雪と大国の戦場
雪に覆われた大地の向こうから、爆音が轟いてくる。西部戦線ではあらわになっていた草原や岩場が完全に雪に呑み込まれてしまった純白の世界。けれども、その純白の世界でも西部戦線と同じことが繰り広げられている。兵士たちが銃を撃ち合い、敵の砲兵の放った砲弾でミンチにされる熾烈な戦闘。弾幕を突破した兵士たちが棍棒やスコップを振り回して敵兵を殺していく、激しい白兵戦。
モシンナガンM1891を背負いながら、他の兵士たちと共に整列して戦場へと向かう。寒冷地用のブーツで雪を踏みつけながら進んでいくと、オルトバルカ軍の衛生兵たちが持つ担架に乗せられた兵士たちが、逆方向へと次々に運ばれていくのが見えた。
戦場で負傷しても、支給されているエリクサーを使えばすぐに傷を塞いで戦闘を継続できるし、治療魔術師がいれば兵士を素早く治療できる。でも、だからといって彼らのような衛生兵が不要になったというわけではない。何度も負傷してエリクサーを使い切ってしまえば前世の世界のような負傷兵と変わらないのだから。
担架に乗っている兵士たちは、治療魔術やエリクサーでは治療して復帰させられないほどの重傷を負った兵士たちばかりだった。当たり前のように手足が欠けていて、止血される前に溢れ出た血で真っ赤に染まった断面は包帯で巻かれている。
「おい、俺の腕は………どこだよ………………!?」
「殺してくれ………頼む、殺してくれよぉ………」
失ってしまった手足を見つめながら、負傷兵たちが衛生兵たちに言う。衛生兵たちは唇を噛み締めながら目を瞑ったり、絶望する負傷兵たちを励ましながら、後方で待機しているトラックの方へと負傷兵たちを連れて行った。
あの衛生兵たちはPTSDになる羽目にならないのだろうかと思いながら歩き続ける。
オルトバルカの寒さは正直に言うと予想以上である。上陸前に支給された寒冷地用の制服だけでなく、魔物の毛皮で作られた手袋とウシャンカを身に纏っているというのに、まるでそういった防寒着を一切身に纏っていない状態で雪山にやってきたかのように寒いのである。
先ほどボートで上陸した場所も、元々はそこも海であり、9月下旬には凍り付いてしまうという。
上陸してからまだ20分くらいしか経過していないというのに、前を歩いている兵士は早くも寒さのせいでぶるぶると震え始めている。こんな極寒の大地で西部戦線よりも熾烈な戦闘が繰り広げられるというのであれば、兵士たちの負担は西部戦線異状に大きくなるのは言うまでもない。
しばらく歩いていると、オルトバルカ軍の旗が見えてきた。鉄条網で囲まれた大きな塹壕の中に司令部らしきテントがあり、入り口と司令部となっているテントの周囲には数名の兵士がライフルを背負って待機しているのが見える。
塹壕に近づいていくと、頭に毛皮で作られたウシャンカをかぶった若い兵士に呼び止められた。
「止まれ」
セシリアが片手を上げ、後続の兵士たちに行進を止めるように告げる。団長であるセシリアの後に続く歩兵の隊列がぴたりと止まったのを確認した警備兵は、テンプル騎士団を率いるセシリアをまじまじと見つめてから、彼女の制服の肩にあるエンブレムをチェックし、後ろにいる他の警備兵に目配せする。
「テンプル騎士団か」
「ああ、我々も攻勢に参加する」
「グレイム大将がお待ちかねだ。入れ」
そう、俺たちが東部戦線へとやってきたのはオルトバルカ軍の攻勢に参加するためである。
現在、オルトバルカ連合王国軍は、単独で『ヴァルツ帝国』、『ヴリシア・フランセン帝国』、『アスマン帝国』の3ヵ国と東部戦線で戦っているのである。フランギウス共和国やフェルデーニャ王国は同盟国だが、その2ヵ国は西部戦線でヴァルツ帝国とヴリシア・フランセン帝国と戦っている状態であり、同盟国と協力するにはお互いに遠征軍を派遣するか、そのまま攻撃して挟撃することくらいしかできない。
だからこそ、オルトバルカは本拠地を失っているテンプル騎士団に目を付けたのだろう。
現在のテンプル騎士団は、一応は連合軍に所属している。残存部隊を率いて同盟国の戦闘に加勢する、連合国の傭兵のような存在である。
警備兵がセシリアをテントの方へと案内しようとすると、彼女は歩き出す前にこっちを振り向いた。極寒の雪原のど真ん中で整列している兵士たちの中から俺を見つけた彼女は、「ついてこい」と目配せすると、警備兵と一緒に歩き始めた。
「気に入られてるねえ、お前」
「ありがたい事だ」
後ろにいたジェイコブにそう言ってから、隊列を離れた。速足でセシリアに追いつくと、彼女はこっちを見上げながら一瞬だけ嬉しそうに微笑み、目の前に居座るテントを睨みつける。
テントの中には、大きなテーブルが置かれていた。中から湯気の出ている真っ白なティーカップ―――――オルトバルカの名産品は紅茶なので、中身は九分九厘紅茶だ――――――と一緒に、東部戦線の大きな地図も置かれている。地図には既にペンで自分たちの軍がどこまで進軍しているかを意味する記号がいくつも書かれており、それを見下ろしながら数名の将校が話し合っているところだった。
「グレイム大将、テンプル騎士団の団長をお連れしました」
「うむ、ご苦労」
警備兵が報告したのは、少しばかり太った初老の男性だ。口の周りは髭で覆われていて、他の兵士たちよりもやけに大きな軍帽をかぶっている。腰には黄金の装飾が付いているサーベルを下げていて、身に纏っている軍服にはいくつか勲章が付いているのが分かる。
この男性が、この攻勢の指揮を執るグレイム大将なのだろう。セシリアの話では、あまり有能な将校ではないらしい。今回の攻勢での役目はオルトバルカ軍の露払いという事になっているが、多分俺たちが主力と化すことになるだろう。
グレイム大将はセシリアが腰に下げている刀をちらりと見てから、俺が背中にモシンナガンM1891と一緒に背負っている大太刀をまじまじと見た。この世界の軍隊では、指揮官や将校がサーベルや剣などを腰に下げているのは珍しい事ではない。だから、セシリアが腰に2本も日本刀を下げている事にはあまり違和感を感じなかったのだろう。
だが、彼女の護衛として同行した二等兵が、とっくの昔に廃れた大太刀を背中に背負っているのを目の当たりにすれば、先進国どころか発展途上国の軍人でも猛烈な違和感を感じるに違いない。
「若い団長だと聞いていたが、予想以上に若いな」
「テンプル騎士団団長のセシリア・ハヤカワだ」
誉め言葉というよりも、経験不足なのではないかと言わんばかりにそう言ったグレイム大将は、傍らに置いてあったティーカップを拾い上げる。紅茶を一口飲んでからテーブルの上の地図を指差したグレイム大将は、今回の攻勢の説明を始める。
とはいっても、攻勢に参加する前に作戦はシュタージへと伝達されていたし、上陸前に兵士たちはこの説明を聞いていたのでどのような作戦なのかはもう知っている。テンプル騎士団はそれほど当てにしていないしていないからこそ露払いをやらせるのだろう。
「今回の攻勢では、我が軍の新兵器を投入する。その前に君たちは左翼から敵の塹壕を強襲し、敵の戦力を削って新兵器を投入するまでの時間稼ぎをしてもらいたい」
「了解だ。投入までにかかる時間は?」
「およそ30分だ。まあ、そちらには航空支援と艦砲射撃があるから、貧弱な騎士団でもすぐには壊滅せんだろう」
笑いながらそう言ったグレイム大将を無表情のまま見つめるセシリア。だが、ちらりと彼女の真っ白な手を見てみると、グレイム大将や周囲の警備兵たちに見えないように拳を思い切り握りしめていた。
オルトバルカはセシリアが生まれ育った国だが、彼女から全てを奪った”敵国”でもある。この戦争では連合国を支援しているからこそオルトバルカの攻勢に協力しているが、もしこの戦争がなかったら、彼女は真っ先にオルトバルカ連合王国に宣戦布告し、彼女の父親に濡れ衣を着せて殺した連合王国を焼き尽くしているに違いない。
しかし、セシリアは父親の仇を討つ準備を水面下で既に進めているという。だから、これはかりそめの同盟関係だ。セシリアの準備さえできれば、彼女はすぐにこの同盟関係を破棄してオルトバルカに反旗を翻す。
そう、かつてオルトバルカの王室がハヤカワ家を裏切ったように。
だから、彼女は耐えていた。
父親を奪った国の人間に嘲笑される屈辱を。
「それで、その兵器はどういう物なのだ?」
「悪いが、同盟関係である君たちにも教えられない。極秘に開発された、我が偉大なる連合王国の傑作なのでね」
傑作ね………………。
その傑作が敵に破壊されて大損害を被ったら、逃げてくるお前らを見て塹壕で大笑いしてやる。
多分、オルトバルカが投入しようとしている新兵器は十中八九”あの兵器”だろう。あの兵器も、第一次世界大戦で産声をあげた代物なのだから。
というか、この世界の列強国はもうその兵器を生産できるほどの技術力を手に入れたというのか………?
信じられない話だ。俺やエミリアが仲間たちと一緒に戦っていた頃は、列強国の軍隊は鎧や剣を身に着けた騎士たちが敵に突っ込んでいくのが当たり前だったというのに。
そう思ったが、唇を噛み締めながら首を横に振った。
最近、端末の前の持ち主であるリキヤ・ハヤカワの記憶がフラッシュバックすることが増えてきた。自分の記憶ではないというのに、脳味噌が他人の記憶を自分の記憶として認識してしまっているのだろう。まるで、他人のセーブデータを使ってゲームをプレイしているような感覚である。
戦いが終わったら博士に検査してもらった方が良さそうだ。
そう思っている内に、グレイム大将の説明は終わっていた。
「では、我々は攻撃の準備をする」
「ああ。………………そう言えば、テンプル騎士団は帝国軍の連中に『蛮族』と呼ばれているそうだね?」
踵を返してテントを後にしようとしている俺たちが持っている刀を見つめながら、グレイム大将が言った。
テンプル騎士団では、刀や剣が未だに正式採用されており、兵士たちにも白兵戦用の装備として支給されている。けれども先進国ではとっくの昔に廃れた装備であり、剣やサーベルを持っているのは式典に参加する兵士か、戦場で指揮を執る将校程度である。
しかも、ホムンクルスを除けば、テンプル騎士団の兵士は世界中で奴隷にされていたり差別されている種族ばかりである。それゆえに、テンプル騎士団は帝国軍どころか先進国の軍隊からは”蛮族”と呼ばれているのだ。
そう、オルトバルカの連中も我々の事を蛮族と呼んでいるのである。
「文明人として戦ってくれたまえよ」
「………ああ」
冷たい声でそう言ったセシリアと一緒に、テントを後にする。
もし明日花を殺した連中に侮辱されたら、俺はとっくに背中の大太刀を引き抜いてテントの中を血の海にしていた事だろう。総大将の首を斬り落とし、それを兵士たちに見せつけながら、怯えて逃げていく敵兵を斬り殺していたに違いない。
けれども、セシリアは無表情のままだった。拳を握り締めているという事は彼女も怒っているという事なのだろうが、それを除けば全く怒り狂っている様子がない。まるで、全く興味のない話を聞いているかのような表情である。
彼女は強い女だ。まだ未熟かもしれないが、このテンプル騎士団を率いるに相応しい女だ。
テントの外に出た彼女は、極寒の塹壕の中で整列して待っていた兵士たちを見渡しながら言った。
「同志諸君、我が騎士団はオルトバルカ軍に先行し、敵の塹壕に攻勢を開始する! 攻勢開始は今から2時間後だ! いいか、我々には艦砲射撃と航空支援がある! それに、我がテンプル騎士団が最も得意とするのは防衛戦ではなく、攻勢だ! 我らの祖先は、一度も攻勢に失敗したことがなかったという! 我々も祖先のように、必ず攻勢を成功させてやろうではないか!!」
え、マジで一度も攻勢に失敗したことないのか?
ぎょっとしながらセシリアの方を見つめる。テンプル騎士団が真価を発揮するのは、突っ込んでくる敵を迎え撃つような戦闘や味方の撤退支援ではなく、こっちから攻撃を仕掛ける攻勢だというのか?
演説を聞いている兵士たちが、腰に下げている剣や銃剣付きのライフルを振り上げて雄叫びを上げる。それを見ていたオルトバルカの警備兵が顔をしかめたが、兵士たちは嫌がらせをしてやろうと言わんばかりに雄叫びを上げ、自分たちの出身地の言語で分隊の仲間たちを鼓舞し始める。
俺も大太刀を引き抜いて雄叫びを上げてやろうかと思ったその時だった。
「――――――立派になったじゃないか、セシリア」
塹壕の外から、低い声が聞こえた。
雄叫びを上げていた兵士たちや、奮い立つ同志たちを見渡して微笑んでいたセシリアが目を見開きながら塹壕の外を見上げる。
雪で覆われている塹壕の外に、真っ白な寒冷地用の制服に身を包んだ巨漢が立っていた。背中には白い布を巻いたマドセン機関銃を背負っていて、腰にはククリナイフと予備のマガジンが収まったポーチや鞘をぶら下げている。頭にかぶっている真っ白なヘルメットから覗くのは、桜色の頭髪だ。よく見ると口元も桜色の髭で覆われているのが分かる。
頭髪や髭の色は桜を思わせるが、がっちりとした筋肉で覆われた屈強な巨漢にはミスマッチなのではないだろうか。
そう思いながらその巨漢を見上げていると、近くにいるセシリアが目を輝かせた。
「――――――ウラル教官!」




