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閑話 悪魔の愛


 タンプル搭の居住区には、教会があります。


 ここにやって来るのは大半が民間人の方ばかりです。戦時中は戦場に行った夫や恋人が無事に戻ってくる事を神に祈る人々が殆どでしたが、戦争が終わってからはテンプル騎士団の兵士たちが教会を訪れるようになりました。


 ここにやってきた兵士たちは、神父様の前で懺悔します。


 命乞いする敵兵を殺し、罪悪感を感じ続ける兵士。


 助けを求める仲間を見殺しにしてしまった兵士。


 夢の中に殺した敵兵が出てくると言う兵士。


 戦争が終わったことで弾丸に穿たれ、激痛で苦しむ事はなくなったからこそ、そういった精神的な苦痛やトラウマが表面化し始めたのでしょう。精神を病んでしまった兵士は治療魔術師ヒーラーのカウンセリングを受けますが、彼らのカウンセリングを受けなければならないほど精神を病んでいない兵士たちは、ここで神や神父様に救いを求めるのです。


 ですから、私も神父様と共に苦しむ兵士たちに手を差し伸べました。


 彼らは私たちのために戦場で戦い、勝利してきた英雄たちなのです。私たちの代わりに軍服に身を包んで銃を背負い、弾丸で穿たれる苦痛や戦友が死ぬ悲しみを味わい続けたのですから、手を差し伸べなければなりません。


 ”彼”がやってきたのは、私が兵士たちの懺悔を聞き始めてから10日ほど経った日の事でした。確か夕方だったとは思いますが、タンプル搭の居住区は地下にあるので時計を見なければ今の時間帯はよく分からないのです。他国では考えられないほど立派な居住区に住む事ができるのは喜ばしい事ですけど、地下にあるせいで時計がなければ時間帯が分からないのは少し困りますね。


 その時、私は礼拝堂の掃除をしていました。兵士たちが懺悔しにやって来るのは午後5時くらいまでですので、5時を過ぎた後は教会の中の掃除をしてから施錠をし、着替えをしてから自分の部屋へと戻るのです。


 礼拝堂の掃除を終え、教会の扉に鍵をかけようとした時に、その兵士は礼拝堂の中へとやってきたのです。


 がっちりとした体格の黒髪の兵士でした。顔つきは東洋人のようで、歩く度に少しばかり金属音の混じった独特な足音がしました。きっと、彼の足は本来の足ではなく義足なのでしょう。懺悔しにやってきた兵士の中には片腕のない負傷兵や、義足を移植して戦闘に復帰した兵士もいましたから、義手や義足を移植された兵士は珍しくはありませんでした。まあ、最初の頃はびっくりしたり、涙を流してしまう事もありましたが。


「あら、懺悔の時間はもう終わりなのですが」


 微笑みながらそう言うと、礼拝堂の中を見渡していた黒髪の兵士は残念そうに溜息をつき、苦笑いしながら頭を掻きました。


 彼と目が合った途端、私はぞくりとしました。


 礼拝堂を訪れたその兵士の年齢は、おそらく17歳か18歳くらいでしょう。体格は成人男性と変わりませんが、彼の顔つきにはまだ少しばかり未成年が纏う未熟さが残っているような気がしました。


 けれども―――――虚ろな赤い目には、その未熟さがないのです。


 何度も地獄を目にしたからなのでしょうか。それとも、これ以上ないほどの絶望を経験したからなのでしょうか。もしかしたら、彼には失礼かもしれませんが、礼拝堂を訪れたこの少年は懺悔しにやってきた兵士たちのように”壊れかけている”のではなく、既に”壊れて”いるからあんな目つきなのかもしれません。


 けれども、ここを訪れたという事は救いを求めているに違いありません。シスターである私の役目は、苦しむ人々に手を差し伸べて幸福と安寧へと誘う事。恐ろしい目をしているからと言って、彼を拒絶する事は許されません。


「懺悔をしに来られたのでしたら―――――」


「………いや、少し質問に答えてほしい」


 その黒髪の東洋人の兵士は低い声でそう言いながら、礼拝堂の椅子にゆっくりと腰を下ろしました。椅子に当たった手が足音と同じような金属音を発し、身体から伸びる腕まで機械の義手だという事を私に告げます。


 彼の手足は、もう既に機械だというのでしょうか。


「質問ですか?」


「ああ」


「構いませんが、私は神父様のように質問に答えられるわけでは―――――」


「あなたの見解で構わない、シスター」


 分かりました。


 私はまだ未熟なシスターですが、あなたの質問に答えてみせましょう。


 手袋で覆われた手で頭を掻いた少年は、息を吐いてから言いました。


「………シスター、復讐は悪い事なのか?」


「復讐……ですか………」


 人間が宿すとは思えないほど濃密な憎悪の片鱗が、復讐という言葉に込められているような気がしました。


 普通であれば、復讐は悪い事です。相手に大切なものを奪われたからと言って、報復のために相手に苦痛を与えていいわけがありません。このオルトバルカ教でも、復讐は禁じられています。


 だから、私は首を縦に振りました。もし彼が自分から大切なものを奪った相手への復讐を目論んでいるというのであれば、説得して止めなければなりません。復讐をしてしまえば、この哀れな少年は地獄に落ちることになるのです。


「………ええ、いけない事です。復讐は許されません」


「なぜ? 最愛の妹を奪ったクソ野郎を許せと?」


 てっきり、彼から手足を奪った相手へ復讐しようとしているのだろうと思っていました。でも、彼が復讐しようとしている理由は手足を奪われたからではなく、最愛の妹を奪われた事なのですね。


 彼にとって、妹さんは手足よりも大切な存在だったのでしょう。手足を失う苦痛がどれだけ強烈かは想像に難くありません。その苦痛すら眼中に無くなるほど、妹さんを愛していたに違いありません。


 大切な人を失った人間だからこそ、復讐という言葉にあれほどの憎悪を込められるのでしょうか………。


 私は少しだけ彼が恐ろしくなりました。


 けれども、救わなければ。


 地獄へ落ちようとしている彼の手を掴み、引き上げなければなりません。


 それがシスターとなった私の使命なのです。


「………難しいかもしれませんが、彼らの罪を許さなければ復讐心は消えません」


「罪を許す?」


「ええ………相手を愛するのです」


「愛………」


 相手を許せば、愛せるようになります。憎んでいる相手を許すことはかなり難しいかもしれませんが、妹さんを奪った罪を許してあげなければ復讐心は消えないのです。


 ですから、相手を許してあげて欲しい。


「シスター」


「はい、何でしょうか」


「………愛って、どういう事なんだ? 相手を好きになれって事なのか?」


「いえ、相手と恋をしろというわけではありません」


「じゃあ、”愛”って何だ? どういう意味なんだ?」


 きっと、神父様であったならば素早く答えていたでしょう。あのお方は以前にラガヴァンビウスの教会で人々を救っていたと言われていますから、きっと愛がどういうものなのか知っていたかもしれません。


 神父様を呼んでくるべきでしょうかと思いましたが、きっと神父様はもう居住区の自室にお帰りになられているでしょう。それに、彼は先ほど私の見解でいい、と言っていましたし、私が答えた方が良いのかもしれません。


 最適解ではないと思いますが、私は彼の問いに答えました。


「………きっと、”相手を想う事”だと思います」


「相手を想う事………」


 きっと、それが愛なのだと思います。


「それが愛なのか………」


「ええ、きっとそうですよ」


「分かった。ありがとう、シスター」


 微笑みながらそう言った少年は、椅子から立ち上がって踵を返しました。


 彼が身に纏っているのはテンプル騎士団の黒い制服ですが、トレンチコートを思わせる上着の背中には、赤黒い金槌と鎌が交差しているエンブレムが描かれています。テンプル騎士団のエンブレムではないようですが、あれには何の意味があるのでしょうか。


 けれども、これで彼も救われるでしょう。


 あの黒髪の少年は、きっと相手を愛してくれる筈です。



















 クリップを使い、マガジンの中に7.62×39mm弾を次々に装填していく。30発の弾丸がマガジンに収まったことを確認してから、AK-47にマガジンを装着してコッキングレバーを引き、セレクターレバーがセミオートになっているかどうか確認する。


 ラジオで流れていた歌を口ずさみながら射撃訓練場の的へと銃口を向け、引き金を引いた。


 最近はAK-47の射撃訓練ばかりやっているような気がする。まあ、前任者リキヤが愛用していた銃だから使い方は完全に理解しているし、分解して整備するのも朝飯前だ。はっきり言うともうこいつで射撃訓練をする必要がないくらい熟知しているつもりなんだが、やっぱりぶっ放さないと落ち着かない。


「何だ、ご機嫌じゃないか同志」


 隣でスチェッキン・マシンピストルを構えて的を狙っていたジェイコブが、ニヤニヤ笑いながら話しかけてくる。


 そりゃいいことがあったからな。昨日は勉強になったよ、本当に。


「居住区の教会にシスターがいるだろ? オルトバルカ教の」


「え? ああ、あの可愛いエルフのシスターか」


「おう。昨日、彼女から”愛”について教えてもらった」


「……ちょ、ちょっと待て。お前、団長と副団長と同居しているくせに今度はシスターにも手を出すつもりか!?」


「バーカ、違うよ。愛ってどういう意味なのか教えてもらっただけだ、そういう関係じゃない」


「よかったぁ……」


 何で安心してるんだよ、バカ。相手はシスターだぞ?


 どうせ狙ってたから慌てたんだろうなと思いつつ、セミオート射撃で的を射抜く。


 愛とは、”相手を想う事”か。


 だったら俺は問題ないな。


 確信しながら、ニヤリと笑った。


 俺はこんなにも、勇者を殺してやりたいと”想って”いるのだから。




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