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コレットの悪夢


『おかあさん……おかあさぁん………』


『私は大丈夫よ、コレット。兵隊さんが助けに来てくれるから、離れてなさい』


『大丈夫ですか!? 待っててください、すぐに爆弾を解除します!』


 ああ、ダメだ。


 それに触れてはいけない。


 椅子に縛り付けられ、身体に魔力式の爆弾を取り付けられた自分の母親の姿を、幼い頃の自分と一緒に見つめながらそう思った。


 この時点で、母はもう助からないのではないだろうかと思っていた。確かに、爆弾処理班の隊員が駆けつけてくれた瞬間には希望も感じていたし、この人たちならば母を助けてくれるんじゃないかと期待していた。


 爆弾処理班の隊員が、母の身体に取り付けられた爆弾のタイマーをチェックしながらケーブルを切断し始める。最初に黄色いケーブルを切り、赤いケーブルを切ろうとする。


 けれども―――――パチン、と赤いケーブルが切断された瞬間に、緋色の閃光が爆弾の中から溢れ出した。ドン、という爆音すら聞こえない。緋色の光以外は何も見えない。


 あの時、私はこの爆風で吹き飛ばされながら悟っていた。


 母は助からなかったのだ、と。






『やだよう………やだよう……おかあさぁん………』













「………」


 嫌な夢を見た………。


 枕が湿っている。瞼の周囲が濡れていることに気付いた私は、汗で湿っている手で目の周りに居座る涙の残滓を拭い去り、枕元に置いてある時計を見た。


 まだ午前3時だ。起床時間までには、3時間も猶予がある。


 もう一度眠ってしまおうと思ったけれど、枕と毛布は汗で湿って感触が気色悪い事になっているし、また眠ってしまったらあの悪夢を見る羽目になるのではないか、という恐怖のせいで、瞼を閉じるのが怖かった。眠気に恐怖を感じてしまっていた。


「お母さん………」


 時計のすぐ脇に置いてある白黒の写真には、幼い頃の私と母が映っている。


 私はアナリア合衆国のリズーミ州で生まれた。戦争や紛争とは無縁で、いつも子供たちが遊ぶ楽しそうな声くらいしか聞こえてこない平和な場所だ。そこで私は、友達と学校に行き、学校が終わったら友達と遊んで幸せに暮らしていた。


 きっと、あの暮らしが変わらなければテンプル騎士団に入団する事はなかったと思う。ここに来ていなかったら、アナリアで就職していたに違いない。


 母は爆弾で死んだ。


 母の職場はリズーミ州の田舎にある小さな銀行だった。ある日、その小さな銀行に3人の銀行強盗がやって来て、働いていた母たちに爆弾を取り付けて人質にした。警察やアナリア軍も銀行を包囲したけれど、結果的に3人のうち1人を射殺して残りの2人を取り逃がし、爆弾を取り付けられた人質の救助には失敗。爆弾処理班のミスで、私の母と人質全員が爆死する事になってしまった。


 その日、学校は休みだった。母が職場へと持っていくはずだった弁当を忘れていることに気付いた私は、母のために銀行まで弁当を届けに行った。


 強盗たちさえ来なければ、きっと母に頭を撫でてもらえていたと思う。


 けれども、母は死んだ。


 爆風で吹き飛ばされた私は、地獄を見た。


 小さな銀行の中は滅茶苦茶になっていて、いたるところに黒焦げの肉片とか骨の破片みたいなものが転がっていた。もし銃で撃たれたり、剣で斬られたりして殺されれば、それが誰の死体なのかはすぐに分かる。けれども、爆弾はそれよりも遥かに無慈悲だ。肉片や人体の残骸くらいしか残してくれないから、どの肉片が誰のものなのかは分からない。


 だから、私は母の死体を見ていない。


 いや、きっとあの肉片の中のどれかは母の死体の一部だった肉片だったのかもしれない。けれども、どれが母の死体の一部なのかは分からない。


 その日から、私は学校に行っても友達と遊ばなくなった。


 学校で勉強だけして、大学に行って警察の爆弾処理班になろうと思った。何の罪もない人々をあんな無慈悲な兵器の餌食にしたくなかったし、警察になればもしかしたら母を殺した強盗たちの生き残りに会って、復讐を果たせるのではないかと思ったから。


 けれども、警察の試験を受ける直前に、新聞で見た。


 その2人の強盗犯はレイシントン州の郊外で警官隊に射殺された、という無慈悲な記事を。


 落胆している間に、世界大戦が始まった。


 アナリアは世界大戦に参戦しないという事を聞いて落胆した私は、警察ではなく、テンプル騎士団に入団する事にした。復讐も果たせなくなったし、爆弾を処理して人を救う機会が少ない警察になるよりは、テンプル騎士団の工兵隊に入って爆弾処理を学び、仲間を救った方が人々を助けられると思ったからだ。


 入団した後、私は爆弾の処理方法を必死に学び、地雷の処理や爆弾の解体を何度も経験した。けれども、世界大戦がどんどん激化していくうちに、爆弾の処理よりも破壊工作を行う事の方がどんどん増えていき、いつの間にか私の本職は爆弾処理ではなく破壊工作になっていた。


 けれども、幼少の頃に母が爆弾で吹き飛んだのを見ていたからなのか、その恐ろしい兵器を自分が使っているというのに、何とも思わなかった。必死に弾幕を張って抵抗する敵に肉薄して、ダムや弾薬庫に淡々と爆弾を設置して起爆スイッチを押し、何百人もの敵兵を肉片に変えるのが私の日課になった。


 そんな任務を繰り返している内に、あの人にスカウトされた。


 ”ウェーダンの悪魔”に。


『コレット・ベイカー伍長。君の力をぜひ借りたい』


 そう言いながら、彼は私の元へとやってきた。


 だから私は、スペツナズに所属している。黒い制服と赤いベレー帽を身に纏い、爆弾や地雷を使う。


 かつて母を木っ端微塵にした、恐ろしい兵器を。


「………寝れない」


 寝癖だらけになった頭を掻きながらベッドから起き上がり、洗面所で寝癖を直してから着替える。隣のベッドでは第二分隊のエステルが、ウサギの可愛いぬいぐるみを抱きしめながら眠っていた。きっと、彼女は私のように幼少の頃の悪夢を見る事はないのだろう。


 正直に言うと、羨ましい。


 瞼を閉じ、力を抜いている内に浸透してくる眠気に恐怖を感じないというのは。その眠気を、受け入れる事ができるというのは。


 制服の上着を羽織り、部屋を出た。確か居住区には夜中も営業している喫茶店があった筈だから、そこで起床時間まで時間を潰そう。早めに起きていた方が、朝の訓練でも少しは動き易くなるだろうし。


 エステルを起こさないようにそっと部屋を出て、居住区の通路を進む。さすがに夜中の3時は誰も通路を出歩いていないけれど、警備兵は当たり前のように隔壁の所に立って警備をしていた。彼らは私が羽織っている上着を見て特殊作戦軍の兵士だという事に気付いてくれたらしく、こっちが敬礼をするよりも先に敬礼をして出迎えてくれた。


 隔壁を通過して、喫茶店へと向かう。扉を開けると同時にベルが鳴り、店内に充満していた紅茶とコーヒーの香りが私を包み込んだ。


「いらっしゃいませ」


「紅茶を1つお願い。オルトバルカ産のやつで」


「かしこまりました、空いている席へどうぞ」


 どの席も空いている。


 まあ、こんな時間にやってきて紅茶を飲む客は、多分警備の時間が終わった警備兵くらいだとは思うけど。このお店も彼らのために営業しているんじゃないかしら。


 そんな事を考えながら店内を見渡すと、珍しい事に1人だけ客がいた。


 通路側にある席に、2mくらいの巨漢が腰を下ろしている。少し大きめのカップにたっぷりとジャムを入れ、一緒に注文していたと思われるスコーンを口へと運んでいたその先客は、私が店にやっていた事に気付くと、びっくりしながらスコーンを咀嚼し、自分の向かいにある椅子を指差す。


 苦笑いしながら指示通りに向かいの椅子に腰を下ろし、彼の目の前にある皿の上からスコーンを1つ拝借した。


「珍しいじゃない、マリウス」


「コレットこそ」


 マリウスも寝れなかったのかしら?


 正直に言うと、こういう喫茶店にオークの巨漢がいるのはミスマッチだと思う。実際に、こういうお店にオークの男性がやってくる事は珍しい。


「眠れなかったのかい?」


「ちょっと昔の嫌な夢を見ちゃってね………」


「そう………」


 2つ目のスコーンへと手を伸ばそうとしていると、店員が温かい紅茶を持ってきた。彼にお礼を言ってからテーブルにあるジャムの瓶へと手を伸ばし、スプーンで自分の紅茶にジャムをちょっとだけ入れる。


 さすがにマリウスのは入れ過ぎだと思うけど。


 彼は優しい人だと思う。


 いつでも話を聞いてくれるし、辛いことがあったという事を察すると、何があったのかと聞き出そうとはしない。だから、彼のそういうところはとっても気に入っている。


「もっとスコーン食べなよ。これくらいなら1人で食べれると思ったけど、ちょっと多過ぎだったからさ」


「ええ、ありがたくいただくわ」


「美味しいよね、ここのスコーン」


「そうね、香ばしいし」


 カウンターの近くではスコーンの販売もしてるし、少しエステルのためにも買って帰ろうかしら。


「そういえば、マリウスは何でここに?」


「ええとね………弟と妹の寝相が凄くて」


「え、寝相?」


「そうそう。弟の回し蹴りが顎に飛んでくるし、妹にはドロップキックされる」


「絶対寝てないわよソレ」


 スペツナズの隊員には個室が用意されるけれど、申請すれば家族と一緒に生活することはできる。まあ、通常の部隊の兵士であれば問題はないんだけど、特殊作戦軍の兵士だから、多少はシュタージに機密情報を漏らしていないか監視されるけれど。


 でも、その申請をする兵士はそれほど多くはない。特に特殊作戦軍の兵士は。


 とっくに戦死していて存在しないことになっている兵士ばかりだし、一緒に生活してくれる家族を失っている兵士が大半だから。


 だから、兄妹や親がまだ無事なマリウスが羨ましい。


 私や隊長には、もう家族はいない。


「でもね、可愛いんだよ。まだ弟は5歳で妹は3歳なんだけどね。部屋に戻ると玄関まで走ってきて飛びついてくるんだ。”マリウスにーちゃん、おかえりなさい”ってね」


「そう………やっぱり、マリウスに似てる?」


「うーん……どっちも母さんに似てるって言われてるからなぁ。俺は父さんに似たみたいだけど」


「へえ。今度会ってみたいな」


「え、じゃあ今度の日曜日に紹介するよ。妹もコレットに会いたがってるし」


「え、話したの? 私の事」


「うん。とっても強くて凛々しいコレットっていうお姉さんと同じ部隊なんだよって」


「なっ、な、な、な、何言ってんのよアンタぁ!?」


「あははははははっ」


 さ、さすがにその程度なら話しても問題ないけど、私としては大問題なのよ! 


 まったく………。


 溜息をつきながらティーカップを口へと運び、店内にある時計を見上げた。まだ午前4時。今すぐに地上に出たとしても、まだ朝日すら見えない。


 起床時間まであと2時間。でももう目は覚めているから、今すぐ部屋に戻って寝ようとしても間違いなく時間を無駄にしてしまう。


 もう少しここで、彼と雑談して時間を潰すのも悪くないかもしれない。


 そうすれば、忘れられる。


 昔の嫌なことを。


 母が吹き飛んだあの日の事を。













 けれども、悪夢は私を苦しめる。


 眠っていないというのに。


 ここは夢の中ではないというのに。


「同志諸君、分かっていると思うが今日の訓練は中止だ。先ほど、アルカディウス市内にあるアスマン帝国大使館から要請があったのは聞いているだろう」


 ウラル大将は腕を組みながら私たちの顔を見渡した。


「アスマン帝国南部では、テロ組織が猛威を振るっている。市街地での銃の乱射や要人の拉致などが多発しており、アスマン帝国軍だけでは対処しきれない状況だ。今回もテロ組織が相手だそうだ。力也、説明を」


「了解。………お前ら、よく聞け。今から2時間前、アスマン帝国議会のサハミール議員がテロ組織によって拉致された。現在はアスマン帝国南方のレンバラ州にある旧市街地に監禁されており、8時間以内に身代金の金貨5000枚の支払いと、拘束されているテロ組織の指導者たちの釈放を行わなければ、議員の身体に設置した爆弾を起爆すると脅してきている。もちろん、そんな要求は呑めない。そこで俺たちにテロ組織の撃滅と議員の救出が依頼されたというわけだ」


 爆弾、という言葉を聞いた瞬間に、あの日の光景がフラッシュバックする。


 椅子に縛り付けられた母。切断されていくケーブル。緋色の閃光。黒焦げの肉片。


 手が震える。冷や汗が溢れ出る。


「今から1時間後に出撃し、旧市街地へ向かう。なお、今回は敵を殲滅した後に爆弾の解除も行う事になる。この中で爆弾処理の経験があるのはコレットだったな?」


「は、はい」


「何か質問は?」


「爆弾のタイプは?」


「分からんが、アスマン側の予測だと魔力式だそうだ」


 母を吹き飛ばしたのと同じ爆弾………!


「解除はできるか?」


「………やります」


「よく言った。よし、ではすぐに出撃準備にかかれ。1時間後に6番ヘリポートに集合。以上、解散!」


 隊員たちが立ち上がり、武器庫の方へと歩き始める。彼らの足音を聞きながら呼吸を整え、手汗を制服で拭い去る。


「コレット………」


「………私は大丈夫よ、マリウス」


 今の私なら、きっとできる。


 あの頃の私とは違うのだ。


 今の私には、力と技術がある。


 母のように爆弾の餌食になる人々が増えないように学んだ技術が、私にはあるのだから。




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