最後の魔王は悪魔を拾う
信じたくない。
なぜ、明日花が死んでいるのか。
なぜ、彼女の死体が兵士たちに運ばれているのか。
彼女の死体を抱え、トラックに乗せようとしていた兵士を思い切り突き飛ばす。その兵士は駆け寄ってきた俺にいきなり突き飛ばされるとは思っていなかったらしく、あっさりと吹っ飛んでいった。その隙にそいつが抱えていた明日花の死体を支え、彼女の身体を揺する。
身体は既に冷たくなっている。けれども、目を開けてくれる筈だ。彼女が死んでしまうわけがない。毎日励まし続けたのだから。
死ぬわけがないという根拠を強引に作り上げながら、彼女の名前を呼ぶ。けれども、明日花は目を開けてくれない。
正直に言うと、ただ単に彼女が死んでしまったという事を認めたくなかったのだ。
母親が父親に殺され、その父親が刑務所にぶち込まれてしまった以上、彼女が俺の最後の家族だった。祖父や祖母はもう他界しているし、他の親戚も引き取ってくれなかったのだから、母さんが遺してくれた金を使い尽くさないようにバイトで生活費を稼ぎ、彼女を育ててきた。学校と部活とバイトのせいで毎日かなり忙しかったけれど、大切な妹のために努力を続けてきた。
なのに、どうして明日花が死ななければならないのか。
どうして最後の家族が奪われてしまうのか。
俺か彼女のどちらかが死ななければならない運命だというのならば、躊躇なく俺が立候補していたというのに。
神様、なぜですか。
なぜ、俺ではなく妹が死んでしまったのですか。
「明日花っ、しっかりしろ! 明日花ぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
「貴様、持ち場に戻れ!」
「我々に反抗するつもりか!?」
「嫌だ、明日花っ! 死なないでくれぇっ! おい、明日花ぁっ!」
起き上がった兵士が駆け寄り、背負っていたライフルの銃床で頭を殴りつけてくる。頭が大きく揺れ、激痛が頭の中で肥大化していく。
その痛みを感じたせいなのか、心の中の悲しみが変異を始める。
こいつらが殺したのだろうか。
誰だ、最後の家族を殺したのは。
お前らか。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
兵士が振り払おうとしていた銃床を強引に掴み、そのまま兵士に飛び掛かる。ここで与えられる食事が少量だったことと、労働が苛酷過ぎたせいで体重はそれなりに落ちていたけれど、勢いを乗せて飛び掛かったことであっさりと兵士を押し倒す事ができた。
兵士の上に乗り、叫びながら何度もそいつの顔面をぶん殴る。他の兵士たちが肩を掴んで取り押さえようとするけれど、他の兵士たちを無視してその兵士の首を絞め始める。
こいつだけでも殺したい。
でも、その兵士の首を絞めて殺すよりも先に、他の兵士に肩や腕を引っ張られて引き離されてしまう。
先ほどまで殴られていた兵士が起き上がり、罵声を発しながらブーツで踏みつけてくる。腕や肩を押さえつけていた他の兵士たちも、同じように俺の身体を踏みつけたり、銃床で殴りつけ始めた。
身体中で、激痛が産声をあげる。
けれども、どういうわけなのかあまり痛くなかった。
きっと、妹を失ってしまった絶望の方が大き過ぎるせいなのだろう。
ブーツで胸板を踏みつけられたり、みぞおちを銃床で打ち据えられても、ちょっとした痛みにしか思えない。
何とか手を伸ばし、先ほど落としてしまった明日花のヘアピンを掴み取る。いつも彼女が髪に付けていた、純白の羽を模したヘアピン。もしこのヘアピンが彼女の頭から零れ落ちなかったら、俺は彼女の死体が運ばれていたという事に気付かなかったに違いない。
明日花は俺に自分が死んだという事を伝えてくれたのだろう。
もし気付かなかったら、牢屋に戻るまで彼女が死んでしまったという事を知らなかった筈だ。
そう思っている内に、先ほど殴り続けていた兵士が銃床を振り上げ、それを俺の頭に思い切り振り下ろしてきた。
兵士たちに襲い掛かった罰なのか、牢屋の中に戻された俺の両手と両足は鎖で縛られていた。両足は床から伸びる鎖で拘束されていて、両腕は天井にぶら下がっている鎖に押さえつけられている。以前までは手錠や手枷をしていない状態で牢屋の中に放り込まれたので、牢屋の中にいるのにこう言うのは変かもしれないが、ある程度は”解放感”があった。
けれども、そのなけなしの解放感まで剥奪されてしまったのだ。きっと労働中に持ち場を離れた挙句、妹の死体を抱えていた兵士を突き飛ばして殴りつけたからに違いない。
当たり前だが、もう隣の牢屋に向かって手を伸ばし、妹を励ますことはできない。両腕は動かなくなってしまったし、隣の牢屋にはもう最愛の妹はいないのだから。
今頃、彼女の死体はどうなったのだろうか。他の死体と一緒に収容所の外に捨てられたのだろうか。それとも、ガソリンをかけて燃やされてしまったのだろうか。
できるのであれば、ちゃんと棺に入れて埋葬してほしい。
そう思っている内に、通路の向こうから足音が聞こえてきた。看守だろうかと思っていたけれど、鉄格子の端から真っ白な制服とマントに身を包んだ東洋人の男が姿を現した途端、強烈な殺意が産声をあげる。
「天城ぃッ!!」
「やあ、リキヤ」
ニヤニヤと笑いながら、天城はこっちに手を振った。
おそらくこいつも転生者なのだろう。仮にこの鎖を外し、鉄格子をこじ開けてこいつに飛び掛かる事ができたとしても、あっさりと突き飛ばされた挙句、あの剣で殺されるのが関の山である。
だから落ち着こうとしたけれど、殺意が落ち着こうとする意思すら侵食し始める。
殺したい。
この男を惨殺したい。
「可哀そうだよねぇ、大切な妹さんが死んじゃってさ」
「誰が殺した………!? 誰だッ!?」
お前が殺したのか。
すると、天城は近くにいた看守に手を伸ばした。看守は天城にぺこりと頭を下げてからポケットの中へと手を突っ込むと、中に入っていた牢屋の鍵を取り出して彼に渡す。
両手と両足を拘束されている上に、転生者の端末を没収されたことで常人に戻っているから、鉄格子を開けても全く怖くないと思っているに違いない。鍵を開けて牢屋を開けた天城は、ニヤニヤと笑ったままこっちへとやってくると、片手を俺の肩に置いた。
「君の妹さんは、どうやら他の転生者から暴行を受けたり、犯されていたらしいね」
「てめえ………!」
「――――――気持ち良かったよ、お兄さん。ありがとう」
「天城ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃッ!!」
怒り狂う俺を見て嗤いながら、天城は剣を抜いた。黄金の装飾がこれでもかというほど取り付けられている派手な剣を振り上げた天城は、一瞬だけ俺の両足をちらりとみてから、剣を下へと向けて振り払う。
両足の太腿に何かがぶつかったような感触がした直後、兵士たちに踏みつけられたり、銃床でぶん殴られる激痛とは比べ物にならないほど強烈な痛みが産声をあげる。鎖がぶつかり合う音が響き渡ったかと思うと、天城に飛び掛かるために踏ん張っていた両足に力が入らなくなった。
鮮血が噴き上がり、床が真っ赤に染まる。
ぎょっとしながら下を見下ろした俺は、目を見開いた。
両足の太腿から下を――――――切断されていたのだから。
絶叫するよりも先に、天城はまたしても剣を振り払う。今度は右腕の肘の辺りに何かがぶつかる感触がした直後、急に体が左側へと傾いていく。右腕の肘の辺りから鮮血が噴き上がり、断面でまたしても強烈な激痛が生れ落ちる。
今度は、右腕を切断されていた。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
「ハッハッハッハッハッ! 今の気分はどうだ、リキヤ!? 妹を失って、手足もたった今切り落とされたんだ! もうお前は俺の計画を邪魔できない!」
左腕は切り落とされていない。辛うじて腕が一本残ったのは喜ばしい事だけど、両足がなくなって立ち上がる事すらできなくなってしまった上に、1本の腕でこの勇者たちに復讐できるわけがない。
歯を食いしばりながら、真下に転がっている自分の両足を見下ろす。自分の血で真っ赤に染まった床の上に、血で真っ赤になった鎖に絡みつかれた自分の足が転がっていた。同じように天井から伸びた鎖に吊るされている切断された右腕の断面から血が滴り落ちている。
天城は剣についた血をハンカチで拭い去ると、まるでサンドバッグのように吊るされている俺を見て嘲笑ってから、看守に命令した。
「おい、傷の治療をしておけ。簡単に死なれたら面白くない」
「はっ」
看守が鉄格子の中へとやってきて、今しがた勇者に切り落とされた手足の断面へと向けて手を伸ばす。すると、手のひらに真っ白な光が形成され、傷口へと照射され始めた。
「ヒール」
「…………!?」
痛みが、少しずつ消えていく。ぎょっとしながら傷口を見てみると、先ほどまで噴き出ていた鮮血がぴたりと止まっていて、露出していた断面が肌色の皮膚で覆われつつあった。
何だこれは………?
ぎょっとしながら塞がっていく傷口を見ていると、通路の奥からこっちに走ってくる足音が聞こえてきた。別の看守が巡回してきたわけではないらしい。
しばらくすると、やはりオリーブグリーンの軍服に身を包み、ヘルメットをかぶった兵士が大慌てで牢屋の前までやってきた。彼は天城が鉄格子の中にいる事に気付くと、こっちを向きながら敬礼をして報告する。
「勇者様、”テンプル騎士団”の連中が動き出しました」
「ほう………あのレジスタンス共はまだ戦えたか」
「ええ。おそらく、ここを襲撃するつもりかと」
「ふむ………では、彼らの相手は守備隊に任せる。俺は帝都に戻り、ウェーダンへの攻勢の指揮を執らなければ」
「かしこまりました、勇者様」
報告した部下にそう言った天城は、またしてもこっちを振り向いてニヤリと笑った。
「それじゃ、苦しんで死んでくれたまえ」
嘲笑いながらそう言った天城は、治療を終えた看守を引き連れて牢屋の外に出ると、牢屋に鍵をかけてから通路の奥へと歩いていった。
全てを失ってしまった。
最後の家族を失った挙句、手足を切り落とされたことによって奴らに報復することすらできなくなってしまった。
そう、何もできない。
たった十数cmくらいしかない厚さのコンクリートの壁の向こうで、クソ野郎に犯されている妹すら救えなかったのだ。しかも、その妹を殺された報復すらできない。
きっと、このまま牢屋の中にサンドバッグのように吊るされて死んでいくのだろう。そして死体をトラックの荷台に乗せられ、ここで命を落とした捕虜たちや妹のように収容所の外に捨てられるか、ガソリンをかけて燃やされるに違いない。
死んでしまえばあの世で明日花に会えるだろうかと思っていると、窓の向こうから銃声が聞こえてきた。兵士たちの罵声や、馬の蹄の音も聞こえてくる。
きっと、先ほど兵士が天城に報告していた『テンプル騎士団』というレジスタンスが、強制収容所への攻撃を開始したに違いない。
働いている最中に、兵士たちがテンプル騎士団の話をしているのを何度か盗み聞きした。大昔は強大な組織で、大量の兵器や兵士を保有する世界最強の軍隊だったらしいが、勇者によって壊滅状態となってしまい、現在は創設者の子孫である『セシリア・ハヤカワ』という黒髪の少女が指揮を執って抵抗を続けているという。
はははっ、ファミリーネームが同じだ。俺はそのセシリアの関係者だと思われてしまったのだろうか。
窓の外から、兵士たちの断末魔が聞こえてくる。銃声や、聞いたことのない言語で叫ぶ兵士たちの声が近くなってきた。強制収容所を守っている守備隊は劣勢のようだ。
いいぞ、そのまま皆殺しにしてしまえ。
できるならば、俺にも止めを刺してほしい。
妹を殺された挙句、妹の仇を取ることもできなくなったのだから、生きている意味はない。
そう思っている内に、今度は鉄格子の向こうからも銃声や絶叫が聞こえてきた。
『ま、待て! 降伏――――――ギャアアアアアアアアア!!』
『う、撃て! 相手は1人なんだぞ!?』
『くそっ――――――あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!』
今しがた聞こえてきた絶叫は、さっき2時間ほど前に天城に切り落とされた傷を治療してくれた兵士の絶叫だろうか。
そんな事を考えていると、通路の向こうにある扉が蹴破られる音が通路の中に轟いた。当たり前だが、いつもここを巡回している兵士はあんな開け方はしない。扉を蹴破って突入することが許されるのは、その施設を攻撃した襲撃者たちだけである。
だからこそ、施設内にやってきた人物が何者なのかをすぐに理解した。
外で兵士たちを容赦なく殺していたテンプル騎士団の兵士たちが、ここへとやってきたのだ。
通路の向こうから、黒い軍服らしき服に身を包んだ黒髪の少女がやってくる。まるで太平洋戦争の頃の日本軍の軍服を黒くしたようなデザインの服の上に、フードの付いた漆黒のコートの上着を羽織っているようだった。軍服のサイズは合っているようだけど、そのコートは巨漢が身に纏うために作られたものらしく、華奢な少女が身に纏うにしては大き過ぎる。
背中には、旧日本軍が採用していた『三八式歩兵銃』らしき銃を銃剣を装着した状態で背負っていた。両手には漆黒の日本刀と純白の日本刀を持っており、刀身は敵兵の血で真っ赤に染まっている。
きっと、この少女がセシリア・ハヤカワなのだろう。
「殺してくれよ、化け物」
鉄格子の向こうにいる黒髪の少女に、そう言った。
もう殺してほしかった。何もしていないというのに、冤罪を与えられた挙句、全てを奪われてしまったのだから。
鉄格子の向こうで、帰り血まみれの刀を手にしている黒髪の少女の頭からは、2本のダガーのような形状の紫色の角が伸びている。根元は黒くなっているけれど、先端部に行くにつれて半透明になっており、先端部の内部では紫色の光が点滅している。
軍服のような黒い服の後ろからは、黒い鱗で覆われたドラゴンのような尻尾が伸びていた。
普通の人間どころか、この世界にいるエルフやオークたちに角と尻尾は無い。
この少女は化け物だ。
すると、鉄格子の向こうにいるセシリアは首を横に振った。
殺さないというのか。
「――――――嘘をつくな、転生者」
そう言うと、セシリアは血まみれの日本刀を鞘の中に戻した。
彼女はなぜ俺が転生者だという事を知っているのだろうか。転生者とは言っても、既にあの便利な端末は没収されているから常人とは変わらないけどな。
「本当に死を望んでいるのか?」
ああ、そうだ。
もう全てを失ってしまった。転生者に与えられるあの不思議な端末も没収されてしまったから、帝国軍の連中に逆らうこともできない。
そう言いながら、自分の両足と右手を見つめる。
両足と右腕は、既に切り落とされていた。帝国軍の連中に逆らおうとした罪で、天城のクソ野郎に切り落とされたのである。コンクリート製の天井からは、錆び付いた鎖が伸びている。その鎖は俺の左手の手首に巻き付いてから再び天井へと伸びており、両足と右腕を失った俺をまるでサンドバッグのように吊るしていた。
全てを失った挙句、こんな無様な姿にされてしまったのだ。死を望んでいるに決まっているだろう?
「本当は”復讐”したいのではないか?」
――――――復讐。
大切なものを奪った連中への報復。
復讐という言葉を聞いた途端、”彼女”が殺された瞬間の光景がフラッシュバックした。たった数十cmの壁の壁の向こうにいるにもかかわらず、助ける事ができなかった最後の家族。
死ねば、復讐できない。
彼女を苦しめたクソ野郎共をぶち殺す事ができない。
心の中で、復讐心が肥大化していく。封じ込めていた鉄格子すら突き破った復讐心が、唯一の家族を奪われた絶望を呑み込んだ。
――――――殺したい。
あいつらを殺したい。
唯一の家族を殺した”勇者”を殺したい。
死にたくない。
せめて、復讐を果たしたい。
「――――――復讐がしたい」
そう告げると、腕を組みながらこっちを見つめていたセシリアはニヤリと笑った。
「ならば私と来い、転生者。一緒にクソ野郎共を殺そう」
お前について行けば、あいつらを殺せるのか?
ならば、連れて行ってくれ。
唯一の家族を殺した連中を、1人残らず根絶やしにしたいんだ。
そう思いながら首を縦に振ると――――――セシリアは嬉しそうに言った。
「――――――――じゃあ、復讐に行こう」
全てを失った魔王は―――――――悪魔を拾った。