エージェント救出作戦
多分、復讐心は一生忘れられない。
どれだけ幸せを感じても、必ず夢を見てしまうのだ。
明日花が殺されたあの時の事を。
俺の全てが奪われたあの日の事を。
『助けて、兄さんっ!!』
『可哀そうだよねぇ、大切な妹さんが死んじゃってさ』
この復讐心は、忘れてなならない。
人間に、戻ってはならない。
この復讐を果たすまでは、絶対に。
身体を揺すられて、目を覚ます羽目になった。一体誰が起こしてくれたのかと思ったが、起こされたという事は寝坊しちまったか、寝ている間に緊急事態が発生したことを意味する。反射的に右手を枕の下へと突っ込み、中に隠してあるマカロフを掴み取ろうとしたが、マガジンを装着するよりも先に「力也くん………」と、サクヤさんの声が聞こえてきた。
「さ、サクヤさん?」
起こしたのはパジャマ姿のサクヤさんだった。いつもは制服を身に纏っている姿を見ることの方が多いので、このピンク色の水玉模様のパジャマを見る度に強烈な違和感を感じてしまう。
ちらりと枕元の時計を見てみる。まだ時刻は午前3時くらいだ。起床時間にはまだ3時間ほど早いので、二度寝する権利はあると言える。
「どうしたんです?」
「そ、その………ちょっと、トイレに行きたいんだけど………」
「トイレぇ?」
トイレなら洗面所の隣にある。歩けば10秒くらいで到着する程度の距離だ。この部屋に住み始めて何度も利用している筈だから、場所を聞く必要はない筈である。
首を傾げながらサクヤさんの顔を見上げる。どういうわけか、彼女は少しばかり顔が赤かった。
「あの、トイレならそこに………」
「そうじゃなくて………その、つ、ついてきてほしいんだけど……」
「え?」
何でだ。
場所が分かってるんだったらついていく必要などない筈なのに、と思ったが、前世の世界で明日花もたまにトイレについてきてと言っていた事を思い出し、何でついていく必要があるのかを悟った。
「サクヤさん………まさか、怖い夢見たからトイレ行くの怖いんじゃ………」
「え? そ、そ、そ、そ、そっ、そんなわけないでしょ!」
「静かに。セシリアが寝てます」
「あっ、ごめん………」
「………ふふっ、分かりました」
セシリアを起こさないように注意しながら、温かいベッドの中から静かに出る。サクヤさんと一緒にトイレの方へと向かい、くるりと後ろを向いた。
「い、いい? 覗いたら粛清するわよ?」
「覗きませんって」
死にたくないですもん。
怖いよなぁ、この組織の団長と副団長。どっちも可愛いんだけど………。
セシリアは凛々しいけど一般常識を知らないところとか、素直なところが可愛いと思う。サクヤさんは幼い頃から世界中で戦っていたからなのか、セシリアと比べると一般常識はかなりあるししっかりしている。だから、彼女にセシリアを支えさせるというウラルの案は正解だろう。
けれども、サクヤさんって結構隙が多い。
確かに傍から見ればしっかり者だ。部隊の指揮や部下への戦い方の指導も上手いし、冷静沈着だからセシリアのように簡単には感情的にならない。だが、朝起きるのが遅かったり、寝癖を直すのを忘れて午前中の会議に出席する事が多いのだ。
しかも、怖い夢を見たせいで1人でトイレに行けなくなるらしい。
この人は、かなり隙だらけである。
まあ、セシリアも戦闘中と油揚げを食べている時のギャップが凄いのだが。この姉妹のギャップは凄い。
そんな事を考えながら待っていると、トイレのドアが開いた。
「お、お待たせ………」
「あ、はい」
「じゃあ………戻りましょうか」
「そ、そうッスね」
あと3時間は寝ていたい。
あくびをしながらベッドに入ろうとすると、隣で寝ていたセシリアの尻尾が伸びてきた。真っ黒な鱗で覆われた柔らかい尻尾いがあっという間に義手に絡みついたかと思いきや、いつまで待たせるんだと言わんばかりにベッドの中に引きずり込もうとする。
すまんすまん、すぐ戻るから。
そのままベッドの中に入ると、隣に何故かサクヤさんまで入ってきた。
「え?」
「な、何よ………」
「い、いや………あの、サクヤさんのベッドはあっちじゃ………」
「ひ、冷えるのよ! いいから温めなさい!」
「は、はい」
何なのこれ………。
ちなみに、俺が使っているベッドは1人用だ。そのベッドにセシリアが無理矢理入ってくるのでかなり狭いことになっている。なので、そこにサクヤさんまで入ってくるとなけなしのスペースが無くなってしまう。
もちろん、胸は当たってますよ。義手には感覚がないから当たってるって事には気づけないけど。本当に勇者のクソ野郎に本来の腕を切り落とされたことが許せない。あいつ絶対ぶっ殺す。
そう思いながら、大人しく瞼を閉じた。
天空に向かって伸びる巨大な塔を思わせる要塞砲の砲身を見上げながら、呼吸を整える。
この要塞砲は36cm砲。旧日本海軍が運用していた金剛型戦艦や扶桑型戦艦の主砲と同じサイズの代物だ。超弩級戦艦の主砲に相応しい口径の兵器と言えるが、この要塞からすればこれはまだ副砲でしかない。
主砲は、中央部に屹立するより巨大な砲身だ。砲身というより搭と言うべきなのではないだろうか。まあ、この要塞砲がこの拠点がタンプル”搭”と呼ばれる由来になっているし、居住区や格納庫が地下に作られている原因になっているのだが。
深呼吸しながら周囲を見た。周囲には、黒い制服を身に纏った兵士たちが呼吸を整えたり、地面に倒れて空を見上げながら息を切らしている。
「ほら立てぇ! 2セット目行くぞ!!」
「りょ、了解………」
呼吸を整えながら立ち上がった特殊作戦軍の兵士たちは、既にAKMやRPKなどの武装を身に纏っている。武装だけでなく、ボディアーマー、ヘルメットなどの装備もだ。通信兵は背中に大きな無線機を背負っているし、工兵は武装や爆薬以外にも工具などを装備している。
今しがた行っていた訓練は、実戦で自分が身に着ける装備を実際に身に着けた状態で行っているのだ。その装備の重さに慣れる必要があるし、感覚にも慣れていた方がいいからな。
というわけで、俺もいつものトレンチコートの下にマガジン用のポーチ等を装備した状態で訓練に参加している。まあ、装備している手榴弾と銃弾は訓練用のものなのだが。
「………スタート!」
『『『『『Ураааааааа!!』』』』』
そう、今行っている訓練は”要塞砲ランニング”というタンプル搭名物のトレーニングだ。要するに、岩山の中央に配置されている要塞砲たちの周囲をひたすらランニングし続けるというシンプルなトレーニングなんだが、巨大な要塞砲の周囲を走り続けるものだから一蹴するまでの距離が長いし、空からの日差しがなかなか強烈なのでかなり過酷だ。今ではスペツナズの入隊試験にも採用している。
義手で汗を拭いながら走る。特殊作戦軍設立前から所属している奴らはこういう過酷な訓練に慣れているからそれなりに速いが、新兵の連中は早くも他の先輩たちから遅れ始めている。兵士たちの先導をジェイコブに任せてわざと速度を落とし、遅れている兵士たちの近くを走ると、彼らはぎょっとしながら速度を上げた。
「お前ら、ゆっくり走ってる場合か!? 敵の迫撃砲でミンチにされてハンバーグになりたいんだったらそれでもいいだろうがな、俺はハンバーグに入隊許可を出した覚えはないぞのろま共!!」
「申し訳ありません、大佐!」
「さっさと走れ! だが仲間は見捨てるな! 仲間の死は自分の死と思え!!」
そう、仲間を見捨てることだけは絶対に許されない。
これは他の部隊でも教育されているが、特殊作戦軍はそれを更に重視する。なぜならば、ここにいる兵士たちは様々な部隊からスカウトされたり選抜されてきた優秀な兵士たちばかりだ。つまり、他の部隊の兵士たちと比べると”高級品”なのである。
他の部隊と違い、誰かが戦死しても簡単には補充できないのだ。
だから仲間は見捨てない。もし撤退が遅れたり、敵陣に取り残された仲間がいたら是が非でも救出に戻る。
「ティモシー、頑張れ………もう少しだから……!!」
「うぐぅっ、ぐぅ………」
新人の中で体力が最も少ないのは彼だろう。
特殊作戦軍設立時に陸軍から入隊してきたティモシー伍長。元々は陸軍で通信兵をしていたらしく、戦時中や革命の頃はかなり的確な支援要請で仲間の進撃に貢献していたという。
確かに、模擬戦で見たが彼の支援要請は的確だった。味方の攻撃で敵が密集しているところに空爆や機銃掃射を要請したりしていたし、負傷した仲間を救助する時間稼ぎのために支援砲撃を要請し、敵の追撃部隊を足止めしていた。支援を担当した連中も「情報が的確だったからやり易かった」と言っていた。
それは優秀だ。この部隊で黒い制服を身に纏い、テンプル騎士団の理想のために戦う資格はある。だが、本人の体力が少ないのは少々問題だ。確かに支援要請を行うための無線機は大型なので少々重いし、戦闘に参加するためにアサルトライフルや予備の弾薬も持たなければならない。
「ティモシー、お前だけ仲間から遅れてるぞ! 支援要請をするお前が遅れてどうするんだ!」
「す、すみません………っ!」
支援要請は俺たちの切り札だ。
特殊作戦軍に与えられる任務は、少数の部隊での敵陣への潜入などが多い。自分たちの戦力より、敵の戦力が劣っているという状況はまずないのだ。だから見つからないように行動する必要があるが、もし敵に発見されて圧倒的な物量と真っ向から戦わざるを得なくなった場合は、撤退するか支援要請を駆使して殲滅するしかない。
通信兵はそのための切り札だ。味方の進撃速度についていけないのは論外である。
しかも特殊作戦軍に与えられるのは、組織の命運を左右する重要な任務ばかりである。ただ単に敵部隊を殲滅するような簡単な任務ではない。しかも政治的な要素もある任務が多いので、失敗は許されない。
「速河大佐!」
遅れているティモシーを励ましながら走っていると、憲兵の腕章を付けたホムンクルス兵が近くにやってきた。ティモシーの近くを離れて彼女の傍らに駆け寄ると、ホムンクルスの憲兵は素早く敬礼をしてから報告する。
「同志団長より、大至急会議室へ出頭するようにとのことです」
「分かった、15分以内に向かう。………訓練中止! 兵士諸君は直ちに宿舎に戻り、待機せよ!」
部下たちに訓練中止を命じ、駆け寄ってきたジェイコブにAKMを預ける。彼に他の隊員たちの指揮を頼んでから赤いベレー帽をかぶり、エレベーターへと向かった。
外と比べれば涼しい廊下の中を突っ走り、エレベーターに乗って戦術区画へと向かう。警備兵に身分証明書を提示してゲートを開けてもらい、戦術区画の中を突っ走った。
戦術区画の廊下の奥にある扉をノックする。
「速河力也、入ります」
『入れ』
ゆっくりと扉を開けると、既にセシリア、サクヤさん、クラリッサ、ウラルの4人が集まっていた。ウラルは特殊作戦軍の最高司令官なので、俺が呼ばれた以上はこいつもいるというのは理解できる。だが、なぜクラリッサまでいるのだろうか。
彼女がいるという事はシュタージが絡んだ任務なのだろう。
「早速だが、お前たちに任務がある」
そう言いながら、ウラルは会議室の円卓にある装置を操作した。円卓の中心部にある円形のレンズが蒼い光を放ち、空中に1人のホムンクルス兵の顔とデータを表示する。
「先ほど、オルトバルカに潜伏していたシュタージのエージェントが赤軍の連中に拘束されたという連絡があったの」
「拘束?」
「ああ………エージェントは機密情報を握っている。あの革命後、赤軍と我が騎士団との関係は少しずつ悪化しているからな。身柄の開放を要請しても、奴らは簡単には返してはくれないだろう」
「そこで、彼女の救出をお願いしたいのよ」
エージェントの救出か………。
「質問は?」
「敵兵の殺傷は? この場合、相手は赤軍になりますが」
「許可する。障害になるのであれば皆殺しでいい。他には?」
あまりこの質問はしたくないのだが、聞いておく必要はあるだろう。
「もしそのエージェントが口を割りそうな場合は?」
「………機密情報の漏洩は許されん。分かるな?」
「………了解だ、ボス」
まあ、機密情報の漏洩は是が非でも防がなければならないからな。
「同志諸君、ブリーフィングを始める」
特殊作戦軍が設立されてから初めての任務だ。とは言っても、これが初陣だという兵士はいないだろうが。
「先ほど、オルトバルカ国内で赤軍の動きを見張っていたシュタージのエージェント『カスミ』が、赤軍に身柄を拘束されたという情報が入った。テンプル騎士団は我が組織との関与を否定しつつ、オルトバルカ国内のクレイデリア大使館を通して身柄の解放を要求しているが、おそらく難しいだろう。そこで、霞を我々が救出することになった」
「カスミ………」
「知り合いか、ジェイコブ?」
「………幼馴染だ。俺が生まれた隣の装置で生まれた奴で、小さい頃はよく一緒に遊んだ」
「なら助けないとな。………説明を続ける。今から1時間後、第一分隊、第二分隊は空軍スペツナズ『タンプル・コマンドス』と共にオルトバルカ国内の北方”マクファーレン領”へと降下し、収容施設へと侵入する。敵部隊と交戦する事になる可能性が高いが、その場合は敵を排除して構わん。好きなだけぶっ殺せ。カスミを救出した後は、回収予定ポイントまで移動してヘリで離脱する。何か質問は?」
すぐにコレットが手を挙げた。
「敵の予測戦力は?」
「分からんが、白軍から鹵獲した戦車が配備されている可能性があるとの事だ。対戦車ライフル、ロケットランチャーは必要になるだろう。他は?」
「タンプル・コマンドスからの参加部隊は?」
「二個分隊と聞いている。………まあ、あっちのトップも優秀な奴だ。それなりに楽な仕事になるだろうが、油断だけはするな。以上、説明を終了する。各員は直ちに出撃準備を整え、第7格納庫へ向かえ」
椅子に座って説明を聞いていた兵士たちが一斉に立ち上がった。俺もベレー帽を手に取り、頭を掻きながら武器庫へと向かう。
今回の作戦はタンプル・コマンドスと一緒だ。俺たちもパラシュートで降下する事になる。
高所恐怖症というわけではないが、やはり緊張するものだな。高い場所からジャンプするというのは。




