塹壕と境界線
セシリアは何を考えているのだろう。
先ほど説明された作戦の事を思い出しながら、その辺の土を土嚢袋に詰め込み、塹壕の縁にずらりと並べる。塹壕の中に残り、こうして土嚢袋の追加や重機関銃のチェックをしている兵士は、先ほど帝国軍を返り討ちにした時と比べると人数が減っている。
二度目の戦闘で発生した白兵戦で大打撃を被ったというわけではない。数名が棍棒で頭をぶん殴られて戦死し、ナイフで胸板を斬られて負傷する羽目になったものの、まだここに居座って防衛戦を継続できるほどの戦力は十分に残っていると言える。
だが、戦いに投入された部隊の半数は、既に塹壕を出て後方のフェルデーニャ軍の防衛ラインへと向かって歩き始めていた。重機関銃を肩に担いだオークの兵士が塹壕に残る兵士たちを申し訳なさそうに見つめてから、頭に包帯を巻いたエルフの女性の兵士と共に、後方へと歩いて行く。
信じられない話だが、セシリアは錬度の低い半数の部隊を後方へと撤退させ、錬度が比較的高い部隊で防衛戦をするように指示したのである。しかも、ある程度敵の兵力を削ったら残った部隊もセシリアを塹壕に残して後退し、後方で撤退した部隊と合流するように命じたのだ。
そう、塹壕に総大将を置き去りにしろと言ったのである。
間違いなく、セシリアは現在のテンプル騎士団の中で最も強い兵士だ。レベルの高い転生者でも瞬殺されてしまうほどの実力者と言っても過言ではない。だが、さすがに単独で列強国の軍隊の攻勢を食い止めるのは不可能ではないのだろうか。
もちろん俺も残ると反論したんだが、セシリアは認めてくれなかった。
何故なのだ。
何故彼女を置き去りにしなければならない?
「なあ、ジェイコブ」
「あ?」
他のホムンクルスの兵士と一緒に迫撃砲を運んでいたジェイコブは、迫撃砲の底盤を地面に固定してからこっちを振り向いた。
「何でボスは塹壕に残るって言ったんだ? 全員で迎え撃った方が難易度は低くなるだろ?」
頭の中を埋め尽くしていた疑問を彼に晒すと、ジェイコブは「ああ、お前はルーキーだから見たことねえんだな」と言いながら木箱の上に腰を下ろし、さっきの戦闘で鹵獲したゲーヴァ79の銃身を眺め始めた。
こういう命令は何度も出されていたのか、ジェイコブの頭の中にはこの疑問は存在しないらしい。総大将を最前線に置き去りにするという有り得ない命令を下されても、自分も残ると反論せずに首を縦に振る事ができるというのか。
「たまにこういう命令が出るんだよ」
「何でだ?」
「見てれば分かるさ。早めに脱出しないと、お前も団長に”喰われる”から気を付けろよ」
「………えっ?」
”喰われる”?
どういうことだ?
ぎょっとしながらジェイコブの方を見つめている内に、破損したライフルの残骸とミンチになった死体で覆われている地面で火柱が産声をあげた。ドン、と爆音が轟き、その残響が消え去る前に次の砲弾が死体だらけの大地に大穴を開け、火柱を生み出す。
できるのであれば、戦う前になぜセシリアが自分を置き去りにするように命令したのか理解したかったところだが、更に強烈な疑問が産声をあげる羽目になった。しかも、その2つの疑問を理解するよりも先に戦闘が始まってしまうとは。
木箱の上に置いていた自分の略帽をかぶり、モシンナガンM1891を拾い上げる。前回の戦闘で砲弾がちゃんと塹壕に落下していなかったことを察知したのか、最初の砲弾が直撃した地点は、前回の戦闘で砲撃が着弾地点よりもはるかに俺たちの塹壕に近かった。
地面から噴き上がった火柱の群れが塹壕へと近付いてくる。味方の砲撃で更にグチャグチャにされた哀れな死体の一部が、泥まみれになった状態で塹壕の中に飛んでくる。ライフルを抱えたまま塹壕の中に隠れていた俺の近くに顔面が半分なくなった男性の頭が飛んできて、板で補強された塹壕の中に血まみれの脳味噌をばら撒いた。
「うっ………」
それを見ていたホムンクルスの女性の兵士が、ライフルを背負ったまま口元を押さえて目を逸らす。ジェイコブは苦笑いしながらそのホムンクルスの背中を撫でると、こっちを見ながらウインクする。
左手を伸ばして血まみれの敵兵の頭を掴み、砲弾が容赦なく着弾する塹壕の外へとぶん投げる。指や手のひらに付着した脳味噌の一部や血を軍服のズボンで拭い去り、息を吐きながら火柱の群れを睨みつける。
復讐するためにテンプル騎士団に入団し、他の兵士たちと一緒に最前線で戦う事になったんだが、復讐を早く済ませなければ鼓膜が滅茶苦茶になりそうだ。
砲弾が着弾する地点が段々と近付いてきているせいなのか、キーン、と甲高い音が砲弾の爆音を飲み込んで、まるで両耳から細長い針を突き入れて脳味噌を両サイドから串刺しにしているかのように、脳味噌に牙を剥く。
次の瞬間、塹壕の右翼の辺りで火柱が噴き上がった。爆音の残響と味方の兵士の悲鳴が混ざり合い、テンプル騎士団の制服の一部を纏った肉片と、木っ端微塵になった重機関銃の銃身が土と一緒に舞い上がる。
「くそ、右翼に着弾!!」
「アランがやられた! 衛生兵!!」
「バカ野郎、見てなかったのか!? 吹っ飛んだんだぞ!? 即死だ!!」
さっきの砲撃よりも命中精度が高い。
塹壕の中で噴き上がった火柱を睨みつけていると、塹壕の上を飛び越えてしまった敵の砲弾が塹壕の後方を直撃したらしく、後方でも火柱が噴き上がった。
撤退中の味方は大丈夫だろうかと思いながら、塹壕の後方を振り向く。後方にはまだフェルデーニャ側へと撤退中だった友軍の部隊が残っていた筈だ。今の砲撃で被害が出ていないように祈りながら火柱の周囲を見渡したが、味方がその砲撃に巻き込まれた様子はない。
安堵しながら、塹壕の前方を睨みつける。
落下してくる砲弾の数が段々と減少し始めた。塹壕の周囲で荒れ狂っていた火柱の密度がどんどん薄くなっていき、砲撃で更に滅茶苦茶になった大地があらわになる。
前回の砲撃とは違い、今回の砲撃では塹壕に残っている守備隊にも被害が出た。スパイク型銃剣を装着したモシンナガンM1891を塹壕から突き出しながら、味方が被った損害を確認する。今しがた終了した砲撃で被る羽目になった損害は予想以上に大きく、塹壕の中には砲撃でグチャグチャにされた味方の死体や、黒いズボンを纏った味方の下半身が転がっている。
砲弾の爆風と衝撃波でズタズタにされた味方の中には、知り合いもいたに違いない。ウェーダンの戦いの生き残りや、今回の戦いが初陣の新兵たち。
歯を食いしばりながらアイアンサイトを覗き込む。
「照明弾!」
セシリアの号令で、数名の兵士が拳銃を夜空へと向けてトリガーを引き、テンプル騎士団で採用されている蒼い照明弾を解き放つ。まるで彗星のように夜空へと舞い上がった照明弾たちが弾け飛び、死体で埋め尽くされたグロテスクな大地に、蒼い光をばら撒く。
当たり前だが、第一次世界大戦の頃には暗視スコープのような兵器は存在しない。そのため、夜間での戦闘はこのように照明弾を打ち上げ、わざわざ地面を照らし出しながら戦ったのである。ライフルに取り付けられる便利な暗視スコープが実用化され始めたのは、第二次世界大戦の終盤だ。
蒼い光で照らされている大地の向こうで、ホイッスルの甲高い音色が響いた。それと同時に、死体だらけの大地の向こうで無数の兵士たちが立ち上がった。式典用の軍服なのではないかと思ってしまうほど装飾が施された派手な軍服に身を包んだ、ヴリシア・フランセン帝国の兵士たちだろう。
「機関銃、迫撃砲、撃ち方始め!!」
刀を振り下ろしながら、総大将が生き残った射手たちに命じる。砲弾の破片で負傷したオークの射手や、さっきの砲撃で負傷せずに済んだエルフの兵士たちが開いている重機関銃に駆け寄り、ベルトに連なっている7.62mm弾を、突撃してくる敵兵に向けてばら撒き始める。
テンプル騎士団で正式採用されている重機関銃は、ロシア帝国やソ連が第一次世界大戦や第二次世界大戦に投入した『PM1910』と呼ばれる重機関銃である。銃身の周囲に冷却用の水を入れたタンクを装備した”水冷式”というタイプの機関銃だ。現代の機関銃は空気で銃身を冷却する”空冷式”という方式が主流なので、こういう方式の機関銃はとっくに廃れてしまっている。
使用する弾薬は、モシンナガンと同じく7.62mm弾である。なので、機関銃の射手とライフルマンで弾薬を分け合うことが可能だ。
これを採用する前は、重機関銃も種類がバラバラだったらしいが、ライフルを統一した際に機関銃もこのPM1910に統一したのだ。他の機関銃を使っていた兵士たちにとっては使ったことのない新しい武器という事になるが、こいつがロシアで採用されていた頃の機関銃は、ほぼ全て『マキシム機関銃』という機関銃がベースになっているので、操作方法はそれほど変わらないのである。
ちなみに、テンプル騎士団で採用されているサイドアームはコルトM1911である。
塹壕に設置された迫撃砲が火を噴く。夜空へと向けられた砲身から飛び出した榴弾が着弾し、着弾した地点の近くにいた哀れな敵兵の肉体を引き千切った。大型の榴弾砲と比べると、迫撃砲の破壊力はかなり小さいけれど、装甲車よりもはるかに華奢な人間の肉体を木っ端微塵にするのは簡単だ。
ホムンクルスの兵士が照準を合わせている間に、頭からウサギの耳が生えている獣人の女性の兵士が、まるで航空機に搭載する爆弾を小型化したような形状の砲弾を砲口へと放り込んだ。ボンッ、と砲弾がすぐに砲口から飛び出して夜空へと上昇したかと思うと、そのまま急降下して進撃中の敵兵へと牙を剥く。
ライフルを構えたまま待っていると、法螺貝の音が聞こえてきた。セシリアが刀を振り下ろしながら「射撃開始!!」と叫んだのを聞いた俺は、敵兵へと照準を合わせ、こっちに雄叫びを上げながら突っ込んでくる敵兵に7.62mm弾をお見舞いする。
前回の戦闘よりも敵の歩兵の人数がやけに多い。投入可能な兵力を全て攻勢に投入したとでもいうのだろうか。
若い兵士の顔面を7.62mm弾で抉ってから、ボルトハンドルを引く。微かに白煙を纏った7.62mm弾の薬莢がくるくると回転しながら飛び出し、暗い地面の上へと落ちていった。
敵兵を次々に射殺してから、ポーチの中から5発の7.62mm弾が連なったクリップを引っ張り出す。ボルトハンドルを引きっ放しにしてから右手を離し、クリップに連なっている5発の弾丸をモシンナガンのマガジンの中へと装填してから、ボルトハンドルを元の位置へと戻す。
現代のライフルはマガジンごと交換するのが主流で、こうやって弾丸を装填する方式の銃は殆ど目にすることはないが、昔はこういうライフルの方が主流だったのだ。マガジンごと交換する銃が増えたのは第二次世界大戦から冷戦の辺りだろう。
次の敵に狙いを定めようとしたその時、照準器の向こうにいた敵兵が、急に俺から見て右側へと方向転換しやがった。
その敵兵が分隊長だったのか、後続の兵士たちも同じように姿勢を低くしながら方向転換し、分隊長の後についていく。他の分隊も同じように姿勢を低くしながら方向転換すると、ライフルで応戦しながら別の場所へと移動し始めた。
どこへ行くつもりなのだろうか。あれだけ大規模な砲撃を行った挙句、前回の戦闘の倍以上の歩兵部隊を投入して攻め込んできたのだから、こんなに早い段階で撤退するとは思えない。
応戦してくる敵にモシンナガンをお見舞いしながら、敵兵の進路を確認する。どうやらあのまま引き返し、自分たちの防衛ラインへと逃げ帰るつもりではないらしい。
方向転換した敵兵は、さっきの砲撃で損害を被った塹壕の右翼へと攻撃を集中させているようだった。右翼にいる兵士たちも奮戦しているものの、さっきの砲撃で虎の子の機関銃を破壊されたらしく、弾幕は左翼や中央と比べるとかなり薄い。しかも砲撃で数名のライフルマンや機関銃の射手に死傷者が出ているため、応戦できる人数も多くはない。
簡単に言うと、防衛ラインの脆い部分と化している。
そこへと攻撃を集中させているのだ。
「………まさか」
ボルトハンドルを引きながら、俺はぞっとした。
前世の世界の第一次世界大戦でも、似たような戦術が使われたことがあるのを思い出したからだ。
ドイツ帝国がカポレットの戦いでイタリア軍に使用して彼らに大損害を与え、春季攻勢でもイギリス軍やフランス軍に致命傷を与えた、非常に恐ろしい戦術である。
ヴリシア・フランセン軍の連中が使っている戦術は――――――『浸透戦術』だ。
浸透戦術とは、簡単に言うと『砲撃を敵の防衛ラインにぶちかまし、SMGなどで武装した”突撃歩兵”という兵士を突撃させて防衛ラインの脆い部分を突破し、敵の司令部などをそのまま攻撃する』という戦術である。
フェルデーニャ軍の生き残りの兵士が『気が付いたら敵兵が後ろにいた』と証言していた事を思い出しながら、唇を噛み締めた。
そう、フェルデーニャ軍もヴァルツ軍の浸透戦術で大損害を被ったのだ。敵の突撃歩兵がフェルデーニャ軍を突破し、司令部を襲撃して殲滅していたからこそ、前線で戦闘を継続していた兵士たちの後方に”気が付いたら敵兵が回り込んでいた”のである。
くそったれ、なぜ気付かなかった!?
舌打ちをしながらモシンナガンで狙撃し、敵の突撃歩兵と思われる分隊の兵士の頭を粉砕する。
幸運なことに、敵はまだSMGを持っていないらしい。敵の武装は複数の手榴弾と、銃身を切り詰めたゲーヴァ79のカービンのようだ。中にはロングバレルに改造したハンドガンにストックを装着した代物を持っている兵士も見受けられる。
弾丸のフルオート射撃を塹壕の中でぶちかまされないのは喜ばしい事だが、銃身を切り詰めたボルトアクションライフルが武装だったとしても、後方への浸透に成功すればこれ以上ないほどの脅威と化すのは言うまでもないだろう。
5発の弾丸を撃ち尽くし、一旦塹壕の中へと隠れる。セレクターレバーを切り替えるだけでフルオート射撃をぶちかませるアサルトライフルがどれだけ便利な銃なのかを痛感しつつ、ポーチの中からクリップを引っ張り出して、マガジンの中へ素早く装填する。
ボルトハンドルを元の位置に戻して立ち上がろうとすると、ジェイコブに肩を掴まれた。
「ルーキー、後退するぞ! 頃合いだ!」
「くそ、了解!」
「お前ら、撤退だ! 団長に喰われるぞ!!」
ライフルで射撃していたホムンクルスの兵士や、迫撃砲で砲撃していた獣人の兵士たちがぴたりと攻撃を止め、大慌てで塹壕から退避していく。どうやらセシリアの作戦は、味方までお構いなしに巻き込んでしまいかねないらしい。
それにしても、彼女は何をするつもりなのだろうか。
ライフルで敵を牽制しながら、塹壕を出ていく味方の兵士たちを支援する。機関銃の射手たちやライフルマンが攻撃を止めて退避し始めたせいで、弾幕が一気に薄くなった。必死にモシンナガンで射撃して敵兵を次々に撃ち抜くが、いちいちボルトハンドルを操作しなければならないボルトアクションライフルでは、立て続けに弾丸を連射できる機関銃のように弾幕を張る事ができないのは火を見るよりも明らかだった。
弾切れになったモシンナガンを背中に背負い、ホルスターからコルトM1911を引っ張り出す。右手でしっかりとグリップを握りながら敵に照準を合わせ、戦死した味方の死体を踏みつけながら突っ込んできた敵兵たちに、頼もしい.45ACP弾を叩き込む。
その時、俺の近くを掠めた一発のライフル弾が――――――後方で塹壕から脱出しようとしているホムンクルスの兵士に手を貸していたジェイコブの肩を貫いた。
「がぁっ………!」
「ジェイコブ!」
「ぐっ、軍曹!!」
くそったれが!!
ホルダーの中から手榴弾を取り出し、突っ込んでくる敵兵へと向かって投擲する。足元に落下した手榴弾に気付いた敵兵が慌てふためいている隙に、踵を返して被弾したジェイコブの側へと駆け寄る。
傷口から鮮血が流れ出ていたが、どうやら弾丸は肩の骨を掠め、肉だけを貫いて貫通しているらしい。ただ単に肩に穴が開いただけだ。止血するべきだろうが、敵がすぐそこまで攻め込んできている上に、もたもたしていればセシリアに”喰われてしまう”らしい。彼には悪いが、塹壕を脱出するまでは耐えてもらおう。
ジェイコブとほぼ同じ顔つきのホムンクルスの兵士が、ホルスターからコルトM1911を引き抜いて援護し始める。彼女がハンドガンで敵兵を攻撃している隙にジェイコブの制服を掴み、彼を助け起こす。重傷を負ったというわけではないものの、強烈な運動エネルギーを纏っているライフル弾で撃ち抜かれる苦痛は、思い切り顔面をぶん殴られる痛みの比ではない。歯を食いしばりながら激痛に耐えているジェイコブを助け起こしながらコルトM1911を敵兵が襲ってくる方向へと向け、狙いを付けずに何度か発砲した。
「行け!」
「わ、分かった!」
ホムンクルスの兵士が、銃をホルスターに収めてから塹壕を這い上がる。周囲に味方の兵士が残っていないことを確認すると、肩を貸しているジェイコブもコルトM1911を引き抜き、敵兵に向かって.45ACP弾を何発か放った。
「………はははっ、さっきの子………結構可愛いなぁ」
「また会いたいんだったら死ぬなよ。大丈夫だとは思うが」
「当たり前だろ………結婚して父親になるまで死んでたまるか」
ああ、死なせてたまるか。
ジェイコブのコルトM1911が、スライドが後ろへと下がり、すらりとした銃身が剥き出しになった状態で静止する。マガジンの中の弾丸を使い果たしてしまったのだろう。
もう一つ手榴弾を取り出し、敵兵へと向かって投げつける。ジェイコブを抱えたまま塹壕の補強に使った木材の隙間を踏みつけつつ、何とか塹壕を這い上がった。
塹壕の後方は、いくつか砲弾が着弾した傷痕が残っているものの、草原で覆われていた。けれども俺たちが掘った塹壕の反対側は砲撃で滅茶苦茶になっていて、無数の兵士たちの死体で覆われている。まるであの塹壕が、天国と地獄の境界線のようだ。
「急いで!」
負傷したジェイコブ軍曹に肩を貸したまま這い上がると、一足先に塹壕から脱出していたせっきのホムンクルスの女性の兵士が、モシンナガンで敵兵を狙撃しながら叫んだ。今度は俺たちを掩護してくれるというわけか。
礼を言いつつ、ジェイコブと一緒に塹壕から離れる。
味方が天空へと打ち上げた照明弾もとっくに消えており、死体に燃え移った炎や敵兵のマズルフラッシュが、今度は大地を真っ赤に照らしている。傍から見れば、数多の罪人が放り込まれる本物の地獄を、本物の死体と鋼鉄の兵器で再現したかのような光景である。
セシリアはどこにいるのだろうかと思いながら塹壕を振り向いた俺は、ぞっとした。
塹壕の中央に、黒い軍服を身に纏った黒髪の少女がいるのが見える。敵兵は塹壕の中にたった1人の少女――――――しかもテンプル騎士団の総大将である――――――しか残っていないことに気付いたらしく、お構いなしに塹壕の中へと飛び込んで、セシリアへと銃を向ける。
「始まるぞ………よく見とけよ、ルーキー」
楽しそうにジェイコブが言った次の瞬間、彼女の腰の後ろから生えている黒いキメラの尻尾が―――――――九つに増えた。




