憤怒と左目
「母上、早く!」
「え、ええ!」
トモヤを抱いている母上の手を握りながら、タンプル搭に用意された自室のドアを開ける。
居住区の通路の左右にある部屋の中からは、荷物を持った住人たちが次々に飛び出し、必死に避難誘導をしている憲兵たちを焦らせる。
訓練を受けた兵士や何度も実戦を経験しているベテランの兵士であれば、すぐに武器を手に取って戦闘態勢に入る事ができるだろう。銃声が聞こえてきたり、銃弾が飛んできても、反撃するために敵を探したり、すぐに遮蔽物の影に隠れる事ができる。だが、彼らのような訓練を一切受けていない住民たちにとっては、敵襲や銃声は彼らの命を食い荒らそうとする猛獣の唸り声にも等しい。それを耳にしてしまった以上は逃げるしかないのだ。
母上も、どちらかと言うと非戦闘員に近い。一応母上の腰にはコルトM1911の収まったホルスターがあるし、父上から射撃訓練を受けていたから拳銃で反撃することはできる。だが、訓練を受けた兵士のように素早く遮蔽物の影に隠れたり、あっという間にマガジンを交換して反撃することはできない。もし侵入者と遭遇する羽目になったのであれば、.45ACP弾で敵を始末することよりも逃げる事を選ぶべきである。
母上はまだ2歳のトモヤを連れているのだから。
「さ、サクヤはどこにいるの?」
「姉さんは多分諜報指令室です」
姉さんの予想通りだった。
父上に濡れ衣を着せて処刑させた黒幕は、カズヤ・ハヤカワの首だけでは満足していない。クレイデリアへと亡命した私たちの首も取ろうとしている。
もし私も諜報指令室に向かっていたのならば、まだ幼いトモヤを連れた母上と分断されることになっていたに違いない。姉さんの忠告通りに部屋に残り、母上を守る準備をしていたおかげで、母上たちを護衛する事ができた。
『住民の皆さんは、憲兵隊の指示に従って軍港へと避難してください。繰り返します、軍港へ避難してください。海軍の艦艇が待機しております』
海軍の艦艇が………!?
タンプル搭の地下にある洞窟の中には、巨大な河がある。超弩級戦艦が数隻ほど並走できるほどの広さがある上に、潜水艦が潜航したまま入港できるほどの水深のある河だ。テンプル騎士団海軍は、その河に巨大な軍港を建造し、巨大な戦艦や巡洋艦を何隻も停泊させている。しかもその軍港は分厚い上に堅牢な岩盤に守られているため、大型の爆弾をこれでもかというほど投下しても停泊している艦艇に傷をつけることはできない。海軍の艦艇たちにとっては、敵襲を一切警戒せずに済む楽園と言ってもいいだろう。
大昔にタンプル搭が攻撃を受けて陥落寸前まで追い詰められた際は、軍港に残っていた潜水艦に住民たちを乗せ、避難させようとしたという。
先ほどの放送を聞いた私は、目を見開きながら通路を走った。
軍港に非戦闘員を避難させ、艦艇へと乗せようとしているという事は、タンプル搭の放棄も選択肢にあるほどの猛攻を受けているという事だろう。百戦錬磨のテンプル騎士団は、もう既にそれほどの大損害を被っているというのか。
きっと、私たちがここに亡命してきたからこんなことになってしまったのだ。
もし私たちがクレイデリアへと逃げ込まなければ、何の罪もない人々や兵士たちが巻き込まれることはなかっただろう。
私たちのせいだというのか。
「こちらです、このまま真っ直ぐに通路を進んで下さい! トラックが待機しています!」
「トラックの荷台に乗って、軍港へと向かってください!」
背中にアサルトライフルを背負い、腰にクレイモアと呼ばれる剣を下げた兵士たち――――――信じ難い事に、テンプル騎士団では現代でも剣が現役である――――――が、大慌てで逃げる住民たちの避難誘導をしている。だが、中には避難している住民たちを突き飛ばし、我先にと逃げ出そうとして憲兵に取り押さえられる住民も見受けられる。
おそらく、タンプル搭がそれほど攻撃を受けたことがないせいで、住民たちが敵襲に慣れていないのだろう。警備兵たちは訓練で避難誘導の訓練を受ける筈だが、住民たちはそれほど本格的な訓練を受けることはない。
すると、私が手を引いていた母上が、急に避難誘導をしていた憲兵の1人の肩を掴みながら尋ねた。
「すみません、兵隊さん。私の娘を見ませんでしたか? 黒髪の9歳の女の子なんです………!」
「落ち着いてください。娘さんはきっと先に避難しています。さあ、早くトラックへ向かってください」
「母上、姉さんもきっと先に避難しています」
「でも………!」
「それに、姉さんは次期団長候補です。父上から厳しい訓練を受けて育った立派な戦士です」
まだ9歳だというのに、護衛付きとはいえ実戦への参加を許されるほどの実力者なのだから。
ハヤカワ家の歴代当主たちが初陣を経験した平均的な年齢は15歳だという。だが、姉さんは9歳で実戦を経験し、少しだけだが戦果をあげたという。
「………ええ、分かったわ。ごめんなさいね、兵隊さん」
「いえいえ、気にしないでください。娘さんを心配するのは当たり前の事です。………さあ、早く避難を。神のご加護があらんことを」
「ありがとう、兵隊さん」
母上が礼を言うと、その若い憲兵――――――よく見るとヘルメットの下から長い耳が突き出ている――――――は微笑みながら敬礼をしてから、再び逃げ惑う住民たちの避難誘導を再開する。
若いエルフの憲兵をちらりと見てから、私は母上の手を引いてトラックへと向かった。きっと、ここで避難誘導している憲兵たちがここを離れることを許されるのは全ての住民の避難が終わった後だろう。もちろん、兵士である以上は撤退命令が下るまでは戦場に留まらなければならない。
彼も無事でありますようにと祈りながら、トラックの荷台の上に母上を先に乗せた。私もトラックの上に乗り、サクヤ姉さんも乗っているだろうかと思いながら荷台の上に座る。荷物の入ったカバンを持って荷台の上に座っている住民たちの顔を見渡したが、サクヤ姉さんは乗っていないようだ。
姉さんも戦おうとしているのだろうか。
ならば、私も姉さんと一緒に戦わなければならない。まだ実戦を経験したことのない未熟な兵士だが、戦い方や武器の使い方は学んでいる。戦闘中の兵士たちの補助くらいはできるだろう。
そう思いながら、トラックが走り出す前に荷台から飛び降りようとしたが――――――荷台の上でざわつく住民たちの声で目を覚ましたのか、母上が抱いていたトモヤが小さな手を伸ばして、私の手を握った。
「おねーちゃん」
「………!」
姉さんは、私に母上とトモヤを守らせるために残していったのだ。私まで戦うために荷台から飛び降りれば、母上とトモヤが無防備になってしまう。
私の顔を見上げながら微笑む可愛らしい弟の頭を撫でながら、溜息をつく。
トモヤと母上を軍港まで送り届けてから、私も戦いに行こう。安全な軍艦に乗船すれば、きっともう護衛する必要はない筈だ。
避難誘導をしていた憲兵が、運転手に指示を出す。トラックの運転手たちは憲兵たちに合図を送ると、トラックのエンジンをかけ、トラックを走らせ始めた。
数両の戦車が並走できそうなほど広い通路の向こうから、逆方向へと向かっていくトラックや戦車がやってくる。トラックの荷台にはアサルトライフルを装備した兵士たちが並んでおり、そのトラックの後方を進む戦車の砲塔からは車長と思われるホムンクルスの兵士が顔を出している。
そのトラックに乗っている兵士の中に、サクヤ姉さんが紛れ込んでいないだろうかと思ってトラックの荷台を注視した次の瞬間だった。エンジンやキャタピラの音に支配されている通路の中がやけに明るくなったかと思うと、通路の向こうから緋色の光が飛来し、応戦するために逆方向へと進んでいた戦車の後部を貫いたのである。
ゴキン、と装甲が貫通される音を響かせながら、テンプル騎士団のエンブレムが描かれた戦車がトラックのすぐ近くで擱座する。
「!」
砲塔のハッチが開いた瞬間、トラックに乗っていた住民たちが悲鳴を上げた。先ほどハッチから顔を出していたホムンクルスの車長や装填手が、絶叫しながら火達磨になり、戦車の中から飛び出してきたのだ。
どちらも女性の兵士だった。2人は悲鳴を上げながら床へと落下し、そのまま火を消すために床の上を転がるが、肉体を焼いていく炎は全く消える気配がない。真っ白な肌が、2人の悲鳴が弱々しくなっていくにつれてどんどん黒く染まっていく。
鉄板の上で焦げていくステーキの肉と同じだった。
それが、人の形をしている。人の言葉を話せる黒焦げの肉。
口元を押さえながら、絶叫するその2人の兵士から目を背ける。もしそれ以上苦しんでいる兵士たちを見ていたら、トラックの荷台の上で嘔吐する羽目になっていたに違いない。
次の瞬間、床の上を転がっていた兵士の近くで炎上していた戦車が爆発した。砲塔の付け根の部分から炎が顔を出したかと思うと、産声をあげた荒々しい火柱が砲塔を噴き上げ、天井へと激突させる。まるで鉄板の上に巨大な金属の塊を落としたような金属音が爆音の残響を希釈し、緋色の光とオイルの臭いが通路を支配する。
車内にあった砲弾が誘爆したのだ。
当たり前だが、砲弾が誘爆して大爆発を起こした戦車の近くで転がっていた2人の兵士が無事であるわけがない。きっと、爆発の衝撃波でグチャグチャになっているか、戦車の装甲の破片に串刺しにされている事だろう。
だが、身体を焼かれて苦しんでいた2人には、介錯のようなものに違いない。
あの戦車の前を走っていたトラックはどうなったのだろうかと思って顔を上げようとした私は、ぎょっとしながらトモヤと母上を抱きしめた。
戦車が爆発したのは、後方から敵の攻撃を受けたからである。つまり、このトラックが走っている方向に敵兵がいるという事だ。当たり前だが、このトラックは兵士や物資を運搬することを想定しているトラックであり、装甲車や戦車のように敵からの攻撃を防ぐための装備は一切搭載されていない。もし敵兵がまだ正面にいるというのであれば、その敵兵の攻撃を防ぐことは不可能だろう。
運転手が敵兵に気付いたのか、まだ炎上する戦車を見て絶叫する住民を乗せたトラックが大きく右へと曲がった。通路のど真ん中にいる何かを回避するためなのだろう。
だが―――――ガギン、という金属音を耳にした途端、運転手の判断が無意味だったという事を悟った。
がくん、とトラックが更に大きく右へと曲がる。戦車が並走できるほどの幅があるとはいえ、全速力で走っていたトラックが右へと大きく曲がり、何事もなくUターンできるわけがない。急激に右へと曲がったトラックの荷台から数名の住民が振り落とされ、悲鳴を発しながら床へと叩きつけられていく。
その直後、強烈な衝撃と轟音が牙を剥いた。
「ぐっ!」
「セシリア!」
もし母上とトモヤを抱きしめていなければ、2人もトラックの荷台の上に叩きつけられるか、振り落とされて床の上に叩きつけられていたに違いない。
歯を食いしばりながら立ち上がり、トラックの運転席の方をちらりと見る。
トラックの運転席には、大昔の冒険者や騎士たちが愛用していたロングソードをそのまま大型化し、白銀に染め上げたかのようなデザインの大剣が突き刺さっていた。運転席の窓ガラスを容赦なく貫いたその大剣は、中でトラックを運転していたハーフエルフの兵士の胸から上を串刺しにしている。
顔をしかめながら、メニュー画面を出現させて三八式歩兵銃を装備する。銃剣も装備していることを確認してから、銃口を運転手を串刺しにした剣が飛来した方向へと向けた。
照準器の向こうにいたのは――――――テンプル騎士団の制服に身を包んだ、黒髪の青年だった。
友軍………!?
いや、テンプル騎士団の兵士が通路のど真ん中にいるわけがない。きっと、トラックの運転手はあの青年を回避するために右へと曲がろうとしたのだろう。
つまり、あの男が敵だ。
「………!」
敵に銃を向けるのは、これが初めてだ。
今までは射撃訓練の的に銃口を向けるか、模擬戦で姉さんに銃口を向けたくらいだった。正真正銘の”敵”に銃口を向けたことは一度もない。
「た、助けてくれ………!」
先ほど放り出された住民が、その青年に向かって手を伸ばした。黒い制服に身を包んでいるから、助けに来てくれたテンプル騎士団の憲兵と勘違いしているのかもしれない。そいつは敵兵だ、と叫ぶよりも先に、ニヤリと笑った青年がポケットの中から端末を取り出し、剣を装備する。
そして、その剣を住民へと向けて投擲した。
「なっ………!」
白銀の剣が――――――助けを求めていた住民の肉体を無慈悲に貫く。
肉を貫く音と床を貫く音が同時に響き渡り、剣に貫かれた中年男性が口から血を吐き出す。彼は目を見開きながら青年へと手を伸ばし続けたが、彼が敵だという事を悟る前に絶命していった。
非戦闘員を殺した………!
先ほど端末を取り出していたから、この男は転生者なのだろう。
この世界へとやってくる転生者は、与えられた端末の力を悪用するクソ野郎ばかりだ。端末で生産できる能力や兵器を使って人々を蹂躙し、独裁者の真似事をする者が多いという。だから私の祖先たちは転生者ハンターとなり、人々を虐げる者たちを狩り続けてきた。
普通の兵士ならば、非戦闘員を攻撃する事は有り得ない。
だが、あの青年はお構いなしに非戦闘員に剣を投げつけて止めを刺した。しかも、躊躇せずにニヤリと笑いながら剣を投げていた。もし躊躇していたのであれば誰かに命令されている可能性があったが、笑いながら非戦闘員をお構いなしに殺したという事は、あの男も力を悪用して楽しんでいるようなクズなのだろう。
「貴様………非戦闘員だぞ………!?」
こういう男は狩らなければならない。
この世界から取り除き、絶滅させなければならない。
このような存在を消すために、私たちは戦い方を学んだのだ。
心の中で怒りが産声をあげる。頭から生えている2本の角が、勝手にゆっくりと伸びていく。
すると、ニヤリと笑いながら次の剣の準備をしていた転生者が、私の頭から伸びている角を見た瞬間に目を細めた。力を使って人々を虐殺することを楽しんでいた青年が、まるで自分から全てを奪った怨敵に再会したかのように、強烈な殺気を纏い始める。
「その角………お前、キメラの一族か」
「ああ、そうだ。私の名はセシリア・ハヤカワ。転生者ハンターの一族だ」
「ハヤカワぁ………!? ………………はははははははっ………やっと見つけたぞ、クソ野郎の末裔を」
「なに?」
クソ野郎の末裔だと? クソ野郎は貴様の事ではないか!
剣を鞘から抜いた青年が、私を睨みつけながら走り出す。ぎょっとしながら後ろへとジャンプし、三八式歩兵銃のトリガーを引いた。ドン、と銃口からマズルフラッシュが飛び出し、6.5mm弾が躍り出る。
いくら転生者でも、銃弾を回避するのは非常に困難だ。しかも私とあの青年の距離は10m程度である。もう少し距離が空いていれば、レベルの高い転生者では回避できたに違いない。
しかし―――――ガキン、という金属音が聞こえた瞬間、私は目を見開いた。
一瞬だけ青年の持つ剣から火花が散り、ひしゃげたライフル弾が弾け飛ぶ。そう、今しがた私が三八式歩兵銃から撃ち出した6.5mm弾である。
弾丸を弾いた………!?
大慌てでトリガーから右手を離し、ボルトハンドルを捻る。だが、目の前で弾丸を弾かれた上に、こっちに肉薄してくる青年が身に纏う猛烈な殺意のせいで怯えてしまったのか、ボルトハンドルを引こうとしている右腕がぶるぶると震え、動かなくなってしまう。
――――――なぜ動かない!?
白銀の刀身が振り上げられる。訓練通りに銃剣で応戦すればその一撃を防ぐことはできたかもしれないが、ハンドガードを握る左腕までぶるぶると震えている。
次の瞬間、左目の周囲で激痛が産声をあげた。ぶつん、と肉が千切れたような音が響き、唐突に左目が見えなくなる。目を見開いている筈なのに、左目だけ何も見えなくなってしまったのだ。
何が起こったのかと思っている内に、右目のすぐ前を鮮血の雫が舞う。
「え………………?」
左目で、そっと左目に触れる。
左目の瞼が、鉄の臭いのする液体で覆われている。
それは、私の鮮血だった。
血まみれになった指先を凝視してから、青年が振り下ろした剣の刀身を見下ろす。
あの一撃で――――――左目を斬られたのだ。
「あ………ああ………………!!」
訓練ではない。
相手は私を憎んでいる。
左目を斬られた。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
「セシリア!!」
「死ねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」
どうして殺されなければならないのだ?
私は何もしていないのに。
父上を殺されて、ここへと亡命してきただけなのに。
死にたくない。
左目を押さえたまま、振り下ろされてくる斬撃を見上げていたその時だった。
私に止めを刺そうとしていた青年の眉間に、風穴が開いた。弾丸の纏っていた猛烈な運動エネルギーが強制的に頭を後ろへと大きく揺らし、風穴から漏れ出た肉片や鮮血が床の上に飛び散る。
「え………?」
左目を押さえながら、後ろを振り向いた。
その弾丸を放ったのは―――――――転生者を睨みつけながらコルトM1911を構えている、姉さんだった。




