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魔王と悪魔


「テンプル騎士団の諸君、よくやってくれた」


 フェルデーニャ軍の拠点に戻ると、腰にサーベルを下げたフェルデーニャ軍の将校が戻ってきた俺たちを労ってくれた。セシリアは将校が差し出した手を微笑みながら握るが、拠点の中には帝国軍の反撃で負傷した兵士が何人もいるせいなのか、すぐに微笑むのを止めると、申し訳なさそうな顔をしながら手を離した。


 ゴダレッド高地での撤退戦では、セシリアのキメラ・アビリティと呼ばれる特殊能力によって、テンプル騎士団の防衛ラインの突破を図ったヴリシア・フランセン軍の攻撃部隊が全滅するという大戦果をあげることになった。どうやら敵は塹壕の守備隊からも兵士を引き抜いて攻勢を始めたらしく、敵の塹壕に残っているのは最低限の守備隊と、ヴァルツ帝国が派遣した遠征軍のみだという。


 その残存兵力だけでエリュダリオ山脈を占拠し続けるのが不可能なのは火を見るよりも明らかだが、ヴァルツ帝国も東部戦線と西部戦線で列強国と死闘を繰り広げている以上、いつまでも遠征軍をここに駐留させておくわけにはいかない筈だ。ヴリシア・フランセン軍のなけなしの増援が本国から到着したら、再び東部戦線か西部戦線へと呼び戻されることになるだろう。


 諜報部隊の予測では、ヴリシア・フランセン帝国から派遣されると思われる部隊の規模は現在のフェルデーニャ軍の5分の1だという。今回の戦いでフェルデーニャ軍は大損害を被ったが、増援部隊が到着して部隊の再編成が済めば、すぐに攻勢を始めるに違いない。


 次の攻勢でフェルデーニャ軍が圧勝するのは、火を見るよりも明らかだった。


「弱体化した軍隊とは思えぬ働きだった。本当に感謝する」


「ありがとうございます。………今回の追撃戦で敵も大損害を被っています。次の攻勢が始まれば、ここにいる兵士たちも家族の元へと戻れるでしょう」


「ああ、全くだ。私も早く生まれたばかりの娘に会いたいよ。………諸君、次の戦いが終われば家族に会えるぞ」


 くるりと後ろを振り向き、衛生兵や治療魔術師ヒーラーから治療を受けている兵士たちに将校がそう言うと、負傷兵たちが笑い始めた。中には血まみれの軍服のポケットから家族が写っている白黒写真を取り出し、最愛の家族の事を思い浮かべながら微笑んでいる兵士もいる。


 その負傷兵たちの手当てをしているのは、テンプル騎士団で支給されている黒い制服に身を包み、左腕に白い腕章を付けた女性の衛生兵たちだった。


「君みたいな綺麗な人に治療してもらえるなんて………ふふふっ、最高だな」


「そ、そう? 私はホムンクルスなんだけど、みんな同じ顔よ?」


「顔が同じでも関係ないよ。それに、君は本当に優しい人だ。だから衛生兵を選んだんでしょ?」


「え、ええ」


 負傷兵に口説かれているホムンクルスの衛生兵を見て苦笑いしている内に、セシリアはフェルデーニャ軍の将校との話を終えたらしく、将校に向かって敬礼をしてから踵を返した。俺も将校に敬礼をしてから踵を返し、セシリアの後ろを歩きながら衛生兵たちの様子を見渡す。


 やっぱり、負傷兵の手当てをしている衛生兵の殆どは負傷兵たちに口説かれているようだった。


 こちらの世界には、服用するだけで瞬時に傷口を塞ぐ事ができる”エリクサー”と呼ばれる回復アイテムや、傷口を治療する”治療魔術”が存在する。兵士たちに回復アイテムを支給しつつ、衛生兵の部隊を編成しておいたことによって、兵士たちの生存率は前世の世界よりも遥かに高くなっていると言ってもいいだろう。


 衛生兵の役目は、普通の兵士よりも多めに回復アイテムを携行し、負傷した兵士や自分で回復アイテムを使えないほどの重傷を負ってしまった兵士を回復アイテムで治療したり、治療魔術を得意とする治療魔術師ヒーラーが待機している拠点まで連れ戻すのが仕事だ。


 テンプル騎士団の衛生兵は左腕に白い腕章を付けているので、すぐに普通の歩兵と見分けることが可能である。敵を倒すことではなく味方の命を救う事を優先した部隊であるため、強力なライフルは支給されていないものの、敵に反撃するための武装は支給されている。


 負傷兵の腕に包帯を巻いている衛生兵の腰の後ろにある木製のホルスターには、代わった形状のコルトM1911が収まっている。木製のストックから突き出ているグリップの下部からはやけに長いマガジンが伸びており、スライドの上部にはボルトアクションライフルに搭載されているタンジェントサイトが覗いている。


 テンプル騎士団がサイドアームとして正式採用しているコルトM1911に、20発入りのロングマガジンを搭載し、スライドと銃身を7インチに延長したピストルカービンだ。あの木製のホルスターは、グリップの下部に取り付ける事でストックとしても機能する。また、中距離の敵を射撃する事も想定して、タンジェントサイトとリング状のフロントサイトを搭載している。


 今度俺も使ってみようかなと思いつつ、セシリアと共にテントの外に出た。


 俺たちが死守した塹壕がある辺りは未だに燃えていた。ゴダレッド高地に穿たれた亀裂のような塹壕が、草原と焼け野原の境界線となっているのが分かる。もちろん、草原の方が天国で、焼け野原の方が地獄だ。この復讐が終わったら、俺はきっと地獄に行くことになるに違いない。


 だが、その前に地獄に落とすべきクソ野郎共を始末する。奴らをこの世界に残しておくことは絶対に許されない。


 未だに燃えている戦場を見ながらそう思っていると、近くにやってきたジェイコブが紅茶の入った水筒を差し出してくれた。


「ほらよ、お前の分だ」


「どうも。ところで肩の傷は?」


「エリクサーを飲んだらあっという間に塞がった。今すぐ戦場に行けって言われてもすぐ行けるぜ?」


 撤退戦の最中にジェイコブは肩に被弾していたが、幸運なことに敵のライフル弾は肩の骨を直撃していなかった。もしこの世界に魔術やエリクサーがなかったとしても、すぐに止血して包帯を巻いておくだけで完治できそうな傷である。


 ちなみに、昔のエリクサーはピンク色の液体だったらしい。だが、戦闘中に容器が破損したせいで回復できなくなってしまう兵士が多かったため、現在ではエリクサーを液体から錠剤に改良したものが支給されている。中には液体のエリクサーもあるらしいが、それを支給する際は破損しにくい金属製の水筒のような容器に入れられて支給されている。


「お前のおかげで助かったよ、”相棒”」


「ルーキーとは呼ばないのか、軍曹?」


「お前が優秀な兵士だって事が分かったからな」


 それは良かったよ、軍曹殿。


 受け取った水筒の蓋を外そうとしていると、隣にいたジェイコブが真っ白な手を差し出してくる。アルビノというわけではないが、人間の男性にしては真っ白な肌だ。戦場でライフルやハンドガンをぶっ放している手というよりは、立派な屋敷の中でピアノを弾いている方が似合いそうな手である。


 義手で握手していいのだろうかと思いつつ、黒い義手を差し出す。右腕はもう以前の腕のように物を触った感触を感じる事ができなくなってしまっているので、当たり前だけど、彼の手と握手しているという感覚はない。


 そういう感覚はとっくの昔になくなったくせに、幻肢痛ファントムペインだけは感じる。


 機械の手足に生じる痛み。かつての痛覚の亡霊。


 もっと技術が発達したら、感覚すら再現した義手が発明されるのだろうかと思いつつ、彼の手から義手を離す。俺の義手を見つめていたジェイコブは、傍らで他のホムンクルスの兵士から受け取った水筒の蓋を外し、中に入っている紅茶を口へと運んでいるセシリアの尻尾を見つめた。


 ゴダレッドの撤退戦で敵兵たちの魂を”喰った”セシリアの尻尾は、未だに9本に増えたままである。普通のサラマンダーのキメラの尻尾は、男性の場合は外殻で覆われており、女性の場合は柔らかい鱗で覆われている筈なのだが、今の彼女の尻尾は真っ黒な体毛で覆われており、まるで黒い狐に見える。


 ちなみに、普段の彼女の尻尾は1本のみであり、黒い鱗に覆われていた。


 2人で9本に増えたセシリア(ボス)の尻尾を見つめていると、紅茶を飲んでいたセシリアがこっちを振り向いて苦笑いする。


「ふふっ、禍々しいだろう? 吸収した魂の”消化”が終わるまではこのままなんだ」


「消化?」


「ああ。吸収した魂を私の魂に取り込むのだ。そうすれば、敵の攻撃で手足を失ったり、頭を撃ち抜かれても魂を消費して再生したり蘇生する事ができる」


 疑似的な不死身というわけか。


 確かに、塹壕でセシリアは敵兵のライフルで蜂の巣にされていたが、たった数秒で傷口を全て再生していたし、服も元通りになっていた。あの時は以前に吸収した魂を使っていたのだろう。


 傷口を再生する事ができるならば、敵が弾幕を張っていてもお構いなしに突撃することは可能だろう。頭を撃ち抜かれても蘇生する事ができるのだから、ご丁寧に遮蔽物に隠れながら応戦する必要はない。


 しかし、セシリアはこの再生能力に頼っている様子はあまりなかった。


 まるで普通の人間のように遮蔽物の影に隠れたり、刀で弾丸を弾き飛ばして身を守っていたのである。いくら傷口を再生する能力があると言っても、彼女はその能力を全く頼りにしていない。あくまでも、敵の攻撃を喰らう羽目になった時に使う程度である。


 だからこそ、端末の力に頼って敵を蹂躙することしかできない転生者のように慢心することがないのだ。


 しばらくすると、彼女の尻尾を覆っていた黒い体毛がゆっくりと尻尾の中へと飲み込まれ始めた。体毛の下から黒い鱗で覆われたキメラの尻尾が姿を現したかと思うと、その尻尾たちも中心部に居座る尻尾と融合し始め、1本の尻尾へと戻っていく。


 吸収した魂の消化が終わったようだ。


 彼女は溜息をつきながらすらりとした腹を撫でると、黒い軍帽をかぶり直し、フェルデーニャ軍が俺たちのために用意してくれた複数のテントの方を向いた。負傷兵たちが収容されているテントよりは小さいけれど、傍らには真水の入った樽がいくつも置かれているし、中には人数分の寝袋も用意してあるという。


「………今日は休むとしよう。明日はキャメロットに戻り、フェルデーニャを離れる」


 フェルデーニャ軍の撤退を支援する筈の戦闘で、撤退までの時間稼ぎどころか、逆に彼らが撤退せざるを得ないほどの大損害を与えた敵に大打撃を与えてしまったのだから、後はフェルデーニャ軍だけでも帝国軍に勝利できる事だろう。


 明日にはフェルデーニャ軍の増援部隊も到着する予定だという。部隊の再編成が終わり次第、決着を付けるための最後の攻勢が始まるに違いない。さっきの将校がその攻勢への協力を要請してこなかったという事は、彼らも次の攻勢は自力でも大丈夫だと思っているからに違いない。


 あるいは、自分たちの国土は自分たちの力で取り戻したいと思っているからなのだろうか。


 テントの前でライフルを抱えている若い兵士を見てそう思いつつ、セシリアやジェイコブと一緒にテントへと入り、ゆっくりと休む事にした。












(ウェーダンの悪魔………)


 エリュダリオ山脈の戦場でその事を思い出してから、ウェーダンの生存者の報告の内容がずっと頭の中に居座り続けている。部下が手配してくれた飛行機の座席で瞼を閉じてもその異名を忘れることはできなかった。機内で部下が持って来てくれたパンとコーヒーを口にしても、報告書に記載されていたその異名は、彼の頭の中から消える気配はない。


 ヴァルツ帝国軍司令部にある自分の執務室に戻ってきても、その異名は消えてくれなかった。


 ヴリシア・フランセン帝国の支援に派遣されていた遠征軍を引き連れて戻ってきたローラント少将は、今回の惨敗の理由が二重帝国側の将校が無謀な攻勢を強行したことと、ヴリシア・フランセン帝国軍がほぼ確実に壊滅するため、背後から攻撃してくるフェルデーニャ王国軍に備えるべきと司令部に報告してからは、秘書と共に執務室へと戻り、ある資料を机の上に置いて内容を確認していた。


 ウェーダンの戦いの報告書と、かつて勇者が管理していた『第73強制収容所』に収容されていた捕虜の記録である。


 ウェーダンの戦いの生存者の報告では、その侵入者はこの世界の銃とは異なる銃を使用していたという。


 この世界で一般的な銃は、薬莢の中に高圧の魔力を充填し、それを炸裂させることによって弾丸を撃ち出す『魔力式』と呼ばれる代物である。そのため、魔術師であれば発砲する度に微弱な魔力の反応を察知する事ができるのだ。


 しかし、生還した魔術師の話では、敵兵の銃からは魔力の反応はしなかったという。


 そのような銃を採用しているのはテンプル騎士団のみであるが、ウェーダンの司令部を襲撃したのはテンプル騎士団なのだから当たり前である。


 ローラント少将が第73強制収容所の捕虜の記録をチェックしている理由は、他の生存者の証言である。


 指令室に使っていた地下室から辛うじて脱出した負傷兵が、『指揮官である来栖と侵入者は知り合いであり、来栖が「牢屋の中で無様に死んだ筈だ」と言っていた』と証言しているのだ。


 牢屋があるのは、当たり前だが強制収容所くらいである。来栖もウェーダンの戦いが始まる前まではそこで警備を担当していたため、来栖の知り合いであり、牢屋の中で死んだ筈の人間だとすれば、この第73強制収容所の捕虜の中にいる筈なのだ。


 第73強制収容所は、テンプル騎士団の襲撃を受けて壊滅している。そのため、テンプル騎士団によって救出された可能性もあるだろうが、わざわざテンプル騎士団の一員となって報復のために戦場に戻ってきたのは、尋常ではないほどの復讐心があったからに違いない。


「………!」


 記録を確認していたローラント少将は、ある少年の記録が記載されているページを見て目を見開いた。


《速河力也》


(投獄された原因は………勇者候補でありながら帝国に反旗を翻そうとしたからか………。妹も一緒に投獄されているようだ)


 彼の情報の隣には、妹の情報も記載されている。警備隊の暴行によって死亡し、遺体は強制収容所の外に捨てられたと記載されているが、一緒に投獄された兄の方はテンプル騎士団による襲撃までは生存していたらしく、遺体が処分された記録はない。


 妹の仇を取るためにテンプル騎士団へと入団し、復讐のために来栖を襲ったという仮説ならば、辻褄が合うのだ。


「マリウス」


「はい、閣下」


「………この速河力也という少年の遺体が処分されていないか、もう一度洗ってくれ」


「了解しました」


 敬礼をしてから出ていく秘書を見つめてから、ローラント少将はいつの間にか額に姿を現していた汗を手の甲で拭い去った。


 彼は直感しつつあった。


 ウェーダンの悪魔が、ここで生まれてしまったという事を。













「同志団長、東部戦線より救援要請です」


 フェルデーニャ軍の司令部を後にし、港町で物資を商人から補給して、ボートに乗ってキャメロットの甲板へと戻ってきたばかりの俺たちに、シュタージの制服に身を包んだ蒼い髪のホムンクルスがそう告げた。


 フランギウス軍、フェルデーニャ軍の連合軍が、ヴァルツ帝国、ヴリシア・フランセン帝国と戦っているのが”西部戦線”と呼ばれており、世界最強の大国であるオルトバルカ連合王国と、ヴァルツ帝国、ヴリシア・フランセン帝国、アスマン帝国の連合軍が死闘を繰り広げているのが”東部戦線”と呼ばれている。


 その東部戦線には、現在はテンプル騎士団副団長『ウラル・ブリスカヴィカ』率いる第1、第2、第3遠征軍が派遣されており、帝国軍と激戦を繰り広げている状態だという。


 敬礼しながら報告したホムンクルスの団員に、セシリアは軍帽を取りながら「劣勢か?」と尋ねると、ホムンクルスの団員は無表情のまま首を横に振った。劣勢になってしまったから救援を要請したというわけではないらしい。


「ヴァルツ帝国に大打撃を与えるため、オルトバルカ軍が東部戦線で”新兵器を投入した攻勢”の準備をしているそうです。その攻勢を支援するため、テンプル騎士団の全兵力にも協力を要請したいとのことです」


 新兵器を投入した攻勢?


 ホムンクルスからの説明を聞きながら、俺はその”新兵器”を思い浮かべる。


「分かった。では、出港準備が整い次第すぐに東部戦線へと向かう」


「はっ。途中で、戦艦ジャック・ド・モレー率いる『主力艦隊』も合流するとのことです」


「分かった」


 報告してくれたホムンクルスに礼を言ってから、セシリアは微笑みながらこっちを振り向いた。


「力也、東部戦線は雪だらけで寒いぞ?」


「そりゃ楽しみだ」


 東部戦線か………。


 明日花を殺した連中は、東部戦線にいるのだろうか?


 もしそこにいるというのであれば――――――モザイクでも修正しきれないくらい無残にぶち殺してやるとしよう。




 第三章『ゴダレッド撤退戦』 完


 第四章『ラトーニウス海突破作戦』へ続く



西部戦線編は一旦ここで終了です。今度からは東部戦線編が始まりますが、その前に海上での戦闘シーンも入れる予定です。東部戦線編が始まるのは第五章からになると思います。お楽しみに!


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