巻き添え
ボルトハンドルを引いた瞬間、微かに煙を纏った7.62mm弾の薬莢が躍り出た。しかし、ライフルのマガジンに装填されるまでその薬莢を纏っていたその弾丸は俺の狙い通りに標的を仕留めてくれなかった。
今しがた放った弾丸は、200mほど先で野砲に砲弾を装填しようとしている兵士―――――スコープがないので顔が分からない―――――のヘルメットの上を掠めると、側面にいる狙撃手に狙われているという事を最終防衛ラインの敵兵に告げてしまう。
大慌てでボルトハンドルを引きながら、支援砲撃を要請するためのモールス信号の発信機を抱えて走り出す。狙撃している場所が敵にバレてしまった可能性がある以上、機関銃と迫撃砲で袋叩きにされるのが関の山である。まだ一発の弾丸を外した程度なので、敵の攻撃の命中精度はそれほど高くはないだろうが、運悪く砲弾や銃弾がこっちに飛んでくれば敵兵にぶち殺される羽目になる。
舌打ちをしながら離れた場所に横になり、目の前に雪でちょっとした台座を作ってから、白い布で覆われたモシンナガンM1891のハンドガードを雪の台座の上に置く。
くそったれ、早くスコープが欲しい。
スコープ無しでの狙撃は、当たり前だがかなり難易度が高い。搭載されているタンジェントサイトは遠距離狙撃も想定しているが、標的の姿をしっかりと確認しながらレティクルで照準を合わせられるスコープと、遠距離の小さい目標をアイアンサイトで狙って撃ち抜くのがどちらが何度が高いのかは言うまでもないだろう。
シモ・ヘイヘの強さを痛感しつつ、次の標的を狙ってトリガーを引く。ズドン、と薬室の中の弾丸がすらりとした銃身から射出され、回転しながら標的へと向かって突っ込んでいく。けれども弾丸は微かに左側へと逸れると、標的の近くにある木箱を直撃してしまう。
もっと距離を詰めるべきだろうかと思ったが、俺の目的はあくまでも側面から敵を攪乱して攻勢を掩護することである。狙撃で敵部隊に損害を与えるのが望ましいが、敵に”側面にいる敵からも攻撃されている”という事を教えて警戒させれば、敵は側面から攻撃してくる敵にも警戒せざるを得なくなるため、全ての戦力を真正面から突っ込んでくるテンプル騎士団の戦車部隊に投入し辛くなる。
なので、狙いを外したとしても敵がこっちにも警戒してくれるのであれば目的は達成している。
だが――――――納得はできないな。
クソ野郎をビビらせて終わりというのは、納得がいかない。
雪原の上に伏せたまま横へと移動し、狙撃した地点からある程度遠ざかったのを確認してから潜望鏡を覗き込む。敵の塹壕までの距離はおよそ190m程度だろうか。
距離を予測しながら、塹壕の真正面に弾幕を張っている敵の機関銃を確認する。既に戦車部隊は最終防衛ラインの鉄条網を履帯で踏みつけながら前進しており、戦車砲や機銃掃射で塹壕に損害を与え始めている。中には生き残っていた野砲に榴弾砲を叩き込まれて擱座するルノーFT-17も見受けられるが、すぐに随伴歩兵が砲手を銃撃で射殺したり、他の車両が砲撃して野砲を破壊している。
「凄いな」
戦車部隊の先頭で砲撃しながら前進するシャール2Cを見つめながら、俺は感激していた。
前世の世界には現存していない戦車が戦っているのを、実際に目にする事ができているのだから。
敵の野砲から放たれた榴弾が、先頭を進むシャール2Cの1号車『ジャンヌ・ダルク』の正面装甲を直撃する。甲高い金属音が雪原に響かせながら跳弾した砲弾は、ひしゃげた状態で雪原を直撃して火柱を生み出す。
砲弾を弾き飛ばしたシャール2Cの正面装甲は、殆ど傷が付いていない。
敵の野砲が発射しているのは歩兵の群れを吹っ飛ばすための榴弾であり、戦車や装甲車の装甲を貫通することを想定した徹甲弾ではないからだ。とはいっても、敵はこちらが戦車を大量に投入して攻勢を開始するのを想定していなかった筈なので、徹甲弾を用意できるわけがない。
仮に徹甲弾を用意していれば、最終防衛ラインへと殺到するルノーFT-17を撃破することは可能だったかもしれないが、シャール2Cを止める事は不可能だろう。
ヴァルツ軍で採用している野砲は、口径の小さい37mm砲だからだ。
シャール2Cの75mmカノン砲が火を噴き、炎を纏いながら着弾した榴弾が野砲もろとも敵の砲手を粉々にする。ひしゃげた野砲の残骸と黒焦げになった砲手の肉片が降り注いだのを目の当たりにした敵兵たちが、塹壕の中から脱出しようとするのが見えた。
防衛ラインを放棄してどうする?
塹壕から飛び出したばかりの敵兵を、モシンナガンで狙撃する。今度は命中してくれたらしく、敵兵は風穴から血を噴き出しながら、ヘルメットをかぶった頭を大きく右側へと振ったかのように崩れ落ちた。
ボルトハンドルを引き、アイアンサイトを覗き込む。だが、モシンナガンM1891のフロントサイト――――――リング状のフロントサイトに変更してある――――――の向こうで敵兵が機関銃をこっちに旋回させたのを目にした瞬間、ぎょっとしながらライフルのハンドガードから手を離し、逃げる羽目になった。
次の瞬間、無数の弾丸が雪原を蹂躙した。先ほど作った雪の小さな台座もあっという間にズタズタになり、雪に覆われた大地が穴だらけになっていく。極力姿勢を低くしながらポーチへと手を突っ込み、用意しておいたスモークグレネードの安全ピンを引っこ抜く。
投擲したスモークグレネードから白煙が溢れ出している隙に、雪原の上に伏せながらモシンナガンを準備する。白煙が消え失せたらすぐにあの射手の頭を撃ち抜いてやろうと思ったんだが――――――俺が引き金を引くよりも先に、白煙の向こうで爆音と火柱が生まれた。
味方の戦車が始末してくれたのかと思ったが、37mm砲の砲撃にしては火柱がでかすぎる。シャール2Cの砲塔は全く別の方向へと旋回しているし、あの戦車部隊の中で虎の子の75mmカノン砲を搭載しているのは、ジャンヌ・ダルクとジル・ド・レの2両のみ。わざわざ俺を支援するために砲撃してくれるわけがない。
次の瞬間、立て続けに敵の塹壕の周囲に砲弾が直撃した。いたるところで火柱が噴き上がり、敵兵が機関銃や迫撃砲もろとも木っ端微塵になっていく。
「支援砲撃………?」
オルトバルカ軍の砲撃だ。
あいつらは何を考えている? 敵の塹壕にこっちが肉薄している状態で砲撃を始めれば、確実にテンプル騎士団を巻き添えにすることになる。こちらが最終防衛ラインに肉薄している事を把握していなかったのだろうか?
その時、隊列の右翼を走行していたルノーFT-17が火達磨になった。
「!」
車体に味方の砲弾が直撃したのだ。小ぢんまりとした砲塔のハッチが開き、中から火達磨になったホムンクルスの女性の兵士が叫び声を上げながら飛び出してくる。彼女は雪原の上に落下してから転がったが、またしてもオルトバルカ軍の砲弾がすぐ近くに着弾し、彼女の肉体を無慈悲に粉砕してしまう。
オルトバルカ軍が開始した砲撃が、テンプル騎士団にも牙を剥いている。
随伴歩兵たちがオルトバルカ軍の砲撃でグチャグチャになり、塹壕を突破しようとしていたルノーFT-17が爆風で擱座する。ハッチが開いて戦車兵たちが脱出したが、オルトバルカのクソ野郎共がお構いなしにぶっ放す榴弾で吹っ飛ばされ、次々に木っ端微塵にされていった。
息を呑みながら、拳を握り締める。
オルトバルカの連中は、テンプル騎士団もろとも砲撃しているに違いない。
テンプル騎士団は連合軍を支援する”傭兵”として世界大戦に参戦しており、連合軍の要請を受ければ即座に遠征軍を送り込んで支援している。それゆえに連合軍とは親密な関係といってもいいのだが、連合軍の筆頭であるオルトバルカ連合王国との関係には軋轢があると言わざるを得ない。
セシリアの父親に濡れ衣を着せてハヤカワ家を裏切ったのは、オルトバルカ連合王国のシャルロット女王だからだ。テンプル騎士団とモリガン・カンパニーを指揮していたハヤカワ家を裏切るという事は、テンプル騎士団やモリガン・カンパニーの生き残りを敵に回すことに等しいのは言うまでもないだろう。
更に、ハヤカワ家はオルトバルカの貴族の連中に疎まれていたという。オルトバルカ軍の将校は貴族が当たり前なので、帝国軍もろともハヤカワ家やテンプル騎士団を消し去るために、テンプル騎士団を砲撃の巻き添えにしようとしてもおかしくない。
「ボスは………!?」
歯を食いしばりながら、潜望鏡を使ってセシリアを探す。彼女まで砲撃に巻き込まれていないだろうかと思いながら雪原を見渡していると、血まみれの味方の兵士に肩を貸しながら、コルトM1911で帝国軍の兵士を次々に射殺して進軍を継続する彼女が見えた。
どうやら、先ほどの砲撃に巻き込まれた味方に肩を貸しているらしい。
「!」
敵からの砲撃どころか、オルトバルカ軍の砲撃すら弾き飛ばしつつ進軍するシャール2Cの1号車『ジャンヌ・ダルク』の砲塔から、黒いウシャンカをかぶった吸血鬼の巨漢が身を乗り出しているのが見える。彼はこっちに向かって手を振ると、砲塔のハッチの近くに搭載されているライトを掴み、こっちに向かって点滅させ始めた。
発光信号………?
《コ、ウ、セ、イ、ゾ、ッ、コ、ウ》
攻勢続行。
後方に展開している味方にも砲撃されているにもかかわらず、攻勢を継続するというのか。
確かに、見下している相手を平然と攻撃の巻き添えにするようなクソ野郎に戦果をくれてやるのは気に入らないし、テンプル騎士団が快進撃を続けていたとはいえ、俺たちが突破してきたのは敵の防衛ラインの左翼のみ。俺たちの後方には、まだ敵の中央と右翼の守備隊が残っている筈である。
ここで攻勢を中止して後退しようとしても、敵に包囲されるのが関の山だ。だからこそ、敢えて攻勢を継続して敵の最終ラインを突破し、司令部を壊滅させて敵を敗北させるしかない。
遠くにいるウラルに向かって頷いてから、俺はモシンナガンを抱えて走り出した。
「攻勢続行! 進軍せよ!!」
ここで攻勢を中止するわけにはいかない。
衛生兵に負傷した同志を預けてから、私は腰の刀を抜いた。オルトバルカ軍からの砲撃で戦車部隊や随伴歩兵たちに大きな損害が出ているが、まだ攻勢を継続できる程度の損害だ。ここで攻勢を中止したとしても、後方に残っている敵の守備隊に包囲されるのが関の山である。
刀を振り下ろして突撃するように命じながら、雪と血だらけになった同志たちを見渡した。
同志たちは、激昂している。
命懸けで戦っているにもかかわらず、自分たちを巻き添えにしようとしているオルトバルカに。
自分たちを見下しながら平然と砲撃に巻き込み、仲間たちを殺した連中に。
できることならば、敵の司令部を殲滅してから反転し、今度はオルトバルカの連中を皆殺しにしてやりたい。テンプル騎士団の同志たちを見下す貴族の将校共を戦車の履帯で踏み潰してやれば、巻き込まれて死亡した同志たちも安堵してくれるだろう。
だが――――――まだ報復は許されない。
今はまだ、オルトバルカに報復をする”準備”の真っ最中だ。
けれども、これで同志たちもオルトバルカを憎んでくれる。
きっと”革命”で猛威を振るってくれるに違いない。オルトバルカ国内で活動を続けている連中も、テンプル騎士団から義勇兵を派遣すれば大喜びしてくれる筈である。
この報復は必ずする。
黒焦げになったホムンクルスの兵士の死体を見下ろしながら、刀の柄を思い切り握りしめる。姿勢を低くしながら敵の塹壕へと全力で突っ走ると、歩兵部隊を狙っていた敵の機関銃の射手が、水冷式の機関銃の銃口をこちらへと向けた。
キメラの瞬発力は人間の比ではない。訓練を受けたベテランの兵士すら置き去りにしてしまうほどの速度で突っ走りながら、数発の弾丸を刀で弾き飛ばす。ひしゃげた弾丸を置き去りにしながら左手を突き出してコルトM1911から.45ACP弾を放ち、敵の射手の眉間を撃ち抜いてから、銃剣付きのライフルをこっちに向けようとしていた敵兵の脳天へと刀を振り下ろした。
敵兵はヘルメットをかぶっていたのだが、かつてご先祖様が育て上げた『リディア』というホムンクルス兵が使っていたという刀は、敵兵のヘルメットもろとも敵の頭を易々と両断した。頭蓋骨すら両断した刀身を引き抜いてから、痙攣する敵兵の死体を蹴飛ばし、その死体を踏みつけてから思い切りジャンプする。
空中で敵兵に狙いを定め、次々にコルトM1911のトリガーを引く。連射したせいであっという間にマガジンが空になってしまった拳銃を投げ捨て、両手で刀の柄を握りながら、銃剣で私を迎撃しようとする敵兵の顔面へと刀の切っ先を突き立てた。
後頭部から突き出た刀身を引き抜き、傍らで驚愕している帝国軍の兵士を斬りつける。内臓と肋骨を左斜め下から右斜め上へと両断された敵兵が鮮血と悲鳴を上げながら崩れ落ちたのを見下ろしながら、血まみれの塹壕から這い上がる。
これで最終防衛ラインは突破できた筈だ。
装填中なのか、オルトバルカ軍からの砲撃はぴたりと止まっている。装填が終われば照準を修正し、再び砲撃してくる事だろう。その前に敵の司令部を攻め落とすことはできるのだろうか。
生き残った戦車たちは、次々に塹壕を突破し始めていた。中には命乞いをする帝国軍をお構いなしに履帯で踏みつけたり、銃剣で串刺しにして殺している同志たちも見受けられるが、私は彼らを咎めるつもりはない。
現在のテンプル騎士団に所属している兵士の大半は、9年前のタンプル搭襲撃で家族や友人を殺された兵士たちばかりだからだ。この世界大戦で連合国側に参戦した理由は、帝国軍への報復なのである。
それに、祖先から受け継いできたテンプル騎士団の存在意義は”クソ野郎の絶滅”である。世界中で虐げられている人々を救済するために、私腹を肥やすクソ野郎共を根絶やしにしなければならないのだ。
「頑張ってるみたいね、蛮族の皆さん♪」
「………!?」
塹壕の向こうから、少女の声が聞こえた。
ライフルを抱えて戦場で戦う屈強な兵士たちとは比べ物にならないほど高い声である。戦場ではなく、平穏な街中で耳にしていればこの強烈な違和感を感じることはなかったに違いない。戦場には全くと言っていいほど似合わない高い声が聞こえた方向を睨みつけながら、私は刀を構える。
雪で覆われた戦場の向こうに立っていたのは、案の定、死体だらけの戦場にはミスマッチとしか言いようがないほど華奢な体格の少女だった。先ほどまで戦っていた帝国軍の兵士とはデザインの異なる白い制服と手袋をしており、ボルトアクション式のライフルの代わりに金属製の杖のようなものを持っているのが分かる。
帝国軍の魔術師かと思ったが、魔術師は現代でも希少な存在である。普通ならば複数の魔術師で部隊を編成して投入する筈であり、単独で投入するのは有り得ないと言っても過言ではない。
彼女の上着のポケットから端末が覗いていることに気付いた私は、唇を噛み締めながら姿勢を低くした。
――――――転生者だ。
司令部へと肉薄した我が軍を食い止めるために、ついに虎の子の転生者を出してきたというのか!
刀を構えて突撃しようとしたが――――――雪原を踏みしめる前に、私はぞっとする羽目になった。
目の前の転生者が発する威圧感ではなく―――――――雪原の向こうで生まれた、”もう一つの強烈な殺意”に。




