勇者
白い光が消え去った向こうに広がっていたのは、奇妙な部屋だった。
広い部屋の中には、自分のクラスの教室と全く同じ位置に机と椅子が置いてあって、そこに制服姿の男子生徒や女子生徒が座っている。正面の壁には大きな黒板が居座っていて、その前には教壇らしき物も見受けられる。席に座っているのは、俺が通っている学校のクラスメイト達だ。
傍から見れば、学校の教室にも見えるだろう。
けれども、この部屋の壁や天井のデザインは、俺たちがいつも授業を受けている教室とは全く違う。いたるところに複雑な記号―――――中には魔法陣みたいな模様がある―――――が描かれているし、その記号の近くには英語のアルファベットを彷彿とさせる見たことのない文字がある。
教室にしては禍々しい空間だ。
「こ、ここどこ………?」
「分からないわよ………さ、さっきまで、私たちは教室に…………」
ここにいるクラスメイト達も死んでしまったのだろうか。
彼らの死因は何なのだろうと思いつつ、ポケットの中に収まっているあの不思議な端末を取り出す。画面の下には電源のボタンしか取り付けられていない、シンプルな紅い端末。ここにいる他のクラスメイト達も死亡し、あの真っ暗な空間でこの端末を貰ったのだろうか。
そう思いながら不思議な端末の電源を入れようとしていると、いつも授業を受けていた学校の教室と全く同じ位置にあるドアが開いた。ざわついていた生徒たちが喋るのをぴたりと止め、空いたドアの方を全員が一斉に凝視する。
部屋の中に入ってきたのは、スーツに身を包んだ担任の先生ではなく―――――オリーブグリーンの軍服と軍帽を身に着け、腰に剣のようなものを下げた、まるで昔の軍隊の指揮官を思わせる服装の男性たちだったのである。
どこの軍隊なのだろうか。
すると、部屋の中に入ってきた男性たちの後ろから、彼らが身に纏っている軍服を更に豪華にして純白に染め、マントを追加したようなデザインの服を身に纏った黒髪の男性が入ってきた。腰にはやけに黄金の装飾が付いた、豪華なデザインの剣――――――クレイモアと呼ばれる剣だろう――――――を下げている。
その白い服に身を包んだ男性は、一足先に入ってきた軍人たちの前を通過して教壇の前に立つと、いきなり部屋の中に入ってきた彼らを困惑しながら凝視している生徒たちを見つめながら微笑み、まるで全員を抱きしめようとしているかのように両手を広げた。
「初めまして、”勇者候補生”の諸君!」
「はっ?」
勇者候補生………?
どういうことだ?
ここはどこなのかという事を聞くべきだというのに、この男が俺たちの事を”勇者候補生”と呼んだせいで、更に強烈な疑問が産声をあげる。
「私の名前は『天城真人』。この”ヴァルツ帝国”軍に設立された転生者部隊を率いる指揮官だ」
ヴァルツ帝国? 何のことだ?
生徒たちは全員呆然としている。天城は呆然としているクラスメイトを見渡しながらニヤリと笑うと、肩をすくめる。
「やれやれ、混乱させてしまったようだね。悪かった。…………申し訳ないけれど、ここは君たちの住んでいた世界ではない。数分前に、君たちのクラス全員をこの”異世界”へと転生させてもらった」
なに?
こいつが俺たちを”転生”させた?
つまり、俺と妹が命を落とすことになったあのバスの事故はこいつが元凶だというのか?
ふざけるな………! 確かに、あの不思議な端末で本物の銃を生産できるようになったのは喜ばしい事だ。だが、妹もバスの事故で命を落とす羽目になったんだぞ………!?
そういえば、明日花もこの教室の中にいるのだろうか。彼女も俺と一緒に事故で命を落とした筈だから、もしかしたらこの中にいるかもしれない。そう思いながら1つ年下の茶髪の女子生徒を探している内に、天城は説明を続けた。
「現在、この世界では世界大戦が勃発していてね。我が国の強靭な兵士たちが戦地で戦っているわけだが、戦争は消耗戦になりつつある。そこで、我らがヴァルツ帝国を統治するアンヘルム陛下は、転生者や転移者のみで構成された”転生者部隊”を編成して実戦投入し、敵軍を殲滅する計画を立案された」
ちょっと待て、転生者だけで構成された部隊を実戦投入するだと?
俺たちは今しがたこいつらにこの世界へと連れて来られた”転生者”だ。つまり、こいつはこれから俺たちをその部隊に編入させ、戦争に投入しようとしてるってことか!?
同じ仮説を立てた他の生徒たちも、目を見開きながらざわつき始める。
戦争への強制参加。
第二次世界大戦が終わってから、日本はずっと平和だった。だから俺たちが高校を卒業して歳をとり、爺さんや婆さんになっていくまで戦争とは無縁だろうと無意識のうちに決めつけていた。
ちらりと天城や軍人たちを見る。九分九厘拒否するのは不可能だろう。もしここが本当に異世界だというのならば、俺たちには元の世界に帰る術がない。生き残るためには、こいつらに従わざるを得ない。
それに、拒否して逃げようとすれば、間違いなく消される。
軍人たちや天城が腰に下げている剣を見つめながらそう思った俺は、取り出していた端末をそっとポケットの中に戻した。
とりあえず、こいつらに従って情報を集めるべきだ。拒否しようとすれば消されるだろうし、もしかしたら俺たちが異世界へと連れてこられたという事自体が嘘なのかもしれない。
女子生徒たちがざわついている内に天城は白い上着のポケットの中から黄金の端末を取り出した。先ほどあの真っ暗な空間で、俺が与えられた端末と全く同じデザインの端末だ。色は違うし、かなり長い間使っているのか画面には傷らしきものが見受けられるが、俺の端末と同じように画面以外には電源のボタンしかついていない。
「これは転生者にのみ与えられる端末だ。この端末を身に着けたまま敵を倒すと、ゲームみたいにレベルやステータスが強化されていき、君たちはどんどん強くなっていく。更に、レベルアップする度にポイントが与えられ、そのポイントを使って様々な武器や能力を作り出す事ができるようになる。つまり、この端末を持つ転生者たちは、この世界の兵士たちよりもはるかに強力な存在という事だ。その気になれば、1人で列強国を蹂躙することも可能だろう」
列強国を蹂躙できるほどの力。
すると、数名の生徒が制服のポケットの中へと手を突っ込み、そっと端末を取り出した。やはりここにいるクラスメイト達も、あの空間で端末を与えられていたようだ。中には電源のボタンを押して端末を起動させ、メニュー画面をタッチし始める生徒もいる。
その中の生徒の1人が画面をタッチした瞬間、何の前触れもなく机の上に大剣が姿を現した。
「うわっ!?」
「おい、それ本物かよ!?」
「す、すげえ………これ現実なのか!?」
ということは、俺もメニュー画面をタッチすれば本物の銃を使えるってことか。
息を呑みながら端末をタッチしようとしていると、端末の力を目の当たりにして騒ぎ始めた生徒たちを微笑みながら見つめていた天城が説明を再開する。
「その力を使えば、この戦争はあっという間に終わるだろう。我がヴァルツ帝国に協力してくれれば、君たちを元の世界に戻してあげよう。希望するならばこの世界に留まってくれても構わない」
俺ならば元の世界に戻ることを選ぶ。
けれども、元の世界に戻ることはできるのだろうか。他の生徒たちの死因は不明だが、向こうの世界では俺はバスの事故でとっくに亡くなっている死人なのだ。死人が元の世界に戻っても幽霊にしかなれないのではないかと思っていたその時、微笑みながら説明していた勇者と目が合った。
目が合った瞬間、勇者が凍り付く。
どうしたんだろうかと思っていると、まるで憎たらしい怨敵に再会してしまったかのように俺を睨みつけながら、勇者が俺の席の近くまでやってきた。
「お前………速河力也だな?」
何で俺の名前を知っている?
「あ、ああ。そうだけど」
当たり前だが、以前にこいつと出会ったことは一度もない。第一、こいつはこの異世界に住んでいる人間なのだから出会えるわけがない。
ならば、なぜこいつは俺の事を知っているのだろうか。
「また俺の計画を邪魔するつもりなのか、”リキヤ”!」
「な、何の事だよ?」
勘違いしているんじゃないか?
「ふざけやがって………! 衛兵、この男を取り押さえろッ!」
「はっ!!」
「ま、待て、何の事だ!?」
「とぼけるんじゃないッ! 転生者に紛れ込んでまた計画を邪魔するつもりだったんだろう!?」
睨みつけながら激昂する天城の後ろから、オリーブグリーンの軍服に身を包んだ兵士たちがやってくる。彼らは天城の前にある席に座っている俺を睨みつけると、がっちりした腕を伸ばして俺の身体を掴んで強引に立たせ始めた。
抵抗しようとするが、こっちはまだ初期ステータスの転生者だし、前世の世界ではボクシング部で身体を鍛えていたとはいえ、敵兵と戦うために戦闘訓練を受けている兵士たちに勝てるわけがない。
あっさりと拘束され、部屋から引きずり出される羽目になってしまった。
「くそっ、離せ! 何かの勘違いだろ!?」
「黙れ!」
「ほら、来るんだ!!」
「勇者様、この男はどうしますか?」
「強制収容所にぶち込んでおけ。取り調べは不要だ」
「かしこまりました」
くそったれ、何なんだよ。
俺は何もしてないというのに………!
「入ってろ!」
「ぐっ!」
錆び付いた鉄格子で覆われた牢屋の中へと、俺を連れてきた兵士が突き飛ばす。踏ん張ろうとしたけれど、近くにいた看守らしき兵士が背負っていたライフルの銃床で背中を思い切り突き飛ばしたせいで、石畳で覆われた床に頭を思い切り叩きつける羽目になってしまった。
くそったれが………!
なぜこんなところに放り込まれなければならない? 俺はあの男に何もしていないというのに。
鉄格子を掴み、牢屋に鍵をかけてから去っていく兵士に向かって叫ぶ。
「待ってくれ、俺は何もしていない! 天城はきっと勘違いしてるだけなんだ! 話を聞いてくれ!!」
「黙れ、逆賊め!」
「静かにしてろ!」
看守の兵士が背負っていたライフルを手に取りながらこっちを睨みつける。これ以上叫び続ければまた銃床でぶん殴るつもりなのだろうか。それとも、容赦なく射殺することを示唆しているのだろうか。
溜息をつきながら錆び付いた鉄格子から手を離し、牢屋の壁に寄り掛かりながら腰を下ろす。
俺は何もしていない。きっと天城は、以前に自分の”計画”を台無しにした奴と俺を勘違いしているだけなのだろう。もう少し時間が経てば、俺が無罪だという事を理解してくれる筈だ。
ちらりと小さな窓を見上げる。窓にも小さな鉄格子が設置されているから、そこから抜け出すのは不可能だった。鉄格子の向こうに広がる青空を見上げながら、下手したら一生この牢屋から出られないのではないか、と思っていると、隣の牢屋の方から声が聞こえてきた。
「兄さん………? まさか、兄さんなんですか?」
「明日花………?」
ぎょっとしながら後ろを振り向く。とはいっても後ろは真っ白なコンクリート製の壁なので、隣の牢屋の中は一切見えない。聞こえてくるのは唯一の家族である妹の声だけである。
「どうしてお前も牢屋に?」
「分かりません。何もしていないのに、天城って人にいきなり牢屋の中に放り込まれました………」
速河というファミリーネームが原因なのだろう。天城の計画を邪魔した奴も、速河という名前だったに違いない。
けれども、俺は牢屋の中にいるというのに安心していた。すぐ隣の牢屋に最愛の妹がいるし、彼女も一緒にこの異世界へとやってきていたのだから。もし俺たちが何もしていないという事が証明され、牢屋から出してもらえれば、前みたいに一緒に生活できる。あいつらに協力すれば元の世界にも戻してもらえるかもしれない。
ちょっとばかり希望が産声をあげた。
牢屋の外にいる看守をちらりと見て、看守がこっちを見ていないことを確認してから、俺は鉄格子から左手を出して隣の牢屋へと手を伸ばす。幸運なことに手錠や足枷は一切取り付けられていないので、こうやって鉄格子の隙間から手を出す事は可能である。
すると、その手に気付いたのか、明日花も手を伸ばしてきた。彼女の小さな手をぎゅっと握りしめながら、俺は微笑む。
「大丈夫、俺はここにいる」
「兄さん………」
「安心しろ。絶対にこの牢屋から出してやる。一緒に牢屋から出たら、前みたいに2人で生活しよう」
「はい」
もし仮に俺がこの牢屋の中から出られなくても、明日花だけは牢屋から出してやりたい。彼女が幸福になるためならば、俺が引き換えに命を落としてしまっても構わない。
だから、是が非でも生き抜いてやる。
最愛の妹のために。
時間が経てば、牢屋から出してもらえると思っていた。
無罪だったことが証明され、きっとまた自由になれる筈だと思いながら、俺は努力を続けた。
だが――――――俺たちは、ここで全てを踏み躙られる羽目になった。