吸血鬼の少女
「あれ? 相棒は?」
「フェルデーニャに団長さんと行ってるわよ。古くなった軍の基地を買うんだって」
「へぇ」
あくびをしながらリビングのソファに腰を下ろし、リモコンを手に取った。テーブルの向こうにあるテレビにリモコンを向けてスイッチを押すと、真っ暗だったテレビに白黒の映像が映り始める。
何か面白い番組はやってるかな、と思いながらチャンネルを切り替えていると、パーカーを身に着けたカスミが隣へとやってきて腰を下ろした。冷蔵庫から取ってきてくれたタンプルソーダを受け取り、一緒にテレビ画面を見つめる。
彼女が特殊作戦軍のオペレーターになってから、カスミは俺と同じ部屋に住んでいる。ウラル総司令曰く『幼馴染と一緒にいた方が心の傷も癒えるだろう』だそうだ。まあ、こっちからしたら大切な幼馴染をいつでも守れるから嬉しいんだがな。
今では以前のように彼女は元気になっているし、朝になると起こしてくれる。朝食を作るのも彼女だ。でも、赤軍のクソッタレ共にされた事はまだ覚えているようで、時折怯えたり、その時の光景がフラッシュバックして錯乱することがある。
心の傷を癒せるエリクサーはないのだろうか。
そう思いながら、以前にテンプル騎士団の魔術部の奴らが『催眠術を使用した記憶削除によるPTSDの治療について』という論文を提出していたのを思い出す。簡単に言うと、戦闘などでPTSDになってしまった兵士たちの記憶の一部を削除することで、PTSDを完全に治療するという治療法だ。
確かに過去の記憶が原因なのであれば、その記憶を消してしまえば問題は解決するだろう。この論文は団長も興味深いと思ったらしく、それを提出した魔術部の奴らにいつもより多く資金が与えられたんだとか。
もしその治療法が完成したら、カスミを連れて行ってみよう。いつまでも辛い記憶を思い出して苦しむのは嫌だろうからな………。
「あ、映画やってる」
「本当だ。ホラー映画と恋愛映画やってるけどどっちがいい? ホラー?」
「もうっ、私がホラー映画ダメなの知ってるでしょ?」
「はいはい、恋愛映画ね」
まあ、今日は休みだから2人で一緒にダラダラしよう。
相棒がいないのであれば、今日は2人きりだ。
「うむ、やはりパスタは美味いな!」
ペスカトーレを口の中へと放り込んで咀嚼するセシリアを見つめながら、注文したピザを口へと運ぶ。確かにフェルデーニャ料理――――――前世の世界のイタリア料理とほぼ同じだ――――――は美味い。タンプル搭の食堂にもフェルデーニャ出身の料理人がいるんだが、彼が作るフェルデーニャ料理はいつも人気だから早く行かないと売り切れてしまう。
チーズとベーコンの乗ったピザを咀嚼しながら、ちらりとテーブルの下を見る。テーブルの下には化粧品とか香水とか服がどっさりと入った買い物袋が置かれているのが見える。もちろんセシリアが買った分もあるけれど、7割くらいはサクヤさんが買いまくったやつだ。
さっき洋服とか化粧品を店で見てきたんだけど、それでかなり時間がかかってしまった。昼間はフェルデーニャの海が見えていたんだが、もう既に今は暗くなっていて、石畳で舗装された道を街灯が橙色の光で照らしている。
時間がかかりそうだと判断したので、車で待機していたマリウスには先に戻っているように伝えてある。
帰りはヘリでも呼ぼうかな………。
「それにしても、ワンピース姿のセシリアも可愛かったわねぇ……ふふっ♪」
「あのな、あんな服いつ着ろというのだ。あんなのじゃ戦えないだろう?」
「あれ戦闘用の服じゃないわよ……」
「そっ、それにだなっ、あんなのを着ると落ち着かん……なあ、力也?」
「う、うん……でも悪くなかったぞ?」
「なぁっ!?」
セシリアは基本的に軍服を身に着けているから、パジャマ以外の私服を見た事がない。以前に私服はないのかと聞いたことがあるんだが、彼女曰く『軍服姿の方がすぐに戦える』らしい。
まあ、そういう考え方になってしまうのも仕方がないだろう。彼女は勇者のクソッタレに全てを奪われて復讐を誓ってから、常に戦いながら生きてきたのだ。戦場での殺し合いこそが、きっとセシリアにとっての日常だったのだろう。だから、ファッションに関する知識とか興味が全くないに違いない。
「ま、まったく……。ところで力也、パスタに油揚げが入ってたら美味いだろうか?」
「あ、分からん。今度試しに作ってみようか」
「わーいっ♪」
ピザを手に取って口へと運ぼうとしていると、レストランの入り口のドアが開いた。
「いらっしゃいませー」
制服に身を包んだウェイトレス―――――ここでもタクヤのホムンクルスが働いている―――――が、店に入ってきた客を出迎える。
タクヤ・ハヤカワのホムンクルスはクレイデリアだけでなく、世界中にいる。クレイデリア国内に残ったホムンクルスの方が多いが、中には海外で働いたり、海外に住んでいる男性と結婚して母親になったホムンクルスもいるという。
よく見ると、そのホムンクルスの店員の指にも結婚指輪があった。
「お客様、申し訳ございません。今は殆どの席が埋まっておりまして………」
「なに?」
注文したペスカトーレを口へと運ぶ途中で、俺は固まった。
レストランにやってきた巨漢が、こっちを見ながらニヤリと笑っているのである。
「む? おお、教官ではないか!」
「あっ、教官。席がないならここにどうぞ」
「だそうだ。あそこでいいか?」
「はい、かしこまりました。ではあちらの席へどうぞ」
何でウラルがここにいるんだろうか。こいつも休暇か?
ウラルはサクヤさんの隣にあった椅子に腰を下ろすと、ホムンクルスのウェイトレスから水を受け取って俺たちの顔を見渡した。
「何だ、買い物帰りか?」
「うむ。姉さんがどっさりと化粧品とか服を買ってな」
「ははははっ、いいじゃないか」
荷物持つのは俺なんですけどね。
溜息をついてから、ペスカトーレに入っているエビをフォークで刺し、口へと運んだ。
「ところで教官は休暇ですか?」
「ああ。たまには外出も悪くないと思ってな。……ん? この店はペスカトーレがおすすめか。すいません、俺にもペスカトーレの大盛りを1つ」
「かしこまりましたー」
そういえば、護衛用に銃を用意してたんだけど使わずに済んだな。まあ、フェルデーニャは治安の良い国だし、軍ともテンプル騎士団は親密な関係だ。ゴダレッド高地の戦いではこっちが手を貸したし、大昔にはタクヤ・ハヤカワがこの国でお世話になったことがあるらしい。
口に放り込んだエビを咀嚼しながら考える。
この世界で起こっていることは、前世の世界の歴史に酷似している。
以前から考えていた事だ。世界大戦も前世の世界とほぼ同じ結果で終戦になったし、冬戦争も勃発した。まあ、冬戦争は向こうの世界の歴史とは違ってスオミ側の圧勝となり、赤軍は惨敗する羽目になってしまったが。
そして今度は、アレイン――――――前世の世界で言うとスペインのような国だ――――――で内戦が始まろうとしている。
その次は――――――”第二次世界大戦”か。
その時だった。
店の外から、銃声が聞こえてきた。
「「「「!」」」」
財布から銀貨を8枚取り出し、テーブルの上に置いてから店の外へと飛び出す。確か店の近くには銀行があった筈だ。強盗でも入ったのだろうか?
コートの内側に隠している銃を取り出す準備をしながら、真っ先に銀行の方を見た。案の定、銀行の前には銃を持った3人の男がいるのが見える。そのうちの1人はやけに大きなカバンを持っていた。現金を奪い、これから逃げる所なのだろう。
しかも、先頭にいる男は人質を連れているようだった。10歳くらいの少女のようだ。頭に銃を突き付けられながら歩かされている少女は泣き叫びながら助けを求めているようだが、周囲には警察や軍人はまだ到着していない。銀行の警備員が人質を離すように勧告しながらリボルバーを向けているが、強盗たちはそれを意に介さずに銀行から離れようとしている。
おいおい、夕食くらいゆっくり食わせてくれ。せっかく美味いペスカトーレ食ってたのに。
銃を引き抜こうとすると、店から出てきたウラルが「スモーク」と小さな声で言いながら、腰に下げていたナックルダスターを両手に持った。分厚い金属製の得物で、先端部にはミートハンマーみたいなスパイクが付いているのが分かる。
「へいへい」
スモークグレネードを取り出し、安全ピンを引っこ抜いてから放り投げた。コロン、とスモークグレネードが強盗たちの足元に転がったかと思うと、あっという間に真っ白な煙が溢れ出し、周囲を白い煙で包み込んでしまう。
今はちょっとばかり風が強い。急がないと煙が吹き飛ばされちまうぞ。
白煙が溢れ出すと同時に、ウラルが姿勢を低くしながらダッシュした。
吸血鬼はキメラやサキュバスと同じく、人類の中でトップクラスの戦闘力を誇る。日光とか銀に弱いという弱点があるものの、身体能力の高さや魔力の量は人間の比ではない。武装した人間の兵士たちを、容易く丸腰で皆殺しに出来るほどの戦闘力がある。
加速したバイクみたいな速度で、ウラルは煙の中へと突っ込んだ。スモークのせいでどうなっているのかは分からないが、煙の中からミートハンマーで人間の身体を思い切り殴打するような音や、骨が砕け散るような音が聞こえてくる。
訓練を受けた成人の吸血鬼のパンチは、車のボンネットを貫通するほどの威力がある。ナックルダスターを装着した状態の吸血鬼に本気で殴打されれば、人間の肉体は小口径の戦車砲で撃ち抜かれたようにグチャグチャにされてしまうだろう。
それが”骨が折れる程度”で済んでいるのだから、ウラルは手加減している。
人質にされている少女が、心に傷を負わないように。
そう、決して強盗共への情けなどではない。
あいつらは、人質に選んだ少女に救われたのだ。
やがて、白煙が消えた。
案の定、強盗共は生きていた。呻き声をあげながら銀行の前で転がっている。脚の骨とか腕の骨は確実にへし折られているだろう。
ナックルダスターを腰に下げ、無傷のまま立っている少女の方を向くウラル。人質にされていた少女は怯えながらウラルの顔を見上げている。
その少女を見た瞬間、違和感を感じた。
唇から、微かに人間よりも発達した長い犬歯が覗いている。おそらくその少女の種族は吸血鬼なのだろう。肌の色もウラルと同じように黒いし、瞳の色も血のように紅い。
それに、よく見ると髪の色も彼と同じく桜色だ。
――――――ウラルに似ている。
「………?」
彼の親族だろうかと思ったが、もうウラルの肉親は工兵隊にいるエリーゼとかいうヤバい奴しかいない筈だ。彼の妻は12年前のタンプル搭陥落で亡くなっているし、妹のイリナ・ブリスカヴィカも孤児院の子供たちを守ろうとして戦死している。
あいつには、もうエリーゼ以外の親族はいないのだ。
気のせいなのだろうか。
ウラルもその人質だった少女が自分に似ていることに気付いているらしく、目を細めている。
「カリーナ!」
すると、大通りの向こうから男性が走ってきた。彼女の父親なのだろうか。
少女の名前を叫びながら走ってきた男性は、まだ怯えている吸血鬼の少女を思い切り抱きしめてから、彼女を救ったウラルの方を見た。
「あ、あなたがカリーナを救ってくれたんですね? ありがとうございます………ええと、その……何かお礼がしたいのですが………」
「いや、礼なんて………」
「ですが、最愛の愛娘を助けてくださったんです。せめてなにかさせてください」
ウラルに感謝する男性の口を凝視する。
彼の口の中には、吸血鬼のように発達した犬歯がない。吸血鬼は人間と見た目が殆ど変わらないが、人間よりもやや肌が白くて口の中に発達した犬歯があるから、口の中を見れば見分けることはできる。
おそらくあのカリーナという少女の保護者は、彼女の血縁者ではないのだろう。
奇妙だ。
「………では、申し訳ないがホテルを紹介していただきたい。今日はもう遅いし、どこかに宿泊したいのだが」
「でしたら、私の家はどうでしょうか。部屋が余ってるので、そこで………」
「………力也、どうだ」
「いいんじゃないですかね」
その方が色々と話を聞けそうだからな。




