紺色の空、血まみれの大地
収容所が騒がしくなった。
警備兵たちが背負っていたライフルを構え、大慌てで収容所の敷地内へと突っ走っていくのが見える。見張り台の上の警備兵がライトを建物の方へと向け、警報の残響が麦畑へと響き渡り始める。
何が起こったのを悟りながら、潜望鏡から目を離した。
潜入した第一分隊の連中が、敵の警備兵に発見されて交戦を開始したのだ。スペツナズの基本的な戦術は隠密行動。俺たちの任務で戦う事になる敵は物量で上回っているのが当たり前なのだから、敵に発見されて交戦をする事は是が非でも避けなければならない。
まあ、そうなった場合のために俺たちはここで待機していたのだ。この迫撃砲の照準を収容所に合わせ、砲弾をこれでもかというほど叩き込んでやる準備をしながら。
傍らに置かれているのは『BM-37』という迫撃砲だ。異世界の”ソビエト連邦”とかいう国で開発されたものらしく、現在のテンプル騎士団の陸軍、海兵隊、特殊作戦軍で大量に採用されている。
「………ボレイ1よりアクーラ1、状況を」
無線機を使って問いかけると、銃声らしき音や銃弾が壁に跳弾する音が聞こえてきた。やはり、第一分隊は戦闘中らしい。
『こちらアクーラ1、救出目標は救出したが問題発生だ。支援を要請する』
「了解、予定通り迫撃砲での支援砲撃を開始する」
『了解だ。こっちの離脱を確認したら、そちらも離脱しろ』
「分かった。………各員、撃ち方用意」
もう既に、照準は収容所に合わせてある。
タンプル・コマンドスの第二分隊も同じく、BM-37の照準を収容所に合わせている。この2個分隊に配備されている迫撃砲はたった4門だけだが、敵に適度な損害を与えつつ、大部隊が砲撃していると思い込ませるには十分だろう。第一、砲兵隊みたいに本格的な砲撃をぶちかましたら、脱出を試みる第一分隊の連中もろとも敵をグチャグチャにしてしまう。
だから、これくらいの方が丁度いい。
「――――――撃ち方始め!」
三脚の上に置いたでっかい潜望鏡で攻撃目標を観測しながら、部下たちに命じた。
フードを取り、腰に下げていたヘルメットをかぶる。俺の頭にもキメラのような角があるので、ヘルメットには邪魔にならないように穴が開いている。
まあ、正確に言うとこれは角ではなく、キマイラバーストを使用した際に熱で脳が損傷するのを防ぐための放熱板だ。キマイラバーストを使うとこれがキメラの角のように伸び、先端部が溶鉱炉の中の金属みたいに真っ赤に染まる。
AKMを構え、曲がり角から飛び出す。こっちに向かって突っ走ってきた警備兵が慌ててモシンナガンを構えるが、銃口を既に向けているこっちの方がトリガーを引くのは早い。ラッパ型のマズルブレーキからマズルフラッシュが迸り、7.62mm強装徹甲弾が躍り出る。
薬莢の中に入っているのは、火薬に高圧魔力を添加した複合装薬。アサルトライフル用の弾丸だが、弾速とストッピングパワーはボルトアクションライフルが使用するライフル弾に匹敵する。
眉間に撃ち込まれた敵兵の鼻から上が木っ端微塵になり、脳味噌の一部を床に撒き散らす。もう1人は狙いを外してしまったらしく、首に命中する事になったが、その一撃で絶命するという結果は変わらない。首の肉を骨ごと大きく抉り取られた敵兵は、血肉で床を真っ赤に染めながらぐらりと揺れ、崩れ落ちた。
対転生者用の弾丸だ。通常の敵兵など眼中に無い。
そのまますぐに別の遮蔽物の陰に隠れ、敵の銃撃を回避する。
敵兵の武装はボルトアクションライフルか重機関銃くらいだ。どうやらSMGは装備していない―――――ボルトアクションライフルくらいしか供与してないからな―――――らしく、重機関銃を持ってこない限りは敵の弾幕は極めて薄い。兵士の錬度も高くないからなのか、命中精度も最悪だ。
スペツナズどころか、テンプル騎士団の中にすらこんな質の悪い兵士はいない。こんなやつがいたら辞めさせてる。
反対側の曲がり角にはリチャードがいる。あのバカ野郎は銃撃戦の最中だというのに、暖かそうな紅茶を口へと運びながらマガジンを交換し、一口紅茶を飲んでからコッキングレバーを引き、また一口飲みながら発砲している。紅茶飲むの一旦止めろよマジで。
でも照準はかなり的確だった。リチャードの弾丸は敵兵の頭を正確に撃ち抜き、敵の脳味噌をズタズタにしていく。
リチャードとタンプル・コマンドスの隊員たちが敵兵の数を減らしてくれたのを確認してから、合図を送って先へと進んだ。
「侵入者を逃がすな!」
「くそったれ、どこの連中だ!?」
悪態をつきながら走ってくるバカ共がいることを察知しつつ、AKMを一旦尻尾に持たせる。代わりに腰に下げていたホルダーの中から博士から貰った棍棒を取り出し、柄を伸ばして気配を消しながら待ち伏せする。
足音が近付いてくる。目を瞑りながら敵が接近してくるタイミングを予測し、遮蔽物の陰から素早く飛び出した。
銃剣付きのライフルを抱えた2人の敵兵と目が合う。まだ敵と遭遇する事はないだろう、と決めつけて油断していた赤軍の兵士たちが目を見開くが、大きく開けた口の奥から絶叫が顔を出すよりも先に、合計で17本も鋭いスパイクの付いた棍棒が片割れの側頭部を直撃していた。
ぐちゅ、と人間の頭が潰れる音がする。スパイクが頭皮もろとも頭蓋骨を貫通し、先端部が脳を穿つ。頭蓋骨がへこんで、内側にある脳味噌に牙を剥いた。
そのまま棍棒を強引に引き抜き、今しがた餌食になった兵士の肉片付きの棍棒を振り回してもう1人も撲殺する。頬がズタズタになり、歯茎ごと粉砕された歯が飛び散る。
棍棒を振り払い、柄を縮めてホルダーへと戻す。こういう室内戦では白兵戦が起こることもあるので、テンプル騎士団では未だに棍棒とか剣を兵士に支給している。他の軍隊ではとっくの昔に廃れてるんだがな。
仲間を引き連れて通路を突っ走りながら、ちらりとジェイコブの方を見た。身体能力が高いホムンクルス兵である彼は、カスミを背負った状態だというのに走る速さが俺たちと変わらない。まあ、さすがに片手でアサルトライフルを使うのは難しいらしいので、武器をスチェッキンに持ち替えているが。
「おい、俺たちも連れて行ってくれ!」
「頼む、助けてくれよ! 家族がいるんだ!」
「………どうします、大佐殿?」
周囲にある独房の中から、他の捕虜たちの声が聞こえてくる。おそらく、あの革命で運よく処刑されずに捕虜になった白軍の兵士か、赤軍を批判した反スターリン派の政治家たちだろう。
助け出してやりたいところだが………メリットはあるか?
確かにこいつらを連れ帰ってやれば、保護しているトロツキーと共に、スターリンの支配するオルトバルカをぶち壊してくれる。だが、今回の任務はあくまでもシュタージのエージェントの救出であり、何人も捕虜を連れ帰る事は想定していない。
突っ走りながら首を横に振ると、リチャードは「……その方がいいでしょうね」と言いながらティーカップを口へと運びつつ、敵兵をマカロフで撃ち抜く。
収容所を襲撃して捕虜を解放する任務であれば、彼らも助けていた。ここにいる大量の捕虜や囚人たちを助ける事が前提の任務であれば、そのための準備をしっかりとしているからだ。だが、今はこちらの戦力は敵の守備隊よりも少ない。この収容所の内部に留まるのは、極力短時間である事が好ましい。
だから――――――見捨てる。
恨みたければ恨んでくれ。俺たちの任務は、あんたたちの救出ではないんだ。
独房がずらりと並ぶ通路を通り抜けた途端、曲がり角の向こうから無数の銃弾が飛んできた。ボルトアクションライフルの銃撃とは比べ物にならないほどの連射速度で、7.62mm弾が壁を打ち据えている。
「重機関銃!」
「位置は!?」
「曲がり角の向こう!」
後続の味方に言いながら、グレネードランチャーを準備する。
AKMの銃身の下に装備されているのは、通常のグレネードランチャーではない。50mmグレネード弾を発射することが可能な、RGS-50というソ連製の大型グレネードランチャーである。アサルトライフルの下部に搭載する事を全く想定していない代物を強引に切り詰めて搭載しているのだ。
砲身を切り詰めたと言っても、砲身の先端部はラッパ型マズルブレーキの下部にまで達している。もちろん、こいつのせいでAKMがかなり重くなってしまっている。
これは砲身を銃口側へとスライドさせられるように改造した特殊な金具で搭載している。スライドさせなければ、マガジンが邪魔で大型の砲弾を装填出来ないからだ。なので、装填する際はアメリカ製グレネードランチャーのM203のように、ランチャー本体を一旦前方へとスライドさせ、後部のハッチを開けてから砲弾を装填しなければならない。
まあ、既に砲弾は装填済みなのでそんな事はしなくていいのだが。
左斜め上に搭載したグレネードランチャー用の照準器を立て、壁に向かって照準を合わせる。7.62mm弾が入ったマガジンのすぐ前にあるトリガーを引くと、ボンッ、と50mmグレネード弾が飛び出し、壁を直撃する。
だが、砲弾は爆発しない。
――――――時限信管だ。
壁を直撃して跳弾したグレネード弾が、こちらに向かって重機関銃を撃ち続けるクソッタレの方へとバウンドしていく。ゴン、と床に砲弾が落下した音でグレネードランチャーによる攻撃に気付いただろうが、彼らが逃げるよりも先にRGS-50から放たれた50mmグレネード弾が炸裂し、爆炎と数多の破片で重機関銃の射手をバラバラにした。
こういう時は時限信管の方が使いやすい。
砲身を銃口側へとスライドさせ、後部のハッチ―――――元々は中折れ式のグレネードランチャーである―――――から残った薬莢を取り出す。コン、と陽炎を纏った薬莢が床に落ち、金属音を発する。
すぐに腰のホルダーから取り出した次の対人榴弾を装填。もちろん、これも時限信管である。
バラバラになった敵兵の死体を踏みつけながら、ドアを蹴破って収容所の外へと出た。
「おお………」
既に、強制収容所の外には無数の砲弾がひっきりなしに降り注いでいた。迫撃砲の榴弾が走り回る敵兵を直撃して爆炎で吹き飛ばし、鉄条網もろとも塀を吹き飛ばす。見張り台にいる警備兵がライトを使って砲撃地点を探し出そうとするが、次の瞬間には見張り台にも榴弾が直撃して、無数の木片と肉片が飛び散った。
砲兵隊による砲撃が始まったようにも見えるが、これはたった4門の迫撃砲による支援砲撃だ。迫撃砲は砲口から砲弾を放り込むだけで次々に発射できるので、対戦車砲とか榴弾砲と比べると連射速度が速いという利点がある。
爆発に巻き込まれ、両足を捥ぎ取られた哀れな敵兵を眺めていると、俺たちの目の前に2両の装甲車がやってきた。赤軍のエンブレムが描かれているから敵だろうかと思ったが、ガチャ、と運転席のドアが開いた瞬間に警戒心は消滅することになった。
「お客さん、空席ですよ」
「マリウスか、よく来てくれた!」
運転席に座っていたのは、脱出に使うための車両を調達するように命じたマリウスだった。身長が2mの彼には旧オルトバルカ軍の装甲車ですら狭いらしい。
もう1両の装甲車の運転席にいるのは、彼と一緒に車両の調達に向かわせたジュリアだった。助手席には狙撃で支援していたエレナも既に乗っているし、車体の上にある機関銃にはコレットもいる。
よし、後は離脱するだけだ。難易度が上がるのはここからだな。
「乗れ、急げ!」
「ほら急げ!!」
後部のドアを開け、タンプル・コマンドスの隊員や第一分隊の隊員たちが装甲車へと乗り込む。無事にカスミも乗った事を確認してから、俺も助手席のドアを開けてマリウスの隣に座った。
「よし、出せ!」
「了解!」
「アクーラ1よりクレイモア、救出目標回収。繰り返す、救出目標の回収に成功。これより脱出に移る」
『こちらクレイモア、了解。赤き雷雨およびタンプル・コマンドスの第二分隊は砲撃を中止し、離脱に移れ』
『こちらボレイ1、了解』
「回収予定ポイントで会おう、ヴラジーミル」
『了解です』
装甲車が動き出した。運転席のすぐ前に搭載された魔力エンジンが甲高い音を奏で、巨大なタイヤが回転を始める。目の前には両腕を失い、骨盤の一部があらわになった赤軍の負傷兵が這い回っていたが、マリウスは容赦なくその負傷兵を装甲車で踏みつけつつ、正門を突き破って走り出した。
後続の車両も脱出したのを確認してから、息を吐く。
この装甲車は敵のものだ。赤軍がこっちを敵だと見破らない限りは追撃される事はないだろう。
そう思っていたが、上空を飛んでいるクレイモアのウラルからの報告を聞いた途端に、赤軍の錬度が少しは上がっているという事を思い知らされることになる。
『アクーラ1、問題発生だ』
「何です?」
『マクファーレン南方の飛行場から、複数の戦闘機の離陸を確認。敵が増援を要請したらしい』
「最高ですね」
『空にも気を付けろ、敵は爆弾を搭載している可能性がある』
「了解」
くそったれ。
舌打ちをしながら懐中時計を見る。回収予定ポイントはまだまだ先だ。到着前に敵の戦闘機―――――どうせ複葉機だろう―――――に遭遇する可能性は高い。
今の時刻は午前5時。空は紺色に染まりつつある。だが、まだ太陽は見えない。
敵の戦闘機はいないだろうかと思いながら空を見上げていたが、それよりも先に側面から甲高い音が響いてきた。銃弾が装甲で跳弾する音だ。
「くそ、どこからだ!?」
『隊長、3時方向ニャ! 敵の車両が3台!』
左側を睨みつけると、麦畑だった場所を全力疾走するトラックが見えた。車体にはこれ見よがしに赤い星が描かれていて、荷台から顔を出した敵兵がこっちにモシンナガンを向けてやがる。
「誰か上の機関銃につけ!」
『俺が行きます!』
無線で返事をしたのは、新人のキールだった。
「よーし。新入り、訓練の成果を見せてくれ! 蜂の巣にするんだ!」
『了解!』
ガギュン、とまたしても7.62mm弾が装甲を直撃する。装甲車とは言っても、こいつの装甲の厚さは第一次世界大戦の頃の戦車以下だろう。敵との距離が遠いから今は辛うじて弾丸を弾いているが、接近されたら通常のライフル弾にすら貫通される可能性がある。
幸運なことに、敵は装甲すらないトラックだ。有利なのはこちらである。
ジャキン、と車体の上からコッキングレバーを引く音が聞こえてきたかと思うと、マズルフラッシュが弱々しい光で照らされ始めた麦畑を物騒な光で照らし始めた。マキシム機関銃を思わせる水冷式の機関銃が火を噴き、弾丸が次々にトラックを襲う。
運転席の窓ガラスが真っ赤に染まり、先頭のトラックが速度を落とす。後続のトラックが次々に追突する音が聞こえたかと思うと、薄暗い麦畑の向こうで爆炎が見えた。
『や、やった!』
「よくやった新入り! 今夜は俺が奢ってやる!」
『フェルデーニャ料理ですか!?』
「いや、激辛ナパームラーメンだ」
『やめてくださいよマジで』
美味いのに………。
溜息をつきながら運転席の方をちらりと見ると、装甲車を運転しているマリウスも「隊長、新人にあれは………」と言いながら苦笑いしていた。
そういえば、こいつとコレットの歓迎会の時もラーメン食いに行ったな………。
全速力で走る装甲車の魔力エンジンが、甲高い音を奏で続ける。前世の世界の車のエンジン音と比べるとこっちの方が静かだし、使うのは魔力だから環境にも優しいだろう。こっちの世界の方がまだ環境破壊はそれほど問題にはなっていないのかもしれない。
そんな事を考えながらエンジンの変わった音に耳を傾けていると、ブーン、と変わった音も聞こえてくる。
前からではなく――――――上から。
ぎょっとすると同時に、運転席のマリウスが慌ててハンドルを操作して装甲車を右へ急カーブさせる。強烈なGが乗っている仲間たちに牙を剥いている間に、無数の8mm弾が麦畑の跡地を穿った。
ブーン、とプロペラの音を響かせながら上空を通過していったのは――――――2機の複葉機。
「くそったれ、空からお客さんだ!」
『隊長、大変だ! キールがやられた!!』
「何!?」
ぞっとしながら後ろの兵員室の方を振り向いた。兵員室の中へと繋がっている小さな覗き窓の向こうでは、左肩と胸から血を流したキールが倒れているのが見える。今の機銃掃射で被弾してしまったのだ。
『キール、しっかり!』
『ああ、くそ………くそっ、おい新入り、俺を見ろ。死ぬな、傷は浅い。こんなのエリクサーですぐ治る………!』
「………!」
やりやがったな、共産主義者共め………!
「………マリウス」
「……無茶しないでくださいよ、本当に」
「ああ、できればな」
AKMを背負い、助手席のドアを開けた。冷たい風を浴びながら装甲車の屋根へと手を伸ばし、先ほどまでキールがいた機関銃へと向かう。もちろん、装甲車はまだ最高速度で全力疾走中だ。手を離せば仲間に置き去りにされる挙句、麦畑に背中を強打する素敵なプレゼントがもらえる。
ガギュン、とまた8mm弾が装甲を打ち据えた。旋回した敵機が戻ってきたのだ。
被弾しないように祈りながら、装甲に必死にしがみつく。左足から甲高い音が聞こえたが、痛みはない。機械の足だからな。
被弾したんだろうな、と思いながら血まみれの機関銃に辿り着く。まだ弾薬がたっぷりと残っていることを確認しながら、折り畳まれていた対空照準器を立てた。キールの血で真っ赤に染まった重機関銃をぐるりと旋回させ、旋回を始めた敵機に銃口を向ける。
次の瞬間、機関銃が火を噴いた。




