させて許す自分自身の父親まで憎んでいるのだ。
「クソ野郎は全員殺すべきです」
「まあ、確かにヒロヤは甘い男だ。だが、改心した連中のおかげで勢力も拡大しつつある」
タンプル搭へと向けて走っていくトラックを睨みつけながら拳を握り締めるキメラの正面を諭しながら、彼を見下ろした。
短い黒髪の中からは、微かに小さな角の先端部が覗いている。サラマンダーのキメラは、頭蓋骨の一部が変異して頭皮から外へと突き出ており、ダガーの刀身を思わせる角と化しているのだ。しかも、その2本の角は感情が昂ると勝手に伸びてしまうという。
幼いキメラの少年の角は、少しずつ伸びつつあった。
きっと、クソ野郎が生きていることが納得できないのだろう。
彼の名は『テツヤ・ハヤカワ』。ヒロヤの息子である。彼もテンプル騎士団の団長を受け継ぐために訓練を受けており、射撃、白兵戦、座学で非常に優秀な成績を残している。教育を担当しているベテランの教官は「歴代最強の団長になるかもしれない」と評価しているほどである。
射撃訓練では、中距離での射撃ならば狙いを外すことはかなり少ないし、数週間前に行った白兵戦の訓練では、一度だけ俺の手から模擬戦用のナイフを叩き落としたこともある。こいつが団長になってくれれば、ヒロヤを非難している古参の兵士たちも納得してくれるだろう。
テンプル騎士団の歴代の団長は、本人が団長の継承を拒否すれば普通の子供と同じように育てられるが、継承することを選ぶと幼少の段階から簡単な訓練や教育が始まる。基本的にはそのような教育は実の父親と教育担当の兵士が担当するのだが、テツヤの教育や訓練は教官や教育担当の兵士しか関わっていない。
信じられないことに、テツヤ本人が父親から教育を受けることを拒否したのだという。
「先生は父上を支持するのですか?」
「いや………俺もクソ野郎は殺すべきだと思う。説得して改心させるのは甘すぎる」
「その通りです。あんな奴らに存在する価値なんかない。塵よりも軽い命なんですから、すぐ殺すか人体実験で役に立ってもらってから殺すべきです」
ぞっとしながらテツヤを見下ろした。
教育担当の兵士の話では、テツヤが受けた教育は『テンプル騎士団の役目』と『人々を虐げる転生者』についてである。平然と人々を苦しめたり、力を悪用する転生者を排除するべきだという教育は行ったが、まだ躊躇なく敵を殺させるような訓練は行っていない筈だ。
いや、きっとテツヤは最初から持ち合わせていないのだ。
”容赦”や”慈悲”を。
生まれる前から、不要だと判断したとでもいうのか。
こいつの容赦のなさは、タクヤやユウヤ以上に違いない。
ヒロヤのやり方は甘すぎると思っていたが――――――テツヤのやり方は、九分九厘”やり過ぎる”。
教育内容を変更するべきだろうかと思いながら、俺は拳を握り締めた。




