ラトーニウス海
かつて、オルトバルカ王国の南方には『ラトーニウス王国』という国があったという。
オルトバルカ王国へと侵攻し、『世界最強の大国』や『世界の工場』と呼ばれていた大国を打ち倒そうとしたものの、圧倒的な兵力を誇っていた大昔のテンプル騎士団にあっという間に撃退された挙句、オルトバルカの軍隊に首都まで逆に進撃され、あっさりとオルトバルカに併合されたらしい。
現在のオルトバルカにある『ネイリンゲン』という街から南側が、旧ラトーニウス領と言われている。もちろんその旧ラトーニウス領もオルトバルカ連合王国の一部となっているが、地名などはラトーニウス王国だった頃から殆ど変わっておらず、世界地図にもラトーニウスだった頃の地名が記載されている。
それゆえに、キャメロット率いる艦隊が航行しているこの海域も未だに『ラトーニウス海』と呼ばれているのだ。
とっくの昔に併合された国の地名や海域の名称をそのまま使っているのは、併合されたラトーニウス側の国民たちの反発を少しでも軽減するためだったのだろうか。その配慮のおかげなのか、それともラトーニウス側の国民たちが軍事力の差を痛感して独立を諦めたからなのか、併合されてから旧ラトーニウス領ではオルトバルカから独立しようと主張する者は存在しないという。
他の乗組員たちと共に対空戦闘用の37mm機関砲の点検をしながら、ちらりとラトーニウス海を見渡す。キャメロットがフェルデーニャのゴダレッドに向かう途中に航行した海域と比べると、少しばかり波は高い。けれども全長304mの巨体をこの海域の波で揺らすのは不可能だろう。
「新入り、とっとと点検を終わらせるぞ。いつ潜水艦が襲ってくるか分からんからな」
「了解です、伍長」
がっちりした体格の伍長に返事をしてから、機関砲のチェックを続けた。
キャメロットに乗り込んでいる兵士の大半はテンプル騎士団陸軍であり、黒い制服を着用している。けれども、キャメロットの乗組員たちは陸軍ではなくテンプル騎士団海軍に所属しており、海軍で採用されている蒼と黒の制服に身を包んでいる。
人間よりも遥かにがっちりとしているオークの伍長が身に纏っているのは、海軍で採用されている蒼と黒の制服であった。オークは平均的な身長が2mと言われており、キメラや吸血鬼などの種族を除けば、筋力は人類の中でもトップクラスと言われている。がっちりとした筋肉に覆われている伍長ならば、ここにある37mm機関砲を抱えて連射する事ができるのではないだろうか。
そんな事を考えながら、機関砲のチェックを済ませて工具を片付け始める。
このキャメロットは、ジャック・ド・モレー級戦艦と呼ばれる強力な戦艦の船体を利用した準同型艦だ。とはいっても、キャメロットの役割は艦隊の先陣を切って敵艦隊と砲撃戦を繰り広げる事ではなく、後方でテンプル騎士団の全兵力を指揮したり、艦内で兵士たちの訓練を行う事である。そのため、指揮をするための設備や訓練用の設備を艦内に用意するために、殆どの武装は撤去されてしまっているのである。
残っている武装は対空用の機関砲や高角砲などだ。艦首には533mm魚雷発射管が合計で4門ほど搭載されているらしいが、主砲が搭載されていない以上は普通の戦艦よりもはるかに火力が低いと言わざるを得ない。
潜水艦を探知するためのソナーは搭載されているものの、対潜用の爆雷は搭載していないため、仮に潜水艦がキャメロットに襲い掛かて来たとしても、残念なことに反撃することはできないのである。
キャメロットの後方を航行するのは、ジャック・ド・モレー級戦艦を空母に改造したナタリア・ブラスベルグ級空母の一番艦『ナタリア・ブラスベルグ』。テンプル騎士団が保有する唯一の空母である。セシリアの話では、機動艦隊を編成するために同型艦を建造する予定があるらしい。
ちなみに、ジャック・ド・モレー級戦艦のベースとなっているのは、ソ連が建造する予定だった『24号計画艦』という戦艦だという。
点検に使った工具を片付けながら、キャメロットの艦橋を見上げた。艦橋の周囲には37mm連装機関砲や、陸軍でも運用しているPM1910を6丁も束ねた対空機銃がいくつか搭載されているのが見える。艦橋の後方にある煙突の周囲には2基の連装高角砲が搭載されていた。敵の航空機を容易くズタズタにできる武装だが、さすがに敵艦に攻撃してもそれほど損害は与えられないだろうし、敵艦や敵機との戦闘を想定している他の同型艦と比べると、搭載している機銃や高角砲の数も少ないに違いない。
キャメロットとナタリア・ブラスベルグの2隻を護衛するのは、4隻の『レニングラード級駆逐艦』と呼ばれるソ連製の駆逐艦だった。艦列の中央を航行する2隻のジャック・ド・モレー級戦艦をベースにした準同型艦と比較するとかなり小柄な船体だが、船体の上には130mm砲や魚雷発射管がずらりと並んでいる。
本来ならば主砲である130mm砲は5門ほど搭載されているのだが、”テンプル騎士団仕様”のレニングラード級駆逐艦は艦橋の前にある2門の130mm砲以外は撤去されており、代わりに4連装533mm魚雷発射管がこれでもかというほど搭載されているのが分かる。あの大量の魚雷をぶちまけられれば、圧倒的な防御力を誇る戦艦でも容易く轟沈してしまう事だろう。
艦尾には対潜用の爆雷も搭載しているため、敵の潜水艦が襲い掛かってきたとしても、その爆雷を海中に投下して敵の潜水艦を海の藻屑にする事ができるというわけだ。
現代では対潜ミサイルや魚雷を使って潜水艦へ攻撃を行うのが当たり前だが、第二次世界大戦までは駆逐艦や巡洋艦がソナーで潜水艦を索敵し、爆雷を投下して撃沈するのが当たり前だったのである。
「敵艦に襲われずに味方と合流できればいいなぁ」
そう言いながら、工具箱を持った乗組員が後ろからやってくる。海軍で支給されている蒼い軍帽の下からは長い耳が覗いており、肌は一緒に機関砲の点検をしていたオークの伍長よりも白い。おそらく、彼の種族はエルフだろう。
「主力艦隊には7隻も戦艦がいるし、駆逐艦は30隻もあるから簡単に潜水艦を蹴散らせるよ」
「蹴散らすどころか攻撃できないだろ。30隻の駆逐艦に爆雷を落とされたらとんでもない事になるって」
「それはそうだな。はははっ」
現在のテンプル騎士団で最も規模が大きいのは、海軍である。
タンプル搭が襲撃した際に、陸軍は大量の兵士や兵器を失う羽目になった。錬度が高かった空軍も無数の航空機を爆破して処分するか、基地に置き去りにして脱出せざるを得なかったため、空軍は陸軍以上の大損害を被っており、数年前までは機能を停止しているに等しい状態だったという。
しかし、海軍は脱出の準備をしていた艦艇に生き残った兵士たちを乗せて離脱するだけで済んだため、辛うじて虎の子の艦隊を温存することに成功したのである。
キャメロットと合流する予定の艦隊は、その生き残った艦艇で構成された『主力艦隊』と呼ばれる艦隊らしい。
主力艦隊を率いるのは、テンプル騎士団の力の象徴であり、この世界で最強の戦艦と言われている戦艦『ジャック・ド・モレー』である。テンプル騎士団壊滅前に同型艦が23隻も建造されたジャック・ド・モレー級戦艦のネームシップであり、テンプル騎士団初代団長のタクヤ・ハヤカワがテンプル騎士団海軍を設立した当時から、100年以上も艦隊の先陣を切って戦い続けている女傑だ。
普通の艦艇だったら退役してもおかしくないほどの老朽艦としか言いようがない艦だが、転生者が生産した銃や兵器であれば、補給や耐用年数は考慮する必要はない。
銃の場合は12時間ほど経過すると勝手に最善の状態にメンテナンスされ、弾薬も補充されるのである。戦車や艦艇などの兵器も48時間経過すれば燃料や弾薬が補充されるので、48時間以内に燃料や弾薬を使い果たさなければ戦闘不能になる心配はない。
だからこそ、本拠地や軍港を失ったにもかかわらず、テンプル騎士団海軍は健在だったのである。
とはいっても、勝手に最善の状態にメンテナンスされるからと言って点検を怠るのは論外である。銃や兵器を扱う以上は、機能や構造をしっかりと確認しておく必要がある。
そのため、銃や兵器などを使うのは、剣や魔術を使って戦うよりもハードルが高いと言えるだろう。兵器や銃を使う転生者の数があまり多くない原因に違いない。
他の乗組員たちと話をしながら、俺はもう一度海面を見渡した。
艦橋でも乗組員たちが双眼鏡を使って敵艦がいないか見張りをしている。双眼鏡を使わなければ敵艦は見えないのだから、双眼鏡すら使わずに見渡したとしても敵を探すことはできないだろう。無意識のうちに海面を見渡してしまったのは、潜水艦に襲撃されるのが不安だったからだろうか。
溜息をつきながら仲間の持っている工具箱を受け取り、俺は他の乗組員たちと共にハッチの中へと戻った。
海原は、大昔は船乗りたちに恐れられていた場所であった。
産業革命で兵器や魔術が発達し、容易く魔物を討伐できるようになる以前は、海中の魔物はこれ以上ないほど恐ろしい存在だったからである。現代ではもう絶滅してしまったと言われているが、大昔はリヴァイアサンやクラーケンに襲撃され、船もろとも海の藻屑と化すのは日常茶飯事だったのである。
絶滅してしまった魔物たちの代わりに、船乗りたちから恐れられていた海の中を我が物顔で航行するのは、1隻の鋼鉄の塊だった。傍から見れば駆逐艦の船体を更に小型化し、甲板の上にある装備を全て取り外してセイルを取り付けたような外見をした兵器である。
”血と鉄の力”によって生み出された、鋼鉄の魔物だ。
「艦長、見えました」
潜望鏡を覗き込んでいた乗組員が、嬉しそうに微笑みながら艦長を呼ぶ。真っ黒な軍帽をかぶった艦長は彼の代わりに潜望鏡を覗き込むと、その潜望鏡の向こうに映っている巨大な艦艇を凝視しながら、まるで標的の船を発見した海賊船の船長のようにニヤリと笑った。
「テンプル騎士団の艦隊だな」
潜望鏡の向こうに映っているのは、テンプル騎士団のエンブレムがこれ見よがしに描かれた6隻の艦隊だった。普段であれば、駆逐艦が4隻も護衛しているのを目の当たりにすれば悪態をつきながら潜望鏡から目を離すのだが、その駆逐艦の艦列の内側を航行する2隻の巨大な艦は、普段の彼らが狙っている得物よりもはるかに魅力的な”大物”である。
艦列の中央を航行しているのは、どちらもジャック・ド・モレー級戦艦の準同型艦―――――空母であるナタリア・ブラスベルグは、テンプル騎士団では『ナタリア・ブラスベルグ級』に分類されている――――――だったからであった。
テンプル騎士団の切り札でもあるジャック・ド・モレー級戦艦の武装は、ヴァルツ帝国軍の戦艦ですら一撃で轟沈させるほど強力な代物だ。それゆえに、本拠地を失って弱体化しているとしても、海軍だけは迂闊に攻撃できる敵ではなかった。
だが、潜水艦であれば甲板に搭載されている巨大な主砲も無意味である。
浮上していればオーバーキルとしか言いようがない破壊力を叩き込まれる羽目になるものの、潜航している状態ならばその主砲が潜水艦に牙を剥くことがないからだ。しかも、ジャック・ド・モレー級戦艦には対潜用の兵器は殆ど搭載されていないため、ジャック・ド・モレー級に反撃されることは有り得ない。
ジャック・ド・モレー級を撃沈し、テンプル騎士団の撃滅に貢献すれば皇帝から間違いなく勲章を与えられるだろう。だが、艦長は勲章や報酬に全く興味はなかった。
彼が海軍に入隊し、ヴァルツ帝国の新兵器である潜水艦の艦長になった目的は、”強敵を仕留める事”だけだからだ。敵に察知される可能性の低い潜水艦で距離を詰め、大物に虎の子の魚雷を叩き込んで撃沈する事以外に興味はない。仮にその戦果をあげたことで皇帝から勲章をもらったとしても、自分の艦に乗る前に海へと投げ捨てている事だろう。
輸送船を仕留めるより、駆逐艦に護衛された超弩級戦艦を仕留める方が遥かに面白い。
「深度50まで浮上。魚雷発射管、1番から6番まで発射用意」
「了解、深度50まで浮上。メインタンクブロー」
「魚雷発射管、注水開始」
ヴァルツ製の潜水艦が、ゆっくりと浮上を開始する。高圧の魔力を充填した”高圧魔力魚雷”が装填されている発射管の内部を海水が満たした頃には、潜水艦は艦長が指示した通りの深度まで浮上していた。
潜望鏡を覗き込んだまま、艦長は呼吸を整える。
テンプル騎士団の駆逐艦は、中央を航行する旗艦が潜水艦に狙われていることに気付いていない。
彼らの乗る潜水艦の艦首には、高圧魔力魚雷を装填した発射管が6門搭載されている。艦尾側にも4門ほど搭載されているが、こちらにはまだ魚雷は装填していない。この6本の魚雷を敵艦隊に向かって放てば、生き残った駆逐艦が潜水艦の奇襲であることに気付き、接近して大量の爆雷を投下してくる事は想像に難くない。それゆえに、この攻撃が終わったら即座に潜航して離脱し、駆逐艦が引き返していくまで待つことになる。
潜望鏡でテンプル騎士団艦隊を睨みつけながら、艦長は命令を下す。
「目標、敵戦艦。後続の”変わった船”は後回しにする」
「了解。目標、敵戦艦。魚雷発射管開け」
ガゴン、と艦首の方向から魚雷発射管が開く音が聞こえてきた。確実に今の音は敵の駆逐艦に察知された事だろう。
しかし、こちらは魚雷を発射するだけでいい。艦隊の中央を航行している戦艦の船体は明らかに300m以上である。駆逐艦のように機動性が高いわけではないのは火を見るよりも明らかであった。
そう、もう逃げることは不可能なのだ。
ニヤリと笑いながら、艦長は命じた。
「――――――1番、撃て」




