星の奔流
「爆薬設置」
雪の中に高圧魔力の詰まった魔力爆弾を設置してから、赤軍の工作員は麓にあるスオミの里を見下ろす。あの里は大昔からこのシベリスブルク山脈の麓にあった。周辺の国家を強力な騎士団で次々に占領し、自国の領土と化していった世界最強の大国であるオルトバルカに、唯一占領されずに独立を堅持している小国である。
隣に鎮座する大国との戦いは、今日で終わるのだ。
もちろん、勝利するのはオルトバルカ連邦だ。革命によって社会主義国家と化したオルトバルカこそが、戦争で国家を疲弊させた愚かな王室では不可能であったスオミの完全占領を成し遂げるのである。
しかし、シベリスブルクの斜面に魔力爆弾を設置した工作員たちには、チェックメイト寸前であるにも関わらず高揚はない。真っ白な迷彩服とウシャンカを身に纏った彼らには、むしろ銃殺刑で射殺される寸前の死刑囚のような恐怖がある。
彼らは、オルトバルカ連邦軍の”懲罰部隊”に所属する兵士たちだ。
シベリスブルク山脈の斜面で爆弾を起爆させれば、もし仮に起爆地点から離れていたとしても確実に雪崩に呑み込まれることになるだろう。彼らに与えられた任務の生還率は確実に0%と言える。
それゆえに、彼らに高揚はない。任務の成功は自分の失敗を意味し、任務の失敗は祖国の収容所にいる家族の死を意味するのだから。
何の罪もない妻や子供を死なせるよりは、この雪山で雪崩に呑み込まれる方がいいと判断したからこそ、懲罰部隊から選抜された5人の工作員たちは、侵攻部隊がテンプル騎士団やスオミの里の守備隊と交戦している最中に戦場を迂回し、ここまで潜入したのである。
彼らは捨て駒であり、切り札であった。
テンプル騎士団が最も得意とするのは攻勢である。防衛戦だとしても、敵が攻勢を中断した隙に逆に攻め込んで、侵攻してきた敵を押し戻してしまう。だが、逆に攻め込むという事は、攻めれば攻めるほどテンプル騎士団の兵力がスオミの里から遠ざかる事を意味する。それに、全兵力を投入して攻撃を継続すれば、テンプル騎士団やスオミの里もそちらだけを攻撃する事だろう。
爆弾の設置を終えた工作員は、上着の内ポケットから一枚の白黒写真を取り出した。写っているのはお腹が大きくなっている女性と、彼女の傍らに立つ幼い男の子だ。最愛の家族たちは、オルトバルカ北部にある旧マクファーレン領の収容所へと強制的に収容され、過酷な労働となけなしの食事を与えられて苦しんでいる。
もう会えなくなる家族の顔をじっと見つめていると、吹雪の向こうから轟音が響いてきた。
吹雪の中から姿を現したのは、白と灰色で塗装されたMi-24Dだった。機体の側面には、大きな砲弾を抱えたゴーレムのエンブレムが描かれており、その傍らから伸びるスタブウイングにはロケットポッドと対戦車ミサイルがぶら下がっているのが分かる。
機首の下にあるターレットが旋回する。もちろん、テンプル騎士団は彼らに警告など行わない。敵勢力であるならば、セシリアから”殺すな”という命令がない限りすべてが攻撃対象となる。
もちろん、殺さないように命じられていないのであれば、敵国の非戦闘員も攻撃対象だ。
おそらくそのMi-24Dは、赤軍が山脈の爆破による雪崩の誘発を目論んでいる事を察して大慌てでここへ駆けつけたのだろう。テンプル騎士団でも見抜けないに違いないと思い込んでいた工作員たちは自分たちへと向かって旋回する機関砲のターレットを見上げながらぎょっとしたが、すぐに爆弾の起爆スイッチを握り、親指でそれを押した。
「じゃあな、レイラ………」
機関砲で木っ端微塵にされるよりは、任務を果たす。
最愛の妻の名前を呼びながら起爆スイッチを押した直後、斜面に設置されていた魔力爆弾が次々に起爆した。極限まで加圧された緑色の高圧魔力が噴出して爆炎と化し、緑色の火柱が純白の山脈の斜面で荒れ狂う。
Mi-24Dの機関砲が火を噴き、起爆スイッチを押した工作員たちの肉体をバラバラにした。30mm弾の攻撃力は、ライフル弾で撃たれれば死ぬ程度の人間など眼中に無い。元々は装甲車の装甲を穿ち、航空機を叩き落すためのものだ。だから、それの眼中に無い哀れな歩兵は無残な死に方をすることになる。
だが、今回はそれの餌食になった工作員たちの勝利であった。彼らを粉々にする事ができたとしても、爆弾の起爆を阻止できなければ敗北なのだ。
ヘリのパイロットはぎょっとしながら斜面を凝視していた。爆音の残響が山脈へと浸透していき、緑色の爆炎が段々と吹雪の中へ呑み込まれていく。
シベリスブルク山脈には一年中雪が降り積もっている。真夏にここを訪れたとしても気温は氷点下が当たり前であり、この雪山の岩肌が雪の下からあらわになる事は絶対にありえないと言われている。もし、それほど分厚い雪が崩れて雪崩が起これば、麓にあるスオミの里がどうなるかは言うまでもないだろう。
パイロットは雪崩が起こりませんようにと祈ったが―――――勝利の女神は、家族のために死を選んだ工作員たちの覚悟の方を気に入ったようだった。
バラバラになった工作員たちの死体や、爆発で大穴を穿たれた斜面が少しずつ”ずれ始める”。やがて純白の斜面に亀裂が姿を現したかと思うと、工作員たちの血痕や足跡が刻まれた雪の大地が、純白の濁流と化した。
パイロットたちの祈りを、現実が踏み躙る。
『くそっ、なんてこった!』
『こちら”エストック4”、工作員の排除に成功するも、爆破は阻止できず! 雪崩発生! 繰り返す、雪崩発生!!』
悪態をつきながら、エストック4のパイロットは機体の高度を上げた。上昇していくMi-24Dの眼下では、段々と大規模になっていく極寒の濁流がスオミの里へと向かって流れ落ちていった。
山脈の爆破を止めるのには失敗したようだ。
姉さんのおかげで山脈の麓へと転移した私は、山脈の斜面の上で発生している純白の激流と、耳に装着している無線機から聞こえてくるパイロットやオペレーターたちの報告で、工作員による爆破阻止に失敗した事を悟った。
シベリスブルク山脈から流れ落ちてくる雪崩を見上げながら息を吐く。まるで、単なる雪崩ではなく山脈そのものが崩壊し、スオミの里へと向かって崩れ落ちてきているのではないかと思ってしまうほど、赤軍のクソッタレ共が引き起こした雪崩は大きかった。対戦車ミサイルを撃ち込んだとしても、あの雪崩は絶対に止められないだろう。分厚い隔壁がここにあったとしても無意味なのは火を見るよりも明らかである。
『ボス、聞こえるか? こちらアクーラ1』
「力也か」
彼の声を久しぶりに聞いた気がする。
『今、ヘリでそっちに向かってる。すぐにそこから離れるんだ』
「何故だ?」
『里の民間人の避難は既に済んでる。マンネルヘイム総司令は残っているらしいが………あんたを助けた後、総司令も連れ出す。だから――――――』
「ふふっ、その必要はない。力也、むしろ貴様が離れていろ」
『なに?』
「………”切り札”がある。使い方は理解しているが、加減できる保証はないからな」
『………分かった』
あの男の事は気に入っている。
力也は強い。初期ステータスの状態のままの転生者だが、彼は間違いなく平均的な転生者を簡単に葬れるくらいの力があると言っていいだろう。それに、あいつは私の考えていることを察してくれる。だから私の作戦をしっかりと理解してくれるのだ。
ずっとああいう腹心が欲しかったところだ。クラリッサがまだシュタージに引き抜こうとしているようだが、絶対に手放してたまるか。あいつは私のものだ。
「………さて」
力の使い方は分かる。
だが、実戦で”これ”を使うのは初めてだ。だから、使い方は分かっているが破壊力をしっかりとコントロールできる保証はない。むしろ、これによる攻撃が雪崩以上の脅威と化してしまうかもしれない。
『セシリア、雪崩が………! 危険よ、早く逃げて!』
『大丈夫です、サクヤさん』
『でも………!』
『彼女は俺たちのボスだ。――――――黙って、彼女の背中を見ていましょう』
きっと、無茶をするのはハヤカワ家の悪い遺伝だ。祖先の代からこの悪癖はずっと受け継がれてきたらしい。
だが、祖先たちは無茶な戦い方をしてボロボロになっても必ず生還してきた。
だから私も、必ず生きて帰る。
スオミの同志たちを救って、仲間たちの所へと帰る。
そうしなければみんなを悲しませてしまうし――――――勇者に復讐も果たせない。
こんなところで死ぬわけにはいかんのだ。
だから、力を貸せ。
いや、”力をよこせ”。
「――――――星剣”スターライト”」
体内の魔力を加圧しながら放出した瞬間、目の前の空間に蒼い魔法陣が生まれた。無数の古代文字や複雑な記号がびっしりと描かれたその魔法陣から蒼い結晶が突き出し、目の前に結晶の塊を形成し始める。
おそらく、高圧魔力の集合体だろう。目の前にある結晶の塊からは、オーバーヒート寸前のフィオナ機関にも似た強烈な魔力の反応がする。超弩級戦艦に匹敵する質量を転移させる事ができるほどの魔力なのだから、それを攻撃に転用すればどれほどの破壊力となるかは言うまでもないだろう。
その結晶の中に、刀身を結晶に覆われた剣が刺さっている。
傍から見れば”クレイモア”と呼ばれる大剣にも見える。大昔の騎士たちが振るっていたような代物だ。だが、柄の先から伸びる刀身の根元は紺色に染まっていて、先端部に行くにつれて半透明の蒼に変色しているのが分かる。
これが、私の祖先であるタクヤ・ハヤカワの切り札だった『星剣スターライト』だ。
タンプル搭の地下区画に隠されていたそれを、彼から受け継いだ。
手を伸ばし、結晶に刺さっている柄を掴む。手が蒼い柄に触れた途端、身体中の魔力をその剣に吸い取られているかのような感覚と強烈な疲労感が身体を包み込んだ。
やはり、この剣を使うには大量の魔力が必要になる。
歯を食いしばりながら魔力を注入し、柄をぎゅっと握って剣を結晶の中から引き抜いた。切っ先が抜けた途端に魔法陣から生えていた高濃度の魔力結晶が砕け散り、星のように煌きながら吹雪の中へ舞い上がる。
これを持っていたタクヤは、きっと仲間を救うためにこれを振るっていたのだろう。仲間たちに牙を剥くクソ野郎を殺し尽くし、仲間を守るために。
私は知っている。
この世界には数多の敵がいる。武器を持たなければ、決して安寧は手に入らない。ならば、自分たちを脅かそうとする敵を全て排除することで平和を作るしかないのだ。
私もそのためにこの力を使う。全ての敵を叩き潰し、根絶やしにして揺り籠を守る。
だから、私に従え。我らのために力を解き放て。
注入する魔力の量を増やしながら、剣の切っ先を天空へと向けた。
蒼く輝いた切っ先から、蒼白い光が溢れ出る。光の激流が吹雪を貫いたかと思いきや、灰色の空を包み込んでいた雲に大きな風穴を開けて、スオミの空に円形の青空を強制的に作り出した。
強烈な魔力を放った影響なのか、揺らめいている黒い髪が蒼く変色していく。いつの間にか身に纏っている服も、テンプル騎士団の黒い制服ではなく、大昔の騎士団で採用されていたような銀色の防具と紺色の制服に変わっていた。
この服装になり、髪の色が変色するのはこの剣を使っている時だけだ。
段々と体内の魔力が足りなくなってくる。体内で魔力が生成されるが、生成されたばかりの魔力がどんどん剣に吸い上げられていく。
歯を食いしばりながら、体内に取り込んでいる魂を魔力に変換して星剣へと注入し始めた。魔力は生命エネルギーの塊だ。だから、殺生石を使って体内に取り込んでいる敵兵の魂そのものは純粋な魔力の塊に等しい。
良質な魔力を吸収したからなのか、星剣から迸る魔力の光が更に強烈になっていく。私の周囲にある雪や氷の塊が溶け、少しずつ岩肌が姿を現し始めている。
両手で星剣スターライトを構えながら、スオミの里へと流れ落ちてくる雪崩を睨みつけた。星剣を召喚する前よりも更に規模が大きくなっている。
全力でこれを使わなければ、きっと止められない。
ならば、加減をする必要などないだろう。
全力でこれを使う。里に牙を剥く邪魔な山脈など、いっそのこと消し飛ばしてしまおう。
そう思いながら、私は虎の子の星剣を振り下ろした。
「――――――星の奔流ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」
蒼い光が見えた。
その光を止める事は、きっとできない。
蒼い光が吹雪を穿ち、灰色の雲に大穴を開けたおかげで、スオミの空には雲の向こうの青空があらわになっている。その光に照らされているのは―――――魔王だ。
この里を侵略者から守ろうとしている、1人の魔王だ。
カサートカのハッチを開け、星剣スターライトを振り下ろそうとしているセシリアを見た。
高圧魔力の影響なのか、彼女の髪の色が黒から蒼に変色していた。いつの間にか身に纏っている服も黒い軍服から古めかしい防具と制服に変わっており、傍から見れば軍人というよりは騎士に見える。
その姿は―――――彼女に似ていた。
この世界で初めて出会った少女に。
許婚と祖国を見捨て、俺と一緒について来てくれた彼女に。
一番最初に仲間になってくれた、後の妻に。
ああ、会いたかった。
またお前の姿を見れるとは。
何年ぶりだろう、お前が剣を振るうのは。
何年ぶりだろう、お前が鎧を纏うのは。
何年ぶりだろう、戦場でお前と戦うのは。
ずっと待ってた。
王国が革命で滅んでも。子供たちが作った組織が、クソッタレにぶっ潰されそうになっても。
お前は、あの時と変わらない。
「――――――おかえり、”エミリア”」
解き放たれた蒼い光が、里へと流れ落ちていく雪崩を直撃した。
もし仮に里に防壁があったとしても、その雪崩はお構いなしに分厚い防壁を破壊して里を呑み込んでいた事だろう。高圧魔力で防壁を展開したとしても耐えられなかったに違いない。
その雪崩を―――――たった1人の女性が振り下ろした蒼い光が両断する。
山脈そのものが崩れ落ちたかのような巨大な雪崩にその光が直撃した。里を呑み込もうとしていた雪の塊たちが蒼い光に呑み込まれ、あっという間に蒸発する。雪崩を容易く両断した高圧魔力の塊は、お構いなしに流れ落ちてくる雪の塊たちを容易く蒸発させながら雪の大地を融解させ、その下にある凍てついた岩肌すら抉った。
星の奔流には、雪崩など眼中に無いのだ。大地に降り積もる事しかできない雪は、絶対に星には届かない。
岩肌が融解し、雪山の斜面にはミスマッチとしか言えないマグマのような赤い煌きが生まれる。やがて純白の雪よりも赤い光が勝り始め、濃霧を思わせる水蒸気がスオミの周囲を包み込み始めた。
雪崩を掻き消した光が、水蒸気の中でゆっくりと消えていく。
いつの間にか、シベリスブルクの麓から雪が消えていた。
何千年も前から雪に覆われていた岩肌が周囲に広がっている。
上空を舞うヘリに乗っている力也たちは、セシリアの眼前にあるシベリスブルク山脈を見下ろしながら絶句していた。
シベリスブルク山脈は、まだ原型は留めている。もちろん、雪も残っている。
だが――――――その山脈が、真っ二つに両断されていた。
真っ黒な傷跡が刻まれた山脈を見つめながら、テンプル騎士団の兵士たちは確信した。
彼女こそ、自分たちが従う魔王に相応しい、と。




