シモ・ハユハ
動かなくなった死体を雪の中に埋め、血まみれのカランビットナイフから血を拭い去る。
仲間に合図を送り、見張りの兵士を始末したことを伝える。それを見ていたジェイコブが頷き、キールとロザリーの2人を連れて姿勢を低くしながら移動を始めた。
通信兵のキールとライフルマンのロザリーの2人も、もうこの特殊作戦軍への入隊が許可されてから2年も経っている。まだ未熟なところは見受けられるものの、もうあの2人も一人前の兵士と言っていいだろう。とはいっても、第零部隊の隊員の中ではまだ錬度が低いので、最近ではこうして俺とジェイコブが2人を連れて赤軍の塹壕を襲撃し、こいつらの錬度の底上げを図っている。
ゆっくりと先に進みながら、前方から近付いてくる足音を聞く。見張りの兵士だろう。いくら俺たちが兵站に損害を与えてもすぐに補充して損害を無かったことに出来るとはいえ、何度も食糧庫を爆破されるのは拙いと判断したのだろう。最近では警備の厳重さが最初の頃とは比べ物にならないほど高くなっていて、潜入のハードルはどんどん上がっている。
一昨日はキールがうっかり敵兵に見つかり、脱出ポイントまで鬼ごっこをする羽目になったからな。
サプレッサー付きのマカロフを引き抜きつつ、傍らにある木箱の陰に隠れる。雪だらけの塹壕の向こうからゆっくりとやってきたのは、上部にマガジンの付いた軽機関銃―――――マドセン機関銃を思わせる―――――を肩に担いだ赤軍の兵士だった。塹壕の警備中だというのにウォッカでも飲んだのか、顔は赤くなっているしふらついている。
警備は厳重になっているが、その警備を担当する兵士が間抜けでは厳重にする意味はないな。
反対側の樽の陰に隠れたロザリーに目配せし、お前がやってみろ、と合図する。尻拭いの準備はOKだ。とにかく経験してみろ。実際に敵兵の喉を切断する経験を積まなければ、錬度は上がらない。
変な歌を歌いながら、酔っ払った兵士が近付いてくる。もしロザリーが失敗した時はマカロフでヘッドショットしてやろうと思ったんだが、マカロフPBが弾丸をぶっ放すことにはならなかった。
目の前を酔っ払った兵士が通過したかと思いきや、木箱の陰に隠れていたロザリーが殺気と物音をほぼ完全に消したまま飛び出して、警戒心が全くない敵兵に牙を剥いたのである。彼女の華奢な手が敵兵の口元を押さえつけ、断末魔を発する権利すら奪い去った頃には、右手で逆手持ちにしているサバイバルナイフの切っ先が喉元を貫いていた。
口元を押さえつけているロザリーの指の隙間から、真っ赤な鮮血が溢れ出す。
動かなくなった敵兵の喉元からサバイバルナイフを引き抜いた彼女は、死体を引きずって木箱の陰に隠してから、周囲に積もっている雪をかけて死体を隠した。
「………60点だな」
「えっ」
「ナイフを刺したらとっとと抜け。あと、返り血は極力浴びない方が良い。臭いでバレるからな」
痕跡が残りにくいのは敵兵の首の骨をへし折る事だが、これは結構コツが必要だ。キールは辛うじてできるかもしれないが、ロザリーにはちょっと早いかもしれない。
雪だらけの塹壕を進んでいくと焚火が見えてきた。暗い塹壕の中で光源と化しているその焚火の周囲には、コートに身を包んだ数名の兵士たちがいるのが見える。さっきの見張りが殺された事には気付いていないらしく、焚火の周囲で戦友たちと一緒に何かを飲んでいるようだ。さっきの間抜けな見張りが酔っ払っていたという事は、おそらく酒だろう。ウォッカだろうか。
テンプル騎士団だったら除隊させられるだろうな。先月も陸軍で偵察中に酒を飲んだ馬鹿が3人ほど除隊させられたと聞いている。
テンプル騎士団の軍隊でも稀にそういう連中が出る。だが、その件数はこの世界のどの軍隊よりもはるかに少ないと断言していい。そんな事をすればかなり厳しい処分を受けることになるし、魔王様への忠誠心を踏み躙る行為でしかないからだ。
だからこそ、考えられない。
当たり前のように任務中に飲酒とは。
赤軍の兵士の質の悪さは予想以上らしいな。2年前の革命から成長したのは規模だけってことか。
敵兵の人数はちょうど4人。こっちの人数も4人だ。
準備しろ、と仲間たちに合図し、サプレッサー付きのAK-74Mを構える。ブースターをドットサイトの後方へと展開して覗き込み、息を吐く。
セレクターレバーはとっくにセミオートになってる。AK-74Mのレシーバーの右側にあるセレクターレバーをフルオートに切り替え、5.45mm弾を撃ちまくる機会は滅多にない。そんな贅沢な戦い方をしていいのは分隊支援火器とか汎用機関銃を支給される”分隊支援兵”だけだ。
俺が照準を合わせたのは、焚火の奥でウォッカを飲んでいる中年の兵士だ。指揮官だろうか。部下が任務中に飲酒をしているのを見つけたら咎めるのが上官の務めだろうに。腐りきった指揮官には、5.45mmで天誅をぶちかますのが一番である。
他の仲間たちも照準を合わせる。合図を待っているのを悟った俺は、小さな声でカウントダウンを始めた。
「………3、2、1」
普段よりも静かな銃声がサプレッサーから飛び出し、5.45mm弾が放たれる。小口径の弾丸は反動が小さいという利点があるが、殺傷力は7.62mm弾などの大口径の弾丸に劣る。だから、敵兵を確実に仕留めるのであれば急所を狙うのが望ましい。
以前までは大口径の弾丸を愛用していた。もちろん、今でも威力のでかい弾丸の方が大好きである。だが、殺傷力不足を補う戦い方をすればその欠点はある程度希釈できるのだ。
4発の弾丸が、任務中に飲酒していた馬鹿どもに天誅を与えた。4人の兵士たちの眉間や側頭部に小さな穴が開き、血飛沫や頭蓋骨の一部が飛び散る。雪に真っ赤な血痕を刻み付けながら倒れた兵士たちを一瞥し、銃口を下ろす。他にも見張りの兵士はいるだろうが、そいつらに用はない。
目的はあくまでも、その後ろにある仮設のテントだ。その中身を盗むか、吹き飛ばせばいい。
食料であれば盗んでスープの食材に使わせてもらうし、弾薬であれば破壊するだけだ。鹵獲すればいいのかもしれないが、残念なことにこっちが使用している武器と弾薬の規格が異なるので装填すらできない。武器はこっちがスオミ支部に供与しているものもあるので、鹵獲の必要は殆どないだろう。
まあ、いくつか盗んでジェイコブに買い取ってもらうのもいいかもしれないが。
雪の上にぶっ倒れている敵の指揮官が、これ見よがしに胸に下げている立派な勲章を捥ぎ取る。売ればそれなりに金になりそうだな。コレクションにしてもいいかもしれない。
テントの中を覗き込む。もし食料だったら、もっとたくさんシチューとかスープを作ってスオミ支部の兵士たちにも振る舞おうと思ってたんだが、中にあったのは木箱に収まった迫撃砲の砲弾とかライフル弾ばかりだった。樽の中に入っているのは新品のライフルだろうか。
一緒にテントの中を覗き込んだキールが舌打ちをする。食糧庫だと思っていたのだろうか。
「………とっとと吹っ飛ばしましょう」
「おう」
ポーチの中からC4爆弾を取り出し、迫撃砲の砲弾が入っている木箱の中へと放り込んだ。オルトバルカ軍の79mm迫撃砲の砲弾に誘爆すれば、雪原のど真ん中で花火大会が始まる事になるだろう。かなりの数の弾薬がこのテントの中に保管してあるようだから、一昨日よりは派手な爆発になる。
樽の中にぶち込まれているライフルをいくつか手に取って拝借しようとしていたジェイコブに目配せする。彼は新品のライフルと、木箱の中にあったラッパ銃―――――骨董品じゃねえか――――――を手に取って、大人しく武器庫を後にする。
「何でそれ選んだんだよお前」
「バカ、分かってねえな相棒。これはな、M1820っていうレアなモデルなんだよ。たった300丁しか生産されてない限定品なんだ。確かにこいつはフリントロック式で射程距離も短いし、再装填に時間が―――――」
「あー、解説なら店に戻ってからいくらでも聴くから、それ鹵獲して使うなりコレクションにするなり好きにしろ。帰るぞ相棒」
「へいへい」
まあ、コレクションにするならそういう古い銃もいいかもしれない。ちゃんと手入れした古めかしい銃を部屋に飾るのを想像しながら、姿勢を低くして脱出ルートへと向かう。
塹壕の中を素早く移動し、ここに侵入するために切断した鉄条網の隙間から塹壕の外へと這い出る。多分、そろそろ他の見張りの兵士が死体に気付いて騒ぎになる頃だと思うが、もうこっちは目標の武器庫に爆弾を設置して脱出している。戦闘準備を終えてこっちを追撃したとしても、俺たちはとっくにスオミ軍の勢力圏内へと逃げている事だろう。
ロザリーとキールが鉄条網の下を潜り抜ける。塹壕の中で見張りを続けていたジェイコブに手を貸し、少女みたいな彼の華奢な身体を引っ張り上げる。まだ塹壕の中は静かだ。オルトバルカ兵は予想以上に間抜けだな。
仲間を連れて塹壕から離れ、C4の起爆スイッチを押した。
ドォン、と轟音が響いた。雪原のど真ん中に穿たれた塹壕の向こうで緋色の閃光が荒れ狂い、立て続けに何度も爆発を起こす。火柱に呑み込まれた弾薬や砲弾の高圧魔力が立て続けに誘爆して、火柱を肥大化させ続けているのだ。
力を使い果たし、そよ風のように弱々しくなった衝撃波が俺たちの周囲を通過していく。もう、その衝撃波に人間を殺傷できるほどの威力はない。
「おー………」
「コレットならもっと上手くやってた」
あいつは工兵隊出身のスペシャリストだからな。
「まあ、相棒の専門は暗殺と惨殺とリョナだからな。専門外の分野とはいえ、よくやったもんだ」
「何様だお前」
腕を組みながら火柱を眺めていたジェイコブの頭に義手でチョップをお見舞いしてから、踵を返して塹壕を後にするとっとと逃げないと重機関銃と迫撃砲の餌食になっちまう。
「攻勢?」
「ああ、向こうもかなり焦ってるみたいだ」
淡々と言いながら、アールネはコーヒーの入ったマグカップを口へと運んだ。どうやらスオミ支部では王茶よりもコーヒーの方が人気があるらしく、スオミ支部で作戦会議を行うと必ずと言っていいほどブラックコーヒーとサルミアッキを振る舞われる。
コーヒーを飲みながら、確かにチャンスだな、と思う。今のスオミには既にテンプル騎士団の海兵隊が到着しているし、武器や食料などの物資も補給艦隊が届けてくれている。航路はしっかりと守られているので、潜水艦で輸送船を沈めることも出来ない。
それに対し、赤軍側はスペツナズの奇襲で毎晩武器庫や食糧庫を吹っ飛ばされ続けている。あいつらは当たり前のように物資を補充しているが、蓄積され続けた損害がそろそろ致命傷になりそうな規模に達し始めたようだ。
まあ、最大の理由は”テンプル騎士団本隊の参戦が近い”事だろう。
そろそろセシリアはテンプル騎士団本隊とクレイデリア遠征軍を引き連れ、スオミの大地へとやってくる。そうなれば極寒のシベリスブルクまで侵攻している赤軍の攻撃部隊に勝ち目はない。だから、ここで全ての戦力を投入した攻勢を行い、スオミを陥落させて橋頭保にしてから本体を迎え撃つつもりに違いない。
ヴァルツの春季攻勢の二の舞になりそうだな。
「さっき捕虜を尋問したんだが、攻勢は明日の午後に開始されるそうだ。これを見ろ」
「?」
マグカップを置き、傍らにある地図を広げるアールネ。既にそこには構築された防衛ラインが描かれていたが、よく見ると一ヵ所だけその防衛ラインが途切れている場所がある。
敵の攻撃で損害を受けた場所なのだろうか。
テンプル騎士団が持ってきた武器と食料は十分だ。破損した武器を捨てて、新しい武器に交換するという贅沢な使い方をしてもまだ十分な数を支給できるほどである。だが、スオミがもっとも避けるべきなのは負傷者と戦死者を出すことだ。どの軍隊も、人的資源の迅速な補充は困難なのである。
兵士の人数が少ないスオミにとっては、1人の兵士が戦死するのは極めて大きな大損害と言えるだろう。
「お前らが来てくれる前の戦闘で、その”オルラ川”を守ってた守備隊が全滅しててな………。里の周囲に遮蔽物はないから、敵はオルトバルカ側から総攻撃をかけてくる筈だ。敵の進撃ルートが分からん以上、防衛ラインを広範囲に構築しなけりゃならん」
「でも、ここだけ人数が足りないと」
「ああ。悪いが、お前らにここの防衛を任せたい」
「ユーティライネン大佐、俺たちは特殊部隊だ。通常の部隊のような防衛戦は………」
「分かってる。それに、これは俺たちの大地を守るための戦いだ。あんたらに全てを押し付けるつもりはない。――――――”ハユハ”、入ってこい」
腕を組んで申し訳なさそうに告げてから、彼は誰かを呼んだ。しばらくすると、作戦会議に使っていた部屋のドアがゆっくりと開いて、真っ白な制服に身を包み、首元に純白のマフラーを巻いた小柄な少女が入ってくる。
アルビノのハイエルフ兵かと思ったが―――――その少女には、角と尻尾があった。
肌の色は、アルビノのハイエルフたちのように真っ白だ。けれども瞳の色はピンク色で、腰の後ろから伸びる尻尾はドラゴンのような柔らかい鱗に覆われている。
顔つきは、タクヤやジェイコブに瓜二つだ………。いや、あいつらとは違う。
―――――――ラウラ?
赤毛のキメラの少女の姿がフラッシュバックする。かつて、タクヤと共に前任者によって鍛え上げられ、最強の転生者ハンターの片割れとなった”鮮血の魔女”。テンプル騎士団では現代でも伝説とされている最強の狙撃手である、ラウラ・ハヤカワに瓜二つなのである。
「彼女は”シモ・ハユハ”大尉。分かると思うが、ハユハのホムンクルスでな」
「ハユハ?」
「ああ、失礼。俺たちの母語ではそう発音するんだが、オルトバルカ語だと”ラウラ”だったな」
アールネが紹介してくれたからなのか、ハユハは自己紹介を省いた。近くにやってきた小柄な少女は、かぶっていた真っ白なウシャンカを脇に抱えながら右手で敬礼する。
「噂は聞いております、”ウェーダンの悪魔”」
「………そうか」
「――――――彼女と、他の分隊をつける。ハユハたちと共にオルラ川を守ってくれ」
「了解だ。予測される戦力差は………」
向こうが上回っているのは分かる。こっちが物量で上回るのは有り得ない。
本隊が到着すれば話は別だがな。
アールネは頭を掻いてから、溜息をついた。
「―――――35対5000だ」




