女傑は残骸の海を進む
「あれがテンプル騎士団の兵器か………」
「提督、敵は迎撃不可能な恐ろしい兵器を保有しています。一旦退却して、増援を要請するべきでは?」
沈んでいく味方の戦艦を艦橋から見下ろしながら呟いた提督に、損害報告を聞いた副長が提案する。確かに、テンプル騎士団の保有する対艦ミサイルを迎撃する手段はないと言っていい。自分たちの艦が狙われる前に敵艦のミサイルが弾切れになることを期待するか、砲手たちが放った砲弾が偶然ミサイルを直撃する事を祈るしか、足掻く手段は与えられていない。
主砲の射程距離に入るよりも先に虎の子の戦艦を8隻も撃沈されてしまったのだから、普通であればここで退却するべきだろう。大損害を被ったまま進撃すれば、そのまま撃滅されるのが関の山である。
しかし、その選択肢を選ぶことは許されていなかった。
「………副長、我々はテンプル騎士団の本隊が到着する前に勝負を決めなければならんのだ。長期戦という選択肢は選ぶべきではない」
「しかし………」
「それに、報告ではスオミを守るテンプル騎士団の艦はたった3隻だけだと聞いている。大損害を被ったとしても、その3隻をとっとと打ち破ってスオミへ砲撃を叩き込む事ができれば我らの勝ちだ。同志スターリンもお喜びになる」
「はっ」
「全艦、最大戦速。このままスオミ沖まで一気に肉薄する!」
「了解! 全艦、最大戦速!」
艦橋にいる機関長が、伝声管に向かって怒声を叩き込む。伝声管の向こうからまだ若い機関士の復唱が聞こえてきた直後、魔力センサーのグラフを凝視していた魔力観測員が「センサーに感あり」と報告した。
「艦長、5時方向に魔力反応を検出」
「友軍艦の魔力排出を捉えたのではないか?」
「いえ、それにしては密度が………」
フィオナ機関は、高圧の魔力を生成する動力機関である。艦を動かすためにあらゆる場所へと伝達された魔力は、圧力が抜けた”魔力の残滓”となり、煙突から船外へと排出される。再利用できるほどの圧力や密度ではないため、魔力の残滓を回収してから再利用するのは不可能――――――とはいっても先進国では研究が行われている――――――と言われている。
味方艦との距離が近い場合は、魔力センサーがその排出された魔力も検出してしまう事があるのだ。そのため、密集隊形では味方艦の反応を敵艦の反応と誤認してしまう事がある。
しかし、艦橋のグラフに表示されている魔力反応の密度は、再利用不可能と言われるほど密度や圧力の低い魔力の残滓とは思えないほど高圧であった。どんどんモニターの上面へとグラフが伸びていき、搭載されている魔力センサーで検出できる魔力圧力の最大値へと達しようとした次の瞬間、オルトバルカ艦隊旗艦の後方に、巨大な水柱が姿を現した。
ドン、と海面に屹立した純白の水柱から、蒼と黒の洋上迷彩で塗装された巨大な戦艦の艦首が突き出る。
前部甲板には、巨大な4連装砲が搭載されているのが見える。オルトバルカ海軍の前弩級戦艦に搭載された主砲よりも遥かに巨大なそれは、まだ艦橋が水柱の中から姿を現したばかりであるにもかかわらず、早くも左右へと旋回してオルトバルカ艦隊へと照準を合わせつつあった。
「じゃ――――――」
「ジャック・ド・モレー………」
姿を現したのは、世界最強の女傑であった。
「全砲塔、撃ち方始めぇっ!!」
「撃ちーかたー始めっ!!」
復唱が終わった途端、前部甲板と後部甲板に搭載された虎の子の 60口径44cm4連装砲が轟音を発した。砲口から溢れ出た爆炎と衝撃波すら置き去りにして飛翔していくのは、合計で16発の徹甲弾たちである。
艦隊のど真ん中に姿を現した感が、テンプル騎士団艦隊総旗艦ジャック・ド・モレーであるということに敵が気付くよりも先に、徹甲弾の群れが巡洋艦や駆逐艦の貧弱な船体を穿った。戦艦よりもはるかに薄い船体に大穴を開け、装甲を強引に引き千切りながら、反対側の装甲を突き破って海面を直撃する。
砲弾を叩き込まれた駆逐艦は航行不能になったり、既に傾斜を始めていた。だが、巡洋艦の中にはまだ浮かんでいる艦も見受けられる。
『CIC、こちら艦橋。全弾命中。されど、砲弾は敵艦の船体を貫通。損害軽微の模様』
「やれやれ。提督、敵が脆すぎるのも困りものですな」
「全くだ」
「艦長より各砲塔、砲弾を徹甲弾から榴弾に切り替えろ。繰り返す、次弾より榴弾で攻撃せよ」
ジャック・ド・モレー級の主砲には、大和型戦艦が搭載する46cm砲のような圧倒的な破壊力はない。超弩級戦艦の装甲を貫通できるほどの貫通力と、沿岸部の砲台群を短時間で殲滅するための連射速度の速さを重視した主砲である。
その長所の一つである”貫通力の高さ”が裏目に出たのだ。
砲撃を終えた砲身たちが元の仰角に戻っていく。砲塔内部の揚弾筒の中を榴弾と装薬が通過していき、砲身にそれを素早く装填していく。
あっという間に主砲の砲身の仰角が先ほど砲撃を行った仰角へと戻っていったかと思いきや、再装填を終えた主砲が早くも火を噴いた。
応戦するために主砲を旋回させていた巡洋艦の艦橋の真横に、榴弾が2発も直撃する。テンプル騎士団がかつて保有していた旧式の駆逐艦のように小さな船体の巡洋艦には、オーバーキルとしか言いようがない大ダメージである。艦橋の真横を直撃した榴弾が大爆発を起こし、艦長たちのいる艦橋や煙突を吹き飛ばした。
「艦首魚雷発射管、1番から4番まで発射管開け! 目標、前方の敵戦艦!」
ドン、と水柱がジャック・ド・モレーの左舷から噴き上がる。前方にいるオルトバルカ軍の戦艦が、船体後部にある主砲で、後方から突っ込んでくるジャック・ド・モレーの迎撃を試みたのだろう。艦隊のど真ん中に転移して奇襲を始めたジャック・ド・モレーに、最も早く応戦を始めたのだ。
敵艦が発砲したという報告を聞いたヴィンスキー提督とハサン艦長は少しばかり驚いた。大量の軍艦を保有しているとはいえ、今のオルトバルカ海軍は、かつての”オルトバルカ連合王国軍”と比べるとあまりにも貧弱すぎる。虎の子の主力艦隊はジャック・ド・モレー級との交戦で海の藻屑と化しており、生き残って革命軍に接収された艦も既に老朽艦ばかりだ。少しでも海軍の戦力を底上げするために敗戦国から戦艦を接収したのだろうが、搭載されている武装はヴァルツやヴリシア製のものばかりであるため、使用する弾薬や部品の規格もバラバラである。
寄せ集めなのだ。
しかも、その艦に乗り込む乗組員たちも、まだ経験の浅い者ばかり。中には白軍から寝返った乗組員もいるだろうが、錬度の高いベテランの乗組員が少なすぎる。
だから、迅速な反撃が始まるまではもっと時間がかかるだろうと高を括っていたのだ。
「魚雷発射管、1番、2番、発射用意!」
ジャック・ド・モレー級の艦首には、まだ533mm魚雷発射管が4門も残されている。
日露戦争や第一次世界大戦の頃の古い戦艦には魚雷発射管があったが、第二次世界大戦で活躍した大和型やアイオワ級のような超弩級戦艦には無用の長物だ。魚雷は、戦艦の得物ではなくなっていたのである。
しかし、ジャック・ド・モレー級の艦首には魚雷発射管が4門搭載されている。転生者の能力の劣化でミサイルが使用できなくなってしまったジャック・ド・モレー級の攻撃力を少しでも底上げするために、艦首にソ連製の533mm魚雷を発射可能な魚雷発射管を増設したのだ。
かつての超弩級戦艦たちが捨てた矛が、異世界の海で敵艦へと解き放たれようとしていた。
「1番、2番、撃てぇっ!!」
艦首に搭載された533mm魚雷発射管から、スクリュー音を響かせながら2発の魚雷が躍り出る。
標的にされた戦艦――――――ヴァルツの戦艦だろう――――――は後部の主砲で必死に応戦を試みるものの、乗組員が魚雷のスクリュー音を察知したのか、砲撃を継続しながらゆっくりと進路を変更し始める。
艦尾の舵が向きを変え、海中のスクリューが更に素早く回転していく。だが、分厚い装甲と巨大な武装で覆われた戦艦の巨体は、魚雷艇や駆逐艦とは比べ物にならないほど小回りが利かない。遠距離から放たれた魚雷であれば回避は難しくないが、前弩級戦艦の30cm連装砲の射程距離内から放たれた”533mm魔力複合高速魚雷”を回避するのは不可能と言っていい。
ジャック・ド・モレーに魚雷の発射を許してしまった時点で、チェック・メイトは確定していたのだ。
海中を疾走する2発の魚雷が、逃げようとする敵戦艦の艦尾を食い破る。魚雷の先頭部が高速回転するスクリューを捥ぎ取り、艦尾を抉った。
艦尾で火柱が噴き上がり、装甲が吹き飛ぶ。高圧魔力と爆薬による大爆発で片方のスクリューを破壊された挙句、舵を捥ぎ取られた戦艦は航行不能となっていた。しかも、魚雷の爆発で機関室の中に大量の海水が流れ込んでおり、早くも船体が艦尾方向へと傾斜を始めているのが分かる。
その隣を、最大戦速でジャック・ド・モレーの巨体が通り過ぎていった。艦長が退艦命令を下したのか、置き去りにされていく敵艦の甲板の上では救命胴衣を身に纏った乗組員たちが、極寒の海へと飛び込んでいくのが見える。
「魚雷再装填急げ!」
「続けて3番、4番開け! 目標、1時方向の敵巡洋艦!」
「艦長、3時方向より魚雷接近! 雷数3!!」
「迎撃! ヘッジホッグ散布!!」
艦橋の脇にある発射機が旋回し、無数の爆雷が海中へと放たれる。
『ヘッジホッグ』は、第二次世界大戦中にイギリスで開発された対潜兵器だ。発射機に装填された大量の小型爆雷を海中へとばら撒き、潜水艦を海の藻屑にする代物である。
だが、既にテンプル騎士団ではより強力な対潜ミサイルも作用されているため、これを搭載する駆逐艦はもう存在しない。
ジャック・ド・モレーがこのヘッジホッグを敢えて搭載しているのは、”敵の放った魚雷を迎撃する”ための迎撃兵器として転用するためであった。ソナーで敵艦が放った魚雷の位置を特定し、進路上にヘッジホッグから放った小型爆雷を散布して爆雷の壁を形成することで、接近する魚雷を迎撃するのである。
既にヘッジホッグを対魚雷迎撃兵器として転用するという計画は戦艦ネイリンゲンでのテストを終えており、魚雷の回避が難しい大型の戦艦などに迎撃兵器として搭載されている。
やがて、ヘッジホッグの爆雷が散布された地点で水柱が噴き上がった。敵艦が一矢報いるために放った魚雷が、爆雷の壁に触れて爆発したのだ。
「魚雷の迎撃に成功! ―――――いえ、一発突破! 突っ込んできます!!」
「艦長、回避を!!」
「構うな、進路そのまま!!」
「しかしっ――――――」
「各員、衝撃に備えろ! 左舷の乗組員は直ちに退避!」
「魚雷、来ます! 3、2、1………!」
ドォン、とジャック・ド・モレーの巨体が揺れる。
左舷に、敵艦の放った魚雷が直撃したのだ。
「損害を報告せよ!」
『左舷に浸水! されど損害軽微!!』
『応急処置急げ!』
浸水はあったようだが、隔壁を閉めなければならないほどの浸水ではない。
敵艦の魚雷が打ち据えたのは、ジャック・ド・モレーの左舷中央部だ。魚雷は脅威だが、ジャック・ド・モレーの船体に大穴を穿ち、船体を傾斜させるほどのダメージは与えられない。
「魚雷の1発や2発で、このジャック・ド・モレーが止められると思うなよ」
老いているが、この老いた女傑は絶対に止められない。
「敵駆逐艦2隻、3時方向より接近!」
「左舷、近接戦闘! 速射砲、機関砲で応戦せよ!!」
近代化改修を受けた際に、全てのジャック・ド・モレー級からは副砲が撤去されている。代わりに全ての艦に搭載されたのは、敵艦への砲撃だけでなくミサイルや航空機の迎撃にも使用することが可能な、AK-130と呼ばれる130mm速射砲である。
球体のような砲塔に2本の砲身を取り付けたような速射砲を副砲の代わりに搭載しているのだ。
AK-130と共に、ソ連製の対空機関砲であるAK-630Mとコールチクの群れも船体の左右に所狭しと並んでいる。それらの兵器が一斉に火を噴けば、接近しようとするミサイルや航空機は瞬く間に蜂の巣と化すことだろう。
更に、第二砲塔と第三砲塔の上部や、艦橋に増設されたスポンソンの上などには、ロシア製の装甲車である『BTR-90』の砲塔を遠隔操作できるように改造したものを搭載している。
その機関砲や速射砲たちが、一斉に火を噴いた。
緋色の光を纏う砲弾たちが海面を埋め尽くす。左舷に搭載された機関砲や速射砲の砲口から躍り出た緋色の流星群が、ジャック・ド・モレーに肉薄して追撃を試みる勇敢な駆逐艦たちを呑み込み、あっという間にズタズタにしていった。
船体、砲塔、艦橋があっという間に穴だらけになる。甲板が血まみれになり、剥がれ落ちた装甲や手すりの一部が海面へと飛び散る。
火達磨になった駆逐艦たちを置き去りにしながら、ジャック・ド・モレーは敵艦隊のど真ん中を最大戦速で前進していく。
「前方に敵巡洋艦!」
「第一、第二砲塔、前方の敵艦に照準合わせ! 航海長、錨を下ろす用意を!」
『えっ―――――あぁ、了解!!』
砲撃を終えた砲塔がゆっくりと旋回する。既に砲身には4発の榴弾が装填されており、艦首方向へと向けられた砲塔から伸びる砲身たちは、仰角の調整を始めていた。
「仰角6度! 砲撃準備よし!」
「3番、4番、撃てぇっ!!」
「発射!」
「主砲、砲撃開始!」
「撃てぇっ!!」
3番と4番に装填されていた533mm魔力複合高速魚雷が、スクリューの音を響かせながら放たれる。2発の魚雷を放った発射管のハッチが閉じ始めた頃には、前部甲板に居座る2基の44cm砲も火を噴いた。
今度の標的は巡洋艦だ。火力は戦艦よりもはるかに低いが、魚雷を搭載している上に戦艦よりも小回りが利く。今度は先ほどよりも遠い距離から魚雷を発射したのが仇になったのか、それとも敵艦の艦長の回避命令が迅速だったからなのか、2発放たれたうちの片方の魚雷は艦尾を掠めて通過していってしまう。
しかし、もう片方の魚雷が華奢な艦尾を抉り取った。
舵やスクリューを一撃で吹き飛ばされた巡洋艦に、合計8発の榴弾が降り注ぐ。前部甲板に2発、後部甲板に3発も直撃した榴弾たちが立て続けに起爆し、船体が爆風で引き裂かれていく。
船体を爆風で切断された敵艦の残骸に止めを刺そうとしているかのように、そこにジャック・ド・モレーの艦首が突っ込んだ。凍てついた海面すら叩き割るほど頑丈な艦首が、沈んでいく敵艦の残骸と衝突して火花を発する。
「航海長!」
『錨下ろせぇっ!!』
ジャック・ド・モレーの巨大な錨が、艦首から残骸の浮かぶ海面へと零れ落ちる。ドボン、と大きな水飛沫を噴き上げながらあっという間に海中へ沈んだ錨は、まるで沈んでいく敵の巡洋艦の艦首を救おうとしているかのように装甲の断面へと絡みついた。
『捕まえましたぁ!!』
「取り舵一杯!」
『とーりかーじいっぱーい!!』
敵艦隊の中を直進していたジャック・ド・モレーが、唐突に進路を変えた。そのまま海底へと沈む筈だった巡洋艦の艦首も錨に引っ張られていく。
最大戦速で航行していた巨大な艦が錨を下ろしたまま進路を急に変更すればどうなるかは言うまでもないだろう。ジャック・ド・モレーの船体が大きく傾き、艦内にいる乗組員たちが転倒したり、壁に叩きつけられていく。CICや艦橋では電子音が鳴り響くが、いくら老朽艦とは言えジャック・ド・モレーはこの程度で壊れる艦ではない。
ジャック・ド・モレーの前方から肉薄を試みていた敵戦艦の主砲が火を噴く。砲弾は後部甲板を掠め、手すりの一部を千切って海面を直撃した。
敵艦の艦長が再装填を命じたが、砲弾の装填が完了するよりも先に、ソナーを担当する乗組員は奇妙な音を聞いた。
海中から何かが迫ってくるような音だ。だが、魚雷や潜水艦と違ってスクリュー音はしない。代わりに聞こえてくるのは、金属製の部品らしきものが脱落していく音と、海水の奔流を浴びて軋む音だ。
その音の正体を理解するよりも先に、艦が揺れた。金属の軋む音や装甲がひしゃげる音が響き渡り、伝声管から艦内に大量の海水が浸水しているという報告が響く。
そう、直撃したのだ。
先ほどジャック・ド・モレーが撃沈した敵艦の艦首が、オルトバルカ海軍の戦艦の側面を直撃していたのである。
巡洋艦の艦首とは言え、最大戦速を維持したまま進路を変更する遠心力を利用してぶん回されたのだから、衝突の衝撃は単なる艦艇同士の衝突の比ではなかった。まるで魚雷が一気に3本ほど直撃したのではないかと思ってしまうほどの衝撃である。
ひしゃげた巡洋艦の艦首が沈んでいき、それに殴打された戦艦の船体が左へとずれていく。
今度は反対側から衝撃が生まれた。ジャック・ド・モレーを迎え撃つために反転していた駆逐艦と衝突してしまったのだ。
何をしている、と艦長が怒号を発すると同時に、ジャック・ド・モレーの主砲が緋色の光を放った。




