予備の義手と力也の尋問
「兄さん、起きてください」
彼女の声が聞こえると同時に、華奢な手が俺の身体を大きく揺らし始める。強烈な眠気を感じながら目を開け、ちらりと枕元の目覚まし時計を見つめた。無意識のうちに止めてしまったのか、目覚まし時計をセットした時刻はとっくに過ぎている。
普段ならば、もう制服に着替えて朝食を食べ始めている時間だ。
週末であれば寝坊しても起こされることはない。けれども、残念なことに今日は火曜日である。ゲームをしながら夜更かしして11時頃に起床するという贅沢は、二日前に味わったばかりだ。
昨日の夜は遅くまでバイトをしていた事を思い出しつつ、身体をゆっくりとベッドから起こす。瞼を擦りながら顔を開けると、既に学校の制服に着替えた茶髪の少女が立っていて、微笑みながら俺を見下ろしている。前髪の左側に飾っている真っ白な羽の形をしたヘアピンは、12歳の誕生日の時にプレゼントしたものだ。どうやら彼女はそのヘアピンが気に入っているらしい。
夜遅くまでバイトをしていた兄を容赦なく朝7時に起こす無慈悲な妹だが、最愛の妹である。
「おはよう、明日花」
「おはようございます、兄さん。バイトで疲れているのは分かりますが、ちゃんと学校に行かないと就職できませんよ?」
微笑みながらそう言った明日花は、俺の部屋を後にした。
学校を卒業したら、俺は就職するつもりだ。現時点では母さんが遺してくれた金とバイトの給料で生活しているが、いつまでもその金で生活することは許されない。だから是が非でも就職して、明日花を養う必要があるのだ。
けれども――――――俺は理解している。
明日花はもう死んでしまったという事を。
彼女は転生者共に無残に殺されてしまったという事を。
最愛の妹の報復を誓ったという事を。
『やだやだ! もうやめてよぉっ!!』
コンクリートの壁の向こうから、最愛の妹の絶叫が聞こえてくる。彼女の声が聞こえてくる度に心の中の憤怒と復讐心が肥大化していくが、残念なことに彼女を虐げている連中に報復するのは不可能だろう。
手足を拘束している鎖を引き千切り、あの忌々しいコンクリートの壁をぶち壊す事ができれば、明日花を救い出す事ができるというのに。
「明日花ぁっ!!」
「黙ってろ、反逆者が!!」
隣の牢屋に向かって叫ぶと、目の前にいる転生者の少年が俺の顔面を思い切りぶん殴りやがった。がくん、と頭が大きく揺れ、脳味噌の中で強烈な鈍痛が拡散していく。血が灰色の床や壁に飛び散って、物騒な迷彩模様が産声をあげた。
先ほど隣の牢屋に入っていたのは来栖ではなく、中学校の頃から明日花を虐めていた霧島姉妹である。
『美緒、こいつの髪切っちゃおうよ』
『あははっ、いいねぇ! 隣のお兄さんにも見せる?』
『えー? お兄さん泣いちゃうんじゃない? 大切な妹の髪が切られちゃうんだからさ』
『放してっ………痛い痛いっ!! やめてぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!』
『『キャハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!』』
たった2m未満の距離だというのに、何もできない。
あの忌々しいコンクリートの壁の向こうで最愛の妹が虐げられているというのに、この牢屋から脱出して明日花を助けに行くができないのだ。
今まで明日花を虐めていた連中を何度も病院送りにし、彼女を守ってきたというのに。
俺は、妹を助ける事ができなかった。
「交換終わりましたよー」
「………」
瞼を開け、ちらりと右腕を見る。右肩から先にはしっかりと真っ黒な金属製の義手が装着されていて、手の甲にはこれ見よがしにテンプル騎士団のエンブレムが描かれているのが見える。向こうにあるテーブルの上には木箱が置かれていて、煉獄の鉄杭をぶっ放したことによって大破してしまった義手の残骸やケーブルの断面が覗いていた。
身体を起こしてから、新しく装着された義手の指を動かす。鋼鉄の指はゆっくりと動いてくれたけれど、まだ新しい義手を装着されたばかりだからなのか、指は痙攣している。少しばかりリハビリが必要かもしれないな、と思いながら溜息をつくと、フィオナ博士は助手のホムンクルスに「その残骸は再利用するんで捨てないでくださいねー♪」と指示を出してから、向かいにある椅子に座る。
あの残骸を何に使うつもりなんだろうか。
顔をしかめながら、東部戦線で吹き飛ぶ羽目になった義手の残骸を凝視する。煉獄の鉄杭の強烈な反動とバックブラストのせいで、肩から先は完全に消し飛んでいた。辛うじて残っているのは肩の断面に装着されていたケーブルやフレームの一部程度である。
再利用できるとは思えないんだが。
指示されたホムンクルスの助手も、本当に再利用する気なのかと言わんばかりに木箱の中を覗き込んでいる。
「力也さん、あの義手どれくらい費用がかかると思います?」
「えっ?」
腕を組んで微笑みながら、フィオナ博士が尋ねてくる。
どれくらいなんだろうと考え始めるよりも先に、転生者を生け捕りにするためだけに切り札である煉獄の鉄杭をぶっ放すべきではなかったという事を悟る羽目になった。
信頼性が高い上に、内部に強烈なパイルバンカーを搭載―――――原型は失敗作である―――――しているのだから、費用は高いに違いない。きっと、迂闊に虎の子の煉獄の鉄杭をぶっ放すなと咎めるつもりなのだろう。
そう思いながら博士の顔を見ていたのだが――――――唐突に移植されたばかりの義手を掴んだ博士は、目を輝かせながら立ち上がると、俺の顔を覗き込みながら尋ねた。
「結構コストが高いんですけど、どんどん使ってくださいね!」
「……………えっ?」
「あの義手のコストは金貨7枚くらいなんですけど、発明品を使っていただけるのはとっても嬉しいんです♪」
ちなみに、この世界の一般的な労働者の年収は金貨5枚らしい。
コストの高い切り札をどんどん使ったらテンプル騎士団の資金が大損害を被るのではないだろうか。というか、これを使ったら右腕が吹っ飛んでしまうので、どんどん使うわけにはいかないんですけど。
冷や汗を拭い去りながらちらりと研究室の棚の方を見てみると、もう既に煉獄の鉄杭らしき兵器を搭載した予備の義手が20本ほどずらりと並んでいた。その近くには未完成の義手と工具が置かれているのが見える。
新しい義手を掴みながらはしゃぐフィオナ博士を見下ろして目を細めていると、ドン、と爆音がドアの方から響いてきた。キャメロットの狭い通路で手榴弾が爆発したような音ではなく、艦の外から響いてきた轟音である。
おそらく、ジャック・ド・モレーが艦砲射撃を行ったのだろう。もし仮に敵艦の砲撃や魚雷が直撃していたらもっと強烈な爆音が響き渡っているし、キャメロットの船体も激震する羽目になっていたに違いない。
ジャック・ド・モレー級に搭載されている主砲は、超弩級戦艦にすら致命傷を与える事ができる40cm砲である。それに徹甲弾ではなく榴弾を想定し、地上への艦砲射撃に転用すれば敵にどれだけの損害を与えられるかは言うまでもないだろう。
しかも、テンプル騎士団の力の象徴であるジャック・ド・モレー級戦艦は、その”4連装40cm砲”を4基も搭載しているのである。旧日本海軍の長門型戦艦の2倍の火力だ。
「攻勢が始まったんですかね?」
「いや、牽制だろう」
紅茶を持ってきてくれたホムンクルスの助手に「おう、ありがとう」と言ってから、移植されたばかりの義手でティーカップを掴んだ。指がまだ痙攣しているせいで、ティーカップの中の紅茶が小さな波紋で覆われている。
ナバウレア攻勢は、テンプル騎士団の圧勝だった。艦砲射撃、航空支援、戦車を駆使したテンプル騎士団の猛攻によって、最終的に帝国軍はたった30分で第1防衛ラインから最終防衛ラインである第5防衛ラインを突破されることになり、本国へと増援を要請しつつ、ヴァルツ帝国との国境近くにあるメリエンベルク平原まで後退する羽目になったという。
帝国軍にたった30分で大損害を与えたテンプル騎士団は、そこで攻勢を終了して後方へと戻り、大慌てで前進してきたオルトバルカ軍の脇を堂々と通り過ぎて、沖で待機しているキャメロットへと帰還していた。
メリエンベルク平原への攻勢は、今度こそオルトバルカ軍が実施することだろう。テンプル騎士団に露払いを任せれば、また戦果を全て奪われる羽目になるのだから。
噂だが、実際にオルトバルカ軍から「次は我々が攻勢をするから後方で待機していろ」と通達されたという。
先ほどの砲撃が、テンプル騎士団もろとも帝国軍を砲撃しやがったオルトバルカ人共も吹っ飛ばしてくれれば最高だな、と思いつつ、紅茶の中にジャムを入れる。
あの砲撃の件は、既に連合王国側へと抗議をしたという。とはいっても、連合王国の連中はテンプル騎士団を蛮族と呼んで見下しているから、反省することはないだろう。
「ケーキ食べます?」
オイルや薬品の臭いがする研究室の中でアフタヌーンティーでも始めるつもりなのか、フィオナ博士が次から次へとケーキやスコーンを工具だらけのテーブルの上に並べ始める。ケーキを食べる際にうっかりレンチを掴んでしまいそうだと思いながら、俺は椅子の上から立ち上がった。
「遠慮しとく。”捕虜”に情報を吐かせる仕事があるんでね」
「ああ、彼女ですか」
きっと、彼女はまだ牢屋で兵士たちに”遊び相手”になってもらっている最中だろう。
歩き出そうとしたが、右側へとよろめいてしまう。咄嗟に手を伸ばしてテーブルを掴んだ俺は、苦笑いしながら体勢を立て直して溜息をつき、部屋の出口へと向かって歩き始める。
この義手は非常に頑丈なので、場合によっては咄嗟に敵の銃弾をこいつで弾くことも可能だろう。だが、金属製である上に内部に対転生者パイルバンカーを搭載しているせいで、まるで鉄板を何枚か片腕に括りつけているかのような重さだ。歩く際は常に左側に体重を移動させておかなければ、右側へとふらついて壁に激突する羽目になる。
「助かったよ、博士」
「それは良かったです」
早くもスコーンにジャムを塗り、口へと運びながら微笑む博士。彼女と一緒に工具だらけのテーブルの上でアフタヌーンティーを始めたホムンクルスの助手をちらりと見てから研究室を後にして、狭い通路を進む。
すれ違ったホムンクルスの兵士たちに敬礼をしながら通路を進み、奥にある急なタラップを駆け下りた。
テンプル騎士団の兵士の大半はホムンクルスで構成されているので、キャメロットの艦内ですれ違う兵士の大半はタクヤ・ハヤカワのホムンクルスばかりだ。ホムンクルスは志願兵と違って機械を使えば”製造”できるし、同じ人間の遺伝子をベースにしているので、個人差によって得意分野が左右される普通の人間とは違って非常に合理的な兵士と言えるだろう。
とはいっても、同じオリジナルをベースにしているホムンクルスにも個体差はあるらしいが。
合理的な軍隊を作るのであれば、最終的に人間も軍隊から排除されることになるのだろう。合理性と効率を優先する必要のある軍隊の中で最も効率が悪いのは人間なのだから。
”捕虜収容区画”と書かれたハッチを開け、金属製の扉の前で警備をしている警備兵に敬礼をする。扉についている覗き窓を開けて中を覗き込んでみると、薄汚れた服を身に纏った転生者の少女が、手足を鎖で拘束された状態でぐったりしているのが見えた。身に着けているのは帝国軍の転生者の制服ではなく、テンプル騎士団が捕虜に与える服である。
「遊び相手たちは?」
「訓練があるそうなので帰りました」
「そうか。…………彼女と話をするから開けてくれ」
「どうぞ」
ホムンクルスの警備兵が、ポケットの中に入っている鍵で扉を開けてくれた。かつてこの部屋の中で拷問を受けた捕虜たちの血が付着した扉が、金属音を響かせながらゆっくりと開いていく。
また”遊び相手”たちが”遊びに”やってきたと思ったのか、扉の開く音を聞いた美緒がびくりと震える。残念だが、この牢屋を訪れたのは遊び相手ではない。妹の仇を取るために怨敵を全員惨殺すると誓った悪魔である。
ニッコリと笑いながら、彼女の近くへと歩いていく。ここで一番最初に質問した時は強気だったのだが、用意した遊び相手や待遇を気に行ってくれたのか、俺を罵倒する様子はない。目を見開いてぶるぶると震えながらこっちを見上げている。
「………”勇者”はどこにいる?」
彼女の目の前にしゃがみ込みながら尋ねる。もう既に彼女の心は折れているに違いない。一番最初に彼女を尋問した時のように大慌てで情報を教えると言っている時は、俺たちに嘘をつく余裕がある。けれども、今のように何度も犯され続けたことによって、部屋の扉を開けられる度に怯えるようになったという事は、もう嘘をつく余裕はないという事を意味している。
だから俺は、彼女に聞いた。
”遊び相手”たちに殴られたのか、美緒の顔には紫色の痣がある。手足を切断したり、殺さなければ痛めつけても構わないと指示したので命令違反ではない。
すると、美緒はぶるぶると震えながら小さな声で言った。
「…………帝都よ………帝都の司令部で、ローラント少将と一緒に転生者を使った新しい作戦の準備をしてるわ」
無様だな。絶望した程度で仲間を売ったのだから。
彼女を嘲笑いながら、俺は質問する。
「作戦の内容は?」
「分からない」
転生者とはいえ、まだ立案中の作戦や戦術を話すわけがない。美緒がその情報を隠そうとしているわけではないと判断してから、左手で頭を掻いた。
おそらく、新しい作戦はゴダレッドで帝国軍がフェルデーニャ軍に大打撃を与えた”浸透戦術”だろう。
仮説を立てながら、取り残された違和感を凝視する。
”転生者を使った”とはどういうことなのだろうか。
もし俺の仮説が外れていれば、転生者を使った別の戦術という事になる。美緒がその作戦を知らされていない以上は、実際にその作戦が始まるのを目の当たりにするか、帝都の司令部に潜入して情報を入手しない限りは答え合わせをする事は不可能だろう。
しかし、もし仮説が当たっていたならば――――――連合軍は大打撃を被ることになる。
―――――――浸透戦術を、虎の子の転生者にやらせたらどうなるのか。
実戦経験が豊富な部隊に彼らを支援させ、圧倒的な戦闘力を持つ転生者たちを敵陣の後方へと浸透させれば、帝国軍は厳重な防衛ラインですらこじ開けて進軍することが可能になる。圧倒的な物量の軍隊ですら蹂躙することが可能な最強の矛が出来上がるのは想像に難くない。
「…………分かった」
この情報と俺の仮説は、セシリアに報告するべきだ。
もし浸透戦術で転生者が投入されれば、テンプル騎士団でも食い止めることは不可能だろう。
唇を噛み締めてから、俺はそっと彼女の肩に触れた。美緒の肩にもいくつか紫色の痣が出来上がっており、身に纏っている薄汚れた服には血が付いている。きっと、顔面を殴られた際に唇が切れたのだろう。
美緒の傷だらけの肩に触れながら――――――彼女の耳元で尋ねる。
テンプル騎士団が欲する情報ではなく、”俺が復讐のために欲する”情報を。
「―――――――じゃあ、明日花を殺したのはお前らか?」
微笑むのを止めて質問したからなのか、そう尋ねた俺の声は先ほどの声よりも低くなっていたような気がする。
ぎょっとした美緒が、またしても怯えながら俺の顔を見上げた。無意識のうちに義手を握り締めていることに気付いた彼女は、移植されたばかりの義手が彼女に牙を剥くよりも先に首を横に振った。
「ち、違う、私じゃない!」
「じゃあ誰だ? 奈緒の方か?」
「奈緒も殺してない! 私たちじゃないわ!!」
「誰が殺した? 来栖も殺していないって言ってた。あの牢屋を頻繁に訪れていたのは、来栖、三原、勇者、お前らだ。殺したのはそいつらの内の誰かだよなぁ?」
「知らない! だって、明日花が殺されたのを知ったのは東部戦線に配属になってからだわ! 私たちじゃない!」
「殺した奴を教えてくれたら釈放してやる。手がかりでも構わない」
「何も知らないわ…………! 本当よ、私は何も知らない!」
「そうか……………」
お前は知らないのか。
残念だ、美緒。
彼女の肩から手を離し、怯える彼女を見下ろしながら嗤う。
「―――――――なら、奈緒からも聞き出さないとな」
「!!」
お前と奈緒は仲良しだったからな。
案の定、美緒は目を見開いた。最愛の姉妹が、自分と同じようにテンプル騎士団に生け捕りにされ、痛めつけられたり犯されそうになっているのである。
たった1mほど先にいる1人の男を殺せば止められるのに、止める事ができない。
隣の牢屋にいる明日花を救えなかった俺と同じように。
「やめて………お願い、何でもするから! お姉ちゃんには手を出さないで!!」
「お前は何も知らないんだろう? だったら、兵士たちに犯される以外の利用価値はないよなぁ?」
「そんな………!」
「安心しろ、お姉ちゃんとはちゃんと”再会”させてやる」
そう言いながら、踵を返して扉の方へと歩き始める。美緒は必死に「お願い、お姉ちゃんに手を出さないで!!」と叫んでいるが、あいつにも報復しなければならない。
美緒に情報を吐かせたから、もう殺してもいいだろう。
でも、まだ殺すわけにはいかない。
今の彼女は心が折れている。だから、もっと絶望させる。俺が提示する小さな希望に縋らざるを得なくなるほどまで絶望させ、徹底的に踏み躙る。
お前らも、明日花を踏み躙っていたのだから。




