カスミ
※緊急胸糞警報発令! 苦手な方はご注意ください!
身体中を苛んでいた激痛が、やっと小さくなっていく。呼吸を整えながら歯を食いしばり、私は目の前にいる男たちを睨みつけた。
薄暗い部屋の中にいるのは、痩せ細った中年の男と太った男の2人。どちらもカーキ色の軍服に身を包んでいて、頭にはウシャンカをかぶっている。軍服の肩に描かれているのはオルトバルカ連邦軍――――――各国からはまだ”赤軍”と呼ばれている――――――のエンブレムだ。
そう、私を拘束してここに連れてきた男たちだった。私はオルトバルカのラガヴァンビウスで、労働者のふりをしながら赤軍の動きを監視する任務を与えられていた。彼らがどこかの国へと進軍しようとすればそれをタンプル搭へと伝えるのが任務だった。
けれども、どういうわけか私の正体がバレていたみたいで、拘束されてしまったのだ。
私はシュタージのエージェント。既にテンプル騎士団はラガヴァンビウスにあるクレイデリア大使館を通して私の開放を要求しているみたいだけど、こいつらが私を開放するとは思えない。だからと言って、口を割るつもりもない。同志たちをこんな下衆な革命家共に売るつもりはないし、そんな事をすれば私は口封じのために殺されてしまう。
もちろん、自分がシュタージのエージェントだと認めるわけにもいかない。仲間たちが助けに来てくれるまで、否定し続けなければ。
「答えろ! 貴様はテンプル騎士団のスパイだな!?」
「あそこで何をしていた!?」
「工事の手伝いをしてただけよ、スパイなんかじゃないわ!」
「ふん、まだとぼけるつもりか………同じ顔をした気色悪いホムンクルス如きが。おい、もう一度だ」
「はっ」
痩せ細った指揮官が命令すると、太った男の方がまた目の前へとやってきた。死亡で覆われた太い腕に魔法陣が浮かび上がったかと思うと、バチン、と甲高い音を響かせながらスパークが十重二十重に放出され始める。
漏電した機械のように電撃を纏った両腕で、その男は私の肩を思い切り掴んできた。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
「答えろ! 貴様の目的はなんだ!? 貴様はテンプル騎士団のスパイだな!?」
答えるものか。
こんな連中に仲間を売ってたまるものか。
身体中を包み込んでいた電撃がぴたりと止まる。やはり電撃の放出を継続するのは身体に負担がかかるらしく、私に電撃を流した男は汗をかきながら息を切らしていた。
「ふん………同志、今日の拷問はここまでにしておこう」
「いいのですか?」
「ああ………後は”君の好きに”したまえ」
ニヤリと笑いながら言い残した指揮官が部屋を出た途端、太っている兵士がこっちを見ながらニヤリと笑い、自分のズボンのベルトを緩め始めた。
ガチャ、と金具の奏でる金属音を聞く度に、先ほどの電撃を見せられた時よりもぞっとしてしまう。情報を全て吐いてしまった方が良いのではないか、と思ってしまったけれど、まだ組織と団長への忠誠心の方が勝っていたみたいで、私は近付いてくる男を睨みつけたまま黙っていた。
テンプル騎士団はマクファーレン条約に批准していない。そのため、捕虜を人体実験に使ったり処刑してもお咎めなしで済むのだ。だからこそ、タンプル搭にある強制収容区画は先進国たちが裏で捕虜の拷問を依頼する”ブラックサイト”と化している。
逆に言えば、マクファーレン条約に批准していないテンプル騎士団の兵士を捕えた場合は、その条約通りに捕虜を受け入れる必要はない。テンプル騎士団の兵士を拷問したり、人体実験に使うのは自由なのだ。
太った兵士が私の服を思い切り掴んで脱がしてくる。
仲間たちが早く助けに来てくれることを祈りながら、私は男を睨みつけ続けた。
「………モシンナガンを持ってやがる」
潜望鏡で収容所の警備をしている兵士たちをチェックしながら悪態をつき、隣にいるジェイコブに潜望鏡を手渡した。既に顔に真っ黒な塗料を塗っていたジェイコブは、真っ黒な不気味な顔のまま潜望鏡を受け取って覗き込み、強制収容所をズームする。
警備兵の武装はモシンナガンだ。革命前から、シュタージのエージェントが革命軍に密輸していたものだろう。とはいっても、こっちが採用していた火薬を使用するタイプではなく、火薬の代わりに高圧魔力で代用したタイプだが。
今は真夜中だ。強制収容所にはこれでもかというほど照明があるが、そんな明るい場所を堂々と通っていくわけにはいかない。見つからないように暗い場所を移動する必要があるため、今のうちにAKMにソ連製暗視スコープの”1PN58”を装備しておく。
狙撃用のスコープみたいに滅茶苦茶デカい代物だ。もちろん、AKMが余計重くなってしまう。早く新型の暗視スコープが使いたいものだ。
他の隊員たちの分も生産して支給し、仲間たちが暗視スコープの装着を終えるのを待つ。
「それで、作戦はどうするのですか?」
これから潜入するというのに、リチャードの奴はまだ紅茶を飲んでいる。というか、お前パラシュートで降りてる最中もそれ飲んでたわけじゃないだろうな?
「赤き雷雨第一分隊とタンプル・コマンドスの第一分隊で潜入する。残った各第二分隊はここで収容所を偵察し、情報を常に知らせろ。………”クレイモア”、こちらアクーラ1」
部下たちに指示を出してから、空を見上げつつ無線機に向かって言う。星や月が雲に覆われているせいで、夜空を見上げても何も見えない。ウラルが居座るもう1機のAn-225もあの分厚い雲の上を旋回しているに違いない。
ウラルに作戦を伝えようとすると、若いオペレーターではなく総司令官本人が出てくれた。
『こちらクレイモア』
「こちらアクーラ1、赤き雷雨第一分隊及び、タンプル・コマンドス第一分隊で潜入する」
『了解、幸運を祈る』
「………行くぞ」
黒いフードをかぶり、支給されたヘルメットを腰の左側に下げておく。ヘルメットをかぶる時は敵と真っ向から戦う羽目になった時だ。
姿勢を低くしながら、第一分隊の兵士たちが素早く動き出した。大地を踏みしめる黒いブーツの音すら立てず、まだ戦車の残骸が放置されている麦畑の跡地を突っ走っていく。
移動の最中にエレナが第一分隊を離れた。サプレッサーと暗視スコープを装備したドラグノフを抱えながら移動し、麦畑のど真ん中で擱座している戦車の残骸によじ登る。
よし、彼女にはいつも通り狙撃で援護してもらうとしよう。
ある程度収容所に近づいたところで、突っ走るのを止めて地面に伏せる。がさり、と残っていた麦や雑草たちが音を立てたが、見張り台の上で呑気に雑談をしている警備兵たちに聞こえるわけがない。今の彼らが夢中になっているのは外から聞こえてくる不審な物音ではなく、仲間とのどうでもいい雑談だ。
見張り台の上には兵士が2人。どちらもモシンナガンを装備しているが、片方はスコープ付きだ。
リチャードがサプレッサー付きのAKMを構える。彼が照準を合わせているのは、スコープ付きではない方のモシンナガンを持った見張りらしい。
左手を挙げ、エレナに合図する。彼女ならばこの合図に気付き、スコープ付きの得物を持っている方を狙ってくれる筈だと信じながら、左手を振り下ろす。
リチャードのAKMとエレナのドラグノフが、普段の銃声よりも少しばかり慎ましい音を発しながら弾丸を放った。リチャードのセミオート射撃は見張りの兵士の首筋を穿ち、エレナの一撃はタバコを吸っていた敵兵の眉間を無慈悲に撃ち抜く。
見張り台の上の敵が倒れたのを確認しつつ、素早く得物をマカロフPBに持ち替える。見張り台の下まで突っ走り、他の警備兵が今の音で気付いていないか確認した。
敵兵は予想以上に間抜けらしかった。いくらこっちがサプレッサーを使っているとはいえ、立っている兵士がいきなりぶっ倒れれば物音は出てしまう。なのに、他の見張りの兵士たちはそれに全く気付いていない。中には、警備の最中だというのに酒を飲んでいる大馬鹿野郎もいる。
赤軍の兵士の大半は訓練を受けた兵士ではない。シュタージのエージェントからライフルの使い方を教わった程度で革命に参加し、それに生き残った民兵だ。実戦を経験しているが、彼らの錬度はそれほど高くはない。
一緒に接近していた他の仲間に周囲の警戒を命じ、ジェイコブを連れて見張りの敵兵の背後へと忍び寄った。ハンドガンをホルスターに戻し、酒を飲みながら警備していた不真面目な敵兵の首に義手を絡める。いきなり背後から首を掴まれた敵兵はぎょっとしただろうが、叫び声を上げようとした頃には魔力モーターによって力を増幅された金属製の義手が、ゴキッ、と敵兵の首の骨をへし折っていた。
敵兵の背後に忍び寄ったジェイコブも、同じように蒼い外殻で覆った両腕を敵兵の首に絡めて思い切り捻り、首の骨をへし折る。ナイフとかマチェットで喉を切るのもいいが、そうすると血痕が残ってしまう。敵に発見されるのを極力防ぐのであれば、こうやって首の骨をへし折って始末するのが好ましい。
見張りの兵士の死体を見張り台の陰に隠し、他に敵兵がいないことを確認してから仲間たちを呼ぶ。合図をすると、物陰に隠れながら暗視スコープを覗き込んでいた黒服の兵士たちが音を立てずに姿を現し、こっちに駆け寄ってきた。
「コレット、撤退する時のために爆薬を仕掛けておいてくれ。地雷もな」
「了解です」
「マリウスは逃走用の車両を調達しろ。ジュリア、マリウスの援護を頼む」
「了解ニャ」
「タンプル・コマンドスは俺たちに続け」
「分かりました」
「クレイモア、こちらアクーラ1。これより収容所内部に侵入する」
『こちらクレイモア、了解。目標を確保したらすぐに脱出しろ』
「了解」
タンプル・コマンドスの隊員が一足先に兵をよじ登り、塀の上に用意されている鉄条網をボルトカッターで切断する。侵入するための入り口を用意してくれた彼に礼を言い、一番最初に塀の内側へと飛び込んだ。
着地してから素早くマカロフPBを構え、周囲を警戒する。敵兵がいないことを確認してから合図を送り、仲間たちと共に裏口へと移動する。
この建物は、おそらく元々は収容所として使われていたわけではないようだ。建物を囲んでいる塀と鉄条網だけ新しかったというのに、その中身はやけに古い。壁には汚れがびっしりと付いているし、一部の壁は剥がれ落ちて地面に破片をばら撒いている。
おそらく、何かの工場を接収して収容所代わりにしているのだろう。塀の内側に入ると微かにオイルや錆び付いた機械の臭いもする。まあ、この錆びた機械の臭いは人間の血の臭いかもしれないが。
顔をしかめながら、ちらりとジェイコブの方を見た。
正直に言うと、ジェイコブが心配だ。今回の任務は彼の幼馴染の救出である。特殊部隊の隊員である以上、感情的になる事は許されない。任務が失敗すれば組織に大きな損害を与えてしまう恐れがあるからだ。
今のジェイコブはまだいつも通りに冷静に見える。だが、幼馴染であるカスミが心配だからなのか、焦っているのはすぐに分かる。
いつもの彼は俺の後ろにいる。先陣を切る俺をサポートできるようにスタンバイしているのだ。だが、今のジェイコブは逆に俺の前にいて、先陣を切っている。
彼もスペツナズ創設時から所属している最初期のメンバーの1人だ。一番槍を彼に任せても問題はないし、この部隊の中で最も信頼している相棒でもある。もし俺が戦死してもこいつならばしっかりと指揮を引き継いでくれるだろう。
だが、大丈夫だろうか。
特殊部隊が引き受ける任務はこれ以上ないほどデリケートだ。少しでも誤差が出れば全ての予定が一気に崩壊してしまう可能性もある。
あいつだってそれは理解しているだろう。
だが、感情的になってしまえばいつそれを踏み外すか分からない………。
ドアノブに手をかけ、ジェイコブが頷いたのを確認してからゆっくりと捻って開ける。サプレッサー付きのAKMSUを持ったジェイコブが中へと入り、敵がいないことを確認してから後続の兵士たちが次々に収容所の中へと入っていった。
「ターゲットの位置は分かるか」
「ああ」
先頭を進む彼に尋ねると、ジェイコブは真面目な表情で自分の鼻を指差した。キメラは基本的に五感のどれか――――個体差があるらしい―――――が人間よりも大きく発達しているらしいんだが、ジェイコブの場合は嗅覚が発達しているという。だから、その気になれば匂いで標的を追跡することも可能なのだろう。
「彼女の匂いは覚えてる………こっちだ」
カスミが拘束されている部屋に近づいていく度に、ジェイコブの目つきが鋭くなっていった。休日になると一緒に映画を見たり、買い物に行く親友の顔ではない。戦場で敵兵に向ける顔でもない。もっと禍々しく、恐ろしい顔だ。
彼の顔を見て、俺ははっとした。きっと明日花の仇を取るために戦っていた俺もこんな顔だったのだろうか、と。
彼の嗅覚は、カスミ以外の匂いも感じ取ったのだ。
彼女の血の匂いか、それともクソッタレな悪臭か。
抵抗できない女がいる状況で、女を拘束している男が何をするかは言うまでもないだろう。
間に合わなかった、と察した瞬間、ジェイコブが走り出した。冷静さというダムが、ついに彼の心の中で肥大化した怒りに耐えられなくなったのだ。けれども完全に冷静さが決壊したわけではないらしく、足音を立てないように静かに走っている。
だが、索敵が疎かすぎる。曲がり角の向こうに敵兵がいるかどうかという初歩的な確認すらしていない。いや、キメラの発達した嗅覚で敵の臭いはある程度分かるから、その必要がないからなのか。
「あのバカ………!」
俺も人のことは言えない。
もし明日花がここに拘束されていて、クソ野郎共に”そういう事”をされていたと知れば我慢できなくなる。冷静さは消滅し、怪物になってしまう。
今のジェイコブはその状態だ。復讐を誓った瞬間の俺だ。
ホムンクルス兵の瞬発力は人間の比ではない。もちろん、俺が全速力で突っ走っても彼には追い付けない。一般人が短距離走のランナーに追いつこうとするようなものである。
だから、止められなかった。
バンッ、と扉が蹴破られる音が聞こえてきたかと思うと、男の悲鳴が通路に響き渡った。もちろん、ジェイコブの声じゃない。あいつの声は男というよりは可愛らしい少女の声だ。
仲間たちと共に彼が飛び込んだ部屋の中へと突入した俺たちは、息を呑んだ。
予想通りだったからだ。
薄暗い部屋の真ん中には椅子が置かれていて、その上に蒼い髪のホムンクルスの少女が縛り付けられている。顔には殴られたような跡がいくつもあったし、服は脱がされた状態だった。唇は切れていて、鼻からは鼻血が流れ出ているのが分かる。けれども、部屋の中に充満している悪臭は血の臭いだけではない。
虚ろな目で椅子に座らされている少女の目の前には、太った赤軍の兵士が倒れていた。いきなり突入してきたジェイコブに7.62mm弾で両足を撃ち抜かれたらしく、太腿の肉が欠けている。肉の中に見える白いものは骨だろうか。
サプレッサー付きのAKMSUを投げ捨てたジェイコブは、腰の鞘からマチェットを引き抜く。真っ黒な刀身を目の当たりにした敵兵は命乞いをしようとしたが、ジェイコブは敵兵の命乞いを無視し――――――マチェットの刀身を、敵兵の両足の間へと振り下ろした。
ブチン、と肉が千切れる音がして、敵兵が絶叫する。
唇を噛み締めながらマカロフを抜き、敵兵に止めを刺した。
「………気は済んだか、相棒」
済んでいるわけがない。
分かってる。復讐はこんな簡単に終わらせてはならないという事は、よく理解している。相手から全てを奪い、相手の全てを破壊して、絶望させてから無残に殺す。それが至高の復讐というものだ。
だが、今は任務中だ。捕虜を救出するだけでなく、大切な仲間を全員生きて帰還させなければならない。
「言わなくても分かるな? お前なら」
「………ああ、すまん」
眉間をマカロフで撃たれて動かなくなった敵兵の死体を一瞥してから、ジェイコブは制服の上着を脱いだ。椅子の上に虚ろな目をしたまま座っている少女に歩み寄り、マチェットで縄を切り裂いてから優しく声をかける。
「カスミ、俺だ」
「………ジェイ……コブ………?」
幼馴染の顔を見て安堵するカスミ。だが、すぐに彼女は目を見開きながら叫んだ。
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
「お、おい、カスミ! どうしたんだ!?」
「やめてっ、殺さないでっ! わたし、何も言ってない! なにもしゃべってないの!」
「分かってる、落ち着け! お前は我慢強い女だ! そんな事、ガキの頃から知ってる!」
「やだっ! 殺さないで! 死にたくないのぉっ!!」
「カスミ! そんな事しない! 俺たちはお前を助けに来たんだ! ………信じろッ!!」
「………」
暴れていたカスミがそっと手を離した。彼女が落ち着いてくれたのを確認したジェイコブは、自分の上着をそっとカスミに着せてから立たせ、マチェットを鞘に戻す。
テンプル騎士団では、敵に情報を放してしまった捕虜は裏切り者として処刑されることがある。特に、重要機密を知っているエージェントの場合は処刑されることが多いため、彼女は俺たちを自分の抹殺のために送り込まれた部隊だと勘違いしてしまったのだろう。
彼女が本当に何も話していないことを祈りながら、無線機のスイッチを入れた。
「………アクーラ1よりクレイモア、ターゲットを確保。これより離脱する」




