戦艦ジャック・ド・モレー
「じゃ、ジャック・ド・モレー級重戦艦を確認!」
見張り員がそう叫んだ途端、ヴァルツ帝国海軍の戦艦『アレンバウゲン』の艦橋にいた乗組員たちがざわつき始めた。進路を変更して逃げていくテンプル騎士団艦隊を見つめていた艦長も、艦橋にある座席に腰を下ろしたまま、敵艦隊の進行方向から唐突に姿を現した巨大な戦艦を凝視する。
その戦艦の形状は、先ほど進路を変更したテンプル騎士団艦隊の旗艦と似ていた。船体を流用した艦か同型艦なのだろう。だが、戦艦には必需品と言っても過言ではない主砲を搭載していなかった旗艦とは異なり、前方から姿を現した巨大な超弩級戦艦の甲板には、列強国であるヴァルツ帝国ですら採用していない4連装砲―――――しかも明らかにアレンバウゲンの主砲よりも大口径である――――――が2基も搭載されており、煙突の後方にも同型の砲塔が2基も搭載されているのが分かる。
ヴァルツ帝国の軍人たちが目にすれば、九分九厘”重戦艦”に分類する艦である。
双眼鏡でその重戦艦を凝視していた見張り員が、目を見開きながら報告した。
「て、敵戦艦は………………せっ、戦艦ジャック・ド・モレーです………………! て、てっ、テンプル騎士団艦隊の総旗艦ですッ!!」
「バカな………!?」
姿を現した戦艦は――――――テンプル騎士団艦隊の総旗艦『ジャック・ド・モレー』であった。
ジャック・ド・モレーは、この世界で最強の戦艦と言われている。テンプル騎士団が創設されたばかりの頃から運用されていると言われており、100年以上も大艦隊の先陣を切って砲撃戦を繰り広げ続けている最強の女傑だ。
あらゆる戦艦を上回る主砲と装甲を併せ持っており、更に機動性も、ヴァルツ帝国海軍が”軽戦艦”や巡洋艦に分類するような艦艇と同等と言われている。
大昔の戦闘では、400隻以上の敵艦隊の中央に単独で突撃し、包囲されるどころか敵艦隊の艦列を内側から抉り取って強引に突破し、後続の味方の艦隊と共に敵艦隊を蹂躙したという。
テンプル騎士団の力の象徴と言っても過言ではない存在なのだ。
総旗艦であるジャック・ド・モレーは、他の同型艦――――――昔は23隻も”姉妹”がいたという――――――とは違い、テンプル騎士団の全ての艦を指揮する必要もあるため、他の同型艦よりも艦橋が大型化されている。そのため、艦橋を見れば他の姉妹たちと見分ける事ができる。
双眼鏡を覗き込んだ艦長は、その重戦艦が先ほど逃げていた準同型艦らしき艦よりも艦橋が大きい事を確認すると、唇を噛み締めた。
「艦長、もう攻撃は不可能です! 離脱しましょう!」
「分かっている………………!」
アレンバウゲンの船体の大きさは170m程度である。本国にはより大型の戦艦があるが、アレンバウゲンも旧式の艦となってしまったとはいえ、未だに先進国の戦艦と互角に砲撃戦を繰り広げられるほどの防御力と攻撃力を兼ね備えている。
だが―――――テンプル騎士団のジャック・ド・モレー級戦艦は、別格としか言いようがない。
剣や槍で武装した騎士の隊列を、重武装の戦闘ヘリや戦車が蹂躙するようなものである。装甲の厚さはアレンバウゲンとは比べ物にならないほど分厚く、主砲の破壊力は先進国の戦艦の主砲よりもはるかに高い。しかも、船体の全長が304mであるにもかかわらず、先進国の戦艦たちを易々と置き去りにできるほどの機動性まで併せ持っているのだ。
ジャック・ド・モレー級戦艦を未だに保有しているからこそ、テンプル騎士団海軍は戦力を維持し続けていると言っても過言ではないだろう。
しかも、ジャック・ド・モレーの後方にはよりにもよって2隻の同型艦らしき艦や、ジャック・ド・モレー級に匹敵する大きさの超弩級戦艦が単縦陣を形成しているのが見える。更に後方を航行しているのは、アレンバウゲンよりも巨大な重巡洋艦と無数の駆逐艦で形成された輪形陣だ。
勝ち目がないという事を理解しつつ、艦長は「敵の数は?」と双眼鏡を覗き込む見張り員に尋ねる。
「お………………およそ40隻………!」
アレンバウゲンよりも強力な戦艦や巡洋艦が配備されている大艦隊に、たった3隻の旧式の戦艦と潜水艦で攻撃を仕掛けるのは愚の骨頂である。
本国どころか、同盟国の全ての艦隊を増援に派遣してもらわなければ、あのジャック・ド・モレー率いるテンプル騎士団の残存艦隊――――――残存艦隊とは思えない規模である――――――と戦う事は許されないのだ。
現代でも奴隷にされていることの多い種族たちや、錬金術師によって生み出されたホムンクルスが大半を占めるテンプル騎士団の目の前で反転を命じなければならないことを恥じながら、艦長は乗組員たちに命じた。
「全艦反転! ただちに――――――」
ドン、と、アレンバウゲンの船体が鳴動する。
被弾したのだろうかと思いつつ、艦長は艦橋の窓の外を振り向いた。被弾したのであれば一瞬だけ爆炎が噴き上がり、瞬く間にアレンバウゲンの船体を漆黒の煙が包み込んでいる筈である。しかし、アレンバウゲンの船体から火柱や黒煙が噴き出していない。
しかし――――――すぐ近くに、これでもかというほどの爆薬を海中で起爆させたかのような水柱が居座っていることに気付いた乗組員たちは、あっという間に再び海原へと戻っていく水柱を凝視したまま凍り付いた。
「し、至近弾!」
「バカな………!!」
敵艦の砲撃がすぐ近くを直撃したというのに、アレンバウゲンの主砲は未だに射程距離外である。
双眼鏡を覗き込んだ艦長は、ジャック・ド・モレーの甲板の上に搭載されている主砲の砲身が、またしても元の位置に戻っていくのを目の当たりにしてぎょっとする羽目になった。
先ほどの砲撃が終わってから、まだ10秒程度しか経過していない。普通の戦艦の主砲であれば、砲塔の乗組員たちが砲弾と装薬を装填している頃である。しかし、先ほど至近弾をアレンバウゲンにぶちかましたばかりのジャック・ド・モレーはもう主砲の装填を終えており、砲身の仰角を元の角度に戻し始めているのだ。
(何という連射力だ………!)
全盛期のテンプル騎士団の戦艦は、大口径の主砲を搭載して敵艦を撃沈することよりも、ある程度口径の大きい主砲を少しでも多く搭載し、大量の砲弾を敵艦隊や沿岸部の拠点へと叩き込むことを重視していた。そのため、ジャック・ド・モレー級には戦艦大和に搭載されていた46cm砲ではなく、40cm砲が搭載されたのである。
テンプル騎士団の戦艦が重視していたのは、艦隊同士の砲撃戦ではなく、沿岸部の敵の拠点を艦砲射撃で撃滅することであった。大口径の3連装砲よりも、ある程度口径の大きな4連装砲の方が発射できる砲弾の数は多い。更に装填装置を改良することで連射速度を底上げし、無数の砲弾で沿岸部を火の海にして海兵隊の上陸を支援することが、テンプル騎士団海軍の戦艦の役目である。
要するに、戦艦同士の砲撃戦は二の次になっていたのだ。
とはいっても、ジャック・ド・モレー級戦艦の主砲は4連装40cm砲である。しかもその砲塔を4基も搭載しているため、攻撃力は旧日本海軍の長門型戦艦の2倍である。
双眼鏡の向こうで、またしてもジャック・ド・モレーの第一砲塔と第二砲塔が立て続けに火を噴いた。艦長は大慌てで「ぜ、全艦反転! 転移準備!」と叫びつつ、砲口から溢れ出る黒煙に覆われているジャック・ド・モレーを睨みつける。
次の瞬間、またしてもアレンバウゲンの船体が激震した。また至近弾かと思いながら窓の外を凝視した艦長は、今度は水柱の代わりに火柱が噴き上がっている事に気付いて目を見開く。
「ひ、『ヒリスバウテン』被弾!!」
アレンバウゲンの後方で反転しようとしていたヒリスバウテンの艦橋を、ジャック・ド・モレーの砲弾が容赦なく貫いたのである。
ヒリスバウテンの艦橋が容易く潰れ、大穴から火柱が噴き上がる。まるで巨大な鉄球を落とされた薄い板のようにヒリスバウテンの船体がへし折られたかと思うと、甲板にいる乗組員たちが大慌てで海面へと飛び込むよりも先に、真っ二つになったヒリスバウテンの船体が海原へと沈んでいった。
直撃した砲弾は、たった一発だけである。
「ヒリスバウテン、轟沈………!」
「転移を急げ………!」
このままアレンバウゲンと残った味方の艦が反転を終えるよりも先に、次の砲弾が2隻の艦を無慈悲に直撃するのは火を見るよりも明らかである。
それゆえに、艦長は転移を使うように命じた。
現代でも、転移魔術を使う事ができる魔術師は極めて貴重な存在とされている。膨大な量の魔力を消費する上に、転移阻害結界の範囲内へは転移できないが、結界の発生装置さえ破壊できれば敵陣の後方へと大部隊や特殊部隊を転移させることが可能であり、容易く敵を挟撃する事ができるようになるのである。
転移魔術が使える魔術師は、列強国の切り札の1つと言ってもいい。
しかし、9年前にテンプル騎士団がヴァルツ帝国の奇襲で壊滅し、彼らが保有していた古代文明の技術が先進国へと流出したことで、転移魔術を使う事ができる魔術師の価値は少しばかり落ちた。
高出力のフィオナ機関とテンプル騎士団から接収した技術を使えば、艦艇も転移を使う事ができるようになったからである。こちらも転移阻害結界の影響を受けてしまうものの、大陸よりも広い海原をあっという間に移動し、敵艦隊の後方へと転移して奇襲する事ができるため、艦艇は極めて強力な兵器と言えるだろう。
しかし、最新型の高出力型フィオナ機関でも辛うじて生成できるほどの魔力を一気に使ってしまうため、転移を使用すれば高出力型フィオナ機関の回路がすべて破損してしまうため、ドッグでフィオナ機関を交換しない限りは一度しか使う事ができない。
そのため、各国の艦艇は転移を使った後も航行を続行できるように予備のフィオナ機関も搭載しているのだ。
「魔力、55メガメルフへ上昇! 転移先へのアップロード、準備完了!」
「敵艦発砲! 砲撃が来ます!!」
「転移!」
艦長が命じた直後、アレンバウゲンの船体の周囲に巨大な紅い魔法陣が生成された。ぐるぐると回転しながら無数の複雑な記号を産み落とした巨大な魔法陣は、周囲のリングを更に高速回転させると、アレンバウゲンの周囲の海面もろとも削り取り、アレンバウゲンともう1隻の戦艦を別の海域へと転移させてしまう。
一瞬だけ海面に生成されたクレーターへと、ジャック・ド・モレーの砲弾が降り注いだ。
ジャック・ド・モレーの艦橋が同型艦よりも大型化しているのは、海軍に所属するすべての艦の指揮を執るために、設備や索敵用の装備が他の艦よりも大量に搭載する必要があったからである。
それゆえに、ジャック・ド・モレーの艦橋やCICの内部は他の同型艦よりも二回りほど広くなっている。CICの内部にある装備を全て取り外してボールとゴールを用意すれば、バスケットボールの試合でも始められそうなほどの広さだ。
広大なCICの座席に腰を下ろしているのは、大半がタクヤ・ハヤカワのホムンクルスであった。ホムンクルスは赤ん坊から17歳まで育成するのに手間がかかってしまうという欠点があるが、容易く生産できるため、人材不足を解消するのにもってこいの存在である。それゆえに、テンプル騎士団の将校の中にはいずれ全ての役職をホムンクルスに取って代わられるのではないかと危惧する者もいるという。
中には、乗組員が全てホムンクルスのみで構成された艦も存在する。彼女たちに取って代わられるのは恐ろしいことかもしれないが、彼女たちのように簡単に補充できる人材たちがいるからこそ、テンプル騎士団の軍拡に人材の用意が追いつく事ができたのだ。
座席に座りながら魔法陣をタッチするホムンクルスたちの後方に用意されている席に座っていた初老のハーフエルフの男性は、軍帽を片手に持って頭を掻いた。
彼の名は『セルゲイ・ヴィンスキー』提督。かつてはジャック・ド・モレーの艦長を務めていた男であり、テンプル騎士団海軍の名将である『イワン・ブルシーロフ提督』と共に様々な激戦を経験した将校である。
彼は人間よりも遥かに寿命の長いハーフエルフであるため、テンプル騎士団海軍が創設された頃から海軍に所属しているベテランである。本来であれば退役し、テンプル騎士団海軍の提督たちの育成を担当することになっていたのだが、タンプル搭が壊滅したことによって海軍に復帰したのだ。
「敵艦、転移しました」
「ハサン艦長、砲撃を止めさせろ」
「はっ。撃ち方止め」
「CICより各砲塔へ、撃ち方止め。繰り返す、撃ち方止め」
座席の近くにある伝声管へと乗組員が告げているのを聞きながら、ヴィンスキー提督の傍らに立っているハサン艦長は溜息をついた。
「何をやってるんでしょうね、連合王国の艦隊は」
「潜水艦が怖いんだろう」
潜水艦の奇襲で自慢の主力艦隊が壊滅する事を恐れているとはいえ、最強の大国や世界の工場と呼ばれている列強国の領海を、敵国の戦艦が我が物顔で航行しているのは醜態としか言いようがない。軍帽をかぶりながら、軍港に停泊しっ放しのオルトバルカ艦隊を嘲笑ったヴィンスキー提督は、隣に立っているハサン艦長を見上げた。
ハサン艦長はクレイデリア出身のダークエルフの男性であり、ヴィンスキー提督の後輩である。3代目団長である『ヒロヤ・ハヤカワ』の代に、ジャック・ド・モレー級戦艦の二番艦『ユーグ・ド・パイヤン』の艦長を担当した経験のある優秀な将校だ。
演習中に衝突してきた同型艦『ジルベール・オラル』の艦長を一緒に怒鳴りつけに行った時の事を思い出しながら笑った提督は、近くにいるホムンクルスの乗組員に尋ねる。
「轟沈した敵艦の生存者は確認できるか?」
「はい、艦橋からの報告では十数名ほどだそうですが」
「では、食料と水を乗せたボートをうっかりと流してやれ」
「提督、敵を助けるのですか?」
反論するホムンクルスの部下を見つめながら、艦長と提督は苦笑いした。ホムンクルスは優秀だが、海軍が創設された頃から一緒に戦っているベテランたちと違って真面目過ぎる。
テンプル騎士団では捕虜を受け入れることはあるが、この世界で締結されている条約にはほとんど批准していないため、条約で禁止されている兵器を当たり前のように大量に投入したり、捕虜を受け入れずに殲滅することも珍しくない。諜報部隊であるシュタージでは、捕虜を拷問したり、人体実験に使うのは日常茶飯事だという。
列強国が何度も批判したり圧力をかけてきた事もあったが、世界中の先進国を全て相手にしても、たった2%の兵力で全てを返り討ちにできるほどの軍事力を保有していた全盛期のテンプル騎士団が意に介するわけがなかった。むしろ、条約で禁止されている行為を平然と行えるからこそ、条約を邪魔だと感じているクライアントがこっそりと捕虜の拷問や人体実験の依頼をしてきたことも多かったのである。
しかし、海軍は陸軍や海兵隊のように無慈悲な部署ではない。
「同志、乗っている艦が沈んで海原を漂う羽目になった以上、そいつらは敵ではない。遭難者だよ」
「しかし、同志団長から敵兵は皆殺しにするように命令が――――――」
軍帽をかぶり直した提督は、ホムンクルスの乗組員に向かってウインクしながら言った。
「だから”うっかり”ボートを出してやるんだ」
かつて、彼と共に戦ったブルシーロフ提督も沈んだ敵艦の生存者は絶対に攻撃しなかった。初代団長であるタクヤや、彼の父親であるリキヤ・ハヤカワの命令に反して敵艦の生存者を救出するのは当たり前だったのだ。
ヴィンスキー提督も、彼の船乗りの誇りを受け継いでいるのであった。
※ヴィンスキー提督は、「こうなる二部」の中盤でジャック・ド・モレーの艦長をしていたキャラクターです。現在は昇進して提督になってます。




