九つの尾、数多の魂
キメラが生まれた原因は、我らの祖先であるリキヤ・ハヤカワが戦闘で片足を失い、サラマンダーの素材で作られた義足を移植したことであると言われている。
現在では魔物の素材で作られた義手や義足は廃れた―――――正確には魔物そのものがほぼ絶滅している―――――ため、機械の義手や義足が主流である。わざわざ危険な上に個体数が少なくなった魔物を倒しに行かなくてもすぐに用意できるし、製造もこちらの方が遥かにハードルが低いのだ。だが、ご先祖様たちが生きていた時代では魔物の素材を使った義手と義足が主流であり、戦闘で手足を失った騎士たちの多くが魔物の素材で作られた異形の義手や義足を移植し、リハビリを終えてから復帰していた。
普通であれば、義手や義足を移植した程度で突然変異は起こさない。全く遺伝子が異なる生物の肉体で作られた手足を強引に移植するため、肉体に馴染むまではその魔物の血液を定期的に投与しなければならないものの、それが原因で人間が突然変異を起こし、怪物になってしまったという事例は一つもなかった。
しかし、異世界からやってきた転生者である私たちの祖先が、その一番最初の事例を作ることになってしまったのである。
元々この世界に住んでいる人々には、魔物の遺伝子を肉体に投与されたとしても突然変異を防ぐことが可能な”抗体”があるという。しかし、異世界からやってきたご先祖様は、当たり前だがその抗体を持ち合わせていなかったのだ。
だから、突然変異を起こしてキメラとなった。
要するに、キメラが生まれる条件は『転生者が魔物の遺伝子を体内に取り込む事』である。義手や義足を移植し、魔物の血液を体内に投与して変異を起こしたキメラは”第一世代型”と呼ばれ、そのキメラと普通の人間の間に生まれ、キメラの遺伝子を受け継いで生まれてきた子供たちは”第二世代型”と呼ばれる。
第一世代型のキメラは、はっきり言うと”不完全なキメラ”と言わざるを得ない。変異を起こしたばかりであるせいなのか、完全に能力を制御できないらしく、肉体の一部は常に魔物のような姿になっているため、第二世代型と見分けるのは簡単だ。実際に、モリガンの傭兵の一員として一緒にご先祖様と戦っていたフィオナ博士の証言では、ご先祖様は『左腕が常にサラマンダーの外殻に覆われた状態だった』という。
しかし、最初からキメラとして生まれてくる第二世代型のキメラは、その能力を完全に制御する事ができるのだ。第一世代型よりも高濃度の魔力を体内に蓄積している上に、より堅牢な外殻を使って身を守る事ができる。
更に、死にかけることによって体内の細胞が強制的に進化し、”キメラ・アビリティ”と呼ばれる特殊能力を習得することもできるのだ。
それゆえに、第一世代型よりも第二世代型の方が強力であり、より戦闘に特化した種族だと言える。
両手に持っていた刀を地面に突き立て、両手を広げる。体内に蓄積されている高濃度の闇属性の魔力が身体中から漏れ出し、黒煙にも似た闇属性の魔力が、私の周囲で巨大なリングをいくつも生成し始める。生成が終わったリングたちは内側へと”枝”を思わせる黒い模様を伸ばしつつ、凄まじい速度で回転を始めた。
――――――私は既に、キメラ・アビリティを習得している。
9年前に、陥落したタンプル搭で習得していたのだ。
「な、何だこれは………!?」
塹壕へと突入してきた敵兵たちが、ライフルを構えたまま慌てふためく。私の身体から漏れ出している魔力は既に加圧されている高圧の魔力だ。だから、魔術師じゃなくてもこの魔力の反応を察知するのは簡単だろう。
周囲で回転していた9つのリングたちが、内側へと急速に漆黒の枝を伸ばす。やがて、中心部で絡み合った漆黒の枝たちは、そのまま巨大な漆黒の柱を形成し始めた。傍から見れば、9つの黒いリングに覆われた巨大な槍が屹立しているようにも見えることだろう。
「う、撃て! 魔術の発動前に、あの女を撃ち殺せ!!」
「テンプル騎士団の団長だ! 討ち取れ!!」
魔術師ではないの人間ですら察知できるほどの高圧の魔力が段々と濃密になっていくのだから、放置すれば自分たちに牙を剥くどころか、せっかくフェルデーニャに逆転勝利したヴリシア・フランセン軍が大きな損害を被ることになるのは想像に難くない。
塹壕に突入してきた敵兵たちは、それを悟ったのだ。
両手を広げて魔力の放出を続ける私に、銃を向けた兵士たちが容赦なく引き金を引いた。ズドン、と銃声が轟くと同時に、私の身体が揺れ、激痛がいたるところで産声をあげる。ライフル弾に肉体を貫かれる激痛を感じた直後にまた新しい激痛が生れ落ち、私の周囲に肉片や鮮血が飛び散った。
きっと歩兵の一斉射撃で蜂の巣にされた戦死者たちは、このような痛みを味わったに違いない。ライフル弾の運動エネルギーで肉体を立て続けに突き飛ばされ、肉片と鮮血を撒き散らしながら崩れ落ちていった死者たち。しかし―――――――私は、彼らと同じ運命は辿らない。
正確に言うと、”辿るわけにはいかない”。
父上に濡れ衣を着せて処刑した王室と、家族を皆殺しにした”勇者”に復讐するまでは、討ち取られて三途の川を渡ることは絶対に許されないのだ。
きっと、この能力はその執念と復讐心が具現化したものなのだろう。
歴代のハヤカワ家の当主たちは、第一世代型であったリキヤ・ハヤカワを除いた全員がキメラ・アビリティを習得していた。全ての当主のキメラ・アビリティを目にしてきたフィオナ博士曰く、『セシリアさんの能力が一番禍々しい』という。
報復に使う能力であれば、禍々しい方がいい。
報復する相手を恐れさせる事ができるのだから。
燃え上がるタンプル搭をキャメロットの甲板から見つめていた時に、地獄へ行く覚悟は決めた。だから、地獄へと行く前に怨敵を皆殺しにする。
その復讐心が具現化したというのならば、私の能力はこれでいい。
立て続けに肘の辺りにライフル弾が直撃したからなのか、ぼとん、と真っ白な腕が地面に落下する。運動エネルギーに食い破られたグチャグチャの断面から、千切れた骨や血管が覗き、鮮血が一足先に地面に転がっている腕に降りかかった。
普通の人間であれば、オーバーキルとしか言いようがない集中砲火。
だが――――――私を殺すのであれば、”火力不足”だ。
被弾して血まみれになった状態で、私は腰にサーベルを下げている指揮官らしき敵兵に向かってニヤリと笑った。
「なっ………あ、あの女、まだ死んでいないのか………!?」
ライフルのマガジンが空になったのか、兵士たちの集中砲火がぴたりと止まる。普通の兵士であればとっくにミンチになっているほどの弾丸を叩き込んだというのに、その集中砲火を叩き込まれたたった1人の女が、ズタズタにされた状態で未だに立っているのを見て驚愕しているのだ。
弾丸に穿たれた右肩の風穴が、ゆっくりと塞がり始める。地面に落下した血まみれの右腕がふわりと浮き上がったかと思うと、ズタズタになった断面を右腕の断面へと押し付け、その断面から伸ばした筋肉繊維を再び絡みつかせる。地面に落下していた腸も、まるで海面へと引き上げられていく釣り糸のように私の腹へと戻ってくると、その傷口の表面を肉と皮膚が覆っていった。
服の裂けた部分も元通りになり、皮膚に付着した自分の鮮血も、再び皮膚に吸収されて体内へと戻っていく。
「さ、再生した………!?」
これは私のキメラ・アビリティではない。
正確に言うと、私のキメラ・アビリティの”一部”だ。
身体中の傷はあっという間に塞がったが―――――はやり、この能力を身に着ける前に失った左目は再生していない。
驚愕する兵士たちを睥睨してから、頭上に生成されている巨大な漆黒の槍を見上げる。既に槍の形成は完了しており、表面には倭国やジャングオで使われている文字―――――”カンジ”というらしい―――――が浮かび上がっているのが分かる。
魔力の吸収がぴたりと止まり、槍の形成が終わったことを告げた。
すると、その槍の表面に亀裂がいくつも浮かび上がった。生成の終わった巨大な槍が亀裂まみれになったかと思うと、立て続けに槍の表面が崩壊し始める。周囲に浮かび上がっていた漆黒のリングたちも、落下してきた黒い槍の破片に巻き込まれて粉砕され、地上へと漆黒の破片をばら撒き始める。
敵兵の中にはライフルを投げ捨てて逃げ出す兵士もいたが――――――大半の兵士は、逃げる事ができなかった。
崩壊していった漆黒の槍の中から姿を現した物体を、凝視していたからだ。
崩壊した黒い槍が周囲にばら撒いた魔力の残滓や黒い破片を、内側から真紅の光が照らし出す。傍から見れば、エリュダリオ山脈の上空に禍々しい真紅の月が浮かんでいるようにも見えたかもしれない。だが、その黒い槍の残骸の中から現れた物体は、月と呼ぶには形状が歪だったし、発している光が月にしては強すぎる。
夜空に浮かんでいたのは――――――9つの魔法陣に守られた、楕円形の真紅の結晶であった。
あれが、私のキメラ・アビリティである。
「――――――喰い尽くせ、”殺生石”」
夜空に浮遊する殺生石に命じた瞬間、楕円形の殺生石の周囲を浮遊していた9つの魔法陣たちが、まるで急激な膨張に耐え切れなくなったかのように砕け散った。しかし、内側に浮遊していた殺生石が膨張したわけではない。
殺生石から放出される魔力の圧力が、あの魔法陣の許容量を突破してしまったのである。そう、あの魔法陣は殺生石を敵から守るために展開していたシールドではなく―――――獰猛な殺生石を封じ込めておくための封印でしかなかったのだ。
その封印が消え失せたことが何を意味するかは言うまでもないだろう。
「て、撤退………! 全軍、直ちに撤退せよぉぉぉぉぉぉッ!!」
指揮官らしき男性が兵士たちに向かって叫ぶが、助かりたいのであればもっと早く逃げるべきだったな。
「――――――我が報復の糧となるがいい」
次の瞬間、殺生石の表面から無数の結晶の棘が伸びた。弾丸以上の弾速で伸びたその真紅の棘たちは、何度も直角に曲がって夜空に不気味な真紅の模様を刻み付けながら、逃げていく敵兵たちの背中を容赦なく串刺しにしてしまう。
中には魔力で防壁を形成し、身を守ろうとした魔術師も見受けられたが――――――魔法陣を展開するよりも先に、心臓を真紅の棘で串刺しにされ、仲間たちと同じ運命を辿ることになった。もし仮に彼が防壁の展開に成功していたとしても、この殺生石からの攻撃を防ぐことはできなかっただろう。
これは物理的な攻撃ではないのだから。
串刺しにされた兵士が、驚愕しながら自分の胸を見下ろした。背中に突き刺さった棘が心臓を串刺しにし、胸板から顔を出しているというのに、その兵士たちはまだ生きている。
「な、何だこれは………!?」
そう、これは肉体を串刺しにする代物ではない。だからあの棘で貫かれたとしても、鮮血がまき散らされることはないのだ。串刺しにされた兵士たちはその棘を両手で掴んで引き抜こうとするが、棘を掴もうとしても、まるで幽霊を掴もうとしているかのように、彼らの手は棘をすり抜けてしまう。
棘を引き抜くために足掻いている兵士たちを眺めていると、その兵士たちが、まるで本物の棘に肉体を貫かれて苦しんでいるかのように、胸を押さえ、脂汗を流しながら呻き声を発し始めた。
「がっ………!」
「うぐっ………な……なん……だ…………」
「ウグッ………………カ………アァ…………」
心臓発作が起こったかのように苦しみ出した兵士たちに刺さっていた棘たちが―――――彼らの心臓から、紅い光を吸い上げ始める。その光が棘に吸い上げられていく度に、兵士たちの呻き声は段々と弱々しくなっていき、もがき苦しんでいた兵士たちが動かなくなっていく。
まだ若い兵士やベテランの兵士たちも、お構いなしに紅い光を吸い上げられ、次々に死体と化していった。
私のキメラ・アビリティである殺生石は、私の周囲にいる全ての生命体から魂を吸い上げる事ができるのである。その吸い上げた魂を吸収することで、その魂を消費する代わりに、私は先ほど集中砲火をお見舞いされてグチャグチャになった肉体を再生させたように、疑似的な再生能力を使う事ができるというわけだ。
問題点は、この能力は敵だろうと味方だろうと無差別に吸収してしまうため、周囲に味方がいる状態では全く役に立たない事だろう。更に、発動まで時間がかかってしまうし、準備中は魔術師ではない人間ですら察知できるほどの濃度の魔力を常に漏らし続ける必要があるため、簡単に察知されてしまう。
だから、敵の拠点に潜入して発動するわけにもいかない。
殺生石の範囲内にいる全ての兵士たちが魂を吸い上げられたことを確認した私は、そっと右手を振り上げた。兵士たちの心臓に突き刺さっていた棘たちが砕け散り、串刺しにされていた兵士たちが地面に崩れ落ちて、戦死した他の仲間の死体と一緒に地面を覆う。
すると、頭上に浮遊していた殺生石も砕け散った。真紅の結晶の破片たちが紅い光と化したかと思うと、吸収した兵士たちの魂が、私の肉体に向かって降り注いできた。
彼らの魂を吸収する度に、その魂の持ち主の怨嗟の声がすぐ耳元で聞こえる。どうしてこんな目に遭わなければならないのか、と叫ぶ若い兵士の声。幼い子供がいるのになぜ殺した、と私を恨む中年の兵士の声。祖国に婚約者がいたのに、と悲しむ青年の声。
彼らの魂を私の魂に完全に取り込むまでは、このような怨嗟の声が耳元で延々と聞こえる。普通の人間だったら発狂しているだろうが、何度もこの能力を使って慣れてしまったせいなのか、今ではこのまま 昼寝することも難しくはない。
これを初めて使った時は、怨嗟の声に怯えてずっと泣きながら震えていたがな。
「ふう………」
息を吐きながら、そっと腹を撫でた。
攻勢が失敗した以上、もう帝国軍はフェルデーニャ軍に反撃することが難しくなったことだろう。ヴァルツの連中も、ウェーダンでの戦闘は未だに続いているし、東部戦線では最強の大国であるオルトバルカ連合王国と死闘を繰り広げているのだから、いつまでもここに部隊を駐留させておくわけにもいかない筈だ。
これでフェルデーニャ軍の勝利は確定だな、と思いながら、私は踵を返した。
相変わらず、吸収された魂の持ち主たちの怨嗟の声が、鼓膜へと流れ込み続けていた。
解説『突撃歩兵』
ハンドガン用の弾丸をフルオートでぶちかますことが可能なSMGと、複数の手榴弾を装備した突撃歩兵たちは、ドイツ軍が得意とした浸透戦術には欠かせない存在と言えるでしょう。友軍の砲撃の直後に防衛ラインの脆い部分を突破し、後方の司令部を襲撃するために出撃する彼らに与えられた装備で最も有名なのは、最初期のSMGである『MP18』です。
現代の戦闘では、運用する目的はかなり異なってしまいましたが、ハンドガン用の弾丸を連射することが可能な画期的な兵器であるSMGは、塹壕を突破するための新兵器として産声をあげたのです。




