フェルデーニャ支部
フェルデーニャは温かい国だ。
国土は広いし、農業に適した土地も多いから、野菜をどっさりと収穫できる上に美味い。更に海も近いから、いつでも最高の海産物を口にできるというわけだ。まあ、高級食材は貴族や軍人が買い占めてしまうから、美味い飯を口にしたいのであれば軍隊に入るのが手っ取り早いわけだが。
それが俺の入隊した理由だった。書類には『偉大なる王国と、親愛なる家族を守るため』と書いたが、はっきり言って国はどうでもよかった。厳しい訓練を受けて肉体を鍛え、美味い飯を食って、高い給料を故郷にいる家族の所に仕送りできるのであれば、この国がどうなってもいい。
ライフルを抱えながら、見張り台の上にいる軍曹がこっちを向いていないことを確認する。厳しい上官がこっちを見ていないのを確認してからあくびをして、素早く瞼を擦る。
戦争が終わって、フェルデーニャの国土は少しだけ広くなった。領土問題を抱えていた二重帝国が崩壊したことによって、あいつらと取り合いになっていた領土が全てフェルデーニャに戻ってきたのだ。
先週、弟から手紙が届いた。畑仕事を他の兄弟に任せて、戻ってきた領土の復興に行くらしい。戻ってきた領土はゴダレッド高地の近くだ。フェルデーニャは温かい国だけど、あの高地の辺りは冷たい風が吹いている。働きに行った弟が体調を崩さないかどうか心配だ。
そんな事を考えている内に、道路の向こうから真っ黒な車が走ってくるのが見えた。
多分あの車だろう。この基地にやって来る予定の”お客様”は。
車が基地の門に近付いてくる。片手を挙げて停まるように合図すると、車の運転手――――――やけに体格ががっちりしているからオークだろう――――――は車を減速させ、門の前でぴたりと車を停めた。
身分証明書を提示してもらうために近付こうとすると、助手席のドアが開いて黒服を身に纏った東洋人の男が降りてきた。頭には真っ赤なベレー帽をかぶっていて、黒いサングラスをかけている。もしあれが制服ではなくてスーツだったのならば、きっとギャングのボスにも似た威圧感を発していただろう。軍人にしては、彼の威圧感は少しばかり攻撃的すぎる気がする。
獰猛と言うべきか。
助手席から降りた男は、こちらを一瞥してから後部座席のドアをゆっくりと開けた。
後部座席から降りてきたのは、2人の美しい黒髪の女性たちだった。
片方は右目に片眼鏡をした女性だ。黒いスカートと制服を身に纏っていて、上着の上を赤いケープが覆っている。彼女も頭に黒いベレー帽をかぶっているけれど、護衛の男のベレー帽よりも少しだけ大きい。片眼鏡と鋭い目つきのせいなのか、非常に冷静で大人びた雰囲気を放っている。
もう片方の女性は、左目に真っ黒な眼帯をしている。身に纏っているのは真っ黒な軍服で、その上にボロボロの黒いコートをマントのように羽織っていた。頭の上には大きな黒い軍帽をかぶっていて、腰には東洋の刀を下げている。
眼帯をしている女性は、ドアを開けた護衛の男に礼を言ってからこっちにやってきた。いつの間にか見張り台の上にいた軍曹が俺の隣にいて、敬礼をしながらその女性たちを出迎える。
「お待ちしていました、セシリア・ハヤカワ団長」
「ご苦労、軍曹。司令はどちらに?」
「こちらです。ご案内いたします」
お客様は、テンプル騎士団の団長だった。
テンプル騎士団には、ゴダレッド高地の戦いでお世話になっている。他の戦闘でも何度も彼らには支援してもらっているし、世界大戦以前からもフェルデーニャとは友好的な武装組織だ。噂では、王国の上層部がテンプル騎士団と水面下で奇妙な取引をしているという。友好的な関係が続いているのはそれが原因なのか?
そんな事を考えながら、基地の中へと入って行く女性をまじまじと見る。あの刀を持っているのがテンプル騎士団団長のセシリア・ハヤカワなのか。世界規模の軍隊を率いる団長にしては随分と若い。
まあ、父親が濡れ衣を着せられて処刑され、次期団長候補だった姉も団長の役職を継承する事ができなくなったせいで彼女が団長を受け継いだらしいからな。ゴダレッド高地の戦いではまだ17歳だったという。
隣にいる片眼鏡の女性は、そのセシリア・ハヤカワ団長に顔の輪郭がそっくりだった。彼女が姉のサクヤ・ハヤカワなのだろうか。
どちらも目つきが鋭いけれど、綺麗な女性だった。司令との話し合いが終わったら試しに口説いてみようかな、と思いながら眺めていると、赤いベレー帽をかぶった東洋人が俺の近くへとやってきた。
「な、何だよ………?」
「………ウチのボスを変な目で見るな」
「え?」
低い声でそう言ってから、護衛の男は運転手に合図を送り、先に基地の中へと行った団長たちの後を追いかけていく。
あいつの声を聞いた瞬間に、俺はぞっとしていた。
多分、あいつはヤバい奴だ。
団長よりも、遥かにヤバい奴だ。
「では、こちらの書類にサインを」
「うむ」
セシリアの隣に立ちながら、彼女がサインしようとしている書類の内容をもう一度確認する。
この書類に彼女がサインすれば、このフェルデーニャ軍の基地をテンプル騎士団が”購入”したことになる。
そう、フェルデーニャへとやってきた理由は、フェルデーニャ王国軍からこの基地を買い取って、ここに”テンプル騎士団フェルデーニャ支部”を設立するためだった。既に王国への金の支払いは済んでいるし、フェルデーニャ軍総司令部からも承認を受けているので、この基地へと直接来て、この書類にサインするだけだが。
この基地が設立されたのは今から100年以上前。そう、テンプル騎士団という軍隊が産声を上げた時代だ。元々はこの近くで輸送船を襲う海賊を迎撃するために建設された砦だったものを、何度も改築して基地にしたのだという。
沿岸砲が大量に配備されているし、内陸側には滑走路もある。小さな軍港には駆逐艦と魚雷艇も停泊しているので、敵艦が接近してきたのならば即座に迎撃することも可能だろう。
だが、世界大戦が終わってフェルデーニャ軍が軍縮を始めた事により、この基地は放棄される予定になった。元々は海賊船の迎撃用に設立された砦だが、戦時中はここまで帝国軍が攻め込んでくる事はなかったので何もする事がなかったという。海賊ももう”絶滅”しているし、近隣の軍港にも強力な戦艦が配備されたことによってこの基地の存在意義がなくなったため、真っ先に放棄される事となったらしい。
我々の同志団長は、それに目を付けた。
ここには海があるから軍港も作れるし、沿岸砲台群をより大口径の沿岸砲に換装したり、地対艦ミサイルを設置すれば敵艦隊も迎撃できる。滑走路も内陸側にあるから、航空機を運用することも可能だろう。
更に―――――フェルデーニャは、”アレイン共和国”に近い。
1年前に革命が起こり、共和国となった国だ。とは言っても、現在では政府軍とファシストの連中が水面下で対立しているようで、いつ内戦が始まってもおかしくない状態である。フェルデーニャに支部があれば、いつでもアレイン共和国の様子を監視できる。
フェルデーニャ側からしても、テンプル騎士団が基地を購入する事によって撤去の費用が掛からないし、むしろ金を払ってもらえるのだから喜んでいるに違いない。今のフェルデーニャは、軍拡よりも復興と帝国軍から解放された領土の再開拓を最優先しているからな。
「感謝します、ハヤカワ団長。これでこの基地はあなた方のものです」
基地の司令官は彼女のサインがある事を確認してから微笑み、浅黒い手を差し出した。セシリアも真っ白な手を差し出してその手を握り、にっこりと微笑む。
「では、この基地から物資と兵員を退去させますので二週間ほどお待ちください」
「うむ、分かった。………行くぞ、力也」
応接室のドアを開け、セシリアとサクヤさんを先に行かせる。基地の司令官に向かって頭を下げてから応接室を後にし、セシリアたちに追いつく。
「それにしても、今日は良い物を買ったものだ。軍港、沿岸砲、滑走路付きの基地とはな。ちょっと改築するだけで即戦力になる基地が金貨4000枚で買えるとは」
「昔は資金も殆どなかったからな」
「そうなの?」
「ええ。サクヤさんが戻ってくる前までは、兵士に支給するライフルすらバラバラだったんですよ。でも、今はもう違う」
「うむ、もう違う。今の我々には力と金がある」
すれ違った兵士たちがセシリアに敬礼してくる。セシリアとサクヤさんを口説こうとしていると思われる兵士をサングラスをかけたまま睨みつけつつ、基地の外へと出る。
フェルデーニャには任務で何度か来たことがある。飯は美味いし、美術館とか古い建物も多いから観光旅行に来れば間違いなく楽しいだろう。広い上に綺麗な海もあるから、夏になれば海水浴も楽しめそうだ。
だが、女性を派遣すると必ずと言っていいほど口説かれるらしい。実際に前回もフェルデーニャ軍の将校との打ち合わせでセシリアと2人で来たことがあったんだが、露店で売ってたアイスクリームを買っている隙にセシリアが口説かれてたからなぁ………。
もちろん止めたよ、セシリアの方を。
だって、下手したら街中で刀を抜いて男を斬りつけそうだったからな。
ちなみに、セシリア曰く『オスは強い方が良い』らしい。好みのタイプは強い男という事なんだろうか。
「それに、アレイン共和国を見張れる位置に拠点を造れたのは大きいわね」
「うむ………これで、内戦が始まったらすぐに動ける」
今のアレイン共和国は、いつ内戦が始まってもおかしくない状況だ。政府軍とファシストは水面下で対立していると言われているが、実際には既に何度か小競り合いがあった、という情報もエージェントが察知している。
まあ、この内戦ははっきり言うと、我がテンプル騎士団にとってはどうでもいい戦いだ。政府軍がファシストを鎮圧しても、ファシストが政府軍を破って新たな国家を作り上げたとしても、我々には何の影響もない。
なぜわざわざフェルデーニャから拠点を買い取ってまで、そのどうでもいい戦いに介入する準備をするのかというと――――――そのファシストを裏で支援しているのが、ヴァルツ帝国の残党共である可能性があるからだ。
そう、世界大戦終結直後から行方不明になっている男は――――――きっとそこにいる。
――――――勇者。
俺たちから全てを奪った張本人。
この世界で、最も抹殺されるべき人間。
二週間後にフェルデーニャ軍がこの基地から完全に退去することになれば、特殊作戦軍は内戦への介入のためにこの基地へと移されるだろう。クソ野郎共をぶち殺す前に、最高のパスタとピザを食ってワインを飲むのも悪くないかもしれない。
基地の見張り員に敬礼をしてから、車の後部座席のドアを開ける。だが、セシリアは海へと続く川の向こうにある街をじっと見つめたまま、車に乗ろうとしなかった。
「ボス?」
「力也、今日はまだ時間はあったか?」
「いや、というか予定は特にないぞ」
「………なら、せっかくだから買い物をしていきたい。いいだろうか?」
「構わんぞ。サクヤさんは?」
「そうねぇ……うん、せっかくだから私も買い物していきたいな」
「了解だ。マリウス、すまんが街まで頼む」
「分かりました。さあ、どうぞ」
セシリアとサクヤさんを車に乗せてから、俺も車に乗り込む。助手席に腰を下ろしてシートベルトをかけ、頭にかぶっていたベレー帽を取った。
俺は後ろに乗ってる2人の護衛のために同行しているつもりなんだが、正直に言うとあの2人に護衛はいらないと思うんだよね。強いし。
こっちが初期ステータスのままという致命的な欠点を、実戦と訓練で身に着けた技術や経験と装備の性能で補っているのに対し、向こうはもうレベル200以上でステータスが非常に高い。しかもキメラなので身体能力の高さは人間の比ではないのだ。更に実戦経験がかなり豊富なので、慢心も全くと言っていいほどない。
だから護衛はいらないのではないか、と何度かセシリアに言ったんだが、そういう度に『お前も来ないとやだ』って言われる。気に入られているのは嬉しいんだが、仕事が全くないというのも護衛としては悲しいぞ。存在意義が消えるから。
端末を取り出して、今のうちに護衛に使う得物を準備しておく。
とはいっても街中だし、敵が襲撃してくる可能性はそれほど高くない。だが、さすがに丸腰で護衛するわけにはいかないので、武器は持っておいた方が良い。
まず、メインアームに選んだのはSMGの『PM-06』。ポーランド製のSMGであり、同じくポーランドの『PM-84』をベースにして改良した代物だ。殆どのハンドガンで採用されている9mm弾を使用する。
ハンドガンを大型化し、グリップ下部にロングマガジンを装着したような外見をしている。他のSMGと比べると小型なので扱いやすい。今回の護衛に使うにはうってつけだろう。まあ、使う機会は無いとは思うが。
カスタマイズでマガジンを従来のものから40発入りのロングマガジンに変更し、予備のマガジンと共にコートの内側へと隠しておく。
サイドアームはいつものPL-15だ。こちらも特にカスタムはしていない。近接武器はいつも愛用している大型カランビットナイフにしておくか。
「隊長」
「何だ」
車を運転しながら、マリウスが言った。
「そのぉ………前から思ってたんですが、そのサングラス怖いんですけど」
「あ? ………でも似合ってるだろ?」
「似合ってますがギャングみたいッス」
最新式の銃よりもトミーガンのほうが似合いそうだな。
そんな事を考えながら、窓の向こうにある街を見つめた。




