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ダミアン市の激戦


 オイルの匂いがする。


 品質がいいからなのか、それとも種類が異なるからなのか、戦場で嗅ぐオイルの臭いと比べると少しばかりは良い匂いがする。


 ここはどこなのだろうか、と思いながら、周囲を見渡すよりも先に腕を動かそうとする。だが、腕がやけに軽い。普段搭載している戦闘用の義手よりも軽いし、段々と感触が薄れつつあるかつての腕よりも軽い。


 ちらりと右腕の方を見てみると、肩にある腕の断面から数本のケーブルが伸びていて、先ほどからオイルの匂いを放っている作業台の上に繋がっているのが分かる。作業台の上に工具と一緒に転がっているのは、黒と灰色の迷彩模様で塗装された義手だった。まだ未完成なのか、フレームはいたるところが外れていて、人工筋肉や金属製の骨格が露出している。


 あれを造っていた博士はどこに行ったのだろうか、と思いながら身体を起こそうとしたその時だった。

 

 ドアが開く音が聞こえたかと思うと、テンプル騎士団の制服に身を包んだ黒髪の女性が部屋の中へと入ってきた。手に持っているのは金属製のトレイで、上にはスープ―――――コーンスープだろうか――――――とパンが乗っているのが見える。


 サクヤさんはベッドの上にいる俺を見て目を見開くと、傍らに金属製のトレイを置いた。


「サクヤさん、ここは?」


 問いかけには、答えてくれなかった。


 不機嫌そうな顔でこっちへとやって来るサクヤさん。彼女を怒らせてしまった理由を思い出そうとするが、何も思い出せない。第一、なぜ俺はベッドで眠っていた? 義手が外れていたという事は、メンテナンスか戦闘で破損したという事だろう。何があったのだろうか?


 ビンタでもされるかもしれないと思っていたが―――――ベッドのすぐ近くまでやってきたサクヤさんは、両手を広げると同時に悲しそうな表情になった。


 彼女の真っ白な手が俺にもたらしたのは、平手打ちによる痛みではなく―――――優しい抱擁だった。


「え――――――」


「………何考えてるのよ、バカっ!!」


 何のことだ。


 分からない。どうして彼女が悲しい顔をしていたのか分からない。


 どうして彼女が泣いているのか………分からない………。


 ズキン、と頭の中で小さな痛みが暴れ回る。その痛みが消え失せたかと思うと、塹壕の中で吹っ飛ばされた瞬間の光景がフラッシュバックする。


 人体を容易く吹き飛ばしてしまう衝撃波。それに直撃されて砕け散る義手。破片が顔や上半身に突き刺さる痛み。大慌てで駆け寄ってくる仲間達。両腕を失った俺を背負い、必死に撤退してくれた仲間達。


 俺は負傷したのだ。


 彼女を庇って、負傷したのだ。


「どうしてあんな無茶をするの………!」


「………すいません」


 幼少の頃に、母に怒られた時の事を思い出してしまう。近所の家の子供をぶん殴って泣かせたことを知った母が、子供部屋にやってきて明日花の前で俺の事を怒った。確か、あの時近所の子供をぶん殴った理由は、近所に住んでいた年上の男子が明日花の事を殴ったからだ。


 だから、思い切り殴ってやった。突き飛ばして上に乗り、鼻血で顔が真っ赤になるまで殴り続けた。その辺に転がっていた石を掴み、鼻の骨が折れるまでひたすら石で殴り続けた。最終的に明日花が泣きながら「おにいちゃんもうやめて」と言うまで、そいつの事を痛めつけ続けていた。


 母さんには「やり過ぎだ」って怒られた。でも、ああいう奴は徹底的に叩き潰さなければならない。無視していれば調子に乗るのだから、俺の顔を見るだけで怯えるくらい恐怖を与えてやらなければならない。


 そうしなければ、明日花は守れなかったから。


 そう、俺は明日花を守るために戦い続けていた。


 塹壕の中で咄嗟にサクヤさんを庇ったのは、無意識のうちに彼女と明日花を重ねてしまい、守ろうとしていたからなのかもしれない。


「私は第二世代型の転生者だし、キメラだから身体も頑丈よ。あの程度の衝撃波なら何とか耐えられたかもしれない。でも………あなたは普通の人間と変わらないのよ!? 分かってる!?」


 分かってる。


 義手が頑丈だったおかげで、死なずに済んだ。けれども、もし義手があの転生者の衝撃波に耐えられなかったのであれば、俺の肉体は木っ端微塵になっていたに違いない。敵が放った砲弾を、鉄板で何とか防いだようなものだ。


 彼女を抱きしめようと思ったけれど、今は腕がない。どうやら尻尾は無事らしいので、代わりに尻尾を使って優しくサクヤさんの頭を撫でた。手のひらよりは随分と小さいので、撫でているというよりはただ単に触っているような感じがしてしまう。


 そういえば、彼女は俺よりも1つ年上だ。年下の男が年上の女性の頭を撫でるのは拙かったかもしれない。


 ぎょっとしながら撫でるのを止めると、サクヤさんは微笑みながら手を離した。


「………いいわよ、別に」


「え?」


「な、何よ………勘違いしないで。年下に撫でられるのも悪くないなって思っただけなんだから」


「は、はい………」


 もっと撫でろって事なんだろうか。


 もう少し撫でてあげようと思ったんだが、部屋の入り口にあるドアに隠れながらこっちを見てニヤニヤしているフィオナ博士を見つけたので、尻尾を咄嗟にぴたりと止めた。


「あ、バレました?」


 サクヤさんの顔が一気に真っ赤になる。慌てて後ろにいるフィオナ博士を振り向いた彼女は、咳払いをしてからいつものように冷静な声で尋ねた。


「………いつから見てたんです?」


「いえいえ、サクヤさんの怒鳴り声が聞こえたものですから」


 おいおい、あの時からか。ということはサクヤさんがデレた所は全部見られたという事だよな?


 とりあえず話題を逸らそう。このままエスカレートすると九分九厘面倒なことになる。


「博士、ここは?」


「ああ、ダミアンですよ」


 ダミアン………。


 ローラント中将暗殺作戦のブリーフィングで聞いた地名だ。確か、旧ラトーニウス領南方にある街だったな。テンプル騎士団全軍をここへと撤退させ、追撃してきたヴァルツ帝国軍を迎え撃つ作戦だった筈だ。


 どうやら既に戦闘は始まっているらしく、建物の外から銃声や爆音が聞こえてくる。廊下の奥に見えるボロボロの窓の向こうには、MG42を担いだオークの兵士や、弾薬が入ったでっかい箱を抱えたホムンクルス兵が走っていくのが見える。ヴァルツ軍が市内まで侵攻しているのであればもっと混乱している事だろう。ということは、まだダミアン市内への侵入は防いでいるという事なのだろうか。


「博士、義手はどれくらいで直る?」


「今まで使っていた近接戦闘型なら、あと2時間はかかります。木っ端微塵でしたからね」


「予備はないのか?」


「タンプル搭の工房にならどっさりありますが、ここに臨時で造った簡易ラボにはありませんね……」


「くっ……」


 なんてこった。腕がなければライフルを撃つことすらできないじゃないか。


 尻尾があればハンドガンとかソードオフ・ショットガンくらいは撃てる。だが、当たり前だが再装填リロードは銃を一旦置かなければできないし、装備できる銃もかなり限定される。さすがにメインアームを装備している敵兵にハンドガン1丁で戦いを挑むのは愚の骨頂だ。


 今は腕が欲しい。


 粗悪品でも構わないから作ってくれないか、と頼もうとしたその時だった。


「でも、試作品ならあります」


「試作品?」


「ええ。新しい義手の試作型プロトタイプなんですが。それならすぐに装着できますよ」


「よし。博士、それを装備してくれ。俺もすぐに戦闘に参加しなければ」


 そう言うと、サクヤさんはぎょっとしながらこっちを向いた。数分前に意識が戻ったばかりなのに、もう戦場に行こうとしていることを咎めようとしているに違いない。いくら回復アイテムや魔術で瞬時に負傷者を治療できるのが当たり前の世界とは言え、数分前まで意識がなかった負傷兵をすぐに最前線に行かせるのは正気の沙汰ではないらしい。


 だが、行かなければ。


 既に同志たちは戦っている。最前線で銃を撃ち、剣を振るい、敵を殺している。


 俺も彼らの隣に並ばなくてどうする。


 戦うための兵士が寝ていてどうする。


「分かりました」


「博士………!」


 サクヤさんが止めようとするよりも先に、俺はもう一度ベッドに横になった。博士は「では、義手を持ってきますので」と言い残し、その試作型プロトタイプが保管されている部屋へと向かう。


 心配そうにこっちを見下ろしていたサクヤさんは、溜息をついてから肩をすくめた。


「………今度こそ、あんな無茶はしないでよ」


















 


 1918年3月25日、ダミアン市へと後退したテンプル騎士団は、そこで部隊の再編成を行い、追撃を試みるヴァルツ帝国軍との戦いを再開した。


 遮蔽物の多い市街地に防衛ラインを構築したテンプル騎士団の攻撃は極めて苛烈であり、砲兵隊による砲撃もあまり効果はなかった。遮蔽物を盾にしたり、地下に退避して恐ろしい榴弾から身を守る事ができたからである。


 ヴァルツ帝国軍は生き残った転生者と歩兵部隊を投入し、ダミアン市に展開するテンプル騎士団への総攻撃を始める。


 第一次世界大戦の命運を左右する戦いとなり、後に『ダミアンの死闘』と呼ばれることになる戦いの舞台となったのは――――――かつて、リキヤ・ハヤカワという転生者の少年と、エミリア・ペンドルトンという騎士団の少女が初めて出会ったラトーニウスの都市であった。



















 きっと、ここを攻め落とそうとする敵兵にはこの街が要塞に見えている事だろう。


 先ほど肩を撃たれて負傷した機関銃の射手の代わりに、MG42で敵兵をズタズタにしながら私はそう思った。この機関銃が設置されている場所は元々はただのホテルの客室だ。そこの窓を開け、いくつか土嚢袋を窓の縁に置いて遮蔽物にしながら敵兵を掃射している。


 もちろん、このホテルが敵部隊を迎え撃つ要塞として設計されているわけがない。この街を訪れた旅人たちを受け入れる宿として造られている。だからこれでもかというほど砲撃されればあっさりと倒壊するし、敵兵にも容易に侵入されてしまう。


 だが、要塞と化したのはこのホテルだけではない。大通りの向かいにある雑貨店の中には榴弾砲が隠されており、先ほどから突入を試みる敵兵の群れを榴弾砲で吹き飛ばし続けているし、屋上や中庭には迫撃砲もある。遮蔽物が多いからライフルで狙撃するのは難しいし、砲撃を試みてもこっちは地下や建物の中に隠れれば身を守る事ができる。


 防衛戦が苦手なテンプル騎士団でも、大きなアドバンテージがあると断言できる状況だ。


 真っ赤になった銃身を排出し、新しい銃身をカバーの中へとぶち込む。真っ赤になった銃身がボロボロになった床の上に落下し、甲高い音を奏でた。


 ホテルへの突入を試みた敵兵たちのど真ん中で、唐突に小さな物体がジャンプする。小さな円筒状のその金属の物体は、いきなりジャンプしたそれをぎょっとしながら振り向く敵兵たちを爆風で抉り、無数の小さな破片でお構いなしにズタズタにする。


 Sマインだ。


 ホテルの周囲には鉄条網や土嚢袋が用意されているし、その辺にあった廃材で造ったバリケードもある。だから、歩兵が侵入できる場所はかなり限定されると言っていい。


 その”侵入できる場所”には、どっさりとSマインが仕掛けてある。迂闊に突入を試みれば、恐ろしい地雷に出迎えてもらう事ができるというわけだ。ヴァルツの連中は気に入ってくれるだろう。


 そろそろ転生者部隊が前に出てくる頃だろうか。負傷した兵士を助けようとする敵軍の衛生兵をMG42で蜂の巣にしながら、私はそう思った。


 今のところ、市街地への突入を試みているのは通常の歩兵ばかりである。この戦いはヴァルツからすれば帝国の命運を左右する最終決戦のようなものなのだから、先ほどの戦闘で大損害を被ったといっても部隊を出し惜しみするわけにはいかない筈だ。


 カバーを開き、弾薬の入った箱から新しいベルトを掴み取ったその時だった。


「同志団長、市街地に何かが向かってきます」


「分かるか?」


「装甲車? ………いや、装甲車にしてはデカい」


 双眼鏡で平原の方を凝視しながら、味方の兵士が報告する。


 ホテルの下で戦闘を繰り広げていたヴァルツ兵たちも、唐突に銃撃を止めて後方へと後退していく。首に下げていた双眼鏡を手に取り、私も平原の向こうを凝視する事にした。


 穴だらけになった平原の向こうから接近してくるのは、やけに巨大な装甲車のようだった。分厚い装甲で車体を覆われており、正面には主砲らしき砲身と主砲同軸の機銃らしき武装がある。車体の側面からも機銃の銃身が突き出ていて、車体の上部には覗き窓が用意されている。


 あれは……装甲車ではない。


「まさか、戦車か!?」


「バカな、ヴァルツ軍の戦車!?」


 なるほど、クソ野郎共も戦車を開発したか………。


 よく見ると、戦車の車体の上に乗っていたり、周囲に展開している歩兵たちは白い制服に身を包んだ転生者兵ばかりだ。戦車の火力で遮蔽物を破壊し、転生者兵の戦闘力で市街地を制圧するつもりか。


 ガゴン、と敵の戦車の主砲が動き始めた。ゆっくりと砲身がこちらを向いたかと思うと、平原の向こうで緋色の光が煌く。


 ぎょっとしながら、私は咄嗟に伏せた。次の瞬間、バギン、と金属製の物体が砕け散る音と衝撃波が私の背中に牙を剥き、頭上を何かが通過していく。敵戦車の放った榴弾だという事を察した頃には、その恐ろしい榴弾は私たちが立て籠もる部屋を後にしたようだった。


 弾薬を持って来てくれた兵士が、ドアを開けっぱなしにしていた事が功を奏してくれたらしい。敵戦車の榴弾は私の頭上を通過し、開けっ放しにされたドアから廊下へと到達して、またしても開けっ放しになっていた向かい側の部屋へと飛び込んだらしい。そのまま向かいの部屋の窓を粉砕して外へと躍り出た榴弾は、空中で爆発して紅蓮の爆炎を生み出した。


「く、くそ………損害は!?」


「なし!」


「よし、対戦車戦闘用意だ! 対戦車ライフル隊、敵戦車を狙えるか!?」


 辛うじて破壊されずに済んだ無線機を手に取り、反対側の建物にいる対戦車ライフルの射手たちに連絡する。元々は転生者の狙撃のために待機させていた部隊だが、転生者を撃破するために殺傷力に特化したライフル弾が、戦車に通用しないわけがない。


 メニュー画面を出現させ、私もシモノフPTRS1941を装備して敵戦車を狙う。どこが装甲が薄いのかは分からないが、少なくとも正面装甲への攻撃は避けるべきだろう。側面は無理だから、上部にあるあの覗き窓を狙うのがベストだろうか。


 だが、私が引き金を引くよりも先に、側面から飛来した徹甲弾が敵の戦車の側面を撃ち抜いた。ボコン、と装甲が貫通される音が響いたかと思うと、装甲の隙間から黒煙が溢れ出し、敵の戦車が動かなくなる。


 敵の戦車を砲撃したのは、敵戦車部隊の側面へと回り込んだT-34-85たちだった。車体の上に砲塔を搭載したことで側面や後方にも主砲を旋回させられるT-34たちに対し、車体の正面に主砲を装備してしまった敵戦車たちは、側面の敵を砲撃するために車体ごと旋回させなければならない。


 異世界の戦車(T-34)この世界の戦車(敵戦車)の戦闘を見つめながら、私は転生者を対戦車ライフルで狙撃する事にした。






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