魔王の軍勢、蹂躙の雪原
懐かしい臭いがする。
火薬と血の臭い。
戦場を満たす悪臭だ。スオミの大地を覆う冷たい風と雪に、その悪臭がこびり付いている。
雪原の向こうでは既に火柱が上がっていた。スオミ支部の同志たちと、一足先に派遣されたテンプル騎士団海兵隊の先遣隊や特殊作戦軍の同志たちが、死に物狂いでクソッタレな共産主義者共を迎え撃っているのだ。
よく耐えてくれた。
装備と兵士の質で勝っているとはいえ、圧倒的な物量を用意して攻勢を始めた敵を、よくなけなしの弾薬と数少ない兵士のみで迎え撃ち、我々の到着まで持ちこたえてくれた。この戦いに参加した全ての将兵には、最高の勲章を与えてやるべきだろう。
乗っていた戦車の車体から降り、右手を振り上げる。それを見ていた戦車の操縦士たちが戦車を停車させ、行進していた随伴歩兵たちもぴたりと立ち止まった。
腰に下げている刀を引き抜く。大昔に、私たちの祖先であるタクヤ・ハヤカワが、倭国から母のために購入したという『雪風』と名付けられた名刀だ。このスオミの大地を覆っている雪と同じく、柄や刀身が真っ白に染まっている。
私が刀を引き抜いたのを見た姉さんが、傍らに居る通信兵から無線機を借り、後方に展開している砲兵隊や航空隊へと命令を始めた。
「副団長より全砲兵隊へ砲撃要請。砲撃座標、”Й―7―7”。繰り返す、”Й―7―7”。第1、第2爆撃隊は直ちに爆撃態勢へ」
『了解。全砲兵隊、砲撃用意。砲撃座標、Й―7―7』
『こちら”ウォーハンマー”、了解。これより爆撃態勢に入る』
刀の柄を握り締めながら、灰色の空を見上げた。
案の定、我が軍の空軍が優勢だ。こちらが最新型のジェット戦闘機のみで構成された航空隊を出撃させているのに対し、敵は鈍重で脆い複葉機で迎撃している。もちろん全くと言っていいほどこちらに損害は出ていない。敵機の機銃の射程距離に入るよりも先に、こちらの航空隊が放つ空対空ミサイルが敵機を撃墜してしまうからだ。
仮に射程距離に入ってしまったとしても、機動性や速度はこちらの戦闘機が遥かに上である。あっという間に距離を引き離してしまったり、急旋回して逆に背後に回り込んで撃墜することが可能だ。
灰色の空の中で、緋色の爆炎が荒れ狂う。その爆炎の頭上を我が物顔で飛び回るのは、テンプル騎士団のエンブレムをこれ見よがしに垂直尾翼に描いた、Su-35の編隊である。
既に制空権は確保されている。
『全砲兵隊、撃ち方始め』
後方で、緋色の爆炎が煌く。その爆炎が消え去った後に、ドォン、と爆音が轟いた。後方に展開している、2B1オカたちが一斉に砲撃を始めたのだ。
異世界に存在していたという”ソビエト連邦”で開発された2B1オカの主砲は420mm迫撃砲。超弩級戦艦の主砲に匹敵するサイズである。
スオミ支部救援のために投入した2B1オカの数は合計で7800両。その後方では、輸送部隊が予備の砲弾を準備している。とはいっても、用意した榴弾を全て撃ち尽くす事はないだろう。間違いなくその前に決着がつく筈だから。
だが、我らに喧嘩を売った愚かな小娘に絶望を教えてやるのも悪くはない。砲兵隊の同志たちには、好きなだけ榴弾を撃ってもらいたいものだ。
やがて、砲兵隊の放った複合榴弾―――――炸薬に高圧魔力を添加して破壊力を上げたものだ―――――が雪原の向こうに着弾し、それ以外の全ての火柱を掻き消した。
以前までは通常の榴弾を使用していたのだが、砲兵隊の将校から『あれじゃ物足りないからもっと破壊力が欲しい』という要望があったので、技術部の予算を増やしてあの複合榴弾を開発させた。我が軍の戦力を向上させ、尚且つ勝利という結果を出すのであれば咎めるつもりはないのだが、420mm迫撃砲の破壊力は十分すぎると思う。
火柱のサイズが、他の榴弾砲の生み出す火柱の比ではない。砲弾の爆発というよりは、まるで火口からマグマの激流が噴き上がっているかのようだ。
やがて、その火柱が生み出した黒煙で微かに黒く染まった灰色の空に、無数の爆撃機たちが襲来する。
「同志団長、来ました。ウォーハンマー隊です」
「うむ、時間通りだ」
ウォーハンマー隊は、『Tu-95』という爆撃機のみで構成されている。この爆撃機も、力也がいた世界に存在したソビエト連邦という大国で開発され、正式採用されていた兵器だそうだ。テンプル騎士団空軍の爆撃機の大半もこの機体となっている。
やがて、ウォーハンマー隊が戦場の上空へと到達した。砲兵隊の砲撃はぴたりと止まっているので、きっと彼らの眼下には420mm複合榴弾で穿たれた無残な大地が見えているに違いない。
その満身創痍の大地を、今度は無数の爆弾が吹き飛ばした。
合計で120機のTu-95たちが、スオミ支部の防衛ラインの突破を試みる赤軍の地上部隊を蹂躙する。420mm複合榴弾の火柱ほどではないが、巨大な火柱が雪原の真っ只中で十重二十重に噴き上がり、防衛ラインへと肉薄する赤軍の戦車を随伴歩兵もろとも木っ端微塵にする。
爆撃の轟音を聞きながら、私は静かに仲間たちの方を振り向いた。
世界大戦が終わった後に入団した兵士もいるが、殆どはタンプル搭を失い、壊滅寸前の状態になっていても私と共に戦う事を選んでくれた兵士たちだ。彼らの忠誠心には本当に感謝している。
「同志諸君、これから我々も突撃する」
兵士たちの目つきが鋭くなる。これから始まるのは防衛戦などではない。我々テンプル騎士団が、創設時から最も得意とする攻勢だ。防衛ラインの突破に失敗して大損害を被った敵に対して攻勢を敢行し、そのまま押し返してやるのだ。
いや、押し返すのではない。殺し尽くすのだ。
前衛部隊を皆殺しにし、後方にいる連中を殲滅する。武器を捨てて逃げる敵がいるのであれば、追いかけて止めを刺してやろう。母国へと逃げ帰った者がいるというのであれば、その母国へと攻め込んで家族もろとも根絶やしにしてやろう。
それが今の我らの戦い方だ。
我らと戦争をするのであれば、皆殺しにされる覚悟をせよ。家族もろとも地獄へ送られる覚悟をせよ。
もちろん、我々もその覚悟をしている。
敗北は、死だ。いや、祖国と一族の滅亡だ。
それゆえに負けられない。だからこそ、敵を根絶やしにする。我らに情けなど無い。
「………さあ、行こう」
『ブオォォォォォォォォォッ!!』
隣にいた姉さんが、腰に下げていた法螺貝を吹いた。この組織が創設された時から、突撃の合図に使われているものだ。
「突撃ぃっ!!」
『『『『『Ураааааааа!!』』』』』
刀を振り下ろしながら命じ、仲間たちと共に雪原を突っ走る。
後方にいる戦車たちもエンジンの音を響かせ、履帯で真っ白な雪を踏みしめながら進軍を開始した。
テンプル騎士団で採用されている戦車は、爆撃機や自走迫撃砲と同じく、ソビエト連邦で開発された”T-72”という戦車だ。異世界で勃発した冷戦という戦争の最中に開発された代物だという。ソビエト連邦の敵国だったアメリカという国の戦車と比べると性能は劣るようだが、カスタマイズすれば欠点は補えるし、コストも低いのであらゆる部隊に支給されている。
まあ、私のレベルがもう少し上がればもっとすごい戦車が使えるようになるらしいが。
爆発反応装甲をこれでもかというほど搭載されたT-72の後方からやって来るのは、305mm榴弾砲を搭載したテンプル騎士団仕様のシャール2Cたちだ。戦艦の主砲に匹敵するサイズの主砲を持っている上に正面装甲が分厚く、通常の砲弾では撃破するのが極めて困難な陸軍の切り札である。
しかも、通常の機銃の代わりに主砲同軸に搭載されているのは、装甲車の主砲としても採用されている30mm機関砲だ。砲塔の上には、対戦車ライフルの弾薬でもある14.5mm弾を連射できる重機関銃がある。
シャール2Cのエンジン音はT-72のエンジン音と比べるとかなり甲高い。エンジンを元々搭載されていたものから、フィオナ博士が設計した新型フィオナ機関―――――M67Fという名前だそうだ―――――に換装したからだろう。フィオナ機関が稼働する音は甲高いのである。
戦車部隊が歩兵を追い越したかと思うと、歩兵の盾になるために前へと移動し、歩兵の進撃速度にスピードを合わせた。
突撃の合図のために持っていた刀を腰へと戻し、背中に背負っていたアサルトライフルを取り出す。
他の兵士たちが持っているAKMやAK-74Mと比べると、すらりとした銃身の短いライフルだ。
メインアームに選んだのは、力也が生まれた国である異世界の”ニホン”で製造された『89式小銃』というアサルトライフルだ。”ジエータイ”という組織で採用されている銃であり、AKMやAK-47と比べると口径の小さい5.56mm弾を使用する。
元々はバイポッドが付いていたのだが、それを展開して弾幕を張ったり狙撃するよりも近距離での戦闘を経験する事が多かったので、今ではもうバイポッドは外している。その代わりにフォアグリップ、ホロサイト、ブースターを搭載し、銃身をさらに短くした。
命中精度は若干悪化したが、近距離戦闘が多いのであればこちらの方が合理的だろう。
サイドアームは、同じくニホン製の『9mm拳銃』。こちらもジエータイで採用されているハンドガンだと力也が言っていた。使用弾薬は9mm弾だ。
進撃していくT-72の向こうで、防衛戦闘を行っていたスオミ支部の部隊や海兵隊の兵士たちが左右へと回避していくのが見える。あのまま戦闘を継続していれば、我々の総攻撃の邪魔になると判断したのだろう。
味方の退避が済んだのを確認したのか、戦車部隊が榴弾で砲撃を始めた。先ほどの砲撃で破壊されずに済んだのか、運のいい戦車の生き残りが車体側面のスポンソンに搭載された主砲を旋回させて、戦車部隊へと砲撃を始める。
ゴォン、とT-72の正面装甲が57mm砲の徹甲弾を容易く弾き飛ばす。赤軍のM1菱形突撃戦車の改良型は強力な戦車と言っていいが、我々の戦車を撃破するにはかなり火力が足りない。歩兵にとっては脅威だが、戦車や装甲車にとっては全くと言っていいほど脅威ではなかった。
T-72の砲塔が旋回し、今しがた正面装甲へと徹甲弾を叩き込んだ敵戦車へ照準を合わせる。敵戦車の装填手が次の徹甲弾を装填するよりも、T-72の125mm滑腔砲が火を噴く方が早かった。
125mm滑腔砲から放たれた榴弾が、敵戦車のスポンソンを吹き飛ばす。徹甲弾ではなく榴弾を使用したのは、敵の戦車が脆すぎるからだろう。実際に、オルトバルカ革命の際も敵戦車の装甲が”薄過ぎる”せいで、徹甲弾よりも榴弾の方が対戦車攻撃に効果があった、という戦車兵の証言が何件もある。
弾薬庫に誘爆した敵戦車が吹き飛び、火柱と化す。燃え盛る装甲の破片が雪と共に大地に降り注ぎ、一時的に雪原を緋色に照らした。
今度は、シャール2Cの主砲が火を噴いた。戦艦の主砲を切り詰めて、強引に搭載したかのような305mm榴弾砲が轟音を発し、塹壕の向こうにいる敵兵の群れを吹き飛ばした。
あのシャール2Cは、元々は敵の転生者の軍勢が強力な”超重戦車”を投入してきた場合に、それを撃破するために採用された”対超重戦車用超重戦車”だ。巨大な車体の装甲を分厚くし、エンジンを強力なものに換装して、敵の超重戦車を一撃で破壊できるほど強力な武装を搭載している。
現在では、陸軍の『陸上艦隊構想』によって大量生産されている。
スオミ支部守備隊と海兵隊が死守した塹壕を飛び越える。塹壕の中には大量の薬莢が散らばっていたが、喜ばしい事に同志と思われる死体はなかった。血痕すら見当たらない。
スオミの兵士たちは、無傷でここを守り続けたのか………。
「スオミの奮戦を無駄にするな、突撃だ! 一気に勝負を決めろ!!」
持久戦もできるが、長引かせるよりはとっとと終わらせてしまうべきだ。
侵攻してきたバカ共には、この冷たいスオミの雪の下に住む永住権をくれてやろう。武装してここまで進軍するくらい雪が好きだというのであれば、きっと満足してくれる筈だ。
敵との距離を十分に詰めた事を悟り、89式小銃を構えながらT-72の後ろから飛び出す。やはり、敵との距離はかなり縮まっていた。アサルトライフルでも敵に損害を与えられるほどの距離だ。
すぐ脇を敵の放ったライフル弾が掠める。頬から少しだけ血が出たが、傷口はすぐに塞がってしまった。
セレクターレバーは、既にセミオートになっている。
ホロサイトの後方にブースターを展開し、雪原のど真ん中で伏せながらライフルを撃ってくる敵兵に弾丸をお見舞いした。小口径の5.56mm弾が肩に命中したが、致命傷ではなかったらしく、まだこっちを撃ってくる。
続けざまに引き金を引き、眉間を撃ち抜いた。
小口径の弾薬の利点は反動の小ささと命中精度の良さだが、口径が小さいから7.62mm弾のように殺傷力が高いわけではない。力也も言っていた事だが、殺傷力不足はその分敵兵に弾丸を叩き込むか、頭を撃ち抜くことで補うしかなさそうだな。
他の戦車に隠れていた歩兵たちも、分隊長の命令で戦車の陰から躍り出た。戦車の後方から散開してAK-74Mを構え、応戦してくる敵兵をセミオートで狙撃し始める。
もう敵軍は総崩れだった。応戦してくる敵兵も残っているが、後方の連中は武器を捨てて逃げ出している。
ここが敵の戦力が最も集中していた防衛ラインだ。ここが総崩れになったという事は、赤軍は戦力の70%を失ったという事を意味する。
逃げ出そうとする敵兵を射殺してから、ちらりと後ろを見た。雪で覆われたスオミの防衛ラインの反対側からは、無数のT-72やT-55の群れが進撃してくるのが見える。もし仮に敵が増援部隊を本国から派遣してきて攻勢を再開しても、こちらの部隊に呑み込まれるのが関の山だろう。
チェックメイトだ。
後悔しながら、この雪原で眠るがいい。
「さあ、同志諸君――――――踏み潰せ」




