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物騒な日常


 正直に言うと、あいつらの相手をするのはかなり怖い。


 スペツナズは陸軍や海兵隊から選抜されたり、スカウトされてきた兵士たちだけで構成される特殊部隊だ。兵士たちの錬度は他の部隊とは別格だし、引き受けることになる任務の危険度も桁違いである。少数の部隊で敵陣へと浸透し、敵軍の指揮官を暗殺して帰ってくるなど正気の沙汰とは思えない。


 第零部隊クラースヌイ・グローザの第一分隊は、特にそういう事を当たり前のように引き受けて戻ってくる連中ばかりだ。しかも、そいつらを率いるのはあの”ウェーダンの悪魔”。あいつが味方だという事を知っているだけで、どんな敵も怖くなくなる。


 逆に言えば、敵に回るとこれ以上ないほど怖い。どういう攻め方をしてくるか分からないから怖いというわけではない。不純物のない恐怖が、皮膚に浸透して身体や精神を容赦なく侵食していくのだ。


 無意識のうちに呼吸が荒くなっていた。


 AK-47のグリップを握り締め、ドアかダクトから突っ込んでくるヤバい連中(第一分隊の変態共)の突入に備える。さっき力也とジャンケンしたんだが、負けちまったので俺たちが防御側だ。ドアの中にスモークグレネードを投げ込んで突入する寸前の緊張感もかなりヤバいが、あのド変態分隊がいつ突入してくるか分からないのもかなり濃密な緊張感を生んでいる。


 隣にいる副官のデイビット―――――エルフの分隊支援兵だ――――――が、バイポッドを展開した『RPD』のグリップを握り締め、アイアンサイトを覗き込みながら息を呑む。正面のドアから突っ込んでくるというのであれば、彼のRPDのフルオート射撃が火を噴くことになるが、あのウェーダンの悪魔がそんな攻め方をするわけがない。


 天井のダクトか後方のドアのどちらかだ。あいつは絶対に正面からは攻めて来ない。


 唐突に、カラン、と何かが落下する金属音が後方から聞こえてきた。手榴弾が落下する音だ、と脳味噌が判断した頃には、プシュッ、と白煙がそのスモークグレネードから溢れ出し、それほど広いわけではないオフィスの中を侵食し始める。


 くそったれ、どこからだ!? やっぱり後ろだったか!?


 ぎょっとしながらAK-47を後ろへと向けようとした次の瞬間だった。


 ガキッ、と金属音が前方の扉から聞こえたと思った直後、オフィスの扉が吹き飛んだ。爆風で吹っ飛ばされたのではない。爆薬を使ったのであれば爆炎が見える筈だし、衝撃波や破片もこっちに飛んでくる。


 鈍器のようなもので殴打され、扉が破壊されたのだ。


 灰色に塗装された金属製のパイプが一瞬だけ見えた。元々は高圧空気か蒸気の配管に使われていた物なのか、赤いバルブがまだ残っているのが分かる。取り外す前から壊れていたのか、それともそれで敵兵を撲殺しまくったせいで破損したのか、傍らにある圧力計らしきものは割れていて、圧力を表示するための針は歪んでいるようだった。


 鉄パイプ………。


 あんなものを得物にするバカはあの男しかいない。


 次の瞬間、隣のデイビットがその鉄パイプに向かってRPDでフルオート射撃を始めた。確かに後方のドアからスモークグレネードを投げ込み、後方から突入すると思わせておいて正面から突入するという作戦は見事だよ、同志中佐。だがな、こっちも陸軍や海兵隊から選抜されてきた兵士で構成された分隊だ。そう簡単に制圧できると思うなよ?


 デイビットが撃ちまくっている隙に、ポーチの中から手榴弾を取り出す。もちろん本物ではなく模擬戦用だ。安全ピンを引っこ抜いてぶん投げると、周囲に真っ赤な塗料を巻き散らす。もちろんそれに触れれば死亡という事になる。


 安全ピンを引き抜いてから投擲すると、コロン、と床に当たる音が聞こえた。その直後、スプレーのような音を発しながら赤い塗料が飛び散り、吹っ飛んだドアの向こうに見える鉄パイプを真っ赤に染め上げる。


「やったか!?」


「いや……」


 おかしい。


 第二分隊も錬度は高い。さすがにさっきのフェイントはヤバかったが、辛うじて対応できた。こっちにはそれくらいの実力がある。


 そう、力也は俺たちがそれくらいの実力者だという事を”知っている”。


 だから、考えられない。


 あいつがそんな作戦で攻めてくるという事が。


 ちょっと待て。


 ぎょっとしながら横へと転がり、ぐるりと後方へ銃口を向けた直後だった。


 真っ先に一番危険な奴を倒したと思い込んでいたデイビットの背中に、真っ赤な塗料が飛び散った。


「な――――――」


「――――――ッ!!」


 フェイントなんかじゃなかった。


 最初から”こっち”から突入するつもりだったんだ、あいつらは。


 スモークの向こうでマズルフラッシュが煌く。ダクトと後方のドアを警戒していた分隊の仲間たちが次々に応戦するが、どんどん返り討ちにされていく。


 フルオート射撃でもお見舞いしようと思ったが、射撃するのはやめた。


 第一分隊の連中は、スモークの中からこっちのマズルフラッシュを目印にして射撃しているらしい。真っ白な煙で敵兵の姿は見えないが、マズルフラッシュさえ見えれば銃を構える兵士の体勢はイメージできる。


 迂闊に撃てば、仕留められる。


 射撃を断念し、近くにある机の陰に隠れた。背中を撃たれたデイビットが悔しそうな顔をしながらRPDのグリップを握り締め、床の上に倒れている。当たり前だが、撃たれたら脱落だ。


 ポーチの中にはまだ手榴弾が1つ残っている。マズルフラッシュを目印にしているというのなら、こいつで反撃されれば察知できないだろう。


 安全ピンに指を引っかけ、引き抜こうとしたその時だった。


 とん、と、肩にバルブと圧力計が付いた鉄パイプが当たる。真っ赤な塗料まみれになったその鉄パイプを持っている制服姿の男には、被弾した事を意味する赤い塗料は全く付着していない。


 左肩にAK-47を担ぎ、右手に鉄パイプを持った真っ黒な悪魔は、ガスマスクをかぶったまま俺を見下ろしていた。レンズの向こうにある真っ赤な目を見上げながら、手榴弾の安全ピンからそっと手を離して床に置き、両手を上げる。


 もし実戦だったら、第二分隊は壊滅だ。デイビットは背中と肩甲骨の辺りに7.62×39mm弾を3発も叩き込まれ、他の連中も脇腹や胸板を撃ち抜かれて致命傷を負う羽目になっていただろう。もちろん、俺も手榴弾の投擲の直前に鉄パイプで顔面を殴打され、頭蓋骨を割られていたかもしれない。


 とんでもない殺し方をするな、こいつ。


 まあ、転生者をミンチにしたり、ゾンビにして殺すような男だからな……。マジでこいつと戦うのは嫌だ。


「チェックメイトだな、同志ヴラジーミル」


「………お前マジで怖い」


「ふん………それが俺たちだ」


 確かに。


 手榴弾をポーチに戻し、オフィスの中を見渡す。どうやら俺以外のメンバーもやられていたらしく、赤い塗料まみれになっていたり、ナイフとか銃剣を突き付けられたまま両手を上げて待機している奴もいる。


 だが、第一分隊の奴らを1人も倒せなかったというわけではないらしい。


 よく見ると、部屋の入口の所で3人ほど赤い塗料が付着した制服を身に着けて倒れている連中が見える。1人は身長が2mくらいの巨漢だから、バラクラバ帽で顔を隠していてもマリウスだという事は分かる。近くで起き上がったのはエレナだろうか。彼女の専門分野は狙撃だから、こういう室内戦は苦手なのだろう。彼女の後ろにいる燃料タンクを背負っているのはジュリアらしい。あいつまで突入してこなかったのはマジで幸運だ。仕留めた奴よくやった。


 前の訓練でもジュリアと戦ったんだが、あいつの侵入を許した時は悪夢としか言いようがなかった。さすがに訓練なので火炎放射器は使わないだろうと思っていたんだが、あいつはあろうことか燃料の代わりに塗料をタンクに充填して、それを炎の代わりにぶちまけてきたのである。


 この塗料は洗濯で落ちやすいように造られているが、さすがに完全に真っ赤になった制服を綺麗にするのは無理だったので、シュタージに申請して新しく制服を用意してもらう羽目になった。


「撃たれたのはマリウスとエレナとジュリアか。お前ら後で要塞砲ランニングな」


「は、はい………」


「ニャ………あれ辛いから嫌いなのニャ」


「了解です」


 ほう、こっちは全滅と引き換えにあの第一分隊の戦力を半減させたか。


 一矢報いる事ができたのだから、こっちは合格だろう。第一分隊の変態共を返り討ちにできなかったのが残念だがな………。


















「別格じゃねえか………」


 訓練場にある魔法陣に映っている映像を見ていた第二部隊の兵士が呟いた。


 正直に言うと、私もウラル教官とセシリアがスペツナズの入隊試験の基準を緩和させてしまった事には少しばかり反対だった。この部隊に必要なのは、短期間の訓練であれほどのレベルの戦闘ができる兵士。そういう兵士たちだけで構成される特殊部隊だからこそ、組織の命運を左右する任務に投入することが許される。


 育成すれば錬度の差はある程度は補えるけれど、その育成にももちろんコストがかかってしまうし、実戦投入できるまで時間がかかってしまう。


 この部隊に必要なのは、錬度の高い”高品質な兵士”。


 基準の緩和については元に戻すようにセシリアに言ってみようかしらと思っていると、映像を見ていた兵士のうちの1人がこっちを見てぎょっとした。


「ど、同志副団長!?」


「あら、ごめんなさい。ちょっとどんな訓練やってるか気になったからお邪魔させてもらったわ」


 微笑みながら兵士にそう言いつつ、先ほどまで魔法陣に映っていた映像を思い出す。


 世界大戦では、このような室内戦は殆ど発生しなかった。塹壕の中では至近距離で兵士たちが銃撃戦や白兵戦を繰り広げることはあったけれど、爆薬を使って室内へと侵入し、室内にいる敵兵を制圧したというケースは記録にはあまり残っていない。


 けれども、タクヤ・ハヤカワの時代ではこういう戦いも当たり前のように起こっていた。


 もちろん私も、ウラル教官からこういった”CQB”の訓練は受けた。でも、私が生まれた頃にはあの世界大戦のように、室内ではなく平原での戦闘が当たり前だったから、こんな室内で戦う訓練は役に立つのだろうか、と訓練を受ける度に思っていた。


 けれども、スペツナズの訓練を見た私は確信していた。


 次の世界大戦では戦い方が一気に変わる、と。


 塹壕は廃れる。


 白兵戦も減少する。


 ダミアンの時のように、市街戦が増加する。


 もう既に、あの世界大戦の終盤の時点でその片鱗はちらついていた。そして、ヴァルツ軍の奴らもその片鱗を目の当たりにしていた。


 だから、私たちも進化しなければならない。


 次の世界大戦では、確実に敵は強大になっているのだから。


 しばらく魔法陣を見つめていると、訓練場の扉が開いた。中から真っ赤な塗料が付着した制服を身に纏った隊員たちが次々に姿を現す。あの赤い塗料は模擬戦で使われているペイント弾のもので、それが付着しているという事は被弾して死んだことを意味している。


 無傷で出てきたのは、たった3人だけだった。


 スモークを利用して突入に成功したコレット大尉、キメラ兵の高い身体能力であろうことか弾丸を回避して突入した衛生兵のジェイコブ少佐、正面で鉄パイプをちらつかせて囮になり、隙を突いて突入した速河中佐の3人だけ。


 彼らは私の方を見ると、すぐに敬礼した。私も敬礼をしながら彼らの近くに向かって歩きつつ、後ろに隠している物を渡す準備をする。


「あれ、副団長。視察ですか?」


「ええ、あなたたちがどんな訓練をしているのか見ておこうかなって」


「おいおい、撃たれたところ見られたんじゃないか? なあ、マリウス」


「うわ、マジすか……」


 ええ、ちゃんと見てたわよ………。


 苦笑いしながら、ジェイコブ君が交わした弾丸がマリウス君を直撃したのを思い出す。もしあそこでジェイコブ君に当たってたらマリウス君は助かったんじゃないかって思うけど、マリウス君って身長が高い上に体格がかなりがっちりしてるから、結果的には被弾してたかもね。


 小柄な兵士の方が銃撃戦には向いてるんじゃないかと思いながら微笑んでいると、塗料まみれになっている男性の兵士たちが何故か私を見つめながら顔を赤くしていた。何で顔を赤くしてるのかしら。


 あ、それよりも早く渡さないと。


「り、力也くんっ」


「はい、何でしょうか」


 赤い塗料まみれの鉄パイプを肩に担ぎながら答える力也くん。塗料の色のせいで、まるで敵兵をそれで撲殺した後のように見えるわよ? 早く拭いておきなさいよね………。


 白兵戦を終えた直後のような鉄パイプを見て顔をしかめてから、後ろに隠していた物を彼に差し出した。


「これ、後で食べて」


「なんスかこれ」


「いいから、部屋に戻ったら開ける事。いいわね? それじゃ」


 彼にそう告げてから、私は踵を返して訓練場を後にした。


 中身は秘密よ。でも………自信作なのよね。




















 セシリアとサクヤさんは部隊の視察とかデスクワークがあるから、何もない日に訓練を終えて戻ってくると、基本的に部屋には誰もいない。何度か仕事を手伝おうかと申し出たこともあるんだが、2人は俺に仕事を手伝わせてくれない。


 だから、部屋に戻ってきたら夕食の準備をする。2人が仕事を終えて戻ってきた時に、すぐ夕飯にできるように。


 シャワーを浴び終えてからドライヤーで髪を乾かし、私服に着替えてからエプロンを身に着ける。冷蔵庫の蓋を開ける前に、キッチンに置いておいた袋を手に取った。


 先ほど訓練場でサクヤさんから受け取った袋だ。赤い紐を解いて開けた途端、バターと小麦粉の香りが袋の中から溢れ出る。


 おお、クッキーか。


 まさか、俺のために作ってくれたのだろうか。いつもは毎朝尻尾で起こそうとする俺の手を叩いてきたり、セシリアがとんでもない事を言う度に何故か俺に八つ当たりしてくるサクヤさんが、クッキーを作ってくれるとは。


 しかも、よく見るとこの袋は売店で売っているクッキーの袋ではない。やっぱり手作りなのだろう。


 最高じゃないか。


 袋の中には、小さな手紙らしきものも入っている。義手で引っ張り出してみると、小さな手紙には『いつもセシリアを支えてくれてありがとう。これからもよろしくね♪』と書かれている。


「………あの人、ツンデレなのかな」


 呟いてから、早速クッキーを1つ手に取った。わざわざサクヤさんが作ってくれたのだから、今のうちに食べておこう。彼女が戻ってきたらさり気なく感想を言って、後でお返しを用意しておくのがベストに違いない。


 そんな事を考えながら、サクヤさんが作ったクッキーを口へと運んで咀嚼した。





























「………苦っ」







 


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