鋼鉄の揺り籠
タンプル搭の地下には、様々な区画がある。兵士や住民たちが暮らす”居住区”や、戦闘の際に指揮官たちが指揮を執る”戦術区画”などが用意されており、区画の間は分厚い隔壁と、銃を装備した警備兵たちによって守られている。もちろん、区画によっては軍人しか立ち入りが許されない区画もあるため、居住区と戦術区画の境目にも武装した警備兵の姿が見える。
住民たちは慣れているのか、その警備兵たちに話しかけたり、お菓子や飲み物を差し入れしていく民間人も見受けられる。
居住区は、広い通路をいくつも組み合わせたような構造になっている。その通路の左右には住んでいる住民の名前や部屋の番号が書かれたプレートが設置されたドアがあり、その向こうが住民たちに与えられた部屋となっている。
まるで、貴族が宿泊に利用しそうな高級ホテルの中のようだ。
「こちらのお部屋です」
案内してくれたエルフの警備兵が、部屋の鍵を開けて私たちを中へと入れてくれた。
オルトバルカから亡命してきた私たちに与えられた部屋は、正直に言うとオルトバルカにある実家のリビングよりも広かった。床には柔らかい絨毯が敷かれていて、奥には新品のベッドや立派な家具が見える。入り口の右側にあるのはシャワールームだろうか。棚の中には真っ白なタオルや石鹸がしっかりと用意されている。左側にはキッチンらしきスペースもあり、新品の調理器具や冷蔵庫も用意されているのが分かる。
タンプル搭の中にも大浴場や食堂があるらしいが、混んでいる場合は部屋の中で入浴や食事を済ませることもできそうだ。
住民や兵士たちには、同じデザインの部屋が用意されているという。
「あら、立派なお部屋ね」
「こちらが鍵です。もし紛失した場合は、警備隊の詰所にお問い合わせを」
「ええ、ありがとう」
警備兵に礼を言ってから、母上が部屋の鍵を受け取る。その間にトモヤを抱き抱えたサクヤ姉さんは、寝息を立てているトモヤをそっとベッドの上に寝かせ、隣に腰を下ろしてトモヤの頭を撫で始めた。
もしクレイデリア連邦へと亡命せず、オルトバルカに留まっていたら、私たちは間違いなく”女王に反旗を翻そうとした一族”と決めつけられて弾圧されていた事だろう。最悪の場合は、父上のように濡れ衣を着せられ、同じ運命を辿ることになっていたかもしれない。
眠っているトモヤの隣に腰を下ろしながら、女王を狙撃しようとした時の事を思い出す。
あの時、引き金を引いていれば確実に女王の眉間にライフル弾が直撃していた。火炙りにされる叛逆者の無様な姿を見物しに来た観衆の目の前で、反逆者を処刑して称えられていた女王が、眉間から鮮血を噴き出してぶっ倒れるという無様な姿を晒すことになっていたかもしれない。
だが―――――――その6.5mm弾が奪うのは、女王の命だけでは済まなかっただろう。
大国を敵に回した状態でクレイデリアへと逃げ込んでいれば、確実にオルトバルカの連中は女王の仇を取るためにクレイデリアまで追撃してきた筈だ。この平穏な揺り籠を、戦争に巻き込むことになってしまっていたかもしれない。
だからサクヤ姉さんは、私を止めた。
きっと、ここが未熟な部分なのだ。
父上が私を認めなかった理由。姉さんが選ばれた理由。
姉さんは、しっかりと先を見ていた。激昂して敵を殺し、組織や味方を危険に晒す指導者よりも、先を見ながら憎しみに耐え、組織や味方を救う指導者の方が団長に向いているのは言うまでもない。
もしかしたら、父上に濡れ衣を着せた”黒幕”は、私があそこで激昂して女王を撃ち抜き、クレイデリアを戦争に巻き込むことを期待していたのではないだろうか。ホムンクルスの大量生産で圧倒的な物量を確保できる上に、廃れた古代技術の解析によって圧倒的な軍事力を手にしたテンプル騎士団が相手だったとしても、女王を殺されたことによって激昂したオルトバルカの連中は躊躇せずに宣戦布告してきた筈だ。
黒幕は、テンプル騎士団に恨みを持っている人物なのか?
「レイチェルたちもクレイデリアに到着したそうよ」
トモヤを撫でていた姉さんが、微笑みながらそう言った。
実家で世話をしてくれたホムンクルスのメイドたちも、無事にオルトバルカを脱出してクレイデリアへと辿り着いたらしい。今日の夕方くらいにはまたレイチェルと会えるだろうかと思っていると、姉さんはベッドから立ち上がり、腰のホルスターにちゃんとコルトM1911が収まっているのを確認してから入口の方へと向かう。
「ちょっと諜報指令室まで行ってくるわ」
”諜報指令室”は、テンプル騎士団が誇る諜報部隊『シュタージ』の指令室である。戦闘を行う部隊を指揮する”中央指令室”とは分けられており、世界中に派遣したエージェントたちが集めた情報や機密情報を取り扱っているため、一般の兵士でも立ち入りが許されない場所である。
なぜ姉さんがそこに行こうとしているのかを理解した私も、ベッドから立ち上がった。
シュタージは先進国だけでなく、発展途上国にもエージェントを派遣している。潜伏しているエージェントに関する情報は、シュタージを指揮する指揮官や”円卓の騎士”しか閲覧することが許されないほど厳重に管理されている。一般の兵士にはエージェントに関する情報は殆ど与えられないため、遠征した国で立ち寄った売店の店主が、赤の他人ではなく諜報活動中のエージェントだったというのは珍しい話ではないのである。
きっと、姉さんはシュタージから今回の”事件”に関する情報を教えてもらおうとしているのだ。
先ほどまで、姉さんはかなり冷静だった。いつも通りにトモヤを可愛がっていたし、まるで父上が仕事から戻ってくるのを待っている時のように微笑んでいたのだから。
だが―――――――やっぱり、姉さんも父上の仇を取りたがっているようだった。
父上を処刑した女王ではなく、王室が我が一族を裏切る原因となった元凶を。
立ち上がって姉さんの後を追いかけようとすると、サクヤ姉さんは微笑みながらこっちを振り向いた。
「セシリア、悪いけどトモヤの面倒を見ててもらえないかしら?」
「それは母上に任せれば――――――」
「母さんも忙しい筈よ。それに、母さんはキメラではなく普通の人間なのよ? だから、セシリアは部屋に残って母さんを守ってあげて」
「こ、ここはテンプル騎士団の総本山だぞ? 敵が攻め込んでくるわけがないではないか」
部屋の外には警備兵がいたし、外にはずらりと対空ミサイルやレーダーも設置されていた。もし攻め込んで来ようとすれば、タンプル搭を取り囲む花畑の上空に到達するよりも先にミサイルで撃墜されるか、要塞砲で木っ端微塵にされるのが関の山だ。
第一、クレイデリアの国土は防壁と圧倒的な物量の国境警備隊によって守られているし、内陸にはそれ以上の規模の部隊も展開している。何度も激戦を経験したことによる兵士たちの高い錬度と、次々に生産されるホムンクルス兵の圧倒的な物量を兼ね備えているからこそ、テンプル騎士団の軍事力はこれ以上ないほどの抑止力となっているのである。
そう、攻め込んでくる事は有り得ない。
なのに、なぜ部屋に残って母上とトモヤを守る必要があるのだろうか。外には警備兵もいるし、居住区は敵の空爆で被害を受けないように分厚い岩盤と装甲板で守られているから生き埋めにされる恐れもない。
首を横に振って部屋を出ようとすると、サクヤ姉さんは私の手を掴んだ。
「………お願い、セシリア」
「………………」
女王を殺そうとした時と同じだ。
今も、姉さんは先を見ている。
濃霧のような激昂の向こうを見ているとでもいうのか?
「………分かった」
多分、姉さんの決断が正しい。
ドアノブから手を離すと、姉さんはちらりと母上の方を見た。当たり前だが、母上はキメラではなく、ハヤカワ家に嫁いできたごく普通の人間だ。父上が若かった頃に遠征に行ったディレントリア北西部で知り合った、貴族の分家出身の女性だという。
母上も父上から銃の使い方を教わっているし、結婚前に魔術や剣術も学んでいるため、ある程度ならば戦う事ができる。とはいっても、銃の使い方は護身用に学んだ程度だし、魔術や剣術はかなりのブランクがある筈だ。もし本当に敵が攻撃してきたら、あっという間にやられてしまうに違いない。
トモヤを抱き上げながら微笑んでいる母上をちらりと見てから、姉さんは言った。
「………もし父上の処刑の黒幕が女王ではなかったのだとしたら、きっとその黒幕はまだ満足していないわ。きっと、クレイデリアに逃げた私たちの事も消そうとする筈よ」
そう、おそらく私たちも黒幕に狙われている。
ハヤカワ家と王室には太いパイプがあったのだ。親密な関係だった王室が、簡単に後ろ盾であるハヤカワ家を裏切って当主を処刑するようなことをするわけがない。
もちろん、その黒幕の嘘を鵜呑みにして父上の命を奪った王室にも報復するつもりだが、黒幕も突き止め、そのクソ野郎にも報復する必要がある。
ハヤカワ家に恨みを持っている者の仕業だというのは想像に難くないが、王室にも嘘の情報を流せるという事は、おそらく黒幕は貴族だろう。一般市民であれば門前払いにされるのが関の山である。王室にも嘘の情報を流せるほど、王室と距離の近い貴族の中に黒幕がいる筈だ。
ハヤカワ家は市民たちに指示されているが、貴族たちにはかなり疎まれている。私たちの祖先が腐敗した貴族を排除するために行った”大粛清”によって、議会や国から追放されたり、当時の女王であったシャルロット1世によってその場で死刑を言い渡された貴族も多い。我々を怨んでいるのは、その時に失脚した貴族の生き残りが多いという。
何度もハヤカワ家当主を失脚させるために貴族が罠を用意していたことがあったし、暗殺者を雇って当主の暗殺を試みたこともあった。もちろん、そういった計画は全てシュタージのおかげで筒抜けだったので、実行に移す前に貴族たちのスキャンダルを暴露され、議会に次々に空席が生まれることになったらしいが。
もし失脚した貴族が黒幕だとするならば、あいつらはまだ満足していない。
同じように、ハヤカワ家も根絶やしにしなければ気が済まないに違いない。
「………………」
だが、失脚した貴族がタンプル搭まで攻め込もうとするだろうか。
列強国の軍隊であれば、クレイデリアに攻め込もうとするだろう。しかし、失脚して権力を失った貴族がクレイデリアへと攻め込み、亡命した私たちを追撃してくる事など考えられない。
姉さんはなぜ”黒幕が追撃してくる”と予測できたのだろうか。
バタン、と部屋のドアが閉まる音がする。考えている内に、姉さんは部屋の外へと出て行ってしまったらしい。
ぎょっとしながらドアを開けて通路を覗き込んだが、もう姉さんは見当たらなかった。
「姉さん………………」
なぜ、そんな予測ができる?
どれくらい先を見れば、そのような仮説を立てられる………?
かつては、カルガニスタンの大地は灰色の砂で覆われた砂漠だった。昼間は気温が一気に上がり、夜間は逆に気温が一気に下がって、砂漠越えを試みる旅人たちを苦しめてきた。砂漠の大半も危険な魔物が生息するダンジョンに指定されており、フランセンがカルガニスタンを植民地にした後も、多くの冒険者たちや先住民たちが苦しむことになったのである。
砂漠が草原や花畑と化し、危険な魔物が一掃されて楽園と化したのは、テンプル騎士団を創設したタクヤ・ハヤカワの代であった。テンプル騎士団遠征軍が発掘に成功した古代技術によって、外部の気候を隔離する技術を手にしたテンプル騎士団は、カルガニスタンの砂漠を森や花畑へと変え、結界の中を外敵の存在しない揺り籠へと変えたのだ。
その花畑の真ん中にある道を、1両の装甲車が進んでいく。黒と灰色の迷彩模様で塗装された、テンプル騎士団が所有する装甲車だ。装甲で覆われた車体の上部には重機関銃が設置されており、黒いヘルメットと制服に身を包んだ兵士が乗っている。
星空と花畑に覆われた揺り籠の中を、ライトを煌かせながら装甲車が進んでいく。タンプル搭の検問所の近くへと進むと、警備兵がライトで照らしながら停車するように合図する。
指示通りに検問所の近くで停車した装甲車に、警備兵が駆け寄っていく。
「身分証明書を」
「どうぞ」
窓を開け、運転手は身分証明書を警備兵に提示した。警備兵はそれを確認してから運転手へと返し、後ろにある検問所の方へとゲートを開けるように合図する。
花や草で覆われた岩山の麓で、検問所のゲートが開く警報が響き渡った。戦車砲ですら弾き返せるほど分厚いゲートがゆっくりと開き始め、花で覆われた岩山の渓谷があらわになる。運転席の窓を閉めた運転手は、警備兵たちにぺこりと頭を下げると、そのまま渓谷の向こうに見える巨大な要塞砲へと装甲車を走らせた。
「………予想以上の兵力ですね」
渓谷の上空を通過していく戦闘ヘリの編隊を見上げながら、装甲車の運転手が呟く。がっちりとした装甲で覆われた戦闘ヘリのスタブウイングには、対戦車ミサイルやロケットポッドがこれでもかというほどぶら下げられており、機首の下には大口径の機関砲が装備されたターレットが搭載されているのが分かる。
もしそのヘリ部隊が彼らに牙を剥けば、彼らは装甲車もろとも木っ端微塵にされてしまうだろう。いくら優秀な装備を持った歩兵でも、強力な装甲で歩兵の攻撃を意に介さず、ロケット弾を大地にぶちまけてくる戦闘ヘリは非常に恐ろしい存在なのである。
しかし、助手席で戦闘ヘリを見上げていた青年は、これから相手にすることになるテンプル騎士団の兵器を目の当たりにしても全く恐れていなかった。
歩兵を容易く蹂躙できる兵器を目にしたとしても、彼はもう恐ろしいと思えなくなってしまったのである。
その恐怖すら容易く塗り潰してしまえるほどの憤怒が、心の中に100年以上も居座っているのだから。
彼の計画を台無しにした”あの男”の末裔が、このタンプル搭の地下に逃げ込んでいるのだから。
彼女たちを皆殺しにするために、テンプル騎士団の制服を調達してタンプル搭へと潜入してきたのである。
やがて、2つ目の検問所が見えてきた。この検問所にも同じように警備兵がおり、後方には戦艦の装甲をそのまま流用して造ったのではないかと思えるほど巨大なゲートが鎮座している。そのゲートの後方から覗くのは、巨大な”搭”にも思えるほど巨大な要塞砲の砲身たちだった。
この要塞砲の群れが”搭”に見えるからこそ、ここには搭は1つも存在しないにもかかわらずタンプル”搭”と呼ばれているのである。
「身分証明書を」
運転席のすぐ近くに、ホムンクルスの兵士がやってくる。
そのホムンクルスの兵士を目にした途端、助手席の男の心の中に蓄積されていた憎悪が一気に肥大化する。
かつて自分を異次元空間に封印した忌々しい男の妻にそっくりな容姿の、ホムンクルスの兵士。かつてファルリュー島で何度も自分の肉体に風穴を開け、剣で斬りつけた蒼い髪の女性の姿がフラッシュバックする。
正確に言うと、そのホムンクルスの兵士はエミリア・ハヤカワのホムンクルスではなく、彼女の息子であるタクヤ・ハヤカワのホムンクルスである。
「………どうした? 早く身分証明書を見せろ」
運転手が、助手席に座る男をちらりと見る。
この検問所の向こうはテンプル騎士団本部のタンプル搭である。クレイデリアへの侵入に成功し、タンプル搭の検問所の向こうまで侵入できたのだから、もう忌々しいテンプル騎士団の兵士のふりをして潜入する必要はないだろう。
「――――――――警告する。エンジンを止め、両手を上げて車から出ろ」
身分証明書を提示しない男たちを、帰還してきた味方ではなく、味方になりすました工作員ではないかと疑い始めたらしく、ホムンクルスの少女が背中に背負っていたアサルトライフルを運転席へと向ける。ライトで照らしながらそれを見ていた警備兵たちも、設置されていた重機関銃の銃口を装甲車へと向けた。
助手席に座っていた男は、拳を握り締めながらポケットの中から端末を取り出す。
メニュー画面を開き、愛用している剣を装備した男は――――――――運転席に座る仲間の転生者に命じた。
「やれ」
次の瞬間、アサルトライフルを向けていた警備兵の眉間に.45ACP弾がぶち込まれた。大口径の弾丸は華奢なホムンクルスの眉間を粉砕すると、圧倒的な運動エネルギーで彼女の頭を強制的に大きく揺らし、そのままホムンクルスの少女を絶命させてしまう。
ぎょっとした機関銃の射手が慌てて大型のマズルブレーキの付いた機関銃を装甲車へと向けるが、彼が引き金を引くよりも先に、助手席に座っていた男が投擲した剣が彼の胸板を貫いていた。
装甲車を降り、敵兵の胸板を穿った剣を引き抜く”勇者”。血まみれになった剣を見つめながら息を吐いた勇者は、耳に装着していた小型無線機に向かって命じた。
「各員、攻撃開始」




