クガルプール夜襲
かつて、私たちの祖先はこの道を通った。
貴族の息子の許婚だった騎士団の少女と共に、この道を通ってオルトバルカへと亡命したのだ。
英雄となった若き日の祖先が通った道を、私たちは踏みしめている。元々は冒険者用に設計されたブーツだけではない。我らと共に大地を踏みしめるのは、分厚い金属で形成された無数の履帯だ。
クガルプール要塞は、かつてラトーニウス王国が併合される前まではオルトバルカとの国境のすぐ近くに用意されていたラトーニウス騎士団の拠点であり、オルトバルカ侵攻の際は前哨基地として機能することになっていたという。
魔物の侵入を防ぐために建造された分厚い壁の上には、榴弾砲や要塞砲がずらりと並んでいる。かつてここで警備をしていたラトーニウス騎士団の騎士の代わりに警備をしているのは、赤い軍服に身を包んだオルトバルカ軍の兵士たちだ。銃剣付きのライフルを背負いながら防壁の上を巡回し、サーチライトで黒焦げになった麦畑を照らし出す。
周囲に転がっている死体の殆どは、軍服ではなく私服を身に纏っていた。工場で働く労働者が身に纏うツナギを身に着けている男性の死体もあるし、スカートらしきものを身に纏った女性の死体もある。
”革命軍”からの報告では、ラトーニウス側で武装蜂起した赤軍はこのクガルプール要塞の制圧に失敗しており、大損害を被ったという。
ここに転がっている死体たちは、ラトーニウスの独立を目論む反オルトバルカ派の連中なのだろう。
T-55の砲塔の上に乗っていたサクヤ姉さんが、後続の戦車に向かって手を振った。エンジンと履帯の音を響かせながら進撃していた戦車たちがぴたりと止まり、周囲の音が全て消え失せる。
まだクガルプール要塞側には、我々が接近していることは感知されていない。
一緒に乗っていた通信兵に目配せし、彼女の通信機を借りる。
「砲兵隊、砲撃用意」
『了解、砲撃用意』
「目標、オルトバルカ軍クガルプール要塞。毒ガス榴弾での集中攻撃」
『了解、毒ガス榴弾装填』
指示を出している間に、兵士たちが腰に下げていたケースの中から取り出したガスマスクを装着し始めた。テンプル騎士団が独自開発した毒ガスから身を守るためだ。サラマンダーのキメラであれば、肺に毒ガスをシャットアウトするためのフィルターのような器官があるのだが、そのフィルターが守ってくれるのは火山ガスなどからである。残念なことに、殺傷力の身に特化した兵器用の毒ガスは対象外だ。
なので、私もガスマスクを身に付けなければ死んでしまう。
ガスマスクを装着しながらフィルターをチェックし、再び無線機を手に取る。
「砲撃準備は?」
『完了しております。いつでもご命令を、同志団長』
クガルプール要塞に毒ガス榴弾を発射したら、戦車部隊を突撃させる。
敵は慌ててガスマスクを装着して応戦してくるだろうが、残念なことにこの毒ガスは調合に使う毒ガスを変更した新型の毒ガスだ。オルトバルカ軍のガスマスクで防御するのは難しいだろう。
要塞には敵の戦車もいるらしいが、乗組員が毒ガスで死亡してしまえば意味はない。
要塞を睨みつけながら、私は命じた。
「――――――砲撃開始」
『了解、砲撃開始』
通信兵に借りていた無線機を返した次の瞬間だった。
数発の砲弾が、要塞の防壁の中へと着弾した。もちろんあの中に充填されているのは毒ガスだから、榴弾みたいに派手な大爆発は起こさない。代わりに小さな爆発と血のように紅い毒ガスをばら撒く、恐ろしい兵器である。
防壁の上を巡回していた警備兵たちが慌てふためき始めた頃には、後続の砲弾が次々に着弾し始めていた。
この毒ガス榴弾による攻撃は、サクヤ姉さんが立案したものだ。
クガルプール要塞は防壁で周囲を囲まれた、この世界の伝統的な要塞だ。防壁は元々は周囲を徘徊する魔物の侵入を防ぐためのものであったが、魔物による襲撃だけでなく敵軍による攻撃の際にも要塞を守る防壁として機能しているため、大半の列強国の古い要塞には防壁が残されている。
その防壁が、毒ガスによる攻撃をより有効なものにしてくれる。
防壁で周囲を囲まれているという事は、防壁の内側にはなかなか風が入ってこない。防壁は敵軍だけでなく、風までシャットアウトしてしまう。そのおかげで毒ガスは風に吹き飛ばされずに、いつまでも要塞の敷地内に居座って敵兵を殺傷し続けるのだ。
警備部隊が大慌てし始めたのを双眼鏡で確認してから、私は腰の鞘から刀を抜いた。砲塔の上に乗ったまま振り下ろした瞬間、暗闇の中で待機していた戦車たちが一斉にエンジンの音を響かせ、履帯で大地を踏みしめながら進撃を再開した。
「踏み潰せぇッ!!」
『『『『『Ураааааааа!!』』』』』
進撃する戦車たちと共に、銃剣を装着したAK-47やSKSカービンで武装した兵士たちが雄叫びを上げながら要塞へと突撃し始める。先頭を走っていた戦車の主砲が火を噴き、要塞の防壁に榴弾を叩き込む。
オルトバルカの連中は敵襲に間違いなく気付いているだろうが、不利なのは向こうの方だ。毒ガスによって一番安全な筈の防壁の中は逆に危険地帯と化しているし、視界も悪い。防壁で攻撃から身を守る事ができるとは言っても、こちらは暗闇の中から突撃しているのだからかなり見辛い筈だ。正確な攻撃は難しいだろう。
T-55の放った榴弾が、要塞の防壁にある門を吹き飛ばした。分厚い防壁に穿たれたトンネルがあらわになり、爆炎と混ざり合った毒ガスが漏れ始める。
中から出てきたのは、身体のいたるところに破片が刺さったオルトバルカ兵や、咳き込みながらよろめくオルトバルカ兵だった。中には地面を這いながら要塞の外へと出ようとしていた敵兵もいたが、テンプル騎士団の兵士は”敵”には容赦をしない。負傷兵だろうが、瀕死の兵士だろうがお構いなしに7.62mm弾を叩き込んだり、銃剣を喉元に突き立てて止めを刺していく。
銃声を聞きながら、私も戦車の砲塔から飛び降りた。背中に背負っていた新しいライフルを掴み、銃剣を装着する。
今までは三八式歩兵銃を愛用していたのだが、力也に「いつまでもボルトアクションライフル使ってるわけにはいかないぞ、ボス」と言われたので、私も”あさるとらいふる”という武器を選んだ。
私が選んだのは、『64式小銃』というアサルトライフル――――――力也は”バトルライフル”と言っていた―――――――である。力也の生まれたニホンという国で開発された銃らしく、大口径の弾丸をマガジンの中に20発も装填している。ストッピングパワーと攻撃力は申し分ないと言っていいだろう。反動が少し大きいという欠点があるらしいが、私はキメラなので反動は問題ない。その気になれば対戦車ライフルを片手で撃つことも出来るからな。
更に、セミオート射撃だけではなく、SMGのようなフルオート射撃までできる。しかも銃剣まで装着できるので、私や姉さんが得意とする接近戦でも猛威を振るうに違いない。
セレクターレバーを素早くセミオートに切り替え、吹き飛ばされた門から這い出てくる敵兵を狙い撃つ。中にはライフルを捨てて降参しようとした敵兵もいたが、お構いなしに頭に7.62mm弾を叩き込んでやった。
戦車から飛び降りた姉さんも、自分の64式小銃――――――この銃にはバイポッドがあるのだが、姉さんはそれを外している――――――をセミオート射撃で発砲し、咳き込みながら抵抗してくる敵兵を射殺していく。
「砲撃します! 耳を塞いで!!」
「耳を塞げ、砲撃するぞ!!」
近くでAK-47を撃っていた歩兵たちに叫ぶ。近くにいる戦車が、門の近くで抵抗を続ける敵兵を吹き飛ばそうとしていることを察した兵士たちが耳を塞いだのを確認してから、砲塔から顔を出している戦車兵に向かって親指を立てた。
ガスマスクを装着した車長が砲塔の中へと引っ込んだ直後、T-55の100mmライフル砲から放たれた砲弾が門の中で抵抗する敵兵の群れを粉々にした。真っ赤な軍服と黒焦げになった肉片が防壁に穿たれたトンネルの壁をグロテスクに彩り、焦げた肉と血の臭いが風通しの悪い防壁の中から漏れ出る。
「前進!」
T-55の車体の陰に隠れながら、戦車部隊と共に要塞の中へと突入する。真っ赤な毒ガスは未だに要塞の中に居座って、ガスマスクの装着が間に合わなかった哀れな兵士たちを苛んでいた。肺へと入り込もうとする毒ガス入りの空気をシャットアウトしようともがく兵士を銃剣で突き刺し、ガスマスクを身に着けながら重機関銃で弾幕を張ろうとする敵兵をT-55がお構いなしに踏み潰す。
断末魔は前方からしか聞こえない。後方から聞こえてくるのはAK-47の銃声や、同志たちの怒声ばかりだ。
そういえば、力也がテンプル騎士団にやって来る前までは逆だったな………。あの時はヴァルツ軍の熾烈な攻撃で撤退させられるのが当たり前で、断末魔はいつも後方から聞こえてきた。死にたくない、と言いながら死んでいった同志たちは何人もいた。
だが、今はもう違う。
我らはもう十分に奪われた。
だから、奪った連中から大切なものを全て奪ってやるのだ。
9年間も耐え続けたのだから、そうする権利はあるだろう………?
「敵戦車!」
「!!」
姉さんが叫びながら広場の中央を指差す。格納庫の中から、車体の正面と左右のスポンソンに50mm砲を搭載した、オルトバルカ軍の”M1菱形突撃戦車”が姿を現した。こちらの世界の技術のみで造られた戦車であり、東部戦線ではそれなりに猛威を振るっていたというが、擱座したり鹵獲されているところしか見た事がないので強敵という感じはしないな。
まあ、歩兵にはそれなりに脅威になるのではないだろうか。
スポンソンに設置された主砲が旋回し、毒ガスの紅い煙の向こうで火を噴く。だが、操縦士と砲手がしっかり連携できていないのか、よりにもよって発砲すると同時に操縦士が車体を方向転換させてしまったものだから、こちらを狙う筈だった砲弾は全く違う場所を直撃し、防壁の内側の一部を崩落させた。
こっちに一矢報いる事に失敗した敵の戦車に、要塞内部へと突入したT-55の徹甲弾が襲い掛かった。ボルトアクションライフルの徹甲弾でも貫通できるほど薄い装甲を直撃した徹甲弾は、まるで紙を銃弾が穿つかのように車体を貫通する。
だが――――――敵の戦車はまだ動いていた!
装甲を貫通した徹甲弾は、車体の内部にいた装填手を引き千切り、車体中央のエンジンの上を掠めて反対側を貫通したのだ。
くそ………。
「榴弾で撃て!」
『了解、撃ちます』
ドン、と100mm砲の砲口から榴弾が躍り出た。車体の正面にある50mm砲の付け根を直撃した榴弾は、薄過ぎる装甲を貫通して車内へ突入した時点で炸裂してくれたらしく、先ほど徹甲弾が穿った大きな風穴から爆炎が溢れ出た。リベットが弾け飛び、スポンソン後方のハッチが爆炎に押し出されて吹き飛ぶ。千切れた履帯が垂れ下がり、敵の戦車は動かなくなる。
車内で砲弾が炸裂したのだから、火達磨になりながら這い出てくる戦車兵は居ない。
門から要塞内部への突入に成功したT-34-85が、傍らを通過していった。タンクデサントしていた兵士たちが飛び降り、AK-47を発砲して次々にオルトバルカ兵の眉間を撃ち抜いていく。
テンプル騎士団の兵士の中で戦闘力が高いのは、ホムンクルス兵と言ってもいいだろう。外殻を生成して弾丸から身を守ることも出来るし、身体能力も吸血鬼や転生者並みに高い。タクヤ・ハヤカワの遺伝子を受け継いでいるのだから、戦闘に最も向いている。
案の定、先陣を切ったT-34-85から降りて敵陣への突入に成功した馬鹿野郎共は、全員ホムンクルス兵で構成された分隊だった。AK-47を装備した3人のライフルマン、スコープ付きのSKSを装備したマークスマン、RPDを装備した分隊支援兵の5人で構成されているらしい。
64式小銃のマガジンを交換し終えたその時だった。
格納庫の中から、立て続けにM1菱形突撃戦車が姿を現したのである。格納庫の扉を強引に突き破りながら躍り出た菱形突撃戦車が機銃を放つが、先行していたホムンクルス分隊の兵士たちは素早く味方のT-34-85の陰に隠れると、スモークグレネードを投擲しながら戦車に乗り、後退してくる。
うむ、ちゃんと引き際を理解しているようだ。
ガギュン、と大口径の弾丸が、方向転換しようとしている菱形突撃戦車の履帯を直撃する。近くにいたホムンクルス兵が、シモノフPTRS1941で履帯の切断を試みたらしい。
履帯の切断は難しいと即座に判断した彼女は、すぐに狙いを装甲の薄いスポンソン側面に変更した。14.5mm徹甲弾が砲塔を貫通し、内部にいる砲手の上半身を木っ端微塵にしてしまう。
対戦車ライフルの射手たちが、左側のスポンソンを損傷したその戦車に攻撃を集中させ始めた。14.5mm弾の徹甲弾たちが、まるで重機関銃から放たれたかのように立て続けに敵の戦車を直撃し、蜂の巣にしていく。
やがて、風穴から黒煙が漏れ始めた。車体上部や砲塔側面のハッチが開き、黒煙が溢れ出す車内から戦車兵が飛び出してくる。どうやら貫通した徹甲弾は車体中央部にあるフィオナ機関―――――シュタージが図面を盗んでくれたので、装甲の厚さや構造は全部把握している――――――を直撃して破壊したらしい。
対戦車ライフル隊が次に標的にしたのは、その脱出した戦車兵たちだった。
シモノフPTRS1941はセミオートマチック式の対戦車ライフルだ。重さとコストの高さを除けば恐ろしい兵器と言っていいだろう。
元々は戦車の装甲を穿つための弾丸が、人間の肉体を圧倒的な運動エネルギーで四散させる。普通の銃弾ならば、被弾した兵士はただ単に倒れるだけなんだが、対戦車ライフル用の弾丸であれば胸板や上半身が弾け飛ぶのが当たり前である。唐突に肉体が木っ端微塵になるのだから、違和感を感じてしまう。
擱座した戦車の装甲に血肉が飛び散り、内部で燃えているフィオナ機関によって加熱された装甲にこびり付いた肉があっという間に焼けていく。
要塞内部に充満していた毒ガスは、やっと薄れつつあった。もうガスマスクで身を守る必要がないほどの濃度になったのを確認した私は、邪魔なガスマスクを取り外してから銃剣付きの64式小銃を構え、同志たちに向かって叫んだ。
「このまま制圧するぞ! 私に続け!!」
クガルプール要塞は、テンプル騎士団の夜襲によってたった2時間で陥落した。
普通の軍隊同士の戦闘では考えられない事だが、クガルプール要塞守備隊の戦死者数は、要塞守備隊の人数と同じであったという。




