シャルロッテの提案
「何を馬鹿な事を」
彼女の提案を聞いたキールが呟いたのが聞こえた。
ああ、確かに馬鹿な提案でしかないのだろう。1人の捕虜を無傷で返還する代わりに、テンプル騎士団が支援している政府軍に見切りを付け、アレイン共和国をファシストの連中に明け渡せと要求してきたのだから。
アレイン共和国が独裁政権に支配されるのを防ぐのと、捕虜1人の命であれば、俺たちはどちらも選ぶ。強引に捕虜を救出し、全戦力で敵を叩き潰す。それがテンプル騎士団のあり方で、創設以来変わらない。敵との約束を反故にしたとしても、俺たちは勝利を選ぶ。全てを手に入れて勝利する。
しかし―――――彼女の提案は、今のテンプル騎士団にとっては選択肢の一つでもあった。
だからこそ、キール以外のスペツナズの兵士たちや、セシリアは反論せずに黙っている。
何故誰も反論しないのかと思ったのか、周囲を見渡すキール。彼の方を睨みつけてから、義手でフードの上から頭を掻く。
今のところ、テンプル騎士団は勝っている。こちらの戦力は、反政府軍やヴァルツの義勇軍『コンドル軍団』の30倍以上の戦力だという。このまま進軍していけば、ヴァルツは義勇軍どころか本国にいる虎の子の本隊を動かしたとしても内戦の惨敗を防ぐことはできないだろう。制海権と制空権も既にこちらが確保しているので、これらが奪還される心配もない。厳重に警備された兵站も用意できているので、補給ルートが敵に滅茶苦茶にされる可能性もないと言っていい。
負けるわけがない。
しかし―――――クライアントである、肝心なアレイン政府軍が連戦連敗中なのだ。
政府軍の士気は低いし、最前線の兵士たちの命令違反は日常茶飯事だという。総司令部からの命令であっても無視し、勝手に反政府軍と戦って各個撃破されるか、武器をすべて放棄して投降したり戦線離脱している状態らしい。
先日も、壊滅寸前となった政府軍の部隊を支援するためにセシリアが余剰となっていた一個大隊を派遣し、政府軍を攻撃していたヴァルツ義勇軍を”踏み潰して”いる。
俺たちが戦えば勝てる。だが、政府軍が戦えば負ける。
このまま戦いを続ければ、アレイン内戦には勝利できるだろう。だが、その頃には政府軍は壊滅してしまっており、最終的にアレイン共和国は単なる焼け野原に変貌してしまう。仮に政府軍が辛うじて機能していたとしても、内戦で国民の大半が焼け死んだアレインを再興できるとは思えない。
そんな戦いに意味はあるか?
俺たちはあくまでも、裏で勇者が指揮を執っていると思われるコンドル軍団の撃破か、可能な限り損害を与えるのが目的だ。正直に言うと内戦の勝敗はどうでもいい。もし仮にアレインがファシスト共に占拠され、独裁国家と化したのであれば、こっちが保有する兵器をこれでもかというほど投入して滅ぼしてやる。
それに――――――政府軍の連中は、俺たちに支援を要請したにも関わらず、報酬を支払う準備ができていない。
セシリアがシャルロッテの提案に首を縦に振ろうとしているのは、間違いなくこっちの理由だろう。
そう、政府軍の連中は金を用意できていないのだ。
クレイデリア国防軍はクレイデリア連邦を守るれっきとした正規軍だ。だが、テンプル騎士団は正規軍などではない。あくまでも、クレイデリア連邦を本部としている”正規軍よりも規模のでかい傭兵組織”なのだ。傭兵に依頼するには金が必要になるのは言うまでもないだろう。
これはセシリアのミスだ。
確かに、憎たらしい勇者の義勇軍に大損害を与え、あのクソッタレが目論む次の世界大戦の前に牽制しておくという目的はあるし、可能であれば勇者をここに呼び出して恨みを晴らしたいところである。
しかし、その目的は組織の目的ではあるが、あのクソッタレに全てを奪われた俺やセシリアの復讐でもある。復讐は果たさなければならないが、俺は特殊作戦軍の指揮官だし、セシリアはテンプル騎士団を率いる団長だ。個人的な復讐よりも、組織の損害や利益を考慮しなければならない。
テンプル騎士団の規模は巨大だ。全盛期のソ連軍と全面戦争を始めたとしても圧勝できるほどの物量があるし、こっちには最強の現代兵器たちだけでなく、古代文明の技術やパラレルワールドから手に入れた未知の技術もある。クレイデリアは資源も豊富な国だから、好きなだけ兵器を生産できる。
これは非人道的な話だが、ホムンクルス兵だっていくらでも用意できるのだ。戦う兵器や兵士は好きなだけ生産し、最前線に投入できる。
だが―――――その軍隊は、先進国の国家予算ですら足りないほどの資金がなければ維持できない。
そう、金が必要なのだ。だから俺たちは傭兵となってクライアントに雇われ、他国の戦争や紛争に顔を出して敵をぶっ殺し続けている。戦いでたまたま生け捕りにした捕虜は人体実験に使い、そのデータを水面下で販売すればかなりの金になる。条約に批准し、議会で非人道的な残虐行為を散々非難している政治家や軍人が、兵士たちの年収に匹敵する金額で買い取ってくれるからな。
クレイデリアは楽園だ。最強の軍隊という鉄壁の城壁に守られた、決して安寧が脅かされることのない巨大な揺り籠なのだ。その揺り籠の裏側は―――――血と火薬と膿と薬品の臭いで満たされた、ただの地獄だが。
金がなければ、地獄の裏側に創られた楽園も消滅する事だろう。
だから俺たちはこの内戦にやってきた。楽園を維持するための金を手に入れるために。
けれども政府軍のクソッタレは、その金を用意できていない。
見返りは殆どないと言っていいだろう。
このまま戦い続けても見返りがないし、政府軍は壊滅か機能しなくなるレベルの大損害を被る事は確定している。それに、こちらもこの内戦でそれなりに大きな損害を追っている。陸軍スペツナズでも、ヴラジーミル率いるボレイチームが壊滅するという大損害を出してしまった。
これ以上戦う意味はない。義勇軍にも損害を与えて牽制にはなっているので、後はもう撤退してもいいだろう。
しかし、セシリアはまだ首を縦には降らなかった。
「………何故だ。祖国のためか?」
腕を組んだまま彼女は問いかける。俺たちとは戦わず、捕虜と引き換えに撤退を提案してきたとは言え、彼女もヴァルツの軍服を身に纏ったれっきとした軍人だ。まあ、ヴァルツのクソッタレ共には散々差別されて苦しんできたのだろうが、シャルロッテもあの国のために戦っているのだろう。
セシリアが問いかけると、彼女は一瞬だけニヤリと笑った。
「――――――”前世の世界”の二の舞になるのを防ぐためにゃ」
「………貴様、やはり転生者か。私と同じ第二世代型の………!」
「さすがハヤカワ家の当主。見抜かれてたかにゃ………まあいいにゃ。その通り、ボクは第二世代型転生者。そこにいるスペツナズの隊長さんと同じ世界からやってきた転生者なのにゃ」
「………それで、二の舞とはどういうことだ。貴様の世界でもこんな戦争があったのか?」
「あったにゃ、”スペイン内戦”という凄惨な内戦が。それだけじゃない、”第一次世界大戦”もあったし”ロシア革命”もあった。ボクたちの世界の人類は、平和な世界を作るためだけに血を流し過ぎたのにゃ………まあ、あれも完全な平和なんかじゃない。第二次世界大戦が終わり、冷戦が終わり、今はテロリストが正規軍と民間人に牙を剥く時代。何の変哲もない街の中に武装した兵士が紛れ込み、あらゆるイデオロギーに牙を剥く”平和に見える地獄”………」
ゆっくりと立ち上がり、広間の窓から廃墟や瓦礫の山と化したアレインの街を眺めるシャルロッテ。
そう、俺たちの世界は確かにそうだった。第一次世界大戦で数多の兵士たちが塹壕の中で肉片と化し、第二次世界大戦で人類は核兵器という禁忌の力に触れた。冷戦中は、その禁忌の力で肥大化した大国が全面戦争を始める寸前だった。それが終わった後は、世界中がテロで苦しんでいる。
世界大戦が終わり、戦争が歴史の教科書に載るようになってもあの世界は何も変わっていない。
人類が文明すら持たず、言語すら話さずに縄張り争いを続けていた頃と、何も変わらない。手にする得物が石器から剣になり、剣が弓矢になり、弓矢が銃になっただけ。文明が変わっただけだ。
「この世界は、ボクたちのいた世界にそっくりにゃ。もしこの世界がボクたちの世界と同じ末路を辿るというのなら、ボクはそれを回避したい。これ以上、くだらないイデオロギーのためなんかに血を流す歴史を続けたくない………だから決めたのにゃ。この力で、この世界を変えようと。あの世界みたいな悲惨な世界にはさせないと」
大き過ぎる目的だ。
いくら強力な能力を持つ第二世代型転生者でも、その目的を背負ったまま戦場を進むのは無理だろう。
人間が背負える理想の重さには限度がある。それは確実に、自分自身の体重にすら満たない。
けれども――――――シャルロッテには、彼女について来てくれる将兵たちがいる。彼女と同じようにヴァルツの軍服に身を包み、ライフルを背負い、彼女が号令をかければ目の前にずらりと整列してくれる仲間たちが。
一枚岩の大隊。
彼女たちならば、きっとその重さに耐えられるだろう。
「………なるほど」
首を縦に振り、立ち上がりながら扇子を取り出すセシリア。真っ黒なお気に入りのセンスを広げた彼女はニヤリと笑いながら、シャルロッテに告げた。
「ふん、こっちも見返りのない戦争にうんざりしていたところだ。それに、こちらの同志を無傷で返してもらえたのだからこっちも筋は通さなければな」
「じゃあ、この要求は呑んでくれるかにゃ?」
「うむ、よかろう………キール、姉さんに伝えろ。”現時刻を以てテンプル騎士団全軍はアレインにおける進軍を停止、撤退に移る”とな」
「えぇっ!? て、てった………は、はいっ、了解!」
納得できんのか、このバカ。
腕を組みながら苦笑いする。キールは優秀な通信兵なんだが、まだ未熟なところがあるからな………まあ、実戦を経験すれば優秀な兵士になってくれるだろう。こいつは努力家だし素質もある。
すると、廃墟を眺めていたシャルロッテがくるりとセシリアの方を向いた。そのまま扇子を開いている彼女に駆け寄ったかと思いきや――――――今度は彼女に抱き着きやがった。
「!?」
「ありがとうにゃ! これで犠牲者はきっと減るにゃ!! いやあぁ、本当に嬉しいにゃー! やっと理解者に会えた感じがするにゃー♪」
「ばっ、バカ! 何で抱き着く!?」
「嬉しいから抱き着いてるのにゃー♪ あ、テンプル騎士団の団長さん良い匂いがするにゃ………♪」
「は、離れろぉっ!!」
「嫌にゃー! もっと嗅がせるにゃー!!」
「ハヤカワ団長、シャルロッテ様もこう仰っていらっしゃいますのであと30分くらいはそのまま………」
「たわけ、とっとと撤退だっ!!」
シャルロッテを強引に引き剥がし、どういうわけか俺の後ろに隠れるセシリア。あのね、俺はあんたらより貧弱なんですよ。転生者だけど初期ステータスだから防御力は一般人と同じなの。隠れても盾にすらならないよ俺。
「ところで、その………ニールゲン司令はこの後どうなさるおつもりで?」
「ボクたちも戦線を離脱してヴァルツに戻り、同志たちを集めるにゃ。………”あいつ”の独裁を許すわけにはいかないからにゃ」
「………そうですか」
「幸運を祈るにゃ」
「そちらこそ」
ぺこりと彼女に頭を下げ、後ろに隠れているセシリアを連れて広間を後にする。周囲にはまだヴァルツの義勇兵たちがいたけれど、彼らは俺たちを攻撃するつもりは全くないらしく、G3A2を背負ったまま俺たちを敬礼しながら見送ってくれた。
これで、アレインからの撤退は確定した。
だが―――――まだやる事がある。
「禍々しい人たちですね、あの2人は」
広間の窓から、ホテルを離れていくテンプル騎士団の兵士たちを見下ろしていたユウコが淡々と言う。団長のセシリア・ハヤカワと腹心の速河力也が、何のために戦っているのかはこっちも把握している。
世界大戦の敗戦で疲弊したヴァルツを独裁国家に作り替えたヒトラーみたいな勇者への報復。全てを奪ったあの男から同じく全てを奪い、復讐を果たすためにあの2人は戦い続けている。
情報はユウコも見ているけれど、彼女も感じ取ったのだろう。あの2人が纏うすさまじい怨念を。
恐ろしい兵士もいるものだ、と思いながら、ボクは軍帽を手に取った。
さあ、撤退だ。とっととこの地獄を離れて同志を増やし、ヴァルツ開放の準備をしなければならない。あの独裁者と戦うには兵士が足りないからね。
忙しくなりそうだ。




