最後通告
どれだけ血を流しても、人類は簡単にその痛みを忘れる。
だからこそ、同じ過ちを何度も繰り返すのだ。
1920年11月30日。
世界大戦の傷が癒えていないにもかかわらず、人類はまた血を流そうとしていた―――――。
「侵攻を止めろというのかね、同志」
彼女がそう言った途端、彼女の周囲にいる護衛の兵士たちが目を細めた。
もし彼女が、共にオルトバルカ革命で王室と戦った戦友でなければ、とっくに粛清するように兵士たちに命じていたに違いない。決別としか言いようがないその命令を出さず、敢えて聞き返したのは、まだ彼女たちの事を利用価値のある軍隊だと考えているからだろう。
そう思いながら、サクヤは机の向こうにいるスターリンを見下ろした。
「スオミは我々の身内よ。もしスオミが侵攻を受けるというのならば、我々も戦わなければならない」
「それは考え直してもらいたいものね、同志。スオミは我らの同胞でもある」
ティーカップを手に取り、ジャム入りの紅茶を口へと運んでからスターリンは後ろにある世界地図を見つめた。広大なオルトバルカの隣にある小さな国土の国を指差しながら、彼女は微笑む。
「だから、私たちは手を差し伸べた。あの恐ろしい”シベリスブルク山脈”の麓で暮らす貧しい彼らに、共産主義をもたらそうと。………でも、彼らはそれを拒んだ。我らがもたらそうとした平等と幸福を拒否し、戦争を望んだ」
「考え直すのはそっちよ、スターリン」
戦争になった理由は把握している。
オルトバルカ革命が終結し、白軍の残存戦力の掃討を終えた赤軍がオルトバルカを統治し始めてから、スオミ共和国との領土問題が表面化し始めたのだ。
元々、オルトバルカは王国だった頃からスオミ共和国の支配を目論んでいた。彼らが守ってきた領土のいくつかは占拠して国土の一部としたものの、完全にスオミを支配することはできず、そのままテンプル騎士団の仲裁でスオミの独立は守られていた。
王室とハヤカワ家が親密な関係だったからこそ、ブレーキがかかっていたのである。
しかし、王室がハヤカワ家を裏切った挙句、その王室すら滅ぼされた現在ではそのようなブレーキはない。
「これは円卓の騎士たちの決定でもあるわ。スオミへの侵攻を止めないのであれば、我々はスオミ側に加勢する。………以上よ、考え直してちょうだい」
冷たい声で告げてから、サクヤは踵を返した。
テンプル騎士団の副団長がスターリンの執務室を後にしてから、彼女は溜息をつく。
「最後通告ということね………」
テンプル騎士団のはスオミ支部がある。テンプル騎士団という巨大な軍事組織が創設されたばかりの頃から存在する、小規模な支部である。
つまり、スオミはテンプル騎士団の身内だ。身内が部外者からの攻撃を受けているのであれば、身内を部外者からの攻撃から守る事になるだろう。
これ以上の進撃は、テンプル騎士団を敵に回すことになる。
頭を抱えながら、スターリンはまた溜息をついた。
テンプル騎士団の軍事力は、2年前のオルトバルカ革命で目の当たりにしている。かつて世界最強の大国と言われた白軍ですら相手にならないほどの軍事力で、彼らは王室の軍隊を”踏み潰した”のだ。
戦車、戦闘機、戦艦、銃の性能に差があり過ぎた。
あの軍隊は、今の赤軍では止められない。もし逆鱗に触れてしまえば、今度はスターリンたちが白軍と同じように”絶滅”させられる事になるのは言うまでもないだろう。
「同志スターリン、さすがにテンプル騎士団を敵に回すのは………」
「分かってるわ」
今の赤軍の装備は、白軍から鹵獲したもので構成されている。幸運なことにその兵器たちを製造していた工場や設計図も残っているため、増産する事は可能だ。オルトバルカ国内には豊富な資源があるし、労働者ならばいくらでも用意できるのだから。
しかし、その装備ではテンプル騎士団には勝てない。
戦車は遠距離から一撃で破壊される。
戦闘機は機銃の射程距離外からの攻撃で撃墜される。
テンプル騎士団の戦艦の装甲は穿てない。
ライフルの連射速度と弾数が違い過ぎる。
勝っているのは、兵士の物量くらいである。
「………でも、物量なら勝ってるわ」
「同志………」
「今更侵攻を止めるわけにはいかない。同志、各指揮官に伝えて。テンプル騎士団参戦前にスオミを陥落させるわ」
「はっ!」
敬礼してから立ち去る指揮官を見つめながら、スターリンはニヤリと笑った。
兵器の性能では大きく劣っている。
だが、強力な軍隊とはいえ、まだ再興中の軍隊である。物量では”兵士をいくらでも調達できる”赤軍の方が上回っていると言ってもいいだろう。
もし立ちはだかるならば、スオミもろとも滅ぼすまでだ。
そう思いながら、スターリンは世界地図を見つめた。
「作戦を説明する」
薄暗い会議室の中でウラルが言うと同時に、円卓の中央に設置されたレンズから蒼い光が溢れ出た。レンズの中から姿を現した蒼い光たちは空中で無数の六角形の結晶を形成し、雪原を再現する。
「11月30日、オルトバルカ連邦がスオミ共和国に宣戦布告した。以前から領土侵犯や小競り合いがあったが、ついに本格的な戦争が始まるらしい」
雪原の上に、スオミ守備隊を意味する蒼い小さな記号と、進撃するオルトバルカ軍を意味する赤い巨大な記号がいくつも表示された。
それを見た途端、特殊作戦軍の兵士たちが目を見開いた。スオミ守備隊の兵力はおよそ8000人。それに対し、スオミの占領を目論むオルトバルカ軍の戦力は200000人である。いくらスオミ共和国側の兵士の錬度が高く、テンプル騎士団から装備品の供与を受けているとはいえ、守備隊の25倍の規模の敵を迎え撃つのは不利としか言いようがない。
「サクヤの奴が最後通告を行ったが、どうやら共産主義者共は我々と戦争するつもりのようだ。全面戦争をリクエストされたのならばそうしてやりたいところだが、我々も規模が大きくなり過ぎたことで簡単に戦力は動かせん。既にスオミの”マンネルヘイム元帥”からは支援要請があったが、こちらが全戦力を動かせるのはもう少し先になりそうだ。そこで、特殊作戦軍と海兵隊を先に派遣し、スオミ守備隊と共同で防衛を行う事になった」
海兵隊の奴らと共同で戦うのか。
悪くないが、海兵隊が採用している武器は陸軍や特殊作戦軍で採用されている兵器と異なる代物が多い。彼らの錬度は問題ないが、弾薬や装備品は規格が全く異なる。
「海兵隊は北側から上陸後、スオミ守備隊と合流して防衛ラインを構築し、本隊合流までの時間を稼ぐ。我々特殊作戦軍は、侵攻する赤軍の後方へと回り込んで補給ルートを集中的に攻撃し、奴らの兵站をズタズタにしてやるのが任務だ。200000人も派遣してるんだったら、兵站を滅茶苦茶にされるだけで大損害になるだろう。スオミ側も防衛戦が楽になる筈だ」
標的は補給部隊、弾薬庫、食糧庫などか。
兵站は建物で例えるならば柱のようなものだ。これを滅茶苦茶にされればどんなに頑丈な建物でも崩壊する。
「また、赤軍の艦隊も既にエメラルドハーバーを出撃し、スオミへと向かっているという情報もある。こちらは海軍の潜水艦艦隊が食い止めることになっているが、敵艦隊の数は多いため撃ち漏らす可能性もあるとの事だ」
「その場合は本艦で対処します」
そう言ったのは、戦艦ネイリンゲンの艦長を務めるリョウだった。テンプル騎士団に入団してからすぐに虎の子のジャック・ド・モレー級戦艦のうちの1隻を与えられ、2年間も艦長を務め続けていたからなのか、あの頃と比べると目つきは鋭くなっている。
頼もしい船乗りになってくれたものだ。
「分かった。だが、ネイリンゲンの任務は上陸した連中の指揮と支援砲撃だ。ネイリンゲンの44cm砲が上陸部隊を支援する砲兵の代わりなんだからな」
「了解です」
特殊作戦軍にも砲兵隊はあるが、陸軍や海兵隊の砲兵隊と比べると規模はかなり小さい。まあ、特殊作戦軍の任務は基本的に敵陣への潜入や暗殺なので、真っ向から敵と戦う事は殆ど想定していないのだが。
俺たちの今回の任務は、敵の後ろに回り込んで補給部隊を攻撃したり、食糧庫や弾薬庫を破壊して敵の戦力と士気を削ぎ落とすことだ。兵站がズタズタになれば攻勢を続けるのも難しくなるだろうし、よりにもよって今は冬である。極寒のシベリスブルク山脈の麓で戦闘を継続するのは難しくなることだろう。
「説明は以上だ。なお、同志団長からだが、場合によっては”タンプル砲”の使用も許可するという。要請すればすぐに承認されるだろう」
――――――ほう。
彼女も本気だな。赤軍のバカ共は魔王の逆鱗に触れたってわけか。
場合によっては、あれがついに火を噴くことになる。
このタンプル搭に屹立する巨大な要塞砲が。
おそらく、ジャック・ド・モレー級の同型艦の中で一番改修を受けているのはこのネイリンゲンなのではないだろうか。
装備品を背負ってタラップを登りながら、俺はそう思った。この艦は他の同型艦とは異なり、イギリスのネルソン級戦艦のように3基の主砲を前部甲板に搭載している。空いている後部甲板にはヘリ用の格納庫と大型ヘリポートが装備されているので、8機までヘリを艦載機として搭載することが可能だ。
更に、船体後部は更に改修を受けた事によって形状が大きく変わっている。
何と艦尾に車両を出撃させるためのハッチが追加され、その内部には車両用の格納庫も追加されたのだ。さすがに強襲揚陸艦のようなウェルドックは搭載できなかったらしいが、ここにソ連の『BMP-1』のような水陸両用型の車両を搭載する事で、簡易的な強襲揚陸艦としても運用することが可能な戦艦となったのである。
”強襲揚陸戦艦”と呼ぶべきだろうか。
搭載できる車両やヘリの数は多くないが、上陸した特殊部隊を強力な砲撃で支援できるというのは大きな強みだろう。上陸する俺たちから見ても非常にありがたい。その代わり、船体後部の装甲はそれなりに薄くなっているので、被弾した場合は致命傷になる恐れがあるという。
甲板のハッチを開け、艦内へと入る。
ネイリンゲンの乗組員の大半はホムンクルスだ。戦艦や空母のような大型艦は、いくら転生者の端末で設備の自動化を積極的に行ったとしても1000人以上の乗組員は必要になる。なので、他の兵器よりも運用するハードルは高くなるというわけだ。
そこで、テンプル騎士団ではホムンクルス兵を大量生産する事によってその人材不足を解消している。大昔にホムンクルスの製造技術を確立し、大量生産を続けていたのは大正解と言っていいだろう。この技術のおかげでテンプル騎士団の完全な全滅を防ぐ事ができたと言っても過言ではない。
なので、乗組員が全員ホムンクルスで構成されている艦は珍しくないのだ。
『ゆっくりだ、ゆっくり下ろせ!』
『エンジン、武装、チェックよし』
『急げよ、転移すればスオミまであっという間だ! 整備不良なんぞで仲間を死なせるな!!』
『『『了解!!』』』
格納庫の中では、オレンジ色のツナギを着た整備兵たちが上陸に使うBMP-1の整備をしているところだった。雪原が戦場になるため、既に度の車両も車体を真っ白に塗装されている。
BMP-1は、ソ連が冷戦の真っ只中に開発した『歩兵戦闘車』と呼ばれるタイプの車両である。簡単に言うと、戦車のような攻撃力や防御力は無いが、装甲車よりも強力な武装を搭載している上に、歩兵を乗せることが可能な車両である。
しかもBMP-1は水陸両用型の車両なので、いきなり海の上でハッチを開かれて出撃を命じられても、平然と海の上を航行して陸まで進み、そのまま上陸して戦う事ができる。
操縦を担当するのは陸軍スペツナズの隊員たちだ。既に操縦を担当する操縦士や車長たちはハッチから車内へと乗り込んでチェックを始めたり、整備兵から説明を聞いているのが見える。
タラップを降りて、自分たちの乗る車両へと向かう。砲塔の脇に『Щ-001』と描かれている車両のハッチの中を覗き込むと、既に武器を手にした第一分隊の連中が乗り込んでいて、ポーカーをしているところだった。
「準備は良いな?」
「いつでもどうぞ」
「よし、じゃあ俺も混ぜろ」
「隊長、何か賭けます?」
「そうだな……よし、部屋に美味いウォッカがある。それを賭けようか」
もう21歳になったからな。成人になってからは酒を当たり前のように飲んでるし、煙草も吸ってる。
ここは禁煙だったっけか、と仲間たちに尋ねながら葉巻を取り出す。コレットとジュリアが顔をしかめたので、とりあえずここで吸うのは止めておこう。
受け取ったカードを確認していると、スピーカーからリョウの声が聞こえてきた。
《艦長より全乗組員へ。これより本艦は、スオミ共和国へと向けて出撃する。各員、出撃準備!!》
そろそろ時間か。
カードを見つめながら、俺はニヤリと笑った。
巨大なハッチがゆっくりと開いていくにつれて、格納庫の中が冷たくなった。雪を纏った潮風が容赦なく格納庫の中に流れ込んできて、熱を次々に無力化していく。
BMP-1のエンジンがかかり、車体が振動を始めた。
「大佐、車内に戻った方が良いのでは?」
砲塔のハッチからBMP-1の砲手が尋ねてくる。まあ、車内に戻った方が安全だろうが、そこじゃ煙草吸えないからな。それに数分前にポーカーで大敗して、とっておきのウォッカを隊員に振る舞う羽目になっちまったし。
というか、ジェイコブの奴卑怯だろ。イカサマ使いやがって………。
「いや、ここにいるよ。タンクデサント歴はそれなりに長いんでな」
「何ですかそれ」
呆れながら砲塔へと戻っていく砲手を見下ろしながら、葉巻を取り出して火をつける。火のついた葉巻を口へと運びながらヘルメットをかぶり、ゆっくりと煙を吐き出した。
さて、戦争に行こう。
戦場で、クソ野郎をたくさん殺そう。
そうすれば、きっと明日花が喜ぶ。




